第364話 黒と金
星空に混じって満月が、三匹のゴブリンを淡い月明かりで照らしている。
「あ? 止まれってのは、まさか俺らに向かって言ったわけじゃねえよな?」
威嚇するようにゴールは右手首をぐるんぐるん回しながら、クロへ近づいていく。
「止まれ」
再度、警告するようにクロは告げた。その両の手には血塗られた大地の戦斧と天魔アンドロマリウスの大鎚が握られている。
「ゲギャッ! 今なんか言ったかぁ?」
耳に手を当てて、馬鹿にするようにゴールは再度クロへ尋ねる。だが、クロの姿を見て、あることに気づく。
「こいつっ……マジか」
「どうかしましたか?」
あまり見られない動揺するゴールの姿に、シルンが思わず声をかける。
「シルン、こいつゴブリンだぞ」
「っ!? まさか……」
シルンもゴールと同様に驚く。
それもそうだろう。クロの身長は180センチを優に超えているのだ。一般的なゴブリンの身長は50から大きな個体で140センチほどである。ゴールとシルンもその例に漏れず、110センチほどなのだ。
如何にクロの体躯が規格外かが窺えるだろう。
「オーガのガキって言われたほうが、まだ納得できそうだがな。まあいい。こいつがゴブリンなら話は早い」
クロを見上げながらゴールは笑みを浮かべる。
「おいっ。ユウ・サトウとかいうガキを、ここに連れてこ――――」
そこでゴールの意識は途切れる。
ゴールのこめかみに、クロが天魔アンドロマリウスの大鎚を叩き込んだのだ。
大地を抉りながら吹き飛んでいくゴールの姿に、シルンが目を見開く。なぜならゴールはスキル『眷属従属』を発動していた――――にもかかわらず、ゴブリンであるクロはゴールの命令に従うどころか抗い攻撃を放ったのだ。
「あなたはいったい……」
クロを得体の知れない魔物でも見るかのように、シルンは警戒しながら距離を取る。これから始まる
「あー、見ろよ? お月さまも笑ってらぁ」
大地に数十メートルもの破壊の傷を刻みつけ、吹き飛んだゴールが地面から上体を起こして満月を見上げる。
(某の攻撃をまともに喰らって、生きて――――いや、ダメージがないだとっ)
敵に手心を加えるほどクロはお人好しではない。
全力の一撃を、それも完全に油断していたゴールのこめかみに叩き込んだのだ。手に残る感触からも、ゴールが威力を殺したなどの防御手段を講じたことはあり得ない。
「不甲斐ねえ、不甲斐ねえってよ」
ゆっくりと立ち上がったゴールの全身から、金色のオーラがほとばしるように立ち昇る。
続いて立ち昇るオーラが逆流するように、ゴールの身体に収束していく。すると、緑色の肌が徐々に金色へと変化していく。
「ゲギャギャッ、ぶっ殺してやる!」
大地が爆ぜたと思った瞬間、ゴールはクロの懐に潜り込んでいた。
「死ねっ!!」
金色の右拳がクロの腹部で炸裂する。
体重約90キロ、武具も加算すれば200キロを超えるだろう。そのクロの身体が天高く舞い上がる。
「はい終わり~」
肩を回しながらシルンのほうへ向かうゴールであったが、シルンが待ったをかけるように手をかざす。
「あ?」
「どうやら、まだ終わっていないようですよ」
「見てなかったのか? 俺の一撃をまともに喰らったんだ。あれで生きてるわ――――」
ゴールの背後で、なにかの着地音が聞こえる。
「油断ならぬ相手のようだ」
「なん……だとっ。俺の攻撃を喰らって、死んでねえのかよ」
クロの全身を黒い靄が覆っていた。暗黒魔法第4位階『
あの瞬間、攻撃を躱せないと判断したクロは『闘技』と『
とはいえ――――
(減少させてこの威力、何度も喰らうわけにはいかんな)
鎧越しに腹部を撫でて、クロはダメージを確認する。生半可な攻撃なら堕ちた英雄の鎧だけで防ぎ切るところなのだが『闘技』と『
「おとなしく死んどけやっ!」
(これだっ)
地面が爆ぜたかと思うほどの踏み込み。種がわかればなんてことのないことであるのだが、わかってなお対応に困る速度で懐に潜り込んでくるのだ。
「ゲギャギャ!!」
小さなゴールの身体から繰り出される拳打は非常に躱し難い。さらにその拳の威力は想像を絶するものである。
