第362話 流儀
「ここまでえらく時間がかかったな」
空に浮かぶ月を見上げながら、ゴールが呟く。
「それは仕方がないこと。ひと目につかないよう移動は夜間のみ、それにあなたが寄り道していたのも原因の一つですよ」
道理のわかっていない子供を窘めるようにシルンが言葉を連ねる。流し目でシルンを見るゴールは「わかった、わかった」とでも言うように肩を竦めた。
「せっかくの遠出だ。覇王様に土産の一つも必要だろうが」
ポンッ、と腰に縛られた布袋をゴールは叩く。この布袋はアイテムポーチで、道中で出会った野盗を返り討ちにして手に入れた戦利品である。
「ふむ。それは確かに」
「だろ? このアイテムポーチっていうやつ、マジで便利だぞ。それにしても、なんでわざわざ目立たないように夜しか動いちゃいけねんだよ? ジャーダルクでは好きにやらしてくれたじゃねえか」
「またそれですか。覇王様がお決めになられたことと、以前も伝えたはずですが?」
「それだ。覇王様のお決めになったことに不満はねえが、なんでよその国――――この国ではコソコソしなきゃいけねんだ?」
不満はないと言いながらも不満を口にしているゴールに、シルンは頭を悩ませる。適当にあしらってもいいのだが、それを勘が良いゴールに気づかれれば面倒なことになるからだ。
「あくまで私の考えですが、それでも良ければ話しましょうか?」
「もったいつけずに、さっさと話せよ」
「この国を敵に回したくないのでは?」
周囲で鳴いていた虫の音が止まる。
ゴールの全身から殺気が溢れ出したからだ。
「言葉に気をつけろよ?」
「ゴール、あなたこそ早とちりしないでください。
覇王様がこの国に怯えているとか、そういった意味ではありません」
「続けろ」
まだ納得はしていないのだろう。抑えきれない殺気が、ゴールの身体からわずかに漏れている。
「この国――――ウードン王国の支配者と覇王様は、
「…………くつがなんだって?」
「轡です。同じ目的のために、ある存在と戦ったと聞いています」
「信じられねえな……」
覇王の姿を脳裏で浮かべているのだろう。ゴールは他者と協力して戦うなどあり得ないと、無意識に首を横に振る。
「疑っているようですが戦った相手を聞けば、あなたも納得しますよ。」
「誰だ?」
「
「待てっ。そいつは大昔のお伽噺に出てくるあのモノか?」
「そうです」
「じゃあ、ウードン王国の王ってのは千三百年以上も生きてるってことになるじゃねえかっ。人族でそんなことあり得るか?」
「王ではありません。私が言っている支配者とは『大賢者』のことですよ。亡霊のように国を護り続けている憐れなね」
「どっちにしろだ。それとも、その『大賢者』って奴は人族じゃねえのか?」
「いえ、人族と覇王様は仰っていました。ただ――――」
そこでシルンの言葉は止まる。
二人共、少し前から気づいていたのだが、草をかき分ける音が近づいてくる者たちの存在を、より詳細に教えてくれる。
「見ろよ? なんか変な気配がすると思っていたら、ゴブリンだぜ」
「うへぇっ。わざわざ足を運んで見れば、ゴブリンかよ」
姿を現したのは冒険者の5人パーティーであった。
「変なゴブリンね」
「もろ山賊って格好に、もう一匹は執事風かよ」
「たった2匹ってのがおかしいな。ゴブリンならもっと群れてても、おかしくないのに」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、ゴールとシルンへ好奇の視線を向ける冒険者たちに、ゴールが向き直る。
「よお、そんなに俺らの格好がおかしいか?」
冒険者たちの表情が一変する。
5人の中でリーダーと思われる男が、頭を掻きながら前に出る。同時に残りの者たちは、ジリジリと後退していた。
「こりゃ驚いた。随分と流暢に話すじゃねえか」
「質問に答えろ。俺らの格好がおかしいのかどうか聞いてんだ」
「まあまあ、そんなかっかしないでくれよ。あー、おかしいかどうかだっけ? そりゃ――――今だっ!!」
