ささくれにサヨナラを
石田空
ささくれ立った手に油脂を塗る
昔むかし。
とある王国にはメイドがいました。
王城で働く彼女は貴族出身ではあったのですが、家は裕福ではなく、外に出て働かなければいけませんでした。
彼女には学がなく、体もあまりよろしくなく、王城で働けたのは奇跡のようなものでした。
毎日毎日窓を曇りひとつなく磨いて、床を姿が映り込むくらいに綺麗に磨き上げるのには時間がかかります。おかげで彼女はすっかりと手はボロボロになってしまいました。油脂を塗ってもすぐに剥げ、寝ているときに油脂を塗って手袋をするといいと教えられても、毎晩毎晩やっても効果がありませんでした。
そんな中、唐突に王妃に呼び出されました。
彼女は一介のメイドです。王妃に呼び出されるような名誉なこともしていなければ、粗相もしてないはずなので、当然ながら縮こまりました。
メイドは「私がここを辞めさせられたら、次の就職先はあるんだろうか。王城辞めたとなったら、どこも嫌がって雇ってくれないんじゃ」と浅ましいことを考えながら、王妃の部屋で頭を下げて、王妃の言葉を待ちました。
王妃はジロジロとメイドを見てから、ひと言声を上げました。
「あなた、離れにいる王女の侍女になりなさい」
「はい……?」
「あなたのことは調べました。ご実家が大変なのですね。だとしたら、仕事がなくなると困るでしょうし、口も堅いことでしょう。お願いしますね」
「……かしこまりました」
メイドは王妃の有無を言わさぬ発言に戸惑いながらも、そう答えるしかありませんでした。
王妃の言う通り、メイドは他に仕事のあてがありません。実家のためにも働かなければならないのです。
しかし疑問もありました。
「王妃様には、王子様しかいらっしゃらなかったような……?」
メイドの知っている限り、この国には王子がふたりいて、ひとりは既に王太子の内定が決まり、ひとりは公爵家に婿入りが決まっていたはずです。王女の話なんて、初めて聞きました。
メイドは訝しがりながらも、王城の離れへと向かうこととなったのです。
****
王城には大きな中庭があり、そこはほとんど森でした。
一部は王城で働く学者たちが農村に送るための肥料や苗木の実験をしているそうですが、学のないメイドにはよくわかりません。
学者以外が滅多に入らない森を抜けた先には、たしかに離れがありましたが、その離れを見て、メイドは唖然としました。
王城の離れなのだから、きっとメイドの暮らす共同生活の場の使用人室よりも大きくて清潔感漂う場所なんだろうと思っていましたが。
ここは厩舎くらいの大きさしかありませんし、はっきり言ってオンボロです。
それに唖然としていたら「ヨイショヨイショ」とオンボロ離れから人が出てきました。大きなバケツを持っているのは、メイドより少し年下の少女でした。
栗色の髪は伸びっぱなしで整えられておらず、森のような深い緑色の目をした子でした。しかし着ているドレスはどう見ても型落ちした流行が十年以上前のものですし、洗い倒したのかしわしわになってしまっていました。
それにメイドは悲鳴を上げそうになりましたが、少女はキョトンとしてこちらを見てきたので、慌ててメイドは挨拶しました。
「失礼しました! 王女様の侍女になるよう言われたメイドです!」
「まあ……お父様が送ってくださったの?」
「はい……?」
そこでようやくメイドは気付きました。
王妃は金髪碧眼ですし、国王は銀髪紫目です。そして王子ふたりは金髪と銀髪であり、メイドの記憶を頼る限り、王族に栗色の髪も緑色の目もいないのです。
「あなたのお母様は……」
「もう亡くなりましたよ。ああ、おいでください。お茶を用意しますから」
そう言って少女はにこにこ笑いました。
少女は学者たちの授業を受ける代わりに畑のものをもらって生活をしていました。
「こちらはハーブティーです。ごめんなさい。学者さんと頑張ってお茶の木を育ててたんですけど、なかなかおいしいお茶にはならないんです」
「はあ……おいしゅうございます」
外見はオンボロが過ぎた離れも、中に入ってみると生活感が漂い、存外悪くはありませんでした。
