第16話 独身

 次の日、ジークさんは半ば呆れた様子で言った。

「実はね、ハインツ。昨夜ゆうべ、あなたの旧姓についてアロイスに話したの。そうしたら彼、どこかで聞いたことがあるって言うのよ」

「えっ、本当ですか?」

 びっくりして思わず聞き返してしまった。

「でも、どこで聞いたかは思い出せないって。まったく、重要な情報かもしれないのに、変なところ抜けてるのよね」

 と、彼女はため息をつく。

 一瞬だけ浮かんだ期待はすぐにしぼんでしまった。残念だが、思い出せないのならしょうがない。

「だから期待はしないことにしたわ。彼の勘違いかもしれないし、ハインツとは関係がない可能性もあるから」

「ええ、そうですね」

 と、オレは少し苦笑いで返した。

 ジークさんは今日も資料探しに時間を費やし、合間にオレへいくつか質問をした。

 昔好きだった遊びや家族との思い出、ウェンベルンの景色で覚えていることはないか――記憶が曖昧あいまいなオレはちゃんと答えられないことばかりだったが、ジークさんは責めたり呆れたりせず、優しく笑って流してくれた。


 昼休みに入り、オレはジークさんと研究所の一階にある食堂へ移動した。オレの昼食は後ほど経費として処理されるらしく、ジークさんが支払ってくれるのだ。

 昨日と同じように一緒に食事をとりながら、ふとオレはたずねてみた。

「そういえば、聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

「何かしら?」

 と、向かいに座った彼女がこちらへ目をやり、オレは単刀直入に言う。

「どうしてアロイスさんと結婚したんですか?」

 眼鏡越しに彼女が目を丸くし、恥ずかしそうに視線をそらして咳払いをする。

「そ、それは、その……えぇーと、どこから話そうかしら」

 どうやら困惑させてしまったようだ。

 とっさに「すみません」と、返したオレだが、ジークさんは「いえ、いいのよ」と、許してくれた。

「あたしは元々、飛び級で大学院を卒業したの。博士号も取得して、軍属したのが十八歳の時」

 オレより二歳年上の時、すでに博士号を取っていたのか。すごすぎる。

「魔法を研究することで国の役に立ちたかったの。でも、そこで出逢ってしまったのがフロレンツよ。彼の混成魔法を研究したくて、一時期、それは本当にしつこいくらい付きまとっていたことがあってね」

「えっ」

「今では申し訳なかったと思ってる。だけど、その時に出逢ったのがアロイスなのよ」

 と、ジークさんは安堵あんどにも似た息をつく。

「あの二人、仲がいいでしょう? 元々はアロイスがヘルマン大佐と同級生だったそうよ」

「あれ? でもヘルマンさんの方が年上ですよね?」

「ええ、アロイスが飛び級生だったの」

 初耳の情報だ。

「ということは、先生はヘルマンさんの部下だったから、そこでアロイスさんに出逢って仲良くなったんですね」

 きっかけを知ることができて、ほんのり嬉しくなった。そういうつながりだったのかと、理解が出来て安心にも似た気持ちになる。

「そしてフロレンツに付きまとっていたあたしはアロイスと出逢った。今だから言えるけど、最初は気に食わなかったわ。あの人、ひょうひょうとしていて何を考えてるか分からないところ、あるでしょう?」

「ああ、ありますね」

「あれがムカついたの。でも、じきに戦争が始まって……」

 ジークさんがふと視線を落として伏し目がちになる。

「あたしは研究員だから、実際の戦場の様子は知らないわ。だけど毎日入ってくる訃報ふほうや戦況に滅入ってしまって……毎日のように言い争っていたはずの彼のことが、ひどく気になってしまったの」

「……それで?」

「無意識のうちに惹かれていたんだと気づいたわ。彼の方もそうだった。だから戦争が終わって落ち着いた頃、あたしたちは結ばれたの。お互いに仕事が忙しくて結婚するのは遅くなってしまったけれど、見えるところに彼がいるだけでほっとするのよ」

 顔を上げた彼女がにこりと照れまじりに微笑み、オレもつられて笑った。

「素敵なお話ですね、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそありがとう。それにしても、どうして急にこんな質問を?」

 たずね返されて、オレは視線をわずかに下へ向ける。

「その……先生だけが独身だなって、ずっと前から思っていて」

「ああ」

「ヘルマンさんやアロイスさんは結婚してるから、何でなのか不思議なんです。これまで恋人がいた様子もないし……」

 口にはしないが、先生は背が高くて顔も悪くない。いや、黙っていればイケメンだ。それなのにずっと独身でいるのは、オレからしたら不思議でならなかった。

「もしかして、オレがいるからなのかな、とか考えちゃうこともあって」

 いざ言葉にしてしまうと苦い。ごまかそうとしてザワークラウトを口に入れてみたけど、何も変わらなかった。

 ジークさんが嘆息たんそくしながら言う。

「フロレンツは話してくれなかったのね」

「はい」

「残念だけど、あたしからは話せないわ。でもあなたのせいではないから、そこは安心してちょうだい」

「……分かりました」

 うなずき多少はほっとするオレだが、胸にはまだもやもやしたものが残っていた。

 先生は謎が多いと、あらためて思った。

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