「守ってばっかりじゃ勝てねえぞ!!」
大重量の装備を纏うクロと軽装のゴール、どちらが俊敏かは言うまでもない。
無数の拳打を武器で捌き続けるクロだが、全てを捌けるわけではない。いくつかの拳打が掠める度に、クロの身体がよろめく。
「はあああっ!!」
掛け声とともに、クロの槌技LV5『
天魔アンドロマリウスの大鎚の鎚頭に気が集まり、叩きつけられた大地を中心に広範囲が陥没する。
「ゲキャー! すんげえ威力じゃねえかっ。当たれば俺でもタダじゃ済まねえな、当たればな」
超近距離で攻防を繰り広げていたにもかかわらず、クロが槌技を発動した瞬間に、ゴールは安全圏まで移動していたのだ。
(離れて見ていた私でも油断すれば見逃す速さ、目の前であのような速度で動かれれば、消えたと見紛うのも無理はない)
シルンはクロとゴールの戦いを冷静に分析していた。
(それにしても、あのゴブリンは何者なのでしょうか。ゴールの『眷属従属』が効かないのにも驚きましたが、あの戦闘力はゴブリンというにはあまりにも度が過ぎている)
一撃でオーガ種を粉砕するゴールの拳を受けながら反撃をするクロを見て、シルンは恐るべき相手と判断する。
だが、いざとなれば自分が参戦すれば、苦もなく倒せるとも思っていた。
「ゲギャギャギャッ!!」
「ぬんっ!」
ジャブのように小刻みに放たれる拳打を横に躱しながら、クロは血塗られた大地の戦斧をゴールの首目掛けて横薙ぎに振るう。
「なっ!?」
クロの
戦斧がゴールの首に触れるか触れないかの刹那、ゴールの左掌打が戦斧の斧刃を下から上へと叩き軌道を変える。さらに防ぐ動作がそのまま次の攻撃への動作へ繋がり、後ろ回し蹴りがクロの腹部へ叩き込まれた。
「ごばぁっ」
アンデッドゆえに痛みはないが、苦悶のような声を漏らしながらクロは地面の上を転がっていく。
(い、今の攻防はっ)
すぐさまに立ち上がりクロは武器を構えると、そこには余裕の表情でこちらを窺うゴールの姿があった。
「たかがゴブリンだから、手足を力任せに振るっているとでも思ったか?」
悠然と歩むゴールの両腕が、全身より一際に輝き始める。
「たかがゴブリンだから、自分よりチビだから、膂力で押せば圧倒できるとでも思ったか?」
ゴブリンが――――ゴールが構えを取る。
「獣人……拳? ゴブリ――――がはぁっ!!」
防御しようとしたのだろうが、それよりも疾くゴールの右拳がクロの顔面に突き刺さる。
縦回転で大地と平行にクロが吹き飛んでいく。
「シルン、どうだ! 今度こそ俺の勝ちだろう?」
「勝利宣言するのは、まだ早いようですよ」
飛び出した右の眼球を、手で押し戻しながらクロが立ち上がる。
「どういう身体をしてやがんだ。俺の拳は身体の芯にまで届くんだぞ。どんな頑丈な鎧を着てようが関係ねえ。それに今のは顔面にぶち込んでやったんだぞっ!」
ゴールが見た目通りの体重なら、30キロもないだろう。クロは自分の三分の一ほどしかない相手に、膂力で、技で、身体操作で圧倒されているのだ。
これほどの屈辱はなかなかないだろう。
しかも相手は自分と同じゴブリンである。
「推して参る」
「はあ? なんか言ったか? もう少しでけえ声で言ってくれやっ」
両の武器を掲げるように構えたクロが槌技を発動する。発動したのは槌技LV5『
つまり移動したと同時に――――
「ごがあ゛あ゛ああああっ!!」
ゴールの目の前にクロが現れた瞬間に攻撃は完了していた。頭部へ振り下ろされた大鎚は、普通なら頭部を砕いていたのだ。
だが、ゴールは普通では、並の相手ではなかった。咄嗟に頭部を両腕を交差させて守ったのだ。
しかし、守るのが――――そこでまでが限界であった。大重量の大鎚を受けて、ゴールの足首が大地へ沈み込む。
「こ、このカス野郎が、舐め――――」
「舐めてなどない」
次にクロが発動したのは槌技LV6『乱壊』――――自身ですら制御できない乱撃を大鎚で繰り出す技である。
「ぎゃあっ!?」
今度はゴールの口から苦悶の声が漏れ出る。クロの繰り出す攻撃速度が落ちない――――否、逆に上昇しているのだ。
(こ、こいつ、疲れってもんを知らねえのかっ!!)
