第361話 不穏

「よっしゃ! まだゴブリンの討伐依頼が残ってるぞ!」


 新人ルーキーの冒険者なのだろう。

 冒険者ギルドの依頼ボードに貼り付けられている羊皮紙を引っ剥がすと、仲間たちとカウンターの受付嬢のもとへ向かう。


「今日は『ゴルゴの迷宮』でいいんだよな?」

「ああ、今日こそは地下二十階を超えてやろうぜ」

「もし最下層の三十階までいけたら、次はCランク迷宮に挑戦するのか?」

「当たり前だろうがっ。『妖樹園の迷宮』はゴルゴとは比べ物にならないくらい稼げるらしいぞ」

「らしいな。霊木でも大きさによっちゃあ金貨五枚、霊樹なら小さいモノでも金貨十枚は稼げるらしい」


 Dランク冒険者のパーティーが一攫千金を夢見て、少年のようなキラキラした眼でまだ手に入れていないお宝を夢見て語る。


 先日の争いが嘘かのように、都市カマー冒険者ギルド一階はいつもと変わらぬ騒がしい日常を取り戻していた。


「あっ、すみません」


 冒険者たちの間を縫うように歩いていたコレットが、大柄な獅子人の獣人と肩が触れてしまう。


「おう。こっちこそ悪か――――ひぃっ!?」

「ひぃ?」


 肩と肩が触れ合ったと難癖をつけて喧嘩になることも珍しくないのが、一般的な冒険者たちである。


 この獅子人の男は相手が人族の、それも少女と気づくとよそ見していた自分も悪かったと謝ろうとしたのだ。


 だが、その少女がコレット・・・・だと気づくなり顔を青褪めて悲鳴を上げる。


「かっ、かんっ、勘弁してください!」


 驚くべきことに獅子人の男がコレットに対して頭を下げる。獣人の中でもプライドが特に高いと知られている獅子人族が、大勢の冒険者でごった返す冒険者ギルド内で、だ。


「あ、あの……」


 小刻みに震える獅子人の男へ、コレットは手を伸ばすと。


「な、なにやってんだお前っ!」


 騒ぎを聞きつけた虎人の男が冒険者たちを押し退けて、コレットと獅子人の男の間に割って入る。


「許してやってください! このとおりです!!」


 周りの野次馬が、物珍しそうにコレットたちを眺める。


「ありゃなんだ?」

「バカな奴だねえ。よりによって『帝王』に絡むなんてね」

「『帝王』? なんじゃそりゃ」

「ちょっと前に『不死の傭兵団』の団長が、冒険者ギルドここで暴れたのはあんただって知ってるだろ?」


 冒険者と傭兵、所属するギルドは違えど『不死の傭兵団』という名前はレーム大陸中に響き渡る。争いごととは無縁の一般人ですら知っているのだ。冒険者が知らないというほうが無理があるだろう。


 しかも、その『不死の傭兵団』の団長・・が、冒険者ギルドで暴れたのだ。


「でさ、私も詳しくは知らないけど、その争いを止めたのが『帝王』らしいよ」

「暴れたのは知ってるが、相手は誰だったんだ?」

「ムッス侯爵が抱える食客らしいよ。それも複数いたって話さ」


 一人ひとりがAランク冒険者と遜色のない戦闘力を誇るというムッス侯爵の剣であり盾である。それが――――ムッス侯爵の『十の食客』。事実、食客の中には現役のAランク冒険者がいるのだ。


