第357話 自滅 後編

「心配せずとも二十~三十年で自滅するだろう。

 ああ、そうか。人族にとって二十年という月日は――――」


 アッシュがゴブレットを持ち上げると、傍に控える侍女が瓶から酒を注ぐのだが、ゴブレットが満たされても――――いや、溢れてもその手を止めない。手が、全身が震えて止められないのだ。見れば、酒を注いでいる侍女だけでなく、玉座の間にいる侍女や家臣――――アッシュとジョゼフを除く全員が震えていた。


「やめよ」


 悠然な動きで、ジョゼフに向けて手を伸ばしたアッシュが王の声音で制止する。


「見よ。余の家臣だけではなく、大聖樹ヨダンまで怯えているではないか」


 先ほどから伝わってくる地響きのような振動は、ジョゼフ一人が放つ殺気によって、エルフたちだけでなく巨大な樹までもが怯えるように揺れているからであった。


「グロース大陸の、この星に残る――――『巨竜戦争』を生き残った最後の名のある大聖樹ぞ」


 黙したままジョゼフは反応を示さない。ただ、全身から膨大な殺気を垂れ流している。


「今にも余に飛びかからんばかりの殺気ではないか」


 巨大な樹の玉座の裏側から、アッシュを護るように音もなく十振りの剣が浮遊しながら円陣を組む。その姿はさながら後光をさした仏のようである。


 恐るべきことに、この剣一振り一振りが精霊剣リアマ・コアと同等かそれ以上の剣である。また、それぞれが火・水・土・風・雷・光・闇・氷・木・金――――各属性に特化した精霊剣なのだ。


「貴様も余の力は知っていよう。それとも今一度、英雄王と謳われた余の力を味わってみるか?」


 ジョゼフとアッシュ――――双方が放つ圧力が増大し、瞬く間に決して狭くはない玉座の間が重苦しくなる。


 圧力に耐えかねた侍女たちは急いで避難し、家臣たちは膝をついていく。その姿に「情けない」とアッシュは顔を軽く左右に振りながら呟いた。


「余と貴様が殺り合えば、双方ともに無事では済まんぞ。無論、大聖樹もな?」


 その言葉に、家臣のエルフたちの顔が青くなる。

 実は『ヨダンの大樹海』と呼ばれているが、全盛期に比べて樹海の規模は遥かに縮小しているのだ。


 それは大聖樹ヨダンが弱っている。つまり枯れ果て、その長い生の最期を迎えようとしていた。


 そんな状態の大聖樹がジョゼフとアッシュの戦いの余波で傷つけば、どうなるかなど容易に想像できる。そうなれば、たちまち森は大聖樹のあとを追うようにその生を終えるだろう。


「大聖樹が枯れればデリム帝国も滅ぶぞ」


 アッシュが言うことは戯言などではない。

 デリム帝国領の南に鎮座する三大魔王『焔のムース』がいるSランク迷宮『大獄炎界』――――年々、砂漠化が進む大地を緩やかに押し留めているのが『大聖樹ヨダン』なのだ。


 その守護樹とも言える大聖樹がなくなれば、デリム帝国は砂漠が支配する大地となるだろう。


 そこまで伝えてもジョゼフからの殺気は増大するばかりで、聞く耳を持たない。そこかしこで、耐えられなくなったエルフたちが四つん這いになって嘔吐している。


「そもそもなにをそのように怒っているのだ。“簒奪系”の屑が自滅しようが、浅ましい者に相応しい末路で――――」


 これまでとは比にならぬ殺気を放出するジョゼフに、アッシュは思い至る。


「――――気にかける相手とは、敵ではないのか?」

「敵なわけねえだろ」


 獣が唸るように、絞り出すように、ジョゼフは苦しげに言葉を口にする。


 アホらしいと言わんばかりに、アッシュは右手をプラプラと振る。人払いの合図だ。それを見た家臣たちは安堵するように、我先にと玉座の間から退出していく。


 嘔吐などで汚れた玉座の間をアッシュは精霊魔法で清掃すると、ジョゼフと改めて目を合わせ向き合う。


「余の勘違いとはいえ、赦せ」


 人目がないとはいえ、王であるアッシュがジョゼフに頭を下げたのだ。


「お前なぁ……。そうならそうと、最初に言えよ」


 肩の力が抜けたのか。口調まで素に戻る。


「うっせ」

「詫びついでに――――」

「全てだ」

「全てとは俺が知っている“簒奪系”についてでいいか?」

「ああ、そうだ。大体、グロース大陸ってなんなんだよ、ここはレーム大陸だろうが」

「レーム? そうか。人族お前ら陸の孤島レームと呼んでたな」


 ムスッ、としたまま、ジョゼフはアッシュに「早く喋れよ」と促す。「こいつは本当にワガママで変わらねえな」と、アッシュは苦笑しつつも若きジョゼフの姿を脳裏に浮かべ懐かしむ。


