第358話 賠償金
都市カマーの西門から出てしばらく歩くと、道外れに見えてくるのが通称『お化け屋敷』――――ユウの所有する屋敷である。
早朝、どこの家庭でも朝食の準備で騒がしくなり始める。当然、ユウの屋敷でも台所ではティンたちが、朝食の準備で慌ただしく動き回っていた。
「ティン、お肉が焼けたから、お皿の準備を――――」
「もうっ、朝からヴァナモがうるさくて、やんなっちゃう」
わかってると言わんばかりに、ティンが皿を用意していく。皿にはポテトサラダにアスパラなどが添えられており、ヴァナモは焼いたステーキを次々と皿へ移していく。
ユウたちのような冒険者は朝からガッツリとした食事を摂る。テーブルにはパンにステーキ、スープなどの料理が所狭しと並べられている。
「
以前はジョゼフが座っていた席に、
「あーっ! メリット、お手伝いしないといけないんだぞっ!」
配膳を手伝っていたナマリが、メリットに向かって注意する。
「ちっ、うっせーな。私はいいんだよ」
このやり取りも、もはや見慣れたものである。マリファが忌々しそうな眼でメリットを睨みつけ、とばっちりを恐れるメラニーたち奴隷メイドは黙々と料理をし続けるのだ。
ユウたちが都市リューベッフォより都市カマーへ帰った日、不在中の留守を任されていたアガフォンたちから、その間の報告を聞いていると屋敷に設置している防犯の魔法や、マリファの使役する虫たちが騒ぎ始める。
その侵入者はコソコソと隠れずに、堂々と正面から入って来たのだ。そう、侵入者とはメリットである。
状況を理解できないアガフォンたちをよそに、マリファたちはすぐさま臨戦態勢をとる。
ふてぶてしい態度であった。人様の敷地内に無断で侵入しておいて、悪いなどと一切思っていないのだ。
「……誰?」
リューベッフォで出会っていないレナやナマリは、メリットを前にしても不思議そうに見つめるだけである。
「おう。腹減ったから、なんか食わせてくれよ」
なんとも厚かましい要求であった。
唖然とするマリファたちをよそに、ユウは――――
「ふ……ふふっ。なんだよそれ」
堪えきれずに笑ってしまったのだ。
再戦しに来たと思ったメリットの思わぬ要求は、ユウの笑いのツボに入ったのだろう。「あーあ、変な奴」と呟くと、ユウはメリットと戦うこともなく、屋敷に招き入れたのだ。
「美味いなっ」
一口で300グラムはあるステーキを頬張りながら、すでにメリットは次のステーキへと手が伸びていた。
これまでユウたちの中で一番食べるのはベイブで、続くのはニーナやアガフォンであったのだが、今はメリットとベイブが競うように食事している。
「朝からお酒飲んでる!」
「いいだろ? 羨ましいか?」
朝からワインを飲むメリットを見てナマリが騒ぐのだが、メリットはグラスを揺らしながら見せつけるようにワインを飲み干す。
「おいしいの?」
「ナマリ、ダメだぞ」
自分も飲んでみたいと、ワインボトルへ視線を向けるナマリを、ユウが注意する。
「ふんっ、お子ちゃまには早いってよ」
「お、俺は強いんだぞっ」
ムキになったナマリが立ち上がると、頭の上で寝そべっていたモモが滑り落ちそうになり、ナマリの頭をペシペシと叩く。
メリットがユウの屋敷に住み着いて、すでに数週間が経過していた。
その間、メリットは執拗にユウに勝負を挑むも無視される。代わりに迷宮へ連れて行き、ナマリたちと戦わせていたのだ。メリットはユウにとって、ナマリの調整相手としてちょうどいい相手であった。
「なに見てんだよ。そうか……ついに私に惚れたな」
ユウが自分を見つめていることに気づいたメリットが、頬をわずかに赤く染めながら宣う。
「……この女はバカ」
「誰がバカだ、誰がっ。あー、そうだ。お前、ダグマーに負けたらしいな」
ダグマーとは『不死の傭兵団』八番隊隊長を任されている天人の女性である。
あの日、『不死の傭兵団』を相手に大暴れしていたレナは、ダグマーが参戦すると形勢逆転――――一転して逃げに徹することになったのだ。
「……私は負けていない」
「弱い奴は、みんなその言い訳するよな」
「……私は強い」
