第14話 戦い決す
刹那の静寂──大猪の牙が目の前に迫る──躱しきれない!ワタルは死を覚悟した。
その時、ハウンがワタルの目の前を横切り、大猪の目に向けてレイピアで刺突した。
怪物は大きな叫び声をあげて彼女を振り払おうとする。暴れるたびに傷口が深くなっていくのだった。それでもハウンはレイピアを放さない。
目に見えぬ程の速さの突きは完全に大猪の視力を奪ったようで、その攻撃を嫌がっている。
ファングもよろよろと立ち上がり、双剣を投げつける。それは大猪の太腿に突き刺さり、その痛みに奴は前のめりに倒れた。
その隙にハウンは怪物の喉元にレイピアを突き刺した。そしてとどめの一撃と言わんばかりに、彼女は剣を抜いて高く飛び上がると、脳天にそれを突き下ろしたのだった。
怪物は今度こそ動かなくなった。
終わった──そう思った瞬間ワタルは意識を手放したのだった。
大猪を倒した後、ハウンがすぐに傷を癒してくれたおかげでワタルは立ち上がれるようになった。そこでハウンの体力が尽きてしまったので彼女を休ませることになった。
動けるようになったらなったで、今度は牙や爪を剥いだり、血抜きをしたりと作業に追われた。
魔物の肉は食えないと聞いたことがあったが、ファングとスノーはその辺りのことは詳しくないらしく、腹を空かせた獣が寄ってきても面倒だからというので解体し処分することにした。
ちなみに大猪の肉は非常に臭くて食えたものじゃないらしい。
倒した大猪の上に丸太を載せてロープで固定し、即席のソリを作った。ファングがそれに乗って引っ張ると、ソリは勝手に動いた。
ワタルと回復魔法で体力を使い果たし、疲れたハウンを背負っているスノーは歩いてついていくだけでよかったので楽ちんだった。
やがて木々が途切れて草原に出た。地図に従ってまっすぐ進むこと数時間、とうとう森を抜けることに成功したのだった。
そこは広い平原だった。遠くまで見渡すことが出来る。夕日が沈んでいくところだった。西の空に浮かぶ雲はピンク色に染まっていて、とても美しい。
ワタルはその光景に見惚れていたが、ふと我に返った。
ハウンを背に背負うスノーの姿が目に映った。
「背負ってて大変じゃない?」とワタルが問いかけると「ちょっと、女の子に失礼じゃない?私、軽いほうなんだから!」とハウンから頬を膨らませて抗議された。
「まあ、こんな日に喧嘩すんな。帰ってゆっくりしようぜ」とファングが取り成してくれた。
この三人のパーティはバランスがいいのかもしれない。ワタルはそう思ったのだった。
森を抜けると平原が続き、やがて遠くに町が見えてきた。草原に街道があり、その道を馬車や荷馬車が通っているのが見える。人の行き来が盛んなのであろうことが窺えた。
ワタルたちが街へ近づくにつれてその賑わいも増していった。街の門には街の外からやってきた者たちが列をなしていたし、行商人が露店を開いて商いをしている。
「みんな今日は本当にありがとう。俺なんか足手まといにしかならないのに」
ワタルは三人に感謝した。本当に運が良かったのだ。ここまでこれたのは奇跡に近いのではないかとすら思う。
こうして無事に町に辿り着けたのも、この三人がいてくれたおかげだ。
「お前はよくやったよ。この中の誰か1人でもいなきゃ無理だった。そうだろ?」
ファングがワタルの肩に手を置いた。
ワタルはそう言われ、これまでのことを思い返した。
ふと見るとハウンもスノーも優しい笑顔をワタルに向けてくれていた。
ワタルはなんだか恥ずかしくなって俯いたが、3人ともそのことは茶化すことなく受け入れてくれたのだった。
街の中へ入り、ギルドを目指す。
ファングは街へは普段は極力行きたがらないがこの日はパーティ一丸となって依頼を達成した日。
思うところはあったみたいだが、ついてきてくれた。
ギルドは賑わっていた。
依頼達成の報告や戦利品を換金している者、酒を飲んで騒いでいる者もいた。ワタルは今までギルド来て以来初めて見る光景だ。
受付には列ができていたのでワタルたちはその最後尾についた。
ファングが今日の成果である大猪の首を出したとき、受付嬢たちの顔に緊張が走ったように見えた。しかし彼女はさすがプロ、すぐに平静を取り戻して依頼書の写しをチェックし、報酬を計算すると支払ってくれた。
「さぁ!帰ろう!」
スノーが威勢よく言うと、3人とも笑顔で頷き返してくれた。
こうしてワタルたちの初冒険は無事終了したのだった。
秘密基地に帰り、一向は喜ぶを分かち合った。ハウンは魔法を使い切った影響が大きかったらしくすぐに眠りに落ちてしまった。今日は彼女に頼りきってしまった。申し訳なく思う。
スノーはお腹を空かせているようだったので、ワタルが夕食を作った。
みんなのおかげで結構食材も集まったので豪勢なものを作ってやることが出来た。メニューは鍋だ。猪肉に野菜やキノコなどをぶち込んで味噌で味付けしたものだ。臭みもなく美味しかったし、何より体の芯から温まったので、寝入りやすかった。ハウンの分も取り置きはして、そうして夜は更けていったのだった。
翌朝、目を覚ますとすでに日は高い位置にあった。いつもであれば日課であるランニングをしている時間だ。
ファングが気を利かせて起こさないでいてくれたのだろうか。ワタルは申し訳なく思い、すぐに朝の準備をはじめた。
昨日用意した猪の肉でスープを作るとそれを鍋ごとバッグに入れた。ハウンが起きたら食べさせてあげたいし、昨日の礼も兼ねて朝食を振る舞おうと思ったからだ。
走り終えたファングと起きてきた2人と一緒に温かい朝食をとりながら今日の予定について話し合った。
