第3話 添い寝

 先生は紅茶を淹れるのが上手だが、あまり料理は得意ではない。だからオレが食事を担当するようになり、洗濯物や掃除もいつの間にかオレの仕事になっていた。

 リーゼルを飼い始めてからは猫のエサも用意しなければならず、何だか家政婦みたいだと時々思う。

「うまいか?」

「みゃう! みゃ、みゃうまうっ、みゃう!」

 エサにがっつきながら鳴くリーゼルはおもしろくて可愛い。だから別に負担ではないのだが、先生は言った。

「ハインツは真面目だよね、しばらく家のことは任せてくれていいのに」

「嫌ですよ。先生の料理まずいし」

 言い返しながら食卓の席ヘ着き、遅れて先生も向かいへ座る。

「だったら外で買ってくるよ」

「今月も赤字なの、分かってます?」

 じとりとオレがにらめば先生は苦笑いでごまかした。

「持ち家でよかったよね、本当」

「まったくです」

 そういう話ではないが同意だ。これで賃貸だったら毎月の家賃が支払えず、とうに店はつぶれていただろう。

「でも、本当に無理はしないでほしいな」

 ぽつりとつぶやかれた言葉に、オレは手にしたフォークをつい止めてしまった。彼の気持ちはとても嬉しいのだが、同時に嫌な気分にもなる。オレが昨日誘拐されていなければ、こんなことには……なんて、どうしようもないことまで頭に浮かぶ。

 そんなオレの気持ちを察してか、先生は優しく言った。

「僕もまだ不安だし、今夜も一緒のベッドで眠ろう?」

「……かまいませんけど」

 そんな恥ずかしい真似を二日連続でするのは、本当なら拒否するところだ。しかし、やはり昨日の事件がオレと先生に与えた衝撃は大きく、何もかもがこれまで通りとはいかないのだった。


 店舗と自宅は扉一枚で行き来できるようになっており、自宅は二階建てだった。一階にダイニングキッチンとリビングがあり、二階に寝室兼私室が二つあった。先生の部屋とは隣り合っていて、耳をすませば相手の物音が聞こえるくらい壁が薄いのだけれど。

「おいで」

 寝間着に着替えた先生が笑顔でベッドから手招きをする。

 立ち尽くすオレの横から白猫が飛び出しては、勢いよくベッドへ上がるが「リーゼルはこっち」と、すぐに枕元へ移動させられた。

「みゃああ……」

 不満そうに鳴くリーゼルだが昨晩もそうだった。かまわずに先生がまた言う。

「ハインツ、おいで」

 今度こそオレが行かなければならず、しぶしぶと彼のベッドへ入った。

 お気に入りのテディベアを片腕に抱きながら横になれば、先生がオレに毛布をかけてからサイドテーブルのろうそくを吹き消した。

 もぞりと体の位置を整えて、彼が抱きしめるように片腕を回して距離を詰めてくる。

「昨日はからかう余裕がなかったから言わなかったけど、まだそのぬいぐるみ抱いて寝てたんだ?」

「そ、そうですよ。悪いですか?」

 むすっとしながらオレは返すが、彼の顔を見ることはできない。

「ううん、むしろ嬉しい。僕が君に初めてあげた物だからね」

 語る先生の声は優しく、オレはあの日のことを思い出さずにはいられなかった。

「養子縁組が無事に済んで、ハインツをこの家へ迎え入れた日――君の緊張をどうにかして解けないかって考えて、その子を用意したんだよね」

 店舗の後に家の中を案内されている時だった。食卓の席にテディベアがちょこんと座っており、オレはすぐにそれを気に入ったのだ。

「施設にいた時もぬいぐるみで遊んでいたし、そういうのが好きなのかなって思ったんだけど、当たっててほっとしたよ」

「べ、別に可愛いものが好きなわけじゃ……」

「素直じゃないなぁ、ハインツは」

 くすくすと先生が笑い、オレは恥ずかしくてテディベアの腹に顔を埋める。暗がりで見えるはずもないのに。

 ふいに彼が距離を縮めてきて、テディベアを抱く指へかすかに吐息がかかった。

「昨日は本当に肝が冷えたよ。君を知ってる人が見てて教えてくれたからすぐに事態に気付けたし、リーゼルの鼻のおかげで居場所も特定できた。もう十六歳だから大丈夫だと思ってたけど、危機感が足りなかったね」

「……」

「君はまだ十六歳なんだ。僕と違って普通の子どもなんだよ」

 大きな手がオレの頭をそっと撫でる。――彼は十五歳で軍に入ったと聞いた。

「だから弱くていい。昨日のことは早く忘れて、これからは僕がちゃんと守るから」

 何だか違和感のある言葉だった。そっとテディベアをどけて顔を見せると、先生がにこりと笑った気がした。

「僕は君の父親なんだから、ね」

 彼が少しだけ体を起こしてオレの額に軽く口付ける。

「おやすみ、ハインツ」

「……おやすみなさい」

 オレも小さな声で返し、ぎゅっとテディベアを抱いてまぶたを閉じた。


 ノルデン魔法雑貨屋で扱うのは、店主である先生が作るアクセサリーだ。加工した宝石に彼が魔法を込めたものであり、常連客がいないわけではないものの、どうしても値が張ってしまうために売れ行きはいまいちだ。

 さらに宝石の仕入れをするのに遠くの街まで行く必要があるため、結果的にうちは年中赤字だった。どうにか暮らしていけるのは、先生が魔法兵だった頃の貯金があるからだ。

「ついて来なくていいんですけど」

 それなのに今日は店を臨時休業にして、先生は図書館へ行くオレについてきていた。

「心配だからね」

 と、彼は言うが、あれからまだ日も経っていないうちに何かあるとは思えない。

「図書館、すぐそこですよ」

「その間にあんなことがあったんでしょう」

「……」

 そう言われると言い返せない。図書館までは歩いて五分ほど、本を借りて帰るまでに早ければ二十分もかからない。そんな短時間に誘拐されたのだから、先生がついて来る気持ちも分からなくはなかった。

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