第363話 来訪者
「不思議な食感だけど、美味いじゃないか」
応接室に通されたムッスは、ユウが用意した餅にきな粉をまぶした茶菓子に舌鼓を打つ。もっとも応接室といっても、ソファーとテーブルを置いただけの簡素な部屋である。
「用があるならお前が来いって言ったけど、すぐに来んな」
機嫌良さそうなムッスとは正反対に、ユウは不機嫌であった。
「以前は居間だったのに、応接室なんて用意したんだね」
「お前みたいな礼儀知らずに、家の中を彷徨かれたくないからな」
嫌味を口にしてもムッスは気にした様子はなく、口内に残る茶菓子を流し込むように飲み物を口にする。
「これはなんて言ったかな?」
「安倍川餅」
「アベカワモチ? ふーん」
一口サイズに切った安倍川餅を、ムッスは口へ運ぶ。その食事動作は優雅でムッスが大国の高位貴族として、高等教育を受けていることを嫌でもユウに思わせる。
「この紅茶も変わった味だが悪くない」
「冷やした緑茶だな」
クリスタルガラスで作られた特注のグラスに注がれた緑茶を眺めながら、ムッスは緑茶の香りと味を堪能する。
ユウの背後にはマリファとネポラが、ムッスの背後にはヌングが控えており、ここまで一言も言葉を発せず、黙ったままである。
だが、双方共に隙がない。
もし不審な動きがわずかでもあれば、即座に対応するだろう。その気配をマリファ側は漂わせており、逆にヌングからは微塵も感じられない。
「ナマリはいないのかい?」
「勉強中だ」
「お前と違って忙しいんだよ」と、ユウは軽口を叩く。ユウの部屋で勉強しているナマリの傍には、お守りとしてモモがついており、サボると直ぐ様にユウへ連絡がいくようになっているのだ。
「今日、足を運んだのは――――」
ちらりとムッスはマリファたちへ視線を向ける。内密の話なので席を外すよう、ユウへアピールしているのだろう。
「ん?」
咳払いやウインクを繰り返すムッスであったが、ユウはそんなムッスのアピールを無視して済ました顔である。
「あー、内密の話があるんだけど」
「なら、さっさと話せよ」
ため息をつきながら、ムッスは肩を竦める。
「僕の領内にゴブリンキングが侵入した話は知っているかな?」
「知らないな」
「それもおそらく2匹もね」
「へー」
「罠を張って待ち構えていたんだけどね。
どうやら察知されていたようで、倒すどころか『眷属従属』で近隣のゴブリンを数万匹も従えて散々な目にあったうえに、まんまと逃げられたんだ」
「そりゃ大変だな」
「ぐぎっ」と悔しそうな声を漏らしながら、ムッスは話を続ける。
「そこでユウがなにか情報を持っていないかと思ってね」
「なんで俺が――――もしかして、そのゴブリンは雌か?」
「いや、そのような情報は上がっていないね。そもそもゴブリンの雌は滅多にいないそうだよ」
その言葉に、ユウは安堵したかのような笑みを浮かべると。
「なんでも人のせいにするな」
「別にユウのせいにしてはいないよ。
この2匹のゴブリンはなにか目的があって、移動しているのは間違いないんだ。それも僕の領内を目指してたかのように、一直線に南進している」
「お前か、お前の配下がゴブリンになにかしたんだろ」
「そんなわけない。冒険者ギルドはなにか知っているようなんだけど、ガードが固くてこちらと情報を共有してくれなくてね」
冒険者ギルドの理念を考えれば、侯爵であるムッスと一線を設けるのはあり得る話かと、ユウは思案する。
「もしそのゴブリンを見つけたら、お前に引き渡せばいいのか?」
「ゴブリンの目的は気になるけど、それよりも領民の安全のほうが大事だよ。倒せるなら、その場で倒してほしいものだね」
その後もゴブリンの情報をユウと共有するムッスであったが、それも終えると次の話題に移る。
「ところで、ユウの国では塩の販売をしているそうだね」
「海に囲まれてるからな」
「それに
ネームレス王国には多くの商人が訪れているのだが、その目当ては当初ユウが創るポーションであった。
だが今ではポーションジェルに、堕苦族や魔落族が創る装飾品に武具などを購入しようとする商人が増えているのだ。それも中小の商人ではない。多くの支店や、中には他国にまで伝手がある大商人たちがである。