 そんな化け物たちの争いを、一介の受付嬢が止めた――――と噂されていた。


「それで『帝王』か?」

「そうさ。今じゃ、冒険者ギルドここでエッダさんに並んで怒らせちゃいけない人ってこと」


 君主制のウードン王国で『帝王』などと、不穏極まりない二つ名である。


「マジかよ……。俺、昨日……気安くちゃん付けで呼んじまった」

「お前、それやべえぞ」


 会話を聞いていた別の冒険者たちが焦った様子で呟く。


「いやいや、そんなのどうせ誰かが適当にウソついてるだけだろ?」

「それがウソじゃねえみたいだぞ。あの受付嬢が担当している冒険者の中には、あれ・・がいるらしいじゃねえか」

「あれってなんだよ?」

「ほら、ネームレス王国とかいう国を創った――――」

「あっ……。あの噂マジだったんか」

「そうさ。ギルドに預け入れした金は莫大で、その報奨金でかなりの資産を築いてるって話だ」

「受付嬢が貰える報奨金なんざ、ちょっとしたお小遣い程度って聞いたぞ」

「そのお小遣いだって、預け入れ金が何百億マドカになれば話は別さ」


 下世話な話に冒険者たちが喉を鳴らす。

 どこの業界でも金に関する話は大好物なのだ。


「あ、あの……」

「このとおり! 勘弁してやってください! こいつ、ガキが生まれたばっかなんです!! 命だけはっ!!」

「許してくださいっ!!」


 大の大人が、それも二人もコレットに向かって土下座である。

 さて、困ったのはコレットだろう。ただでさえ、あらぬ誤解で迷惑を被っているのだ。


 助けを求めるように周囲へ視線を向けると、カウンターで笑いを堪えている先輩たち――――フィーフィとレベッカの姿が見える。


(酷いっ)


 頬を膨らませるコレットを、怒っていると勘違いした獣人たちが「ひぃっ」と悲鳴を上げながら、頭を床に擦りつける。


「あの、気にしていませんから」

「ほ、本当っすか?」

「ええ」


 いつもの笑顔を浮かべるコレットに、獣人たちは安堵に胸を撫で下ろす。


「それとなにか誤解があるようですが――――」


 良い機会だと、コレットは目の前の獣人たちを通して周囲の野次馬へ『帝王』なる恐ろしい二つ名がつくことになった噂は、全くの誤りであることを説明しようとするのだが――――


「うわっ」


 なにやら突如、野次馬たちが2つに分かれ、その間を歩くのは。


「マリファさん?」


 コロとランを引き連れたマリファであった。


「な、なんだあの魔獣はっ!?」

「ぜってえヤバイやつだろっ……」

「従魔といえど、町中に連れ込んでいいのか?」


 ランク7の魔物であるコロとランを、知識はなくともひと目で危険な魔獣と見抜いた冒険者たちがざわつく。


「マリファじゃねえか」

「なに気安く呼び捨てしてんだ。死にてえのか?」

「マリファお姉様だわ」

「今日も氷のような冷たい瞳をされている」

「美しい……っ」


 一部のマリファを慕う冒険者たちが興奮する。


「コレットさん」

「は、はひっ」


 メイド服という人に仕えるための装いであるにもかかわらず、マリファの佇まいはそこらの木っ端こっぱ貴族など比べ物にならないほど威厳がある。


「聞きましたよ、あのメリット勘違い女を叩き出してくれたそうですね。さすがはコレットさんです」


 軽くとはいえ、マリファがコレットに頭を下げた瞬間、周囲からどよめきが起こる。


 主人であるユウ以外には無関心で、他者が声をかけようものならごみでも見るかのような眼で一瞥しかしないマリファが。

 

 現在Cランクとはいえ、その戦闘力は間違いなくBランク以上であると言われるマリファが。


 一介の受付嬢に頭を下げるだろうか?

