蜘蛛の糸

や劇帖

異聞

 カンダタは陰気な一生を終えて今地獄にいます。

 特に何をするでもなく、というより何がしでかせるわけでもなく、しかし極楽へ行けるわけでもない、しみったれた、まあまあ悪人な人生でした。

 地獄でも生前と同じようにどことなくぼんやりとしていたカンダタですが、ある時、ふと頭上にちらつくものを見とめました。顔を上げて目を凝らしてみると、何やら天から細長いものが降ってくるではありませんか。

 それは極楽から垂らされた一本の蜘蛛の糸でした。実はカンダタは、本人も忘れていますが、何かの折に一度だけ、蜘蛛を助けたことがありました。そこを鑑みたお釈迦様が糸を垂らしてくださったのです。これを伝っていけば恐らく極楽へと至るでしょう。カンダタは糸を上り始めました。

 しばらくすると、何だか糸が妙な動きをし始めました。やたらと揺れます。震源は上、いえ、下です。

 何ということでしょう。他の罪人どもがわらわらと集まってきて我先にと糸に飛びついてくるではありませんか。先頭集団はあっさりとカンダタに追いついて、その腕に、脚に掴みかかってきました。確かな腕力と躊躇のなさでカンダタを引きずり下ろし、乗り越え、踏み台にしようとしてきます。そして彼らが動くたびに糸はユラユラと嫌な感じに揺れました。

 カンダタは深いため息をひとつつくと、さっさと糸から手を離しました。知ってるのです。どうせ力負けして他の奴らに蹴落とされることを。

 地獄に落下したカンダタは身体についた泥を雑に払い、糸に背を向けてとぼとぼと歩きだしました。その背後、はるか上空では意地汚く他人を押し退け自分だけ助かろうとした罪人どもがまとめてパージされていましたが、そんなものはもうカンダタには関係のない話でした。

 と、さっきよりさらにか細い糸がカンダタの側に垂れてきました。カンダタに助けられた蜘蛛が無い力を振り絞ってカンダタのために下ろした糸です。

 ですがカンダタは気づきません。糸は細くてぱっと見には気づき難いですし、何よりカンダタはもう分かっているのです。自分に救いのようなものはおとずれないのだと。ええ、分かっているのです。分かっているカンダタは糸に気づくことはありません。それは無いものだと分かっているからです。

 カンダタは去っていきました。

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