「俺は見ての通り王にして英雄だからよ。これまでに数え切れないほど戦ってきたわけだ。当然、対人戦も数えるのがバカらしくなるほどにな? そんな対人戦の相手に妙な奴が数人ほどいたんだよ」


 侍女がいないので、アッシュは手酌で酒をゴブレットに注いで飲む。


「その妙な奴らはレベルや年齢が見合わないほど強い。三十年も生きてない奴がスキルを二十も三十も持ってやがんだ」

「レベルはわかってるのか?」

「レベルは10~40くらいで幅がある。俺の『解析』で見たから、まず間違いはないぞ」


 酒好きのジョゼフがゴブレットに手を付けず、アッシュの話に耳を傾ける。


「俺としては、そんな気色悪い連中の正体は把握したくなる。ああ、さっき『解析』で見たって言っただろ? そいつらには共通点がいくつかある」

「スキルが多いってんだろ」

「それもあるが、変わった固有スキル・・・・・・・・・を所持してやがるんだ」

「それが――――」

「そう“簒奪系”のスキルだ。他者からスキルを奪う。なんとも浅ましいスキルよ」


 ユウのことを言われたわけではないのに、なぜかジョゼフは無性に腹が立ってくるのを我慢する。


「スキルを奪うと言っても、無条件ってわけじゃない。そんな簡単なら所持スキルは二十や三十じゃきかねえ――――くくっ、そりゃ元々・・無理か」


 嫌な笑みであった。

 ジョゼフはアッシュの顔面に拳を突き立ててやろうかと思うのだが、それじゃ話は聞けないとさらに我慢する。


「一番簡単な方法は殺害だな。俺が戦った奴の一人もこれを所持していた。相手の身体の一部を喰うってのもあったぞ。面白いのだと、対象の財産を奪うってのもあったなぁ。

 ジョゼフ、お前が気にかけている者は、おそらく互いの眼を媒介にスキルを奪っているんだろう」

「どうしてそう思う?」

「目が赤くなる病気がどうこうと言ってただろう。“簒奪系”スキルの所持者の共通点、スキルを奪えば奪うほど身体のどこかが赤くなるんだよ。それも奪う際に使用する部位がな」


 思案しているのか。ジョゼフは黙り込む。その姿を見ながら、アッシュはニタニタと笑みを浮かべる。


「続きを話さなくてもいいのか?」

「続けろ」


 偉そうなジョゼフの物言いに、アッシュの表情が一瞬だが固まる。


「お前ね……。それが人に、まあいい。

 “簒奪系”について、俺はもっと知るべきだと思った。これは放っておくと、良くないと直感的に理解したんだ。

 幸い、それ・・はすぐに見つかった。レベル11のくせにパッシブスキルを二十三、アクティブスキルは二十六、固有スキルがなんと驚きの十九も所持していやがった。それも生産系やら戦闘系に内政系のスキルと、とにかく系統なんてない。ジョブを無視したとんでもないスキル構成さ。

 その男はデリム人で、歳は三十一……いや三十二だったかな。まあ、そんなことはどうでもいいか」


 酒の肴、塩気の利いた豆を口に放り込み。アッシュはそのときのことを思い出しながら語る。


「助けてやることを条件に、その男は俺に協力することを了承したんだ。で、俺は調べるために男を適当な離島に連れてった。治療のためとかそれらしい理由をつけて、本当は隔離なんだけどな」