 あの・・メリットを叩き出した。『帝王』などという二つ名、根拠のない噂が真実味を帯びるには十分な説得力であった。


「あれ見てみなよ。まるで生まれたての子鹿じゃないか」

「うーん、コレットもまだまだね」


 呑気にカウンターで、この騒動を眺めていたレベッカとフィーフィは「ふふっ」と吹き出して、プルプルと震えるコレットを指差す。


「コレットさん、こちらを」


 アイテムポーチよりマリファは大きな蓋付きのバゲット籠を取り出す。


「こ、これは?」


 このような状況に追いやられてパニックのコレットは、バカ正直にバゲット籠を受け取り問いかける。


「ご主人様より、あのバカ・・・・が迷惑をかけた件で、お詫びにと」


 バゲット籠の蓋の隙間から漂ってくる甘い匂いから、中身はおおよそ予想できる。


 それも籠の大きさと重量からして、相当な量が入っているのだろう。離れた場所で受付嬢たちが「おっしゃ!」「今日は出勤で当たりだったわね」「わ、私……いま休憩が終わったばかりなのに」などと、喜びと悲しみのこもった声がコレットの耳にまで届く。


「マ、マリファさん……違うんです。私は――――」

「お見事です。私もまだまだ未熟、あなたから学ぶことは多いようですね」


 無責任な野次馬たちは「うおおおおーっ!!」「マリファお姉様が、お認めになられたわっ!」「『帝王』最強! 最強っ!!」などと、冒険者ギルドの職員に騒ぐなと注意されても気にせず大声で喚く。


「は、ははっ……どうして、こうなるんですか」


 涙目のコレットの呟きを拾う者は誰もいなかった。



 くちゃくちゃくちゃ。


 屋敷の一室――――ユウの部屋で、絨毯の上に積み重ねられた武具が、ちょっとした山のようになっている。


「おっ、いけたな」


 その武具の一つ、剣を手に取っていたユウの反対側の手には魔玉が――――それも完全な魔玉が握られていた。


「さすがはマスターです」

「もう少し検証は必要だろうが、装飾だけでなく武器や防具からも魔玉を取り出せそうだな」

「そのようで」


 本人は淡々と話しているつもりなのだろうが、その声音は明らかに弾んでいる。


「これもラスのおかげだけどな」

「身に余るお言葉です」

「今後は商人を使って、不人気スキルが付与された武具を買い続けるつもりだ」

「それが良いかと」


 あまりユウ自身が武具を買い集めると、勘の良い商人ならば思惑に気づく可能性があると、ラスはユウの考えを肯定する。


 そうでなくとも、以前バリュー邸で奴隷の首輪から魔玉を取り出すのを商人たちに見せているのだ。用心するに越したことはない。


 くちゃくちゃくちゃ。


 コツを掴んだのだろう。

 ユウは次々とスキルを付与された武具から完全な魔玉を取り出していく。


「ほら」


 作業が終わったユウは、取り出した魔玉を全てラスへ渡す。


「マスター?」

「好きに使え」

「よろしいので?」

「よろしいもなにも、お前のおかげだって言ったろ? それに、お前って金とか受け取らないからな」

「我に金銭など……」

「使い道はあるだろ。まあいいや。とにかく、それはお前の物だから」

「マスター、感謝します」


 くちゃくちゃくちゃ。


 受け取った魔玉を、ラスは大事そうにアイテムポーチへ仕舞っていく。


「次はなにをするか決めとくか?」

「そうですね。我は――――」


 くちゃくちゃくちゃ。


「おい……羽虫、先ほどからうるさいぞ」


 ずっと続く咀嚼音に、ラスがついに我慢できずに叱責する。


「あ? 俺のことっすか?」


 くちゃくちゃと口を動かしていたアガフォンが、自分を指差しながらラスに確認する。


「貴様以外に誰がいるっ! いま我はマスターと今後の錬金術について話し合っている最中なのが、わからんのか」

「へいへい」

「なんだその態度はっ」

「ちっ、うっせーな」

「貴様っ」

「二人共、うるさーいっ!!」


 黙ってユウの机で勉強していたナマリが、騒がしい二人を怒る。机の上ではモモとアカネが一緒になって、ナマリの教科書を読んでいた。騒ぎに興味はないようで「人族のくせになかなか難しいことを学んでいるわね」と、アカネは教科書に夢中である。