野菜の皮、野菜の陰干し、香草。それらがあちこちにカゴに入れられて干されていたり吊るされたりさえしていなかったら、ですがが。
彼女が学者たちから譲り受けたとされる食器類のほとんどは、縁が欠けてしまっていましたたが、それを彼女はやすりをかけていつまでも使っていました。
「あのう……どうして王女様はこのような生活を?」
「なんでも、私のお母様、お父様とは恋人同士だったんですけど、身分的な問題で結婚できなかったそうです。だから王妃様が妊娠している隙を狙って会いに行っていたそうですが……お母様は私を生んだ途端に亡くなられてしまい、お父様は私を引き取ると言い張って聞かなかったそうなんですが」
「まあ、そうなりますよね……」
「当然ながら王妃様はお怒りな上、王子様たちの進路も決まっているのに私がいては水を差してしまいますから。だから私に必要最低限の生活手段を教えたら、ここに住むよう言われたんです」
王女はあまりにも淡々としていました。
王妃のことを義母と呼ぶこともなく、王子ふたりのことを兄と呼ぶこともなく、まるで他人事のような。
それにメイドは頭を抱えたくなりました。
王妃も侍女を送る程度には義理の娘を気遣ってはいるし、学者たちが彼女の面倒を見るのを黙秘しているくらいには自由に生活させているものの、外に出したらたちまち王族に取り入りたい人たちに利用されるのが目に見えていますから、王城から外に出すこともできません。
メイドひとりが抱えるにはあまりにも重たい秘密でした。
ふと見ると、王女の手はあかぎれまみれで爪先もささくれ立ち、見るからにボロボロでした。メイドも人のことを言えるほど綺麗な手ではありませんでしたが、これでは駄目だと思いました。
「私、仕事用にいつも油脂を持ってきているんですよ」
「油脂ですか?」
「王女様にも差し上げますから、これで手を綺麗にしましょうね。傷だらけになりますと、病気にもかかりやすくなりますから、よろしくありませんよ」
こうして、メイドは王女の手を綺麗に油脂で磨き上げることから始め、王女の改造計画に着手することとなったのです。
****
メイドは森で研究をしている学者たちを巻き込んで、それぞれ話を聞くことにしました。
学者たちは、国のためにいろんな技術を研究し、それを国内に普及できるように努めるのが仕事の研究職です。
「家事を楽にする研究ですか?」
「はい。王女様、手がボロボロじゃありませんか。窓を磨くのに雑巾を使わない方法とか、床を磨くときに屈まなくてもいい方法とかありませんか?」
「なるほど……たしかに王女様は大変ですからなあ」
学者たちに楽に家事をする研究を進めてもらいながら、メイドは王女のために服の調達に励んだり、ぼさぼさな箒みたいになってしまっている髪をまとめる油脂を用意したりしました。
「私、小さい頃から鳥の巣のような頭よ? 無理じゃないかしら」
「無理な訳ありません。私だって貧乏でしたが貴族でした。貴族子女ができることが王女ができない訳ありません」
そう言いながらメイドはなけなしの油脂を王女の髪に垂らし、一生懸命ブラシで髪を梳きました。
最初はブラシの毛先に髪が絡み、そのたびに王女がヒンヒン泣きましたが、油脂が髪の毛に染み込むと、途端に滑りがよくなり、王女の髪にも光沢が浮かびはじめました。
「ほら、どうでしょうか?」
「まあ……素敵」
今まで鳥の巣のようだった彼女の癖毛がまとまり、天使のわっかが見えました。
続いて彼女の手に、学者がつくってくれた油脂を塗り込みます。ただの油脂ではなく、学者が薬用を考えてハーブをたくさん混ぜ込んだ油脂です。香りは素晴らしいのですが、あかぎれささくれだらけの彼女の手には油脂が染み、そのたびに王女はヒンヒン泣きます。
「もうよくない?」
「よくありません! まずは手を綺麗にしましょう。手が綺麗になったら爪も綺麗にして、ドレスも新調しましょうね」
「でも着ていくところなんかないわ?」
「もしかするともしかするかもですからね」
