第10話 抑止力

 話はジークさんの方から通し、ヘルマンさんにはアロイスさんが伝えてくれることになっていた。その結果が届いたのは翌々日の午後だった。

「フロレンツ、事情は分かった。分かったんだが……」

 将軍からの手紙を直接渡しに来たヘルマンさんが、難しい顔をして先生を見つめた。

「何故、嘘をついた?」

 先生は困ったように笑ってから言う。

「びしょ濡れになった男たちが裸同然の息子の周りで血を流して倒れていたら、証拠隠滅したくもなりますよ」

「うーん」

 首をひねるヘルマンさんに、オレは苦笑したくなる。オレを守ろうとしたのだとしても、やはり証拠隠滅を図ったのは失敗だったのではないか?

「お前は昔から唐突におかしなことを始めるクセがあるからな。どうにも理解が追いつかない」

「同感です」

 と、オレが口を出すと先生は傷ついたような顔をした。

「ハインツまで言うのかい?」

「だって、リーゼルの時もそうだったじゃないですか。どこで出逢ったか知りませんけど、急に連れて帰ってきてびっくりしたんですからね」

 横目にじとりとにらみながら返せば、今度は先生がうーんとうなる。

「そっか、確かに急ではあったかも……」

「しかもただの猫じゃないのがよくないよな」

 と、ヘルマンさんが加勢し、オレはうなずく。

「本当にそれです。ただの猫ならまだマシなのに、魔猫だなんて言われて意味不明でした」

「最初に説明したよ? 魔猫は精霊の一種で、大人になると人に変身できるようになって、言葉もしゃべれるようになる、って」

 そうじゃないんだよなぁと、オレとヘルマンさんはため息をつく。

「じゃなくて、話を戻すぞ」

 と、ふと我に返ったヘルマンさんが上着の内側から書類を取り出した。

「お前が魔法兵に復帰するのであれば、敷地内もしくは外にある家で暮らすように、とのことだ。候補は三軒あるから今選んでくれ」

 カウンターに置かれた書類を見ると、国軍本部を中心にした住宅地の地図が描かれていた。三箇所、赤いインクで印が付けられている。

「ハインツは広い家がいい? 狭い方がいい?」

「えっ、うーん……ベッドが別ならそれだけでいいです」

 自分の中での最重要事項を口にしたつもりだが、先生は言った。

「それじゃあ、外のここでお願いします。たしか建売でしたよね」

「ああ、そうだな。家具付きで一階と二階に寝室があったはずだ」

「狭そうな家だなって思ってたんで、ちょうどいいですね」

 何が? とは口に出さず、首をかしげるだけにした。

「特例として賃貸にしてくれるそうだから安心しろ。期間はハインツのことがはっきりするまで、だ」

「ありがとうございます。将軍が理解のある人で助かりました」

「ま、お前は気に入られてたからな。ただし、期間中は俺の隊に入ってもらう。甘やかさねぇから覚悟しとけよ?」

 ヘルマンさんがにやりと意地悪な笑みを浮かべ、先生は嘲笑するようにふっと笑った。

「僕に勝ったことのないあなたの下につけと?」

「あっ、生意気な!」

「いえいえ、事実を言ったまでです」

 相変わらずヘルマンさんと先生は仲がいい。部下と上司という関係ながら、気兼ねなくふざけ合えるのはすごいと思う。

 すぐにヘルマンさんが真面目な顔に戻って続けた。

「次にお前の階級だが、例の連続殺人事件の調査に加わってもらうことから少佐になる」

「おや、ずいぶんといい待遇ですね?」

 先生が目を丸くし、ヘルマンさんはため息をつく。

「第三魔法兵隊の隊長がこの前やられてな。これ以上被害が出ないよう、一日も早く解決したいんだ」

「なるほど、分かりました」

 魔法使い連続殺人事件は情報が規制されているらしく、あまり表に出てこなかった。オレの誘拐事件でさえ新聞には載らなかったほどだ。

「誘拐事件の犯人たちはどうなりました? 情報は聞き出せましたか?」

「ああ、聞き出せた。知らない男に金を渡されて依頼されたらしい。今そいつを探しているんだが、どうも存在しないんじゃないかっていう話になってきててな」

「存在しない?」

 そんなわけがないだろうと思うが、オレも先生も神妙な顔になってしまった。

「犯人たちが見た男を他の誰も見てないんだ。手がかりはいまだゼロと言ってもいい」

「警察の方はどう動いているんですか?」

「それが、初めは合同調査しようという話もあったんだが……」

 ヘルマンさんが言葉をにごし、先生は察した。

「もしや、敵国サーツァンドが絡んでいると?」

「まだ可能性があるって程度だけどな。実質的にテロみたいなもんだし、国防を担当する俺たちが動くことで抑止力につながれば、との狙いもある」

「うーん、何だかややこしいことになってますね」

 ヘルマンさんはため息をつきつつ書類を上着の内ポケットへしまった。

「詳しいことは初日に話す。着任日が決まったら連絡するから待ってろよ」

「はい、ありがとうございます」

 珍しく何も買わずに彼が去っていき、オレはおそるおそるとたずねる。

「あの、もしかしてまた戦争になっちゃうんですか?」

 こちらへ顔を向けた先生は、悲しみをこらえるように答えた。

「前の戦争では互いに疲弊ひへいしたことにより終戦に合意した。けど、あっちがその気なら再び戦争をするしかない」

「で、でも、魔法使いが何人も殺されて……」

「ずるいよねぇ。もしかすると、そうやって戦力をいでから襲撃してくるつもりなのかも」

 残酷ざんこくだ、そんなずるい真似が許されていいはずない。でも、戦争というものが持つ残虐ざんぎゃく性を、その悲しみをオレはよく知っている。

「泣かないで、ハインツ。戦争にならないよう、力を尽くすから」

 そう言って先生はオレをぎゅっと抱きしめた。

「君のことも必ず守ってみせる」

「先生……」

 嬉しいけれど怖かった。もし戦争になって、先生までいなくなってしまったら――オレはいったい、どうなってしまうのだろう。

 無意識に最悪の未来を想像してしまい、ゆっくりと彼の背中へ腕を回した。

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