瞬間、月明かりとは比べものにならない光量が、両者の間で発生する。後衛の女性が白魔法第1位階『ライトボール』を発動させたのだ。それもかなりの魔力を込めて。
「ごばぁっ……」
冒険者の男の腹部を、黒曜鉄製の鎧ごとゴールの右拳が貫いていた。
「ゲギャギャッ! お? どうした、どうした? 俺の質問に答えろや」
冒険者の男がゴールの右腕を掴む。
「げふっ、お……俺のことは、いいがっ、ら……逃げろっ!!」
「なにっ!?」
驚くべきことにゴールの腕を掴んだのは引き抜くためではなく、仲間が逃げる時間を稼ぐためだったのだ。
ライトボールが発動した瞬間、4人はバラバラに逃げていた。リーダーの男が攻撃を受けて立ち止まった者もいたのだが、リーダーの命令に顔を歪めながら駆け出す。
しかし――――
「逃がすわけにはいきませんね」
シルンの蹴りが闇夜に放たれる。
「くそっ、こんなところで――――」
それが斥候職の男が発した最期の言葉であった。
残る者たちも、闇夜の中で順番に刈り取られていく。
「他に仲間はいないようですね」
ものの数分で冒険者パーティーが壊滅する。
「こいつら、俺らのことを舐めてたよな?」
「ええ。
「急に警戒しだしたのは、なんでだ?」
「ゴール、あなたが喋ったからですよ。本来ゴブリンは流暢に言葉を操ることなどできません」
「それでか。にしても、最初から逃げに徹するのはおかしくねえか? それに反対しない仲間たちも」
「それは前に出てきた男が頭を掻きながら、おそらくなんらかのサインを後ろにいる者たちへ送っていたのでしょう」
まだ納得できないのだろう。ゴールは腕を組んだまま悩む。
「たかが人族が、か?」
「前にも言いましたが、私たちが痛い目に遭った相手も人族ですよ。あなたが『金の騎士』、私が『銀の魔導師』、大昔のことで忘れたのですか?」
大昔、何千ものゴブリンを率いて調子に乗っていた自分を倒した相手のことを思い浮かべ、ゴールは「ふーん」と不満げに声を漏らす。
「あいつら、どうなったんだ?」
「つまらぬ政争に巻き込まれて、謀殺されたそうですよ」
「やっぱ人族なんて、ろくなもんじゃねえな」
見下した言い方ではなかった。
どこか寂しそうな表情で、ゴールが呟く。
「待て」
移動を再開し、しばし黙ったまま闇夜を駆けるゴールとシルンであったが、突如ゴールが立ち止まる。
「どうかしましたか?」
話しかけられてもゴールは周囲を見渡し、ピリピリした様子である。
「嫌な臭いがするな……」
そういうと、ゴールの眼球が飛び出さんばかりに盛り上がる。そのまま、闇を見通すように凝視し続けると。
「罠だな」
「そうですか」
シルンはその言葉を否定しなかった。
ゴールが罠と言うのなら、そのとおりなのだろう。それだけゴールのことを信用しているのだ。
「シルン、お前の言う通りだ。
人族も舐めたもんじゃねえな。このまま進めば、下手をすれば俺かお前、死ぬかもな」
死ぬかもしれないのに、ゴールの口角は上がり深い笑みを浮かべていた。
「ここからは俺の流儀でやらせてもらうぜ」
「存分に」
シルンはゴールより少し後ろに下がると、両耳に指を突っ込む。対してゴールは一気に空気を吸い込み始める。取り込まれた空気によって、ゴールの胸部が弾けんばかりに膨れ上がり。
そして――――
「ほぎゃあ゛あ゛あ゛あああああーっ!!」
――――一気に放出された。
その咆哮はゴールを中心に、半径十キロ以上にも轟いた。
※
「なんだこの咆哮はっ!?」
罠を張り巡らせて待ち構えていたムッスの食客が一人『前衛要らずのランポゥ』が、相棒のゴンロヤに問いかける。
「俺に聞かれてもわからねえよ。ただ、良い予感はしねえな」
二匹のゴブリン――――ゴールディンとシルンティーガの情報を事前に入手していたムッスは、自分の抱える食客たちに指示を出していたのだ。
ここ最近、都市カマーに『十の食客』の内、クラウディアとララしかいなかった理由である。
「ランポゥさんっ」
焦った様子で現れたのは小人族のプリリである。
「お前、こんなところでなにしてんだ? 持ち場があるだろうがっ」