「そんな怒らなくてもいいじゃないっすか。これはユウさんに頼まれて試食してんだぜ」

「貴様っ……マスターのことを気安く名前で呼ぶなどっ」

「ちゃんと許可は取ってるっす。それにクランってのは家族みたいなもんだって聞いた……っす。なら、俺がユウさんのことを名前で呼んだって、いいじゃねえか……っす」

「なんだ、その舐めた言葉遣いはっ」

「あんたがうるさいから、俺は気を使ってるんすよ」

「死ぬか?」


 ラスとアガフォンのやり取りを見ていたユウが、思わず吹き出してしまう。


「マスター?」

「お前ら、仲が良いんだな」

「そのような――――」

「うへっ。冗談でもやめてくださいよ」

「貴様っ」

「うるさーい!」

「いでっ。ナマリ、頭を噛むんじゃねえっ」


 我慢の限界にきたナマリが、アガフォンの頭に齧りつく。


「ナマリ、少し休憩して試食に参加しろ」

「うん。任せてよ」


 胡座をかくユウの足の上にナマリは座ると、試食品の魚介類の干物や燻製したモノへ手を伸ばす。


「で、味はどうだ?」

「美味いっすね」

「そうか。せっかく海に囲まれてるんだから、魚介類を商品にしようと思ってるんだけど売れそうか?」

「ぜってえに売れますよ。特にこの貝を燻製にしたやつなんて、酒の肴に最高だと思いますね」


 ユウに気安い態度のアガフォンに、ラスの眼窩が赤く光る。


「アガフォンは酒を飲まないのか? 羆人は十二歳くらいから酒を飲み始めるんだろ」

「らしいっすね。でも、ユウさんも飲まないじゃないっすか」

「俺はまだ十五歳になったばかりだからな」

ウードン王国この国じゃ、人族は十五歳から成人扱いらしいっすよ」

「俺がいたところじゃ、確か二十歳からだったはずだ。それに酒にあんまり良い思い出がないんだよな。父親が――――って言っても、実の父親じゃないぞ? 義理の父親が酒を飲むたびに俺のこと殴る奴で、今思い返してもほんっとムカつく奴だった」


 軽い昔話みたいに話すユウとは違い、ラスたちは一気に心が沈み込んでいく。


「あとタバコも良い思い出がないな。あの野郎、人の背中を灰皿代わりにしやがって、なんとか今からでも殺せないかな」


 ふとユウが視線を下げると、先ほどまで楽しそうに試食をしていたナマリが黙り込んでいる。


「どうした。美味くなかったのか?」


 黙ったまま首を横に振るナマリの頭を、ユウは「変なやつだな」と撫でる。


「じゃあ、ユウさんは二十歳になったら酒を飲むんっすか? もしそうなら、俺もそのときに一緒に飲みますよ」

「二十歳になったらか……そのとき・・・・がくればいいな」

「約束っすよ! 今から俺が美味い酒を調べておきますから!」

「まあ、期待しないで待っとくよ」

「アガフォン、そのときは私も混ぜなさいよね!」

「はあっ!? アカネは酒飲めるのかよ」

「当たり前でしょ! アガフォンが飲めるなら私だって飲めるはずよ」


 談笑するユウとアガフォンのもとへ、モモとアカネが突っ込んで会話に混ざる。


(マスター、そのときは必ず訪れます)


 人知れず、ラスは心の中で呟く。



 日が沈み、光から闇が支配する時間帯へと移り変わるも、空を見上げれば月の放つ柔らかな明かりが、完全な闇を防いでいた。


 あと数日もすれば月は完全な姿――――満月になるだろう。


「ここから先がなんだっけ?」

「ムッスとかいう貴族が治める領地らしいですよ」


 街道を外れた草原で、月明かりを浴びながら二匹のゴブリンが佇む。


「配下に多くの手練れを抱えているそうです。私たちとて油断すれば痛い目に遭うかもしれませんね」

「ゲギャギャッ、そんな相手がいるといいがな」


 夜風が二匹の身体を撫でていくように通り過ぎていく。

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