急所を守りながら耐えるゴールであったが、今の状況は良くない――――まずいと長年の戦闘経験から理解していた。
その証拠に、クロは大鎚を振るいながら、トドメとなる一撃を放つ機会を今か今かと窺っているのだ。
「これは……まずい。私も参戦したほうが――――」
「動くな」
シルンの背に杖が押し当てられていた。
背後から膨大な魔力を漂わせるラスに、参戦しようとしていたシルンの動きが止まる。
「ほう。これは驚きました。私が背を取られるとは」
声音こそ冷静そのものであるが、内心でシルンは驚きを隠せなかった。
(何者でしょうか。この私がここまで接近を許すとは)
「貴様は黙って見ていればいい」
「そうですか。黙っていれば――――」
小さなゴブリンが闇夜に跳躍する。
その動作は美しさすら、見る者に感じさせただろう。
「――――できない相談ですね」
シルンの左足が銀色に輝く。
死神の鎌が振るわれたように、左足から放たれた蹴りは銀色の軌跡を描き、何十にも張った結界を斬り裂きながらラスの首を刈り取った――――
「なんとっ!?」
――――かのように見えた。
だが、シルンの蹴りはラスの纏う暗闇の衣に絡め取られていた。自身の自慢の蹴りをこのように防がれたことがなかったのだろう。宙に浮かぶシルンから驚きの声が出る。
「死にたいのか?」
「生憎と死を恐れるようでは、あの御方にお仕えすることなど、とてもとても――――」
右足から同じように銀色の蹴り放たれた。狙いはラスの首ではなく、シルンの左足を拘束する暗闇である。
「ゴブリンにしては、少しは頭を使うようだ」
「お褒めに預かり恐悦至極」
慇懃無礼な一礼を、シルンはラスに向かってする。
離れた場所では、まだクロとゴールの戦いが続いており、どうやらクロの必殺の一撃を受けてもゴールは耐えきったようだ。
だが、その代償は決して小さくはなかったようで、ゴールの左腕の付け根が千切れかかっていた。
「私たちが誰の使者かわかって、攻撃を仕掛けてきているんでしょうね?」
その言葉にラスは反応しなかった。だが、纏う魔力がわずかに揺らぐ。
「そうですか」
落ち着いた老齢のような雰囲気を漂わせていたシルンの口角が、引き裂いたかのようにつり上がっていく。
「知っていて喧嘩を売るとは、これは大変なことになりましたよ」
「先に手を出したのは貴様らだ」
「先とか後とかどうでもよいのです。大事なのは――――あなた方が、私たちが誰の使者かわかっていて、交戦したかなのですから」
あまりシルンの好むやり方ではないが、相手は油断ならぬ手練れである。主である覇王の威を借りてでも倒さねば、役目を果たす前に自分たちが倒れかねない。
「シ……シルン、余計なことを、ハァハァッ、言うんじゃねえ!! 俺がこんな奴ら、ま、まとめてぶっ殺してやらあっ!!」
なんとも勇ましい言葉であるが、相棒のゴールが負っているダメージは多大で、決して軽視できるものではない。
今から連携をとろうとも、勝てるかは五分五分――――いや、いまだラスの実力は未知数なのを加味すれば、負けが濃厚とシルンは判断していた。
「ゴール、私たちの役目を今一度、思い出しなさい。あなたのつまらない戦いの美学を優先するべきなのか。それとも――――」
シルンに睨まれると、荒ぶっていたゴールは歯を食い縛る。
「わかればいいのです。さて、あなたの仲間にもおとなしくするよう伝えていただけませんか?」
ラスとシルンのやり取りを見ていたクロは驚く。あのラスが敵の言葉に言われるがまま戦闘態勢を解いたからだ。そしてなにか察したのだろう。こちらになにか言いたげなラスに言われるまでもなく、クロは武器を下ろしたのだ。
「てめえ……悔しくねえのかよ」
どこか不満そうなゴールが挑発するのだが、クロは黙したままである。
「聞こえねえのか!」
肉が弾ける音と、歯が砕ける音が響く。
ゴールの右拳が、クロの顔に炸裂したのだ。防御してもダメージを受ける攻撃を、無防備な状態でまともに喰らったのだ。
「抵抗しねえと死ぬぞ?」
左頬が消し飛び砕けた歯と口内が露わとなりながらも、クロの眼はゴールではなくラスを見つめていた。
その無惨なクロの姿に、ラスは知らず知らずの内にローブで隠れた手を握り締める。
(我は――――私はどうすれば、マスター)
ゴールとシルン、どちらかを殺した時点で、残りは逃げるだろう。闇夜に逃げの一手を打った高ランクのゴブリンを捕らえるなど至難の業である。
(同時だ。同時に殺せば――――)
普段のラスらしからぬ甘い考えであった。敵はゴールとシルンだけではないかもしれない。伏兵に監視やサポートをする存在がいる可能性もあるだろう。
冷静なラスなら至極簡単に考えつくことである。
だが、殴られ続けるクロの姿を見て、ラスの感情が揺らぐ。
「もういいわ」
クロを嬲るのに飽きたのだろう。ゴールはトドメの一撃を放つべく、全身に力を込める。
全身の筋肉が盛り上がる。特に背中と腕の筋肉が膨れ上がっていく。身体を捻りながら、極限まで圧縮したバネを解放するように一気に拳打を――――
「死んでいいぞ、てめ――――げふぅっ」
魔法を――――ラスがクロを助けるために魔法を放つよりも疾く、ゴールの身体が宙に舞った。
弧を描きながら闇夜の宙を舞うゴールを、唖然としたシルンが目で追う。
「夜中にどっかんどっかん、うるせえんだよ」
ゴールに不意打ちをかましたユウは、悪びれもせずにそう言い放つのであった。
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