「助けるだ?」

「そう、助けるだ。スキルを奪いすぎて、痛くて痛くてたまらないんだってよ。大の男がわんわん泣き喚いてやがんだ。指が、指がいてえぇぇ~って、な」


 指を上下に動かしながら、アッシュは男の真似をする。


「よくわからねえが、痛くなるならスキルを奪わなければいいだろうが」


 ジョゼフらしくない最もな言い分に、アッシュはバカにするように肩を竦める。


「できねえんだよ。そこが“簒奪系”の恐ろしいところなんだ。

 俺も今のジョゼフと同じ言葉を男に言ってやった。痛くなるならスキルを奪うのをやめればいいってな。

 そしたら、その男はなんて言ったと思う? やめたくてもスキルを奪いたい欲求に抗えない・・・・、だとさ。

 我慢できないんだよ。他者からスキルを奪うことを。それにスキルを奪うことに成功すると、わずかな間だが痛みが治まるとも言ってたな。

 そうそう、この男が持ってた“簒奪系”は『手窃しゅせつ』ってスキルで、相手が大切にしている物であればあるほど、良いスキルが奪えるってスキルだった。

 知ってるか? スリって一口で言っても色んな技があるんだぞ。刃物を使った断切たちきりや――――この男は手先だけを使って盗む抜取ぬきとりって技の使い手で、人差し指と中指で挟み込んで、上手いこと盗むんだ」

「そんな指、斬っちまえ」

斬って・・・たさ」


 それまで笑みを浮かべながら語っていたアッシュが真顔になると、右手の甲をジョゼフに向けて、人差し指と中指を折り曲げて見せる。


「俺と出会う前に、自分で右手の人差し指と中指を鉈で切断したんだとさ。そのときは爪が血のように赤くなっていたと言ってたな」

「お前、さっき指が痛いって言ってただろうが。指がないのに痛いってのは――――あれか、幻肢痛ってやつか?」


 幻肢痛とはなんらかの理由で四肢を切断した者が、失ったはずの四肢に痛みや痺れを覚えることである。


 ジョゼフは戦争などで四肢を失った者が、幻肢痛で痛がるのを見てきたので知っていたのだ。


「俺も最初はそう思ったんだが、どうも違うようだった。あの痛がりようは幻肢痛なんて生易しいモノじゃない。

 折角だから、俺は欠損していた指を再生してやった。優しさでとかじゃないぞ? 実験と観察のためだ。

 そしたらどうだ? 再生させた指は爪だけじゃなく、指の根元まで真っ赤で笑っちまった。

 男はどうだったか、だって? 自分の指を見て絶叫してたよ。あんまりだ~っ! てな。くくくっ、仮初の力でいい気になってた屑野郎だったからな、可哀想なんて気持ちは一片もわかなかったぜ。

 他には再度指を切断して他人の指を繋いでみたりしたが、やっぱ自分のじゃないとダメみたいだな。指を動かすどころか腐って取れちまったよ」


 そういえばこういう奴だったなと、昔からアッシュは人族が嫌いだったことをジョゼフは思い出す。今も人の不幸を喜々として話す姿に、変わっていないことを再認識する。


「まあその後も、治療と称して指を何度も切断したり、魔法や薬を投与してあらゆる人体実験をしまくったんだけどな。“簒奪系”スキル解明のためとはいえ、薄汚い人族なんかに大聖樹の葉や雫まで使ったんだぜ?」


 そこでアッシュはこれまで以上に嫌らしい笑み――――邪悪な笑みを浮かべる。


「一つ、わかったことがある」


 自分から情報を求めておいて「聞きたくねえな」と、ジョゼフは心の中で思う。


「“簒奪系”スキルの所持者を救うことはできない。

 俺の出した結論は“簒奪系”スキルは魂と結びついている――――いや、魂に刻まれた呪いと言ってもいい。だから肉体や霊体をどれほど癒やしたところで、なんの意味もねえんだよ。魂が傷ついたままなんだからな」


 話の内容から予想できていたとはいえ、いざ断言されると何事にも動じないジョゼフの心の内は複雑な感情が入り混じり不安定になる。


「まあ、そこはいいんだよ。元々、救うつもりなんて、これっぽっちもなかったんだからな。大事なのはここからなんだ」


 二本の指を動かし、アッシュが手元のゴブレットを魔法で浮遊させる。


「よく自分の才能を器に例える話があるよな?」


 ゴブレットに手を翳し水魔法を発動すると、徐々にゴブレット内を水が満たしていき、ついに水は溢れて絨毯へ水が落ちていく。


「己が器を超える努力をしようが、この水のように溢れて無駄になる。まあ、よくある言い聞かせるための話なんだが、俺の考えは違う」


 今度はゴブレットに手を翳すのではなく、手のひらで蓋をして水魔法を発動させる。


「己が身の程を弁えずにスキルを奪い続ければどうなると思う? ジョゼフ――――これが答えだ」


 ゴブレット内はすでに水で満たされているにもかかわらず、アッシュの手が蓋をしているために水の逃げ場がない。それでもなおアッシュは水魔法を発動し続ける。とうとう内部からの圧力に絶えられなくなり、異音とともに金属製のゴブレットが膨らみ始め――――ついに破裂する。