スノーとハウンは少し休んでから実家に帰るという。また後日パーティとしての依頼は再開しようという話になり、また森へ行く約束をした。
ファングもしばらく休みたいようだったので、ワタルは今日は1日休暇を取ることにして街に出かけることにした。
いつもは必要な物を買うために町に出てきたが、昨日は町に来ることだけを目的として行動したのは初めてで、新鮮だった。今日も何も予定を立てずに来たのだが、これが正解だったようだ。街を歩いていると、店を冷やかしているだけでも楽しい。
この歳で初めて経験することも多い。ワタルは心が踊るのを感じていた。
午前中をそんなふうに過ごしたが、午後からは少し元気が出てきたので軽くランニングに出かけることにした。ハウンのおかげで足の怪我も治り、もう普通に歩くことはできたし、体力も回復してきたように感じたからだ。
走り終えたあと昨日も行った池のほとりで休憩しているとファングが通りかかった。彼も休みのようだ。どうやらファングとワタルの休みのタイミングは同じだったらしい。彼はワタルを見つけると近づいてきたが声をかけるでもなく、少し離れた場所に腰を下ろして目を閉じた。ワタルはその気遣いに感謝しつつ、静かに池に石を投げ込んでは波紋が広がるのを眺めるのだった。
「ワタル、時間はあるか?」
ファングは不意に目を開けるとワタルにそう語りかけてきた。
ワタルが頷くと彼は立ち上がった。そしてついてこいと言わんばかりに顎で合図すると歩き始めた。ファングの少し後をついていくと、墓地だろうか、蔦の這った壁が連なる場所にたどり着いた。
無数にある墓石の中の1つの前に立つとファングは口を開いた。
ワタルはその墓石に書かれた文字を読み取ろうとして目を凝らした。
10年前の同じ日付で3人の名前が刻まれている。
「内戦で死んだ俺の家族だ」
ワタルはファングの顔を見上げた。彼はただただ寂しそうな表情で、墓碑を見つめているだけだった。
「初めてパーティで依頼を達成したからな。その報告に来たかったからさ。
よかったらお前からも花を手向けてやってくれ。きっと喜んでくれるからさ。」
ワタルは墓碑の前で膝をつくと、持ってきた花を手向けて拝んだ。
ファングも隣で同じ行動をする。
ややあってから2人は立ち上がる。
「お父さんとお母さんと妹…だっけ?どんな人たちだったんだ?」
ワタルはファングの家族について知りたかった。
ファングは振り返ると遠くを見ながら語り始めた。
父親は大工の棟梁で、腕っ節が強く豪快な人物だったようだ。家族思いの優しい父親だったらしいが、反面仕事に厳しく、何日も家を空けることがあったという。
母親は、父親とは対照的に穏やかで優しい人だった。物腰はとても柔らかくて柔らかい声の持ち主だったらしい。
二つ下の妹は彼を慕い、遊びに行く時もいつもついてきたという。
そんな両親や3人の兄妹との暮らしがどれほど幸せなものだったのか、それは推し量る以外にない。そしてファングにとってそれがかけがえのない宝物であったことも、また事実だろう。
しかし、あの内戦が全てを奪ってしまった。両親は殺され、ファングは重症を負い、妹は命を落とした。
生き残ったのは彼だけだったのだ。
この墓地に埋葬されている3つの墓石にはそんな思いが込められていた。
ワタルは両親の顔も妹の顔も知る術がない。しかし、ファングのその気持ちはよく理解できた。
きっと彼は両親や妹のことを生涯忘れることはないだろう。そして心にしまったまま生きていくのだろう。その気持ちが痛いほどに伝わってきた。
「お前は元の世界に家族はいたのか?」
ファングの問いかけにワタルは首を
縦に振った。
自身にも両親と妹がいる。ワタルはそのことは言わなかったが、ファングは察したようだった。
彼はそれ以上何も聞かなかったし、ワタルも何も言わなかった。
ただ黙って2人で手を合わせ、祈るだけだった。
しばらくそうしていたが、やがてファングが口を開いた。
その声は少し震えていたかもしれない。
それは彼が初めて見せた弱さのような気がした。
「ファングはこの日からどうやって生き延びて来たんだ?」
ワタルがそう尋ねると、ファングは遠くを見つめたまま答えた。
「すまん。それについては話せない。」
ワタルは頷いた。ファングには何か秘密があるのだろうと薄々感じていたからだ。それ以上深く追及するつもりはなかった。
秘密を打ち明けるということは、信頼の証だ。ファングはそれを示してくれているのだ。いつか話してくれるまで待とうと思った。
「ところで、今日はどうしてお墓の場所を教えてくれたの?」
ワタルはファングに尋ねた。ファングはなんでだろうな、と呟いてから続けた。
ワタルにはファングの気持ちがわかるような気がした。
きっと彼は誰かに話したかったのだろうと思う。そしてそれが出来る相手は自分しかいなかったのだ。
ファングは、両親や妹のことを忘れないためにここに足を運んでいるのだろうが、同時にその悲しみを誰かと分かち合いたかったのかもしれないと思った。
だからワタルにこの場所を教えたのだ。そしてそれは正しかったとワタルは思った。ファングは誰かに話すことで、自分の気持ちを整理しているように見えたからだ。
もちろん本当のところはわからない。しかしワタルはそう思ったし、それで良いと思ったのだった。
「ワタル、また一緒に依頼をこなそうぜ。」
ファングはそう言うと踵を返した。その背中にはいつもの豪快さはなく、少し寂しげな印象を受けたが、それでも彼は力強く歩き出したのだった。
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