王女はメイドの迫力にビクビクしながらも、彼女の手により少しずつ綺麗になっていく手を見つめていました。
メイドの献身もあってか、油脂を塗って三日三晩で、王女の手は見られるようになってきました。乾燥してひび割れていた手も、油脂を三日三晩塗り込むことで乾燥が引き、縦筋の生まれていた爪先にも光が戻ってきたのです。
メイドは爪にも油脂を塗りたくり、やすりでピカピカに光らせていきます。
髪も手もピカピカになってきた王女は、戸惑って見ていました。
「綺麗になったのは嬉しいけど……でも家事はどうすればいいのかしら?」
「今、学者に頼んでいるんですよ。楽に家事ができる方法を」
「でもそんなこと研究できるの?」
「できますよ。もし家事が楽にできれば、メイドを雇う余裕のない家でも掃除ができるようになりますし。家事の量が減ればおもてなしに使える人材も増えますから」
そう言いながら、学者がやってきました。
床磨き用に最新式のモップを持ってきて、窓ふき用にT字の道具を持ってきてくれたのです。
「こちらは床磨き用のモップです。力を入れることなくこうやって磨くことで、雑巾がけと同じ効果が得られます」
「まあ、すごい」
「こちらは窓ふき用のモップですね。バケツで窓を濡らし、そこから拭いていけば綺麗になるのです」
たしかにどちらも手荒れが最低限におさまり、油脂が取れることを気にする必要もありません。
メイドは「すごい! 皆にも教えたいです!」と言うと、学者はころころと笑いました。
「そうなさってください。これで皆も楽に家事ができるようになることでしょう」
こうして、少しずつ離れの生活の改善がはじまったのです。
****
最大の難関は王女のための衣装の準備でした。
当然ながら王城住まいの針子たちは一斉に首を振ります。
「王妃様を刺激したくはありません……」
「この話は聞かなかったこととさせてくださいませ」
「殿下たちに知られては困りますでしょう……」
王女の出自が出自なため、皆は皆、当然ながら逃げ腰です。
それにはメイドも困り果てました。
「王女様はなにも悪くないとはいえど、たしかに誰もかかわりたくないと思ってもしょうがないものね。優しいのは学者の皆さんくらいだし……」
そう思っていた矢先でした。
王城には様々な人が来ます。王城で上演の決まった劇団などもそのうちのひとつで、脚本内容を城内で公演会を行っても大丈夫かどうか確認に伺いに来ることもあります。
劇作家が「ありがとうございます!」と叫んで王城から飛び出ようとしているのに遭遇し、思わずメイドは彼を捕まえました。
「ごきげんよう、少々お話よろしい?」
「はい?」
劇作家は目をぱちくりさせました。
メイドはかいつまんで話を説明します。王妃に目を付けられたくないので、王と王女母のスキャンダルは言わなかったものの、メイドの知り合いが訳あって身分があるにもかかわらずドレス一枚買える状態ではない、どうにかしてドレスを工面したい、お金はメイドが支払うと。
メイドも給金自体はそこまで大したものをもらっていないのですが、王妃からは王女の世話のお金はいただいておりました。
劇作家は「ふむふむ」と話を聞いてから、口を開きます。
「それは大変ですな。うちの劇団から針子を紹介しましょう。ですが、条件があります」
「それは?」
「ぜひともそのお方の取材をさせてください。それで彼女を慰めるための脚本を執筆しましょう。脚本の執筆ができないようであれば、どうぞこの話はなかったことに」
それにはさすがにメイドも困りました。
彼女の話を王妃が許すはずもありませんし、彼女の存在を公にしては国家スキャンダルになりかねません。ですが。
メイドも王女については同情的です。
メイドは実家がお金がないばかりに腰痛を訴えながらも働きどおしですし、王女に至っては自分の世話を自分でしているものの、そもそも彼女には自立するお金すらないのです。
それならば、せめて彼女に一張羅だけでも用意してあげたいと思うのが人情でした。
メイドはしばらく考えたのち「これがおとぎ話だとわかるようにしてください。これが取材を重ねた成果だとわからないならば、取材も執筆もしてくださいませ」と答えました。