「お前が隔離していた男は――――」

「自滅した。隔離していた島には俺が強力・・な結界を張っていたんだが、周辺の島々諸共、消し飛んじまったよ。まだまだ調べたいことがあったんだがな」

「嘘つけ」


 顔にかかった水滴を拭いもせずに、ジョゼフは鋭い視線でアッシュを見つめる。


「どうしてそう思う?」

「わざわざ離島に監禁してたんだろう?」

「くくっ、監禁とは外聞が悪いな」

「結界で覆う必要があったのか?」

「島と島を行き来する鳥型の魔物や、海から島へ上陸する魔物だって少なからずいるからな」

「なら――――どうしてその男は自滅したんだよ」

「それは島に生息する生き物からスキルを奪ったんだろう」

「島の生き物だ? どうやって、そいつらからスキルを奪うんだ?」

「お前は、俺がした話をもう忘れたのか? その男には――――」


 少し苛ついた様子で、アッシュは男には『手窃しゅせつ』という“簒奪系”のスキルがあることを、対象の大切・・にしている物を奪うことで――――そこで思考が止まる。


「なあ、どんぐりでも奪うのか? その男はスリでスキルを奪うんだよな? だから人族からしかスキルを奪えなかったんじゃねえのかよ。

 お前だ。お前が故意に自滅させたんだろ? 定期的に何人か攫って島に送り込んで、スキルを奪うように仕向けたんだ」


 どのような言い訳をするのかと、アッシュの言葉を待っていると。


「そうだ。俺がわざと自滅させた」


 あっさりと、自分の仕業であることをアッシュは認める。


ガジン・・・の件があったからな。スキル数の限界や、爆発した際の規模や威力を知りたかった」

「ガジンだ?」

「知らないのか? 人族の間でも有名な冒険者だったと聞いたぞ」


 以前クラウディアからその名を聞いてはいたのだが、興味がなかったからか。ジョゼフの記憶からガジンの名は消え去っていた。


「まあガジンは自滅というより道連れ――――違うな、復讐・・か」

「そんなことはどうでもいい。それより――――」

「救う方法はないぞ」

「ハイエルフの秘術や知識があるだろうが」

「あらゆる方法を試したと言っただろう」

「魂に傷がついているのがわかってんなら、それを治せばいいだけじゃねえのか」


 普段のジョゼフからは考えられないほど必死に言葉を連ねるが、アッシュは首を横に振るばかりで、ジョゼフの求めている言葉を口にすることはなかった。


「なんのために長生きしてんだ。クソの役にも立たねえな」

「酷い言われようだが、無理なものは無理だ。

 これまで出会った“簒奪系”スキル所持者も、生き延びようと無駄な足掻きをしていたな。レベルを上げることで己が器を拡げようとした者、逆にレベルを上げずに少しでも症状を抑えようとした者、スキル自体を奪わず我慢しようとした者もいたな」


 なにか少しでも助かる方法が――――一筋の光明でもいい。希望があればと期待するジョゼフに対して、アッシュは無慈悲な言葉を告げる。


「――――全て無駄だったがな」



「ジョゼフは?」

「旅立ちました」


 侍女の報告に、アッシュは残念そうに「そうか」と呟く。


「ジョゼフ、お前がいかに強かろうと――――いや、たとえ最強であろうと、変えられぬモノがある。それが運命よ。誰よりもそのことを知りながらなお抗うか…………なんとも憐れな男よ」


 ジョゼフがいた際はあんなに気さくで話しかけやすいアッシュであったが、今は侍女や家臣たちは王であるアッシュから話しかけられるまで、黙したまま控える。本来の王の姿に戻ったのだ。


「あれほど人に恐れられ、利用され続け、裏切られたにもかかわらず、我が子まで失ってなお人に執着するか」


 人嫌いのアッシュが、今はいなくなったジョゼフを思い、憐憫の目で呟く。



 砂漠の海を一人歩くジョゼフは迷っていた。


(ユウ――――お前、死ぬのか?)


 どんなことがあろうが迷ったことのないジョゼフが、どうするか決断できずにいるのだ。


(ユウっ……)


 無性にジョゼフはユウに会いたく――――傍にいてやりたくなるのだが、その足は都市カマーではなくデリム帝国の帝都ランドへ向かっていた。


 結局、ジョゼフにできることは戦うことだけであった。今、ユウの傍にいたところで自分にできることなどなにもないのだ。

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