「それどころじゃありません。お二人共、先ほどの咆哮は聞きましたよね」
ランポゥとゴンロヤは無言で頷く。
普段はお調子者のプリリがこれだけ焦っているのだ。ただ事ではないことが起きているのだろう。
「あいつら、ゴブリンキングです」
その言葉に、ランポゥとゴンロヤの表情が一変する。
「二匹共かわかりませんが、この近辺のゴブリンが一斉に動き出しました」
「上等だっ。ゴブリンが何千集まろうとも、ゴブリンだってことを思い知らせてやらあ!」
「まあ、そんな気張んなって。プリリ、報せってのはそれだけじゃねえんだろ?」
「はい。ゴブリンの集団は、こちらに向かっていません」
一瞬、理解が及ばなかったのだろう。呆けた顔をするランポゥとゴンロヤであったが、すぐに
「ま、まさか」
「そのまさかです。ゴブリンは四方八方に散っていってるんですよ! マーダリーさんやヤークムさんは、すでに近隣の村を護るために移動しています」
「クソゴブリンがっ!!」
「ランポゥさんたちも、すぐに動いてください」
「二匹のゴブリンを放っておけってのか?」
頭では理解できても、納得はできないのだろう。ランポゥが食い下がろうとするのだが。
「私が確認しただけでも、ゴブリンの数は万を超えているんです。二匹のゴブリンを、その中からどうやって捜すつもりですか?」
「ぐうっ」
「ほれ、行くぞ」
「わかっているでしょうが、一匹も通さないでくださいね。この辺の村なんて、ろくな防衛設備もない小さな村ばかりなんですから」
「わかってらあ!!」
怒鳴るランポゥであったが、動き出せば早かった。すぐにゴブリンが通ると思われるルートに多数のゴーレムを設置して、数千のゴブリンをゴンロヤと防ぎ切るのであった。
※
「ゲギャギャッ! 雑魚の相手でもしてるんだな!」
「あまり良い手とは思えませんが、仕方がありませんか」
「それで?」
「なにがでしょうか」
「話の続きだよ」
二匹は闇夜を駆けながら会話を続ける。
「ああ、そうでしたね。『大賢者』は龍となんらかの“盟約”を結んだそうです」
「なんでいきなり竜? いや、龍か? 出てくるんだよ」
「ただの龍ではありません。名の知れた龍です。龍族を裏切り人族の味方をしたと言われる裏切りの龍――――『盡龍シンティッリーオ』。あなたも、その名くらい知っているでしょう」
「知らねえ」
シルンの顔が引き攣る。
「無学なあなたに話した私が馬鹿でした」
「ちょっと物を知っているからって、調子に乗るなよ!」
空気を抉りながら拳を振るうゴールの攻撃を、シルンは軽やかに躱して首を左右に振る。
「で、その龍とのめいやく? とやらで長生きしてんのか?」
「おそらく、ですが……」
歯切れが悪いシルンにゴールが苛立つ。
「おそらくってなんだそりゃっ」
「千三百年以上も昔のことを、詳細に知っている者などいるわけないでしょう」
「ふんっ。それで覇王様が『大賢者』と顔見知りだから、この国で暴れるなって、お前はそう思っているんだな?」
「そうです。そういえば、先ほどの『眷属従属』など、大暴れと言ってもいいのでは?」
「ば、馬鹿っ! あれは違うだろ! あっちから手を出してきたんだろうがっ!!」
「罠を張っていたと言ったのはゴールですが、実際にその罠を私は見ていませんからね。それに先にゴブリンをけしかけたのはゴールですよ」
額から汗を流しながら、ゴールは動揺する。まさかシルンが告げ口するとは思えないが、覇王から聞かれれば素直に詳細を話すだろう。
「お、おい。シルン、お前からも覇王様に言ってくれよな!」
「なにをでしょうか?」
「俺がやむを得なく対応したって!」
「ふむ」
「ふむ、じゃねえよ! 余計なこと言ったら許さねえからなっ!」
近隣の森や山から氾濫したゴブリンの数は総勢で5万にも及んだ。その5万ものゴブリンたちに紛れて、ゴールとシルンはムッスが放った『十の食客』たちの防衛線を難なく越えていくのであった。
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