それには劇作家は大喜びで、「それでは明日にでも採寸のために針子と一緒に取材に伺います!」と言ってのけたのでした。
翌日、メイドは王女と一緒に汚い離れをもう少しだけ見られるようにし、干していた野菜やハーブを片付けて、生活感をどうにかして消しました。
そんな中、案内を頼んだ劇作家がたしかに針子を伴ってやってきたのです。
針子はてきぱきと王女の採寸をしている間、劇作家は王女にあれこれと尋ね、森を散歩しはじめました。
それを見ていたメイドは「あれ」と気付きました。
あれだけ淡々としていた王女が、学者にも普通に親切にしていた、特に親しい人もつくらなかった王女が、劇作家といるときだけなにかが違うのです。
口調も特に変わらず、態度も取り立てて普段通りのはずなのですが、空気が異様に甘いのです。
これはもしかしてと思いましたが、メイドはそれをどうこう言う口は持っていませんでした。
ただ、王女のための肌のケアを学者たちに交渉し、肌を綺麗にする美容液の実験台になって、よさそうだったら王女に使い、彼女を隅から隅までピカピカに磨きぬくことだけを心掛けたのです。
****
その日、王女は生まれてはじめて、王城の公演会に参加することとなりました。
王女のために針子が縫ってくれたドレスは見事なもので、最先端の形でありながら、王女好みの植物の装飾がそこかしこに溢れていました。
メイドが一生懸命髪を結い、キューティクルまで磨きがかかった王女は、もう最初に出会った頃の途方に暮れた顔をしていた痩せっぽっちの少女ではないのです。
「どうぞ行ってらっしゃいませ」
「ねえ……私初めて公演会に行くの。あなたも来てちょうだいな」
「それは無理ですよ。私には公演会にふさわしい衣装も立場もありませんから」
「それでも……」
「私は学者の皆さんと、舞台裏で見守っていますからね」
「……ええ」
王女がとぼとぼしながら出かけていくのを学者たちが心配して眺めていました。
「ふたりとも仲がいいのに。お姫様はへそを曲げてしまったのではないですか?」
「いいえ。私は姫様の幸せだけを願っていますから」
「でもメイドさんの幸せは?」
「私は充分幸せですよ?」
これだけ王女に尽くして自分の幸せを奪われたと思われ勝ちだが、メイドは王女のおこぼれをもらって、ずいぶんと幸せだったのです。
王女のためにと学者たちが分けてくれた肉の燻製を王女と一緒にいただき。王女のためにとスキンケア一式の実験台になったおかげでメイドも輝くような肌を取り戻していました。
家事も学者たちのおかげで楽ができるようになり、王城図書館で本を読むことができるようになっていました。元々学がなかったメイドにも少しずつ学が備わりつつあったのです。
それを見ていた学者たちは顔を見合わせました。
「もし王女様がどこかに行かれるんだったら、メイドさんはうちに来ませんか?」
「はい?」
「あなたの発想は面白いのです。私たちもずいぶんと刺激をいただきました。あなたの発想をぜひとも我々に欲しいのです」
それにはメイドは驚きました。
王女をなんとか綺麗にしようとしていただけ、王女の悲惨な生活をどうにかしたかっただけ、それだけで学者たちに気に入られるなんて、思いもしなかったのです。
やがて、城内には噂が流れました。
「王城に公演に来ていた劇作家が、謎の淑女を嫁にもらう。誰だかわからない」
国王に今回の公演会を褒めたたえられ、欲しいものをひとつ許そうとしたところ、堂々と「妖精の取り替え子のごとき不幸な娘を、私にいただきたい」と申してたと言います。
この言葉の真意は、当事者たち以外は誰も知ることはできません。
ささくれだらけで生きてきた少女がふたり。
ただの貧乏な貴族令嬢。
ただの不義の王女。
それぞれがそれぞれ幸せを掴んだ、ささくれから卒業するまでの物語。
<了>
ささくれにサヨナラを 石田空 @soraisida
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