そんな商人たちが次に注目しているのが、塩や砂糖であった。どちらもいくら蓄えようが売り捌くことが容易な品で、果物や肉のように賞味期限がない。
しかもネームレス王国で買うことができる塩や砂糖は真っ白で、お得意様である王侯貴族にも好評なのだ。
当然、そんな商人の中にはムッスの手の者も混じって情報収集を行っている。
「それに上質な紙も売っていると聞いて驚いたよ」
「俺の国で塩を売ろうが、砂糖を売ろうが、それこそ紙を商人に売っても文句を言われる筋合いはないだろ」
「僕
ネームレス王国と同じように海沿いで塩を生産している国や、貴族が砂糖を独占販売している国、紙なんて信じられないほど滑らかで書き心地の良い品質と聞いているよ」
「俺の国に不満を持っている国のことなんて知ったことじゃない。そもそも、その国は
「いいや」
「なら、なおさらだ。それともその不満を持ってる国の貴族が、お前に泣きついているのか?」
顔にこそ出さないが、ムッスは内心で「そうなんだ。実は凄く泣きつかれているんだよね。相手は中小国とはいえ、王族や高位貴族たちで困っているんだ」と呟く。
「紙の生産なんて、よくドライアードが許したね」
あまりユウの機嫌を損ねるのもまずいと思ったのか、ムッスは話題をドライアードに変える。
「別にヒスイは怒っていないぞ」
木々を愛する、保護するドライアードが怒っていない。その言葉に、ムッスは考え込む。
(つまり――――植物や木材を原料にしない新たな製法を、ネームレス王国では確立したということかな?)
千年以上もの耐久力を誇ると言われる羊皮紙であるが、さすがに書きやすさは紙とは雲泥の差である。
今ではどこの国でも重要な書類は紙で作成する。特に貴族であれば、文面のやり取りは紙――――それも質は良いほど好まれる。それは貴族として面子や力を見せつける一端でもあるからだ。
「その技術は見合う対価を払えば――――」
「教えないぞ」
「どうしても?」
「貴重な外貨獲得するための商品技術を教えろって、お前は酷い奴だな」
もっともなユウの言い分に、ムッスも苦笑するしかない。
「塩や砂糖にしてもそうだ。
ウードン王国と対等の同盟国とはいえ、周辺諸国のネームレス王国に対する認識は小国である。
無数の諜報員を送り込んでいるものの、いまだ正確な人口を把握することすらできていないのだが、それでもある程度の推測はできるのだ。そこから出した人口は、ある程度の信用はできる。
近隣諸国が恐れているのは、亜人国家の台頭や軍事力に今後の成長である。30万は超えていないと思われる人口が、数十年後には100万を超えてもおかしくない。
なにしろネームレス王国を構成する種族の半数以上は獣人なのだ。多産で知られる獣人が外敵に数を減らされずに、その数を順調に増やしていけば、十分にあり得る話である。
そうなれば塩や砂糖などの生産量は、今とは比べ物にならないほど伸びていくことはどの国も認識していた。
「近隣諸国と生産量について話し合ってみるのはどうだろう」
「断る」
即断でユウから拒否されるとは思っていなかったムッスは、少し驚いた表情を表に出してしまう。
「今後のことを考えて――――それこそ十年、二十年先の話だよ」
「だから断るって言ってるだろ」
ムッスはここで違和感を覚える。
強引なところもあるが、ユウは話のわからない少年ではないからだ。近隣諸国と話し合う場を設けることは、ネームレス王国にとっても悪い話ではない。
なのに検討もせずに断るという。
「なにか
「いいや」
「ならどうしてかな? この提案は君にとっても悪い話ではないはずだよ。現在ネームレス王国の友好国は、ウードン王国とモーベル王国の二箇国だけだ。今後のことを考えれば、近隣諸国に伝手を構築することは――――」
珍しく熱弁するムッスであったが、ユウの考えが変わることはなかった。
「ユウさん、ムッス侯爵は帰ったんっすか?」
風呂上がりのアガフォンがユウへ話しかける。
アガフォンたちはユウとムッスが会談している間は、邪魔にならないよう庭で稽古をしていたのだ。
「ああ、さっき帰ったよ」
「なんか困ってたにゃ」
ムッスが帰ったのは日が暮れてからである。その際にフラビアはムッスの顔を見たのだ。これまでも何度か顔を見たことはあるのだが、常に余裕のある笑みを浮かべた顔しか見たことがなかった。
だが今日はなんとも困ったような、どうしたものかと悩んだ表情であったのだ。
「お前らが気にすることじゃない。それより夕飯の準備を始めるから手伝ってくれ」
「「はいっ」」
ユウの家にいるのは冒険者ばかり、マリファが従えるティンたちはメイドという立場であるものの、常日頃から身体を鍛えている。その食事量も一般家庭とは比較にならない量であった。
「今日も美味しそうだね~」
「……野菜がある」
「文句を言わずに食べなさい」
大量のサラダが入った皿を、まるで天敵でも見るかのような視線を向けるレナを、マリファが叱る。
「メリット、帰ってこないっすね」
肉を頬張りながら、アガフォンがユウへ話しかける。
「アガフォンはメリットと仲が良かったのか?」
「いや、別に仲良くはないっすよ」
メリットがユウの家に来た当初、アガフォンたちはメリットの名を呼び捨てにして、ボコボコにされていた。何度やられようが呼び捨てをやめなかったのが、アガフォンなのだ。
あまりのしつこさに、あるいは根性を認めたのか、メリットはアガフォンが自分の名を呼び捨てにすることを許していた。
「だけど俺はあの女のことは、それほど嫌いってわけじゃないっすよ」
「あんな女、いなくなって良かったのよ! アガフォンのこと何度も殴ったんだからね!」
プリプリと怒っているのは、アガフォンの頭の上で食事するアカネである。
自分のお気に入りであるアガフォンを、何度も容赦なく殴り倒したメリットのことを嫌っているのだ。
「アガフォンくん、あんまり甘い顔しちゃダメだよ~。あの人は敵なんだからね」
「……いずれ私が倒すから心配する必要はない」
「一度も勝てたことが、ないじゃありませんか」
マリファの冷静な指摘に、レナのアホ毛が抗議するように回転する。
「俺は負けてないんだぞ!」
ユウを除けば唯一人――――メリットを満足させていたナマリは、どうだと言わんばかりに胸を張る。
「……あ、姉を敬うように」
「もっと身体を鍛えたほうがいいぞ」
「……私は魔法だけで勝って見せる」
「メリットからすれば、後衛職はもっとも得意な相手だからな」
「やっぱそうっすよね!」
ユウとレナの会話にアガフォンが混ざる。
「アガフォンは全く相手になってなかったにゃ」
「うるせっ、そういうお前はどうなんだっ!」
「うちは負ける戦いはしない主義にゃ」
「そう言う割には、何度も挑んでたな」
「そ、それは」
「別に責めてるわけじゃないぞ。負けん気が強いのはいいことだからな。ただアガフォンみたいに相手と状況を見極めずに続ければ、いつか死ぬから気をつけろよ」
「それにゃっ! うちが言いたかったことは」
「嘘つけ! ユウさんの言葉に乗っかっただけだろうがっ!」
「違うにゃ!」
「二人共、食事中ですよ。静かにしなさい」
「「はい……」」
騒がしいアガフォンとフラビアをマリファが叱ると、二人は黙って食事を再開する。そんな二人を見て、ティンたちが舌を出して馬鹿にしていた。
「ティン、あなたも叱られたいのですか?」
「い、いえっ」
賑やかな食卓であったが、ユウは少しも不快に思っていなかった。わずかに笑みを浮かべて楽しんでいたくらいである。
※
夜に紛れて、ユウの屋敷へ近づく者たちがいた。
「ここか?」
「ええ、間違いないようです」
二匹のゴブリン――――ゴールとシルンの姿がそこにあった。恐るべきことにゴールたちは『十の食客』の防衛線を難なくと突破するだけでなく、ムッスが治める領地の中心地――――都市カマーにまで侵入を果たしていたのだ。
「さっさと入ろうぜ」
自分の家の庭でも歩くような足取りでゴールは歩を進める。そのすぐ後ろをシルンが軽やかな足取りで続く。
「止まれ」
二匹の歩みが止まる。
言葉に素直に従ったわけではない。
「こいつ、どこから現れやがった」
「これは驚きましたね」
確かに先ほどまで、誰もいなかったのだ。
だが、屋敷の門前に突如ゴールたちの行く手を遮るように一人の――――いや、一匹のゴブリンが現れたのだ。
「なんだてめえ?」
油断ならぬ相手と判断したのか。拳を握り締めながら、ゴールは問いかけるのであった。
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