口では強がるものの、レナはすでにメリットを相手に敗北している。それも一回や二回ではない。全戦全敗――――一度も勝てていないのだ。これはマリファも同様で、コロやランを用いて万全の状態で挑んでも負けている。
「
居間の隅でずっとメリットに殺気を向けているクロやラスに向かって、メリットは挑発する。
「主――――」
「マスター――――」
「今日はダメだぞ」
クロとラスの二人が、ユウに許可を得ようとするも、言い終わる前に拒否される。
「それじゃユウ、お前が私の相手しろよ」
好戦的な眼を向けるメリットを無視して、ユウは食事を進める。
「無視するなよ」
「今日は予定が詰まってるから無理だぞ」
「じゃあ、ナマリでもいいぞ」
ここに来てから、メリットのストレスは限りなく0になっていた。なぜなら戦う相手に困ることがなくなったからである。特にナマリを相手する際は、メリットが全力を出しても壊れないのだ。
「俺がいないと戦わせないって、最初に言っただろ」
「ちっ」
意外なことに、不満を表しつつもメリットはユウの言葉に従う。
「お前って、食事のマナーはいいんだな」
普段はおどおどしておとなしいくせに、食事の際は獣のように食べまくるベイブとは違い。同じ大食いでも、メリットの食事マナーはどちらかというと上品であった。
「あ? 爺が食事はどうこうって、うるさかったからな」
「爺――――お前に盡龍拳を教えた盡龍シンティッリーオか?」
「盡龍拳じゃなく龍人拳なっ。なんだ、ユウは爺のこと知ってるのか」
「別に知り合いじゃない。ただ、龍を裏切った変わり者だって、知ってるだけだ」
「あのクソ爺、裏切り者だったのか。まあ、どうでもいいか」
特に興味はないのか。メリットは食事を再開する。
「すっげえ食うよな。ベイブ、負けてるんじゃねえの?」
「食べ過ぎにゃ」
旺盛な食欲を見せるメリットに、アガフォンが感心する横でフラビアは引いている。さらに横ではベイブが吸引するかのように、肉を食べ続けているのだ。
「このイモ? 美味いな」
「ポテトサラダな」
「ふーん。もっと寄越せよ」
ユウの皿にあるポテトサラダに手を伸ばすメリットの手を、マリファが叩く。
「なにすんだよっ」
「ご主人様の皿から奪おうなどと、死にたいのですか」
「そんな真似しなくても、まだまだあるよ」
台所にあるポテトサラダを取りにユウが席を立つと、マリファが慌てて自分が行きますと追いかける。
「なあ?」
「なんにゃ? うちは食事中にゃ」
「あれって、あれだよな?」
アガフォンから話しかけられても相手をしないフラビアであったが、それでもアガフォンがしつこく話しかけるので、渋々ではあるが反応する。
「みんな、気づいてるにゃ」
アガフォンが言いたいこととは、ユウがメリットを気に入っている――――それもジョゼフの姿をメリットに重ねている節があるということだ。
フラビアもアガフォンの言いたいことは理解しているので肯定する。
「屋敷のことは任せましたよ」
「お任せを」
屋敷の玄関で、マリファがティンたちへ言葉をかける。
これから出かけるユウの随伴としてマリファが、おまけでナマリとモモの姿もあった。
「ねえ」
そんな中、食事中も静かにしていたニーナがユウへ声をかける。
「どうした?」
「どうして
誰もが疑問に思っていることをニーナが尋ねる。マリファなどは心のなかで「ニーナさん、良くぞ聞いてくれました」と言わんばかりに頷く。
「あの人は
「そうだな」
「なら――――」
「どうしてだろうな。俺にもわからない」
不思議そうに言葉を口にするユウの姿に、毒気を抜かれたかのように、ニーナもそれ以上は追求することはなかった。ただ、珍しく感情が抜け落ちたかのような顔で「そう」と呟く。
※
「ようこそ我が家へ」
ムッスの所有する館の一室で、ユウたちをムッスが出迎える。
「用があるなら、お前が来いよ」
ソファーに座るなりユウはムッスに対して、きつい言葉をはく。ユウの背後に控えるマリファは、氷のような瞳でムッスを睨みつける。おそらく心の中では数千もの言葉で、ムッスを罵倒しているのだろう。
「そうだそうだ! お前が来いよな!」
「こらっ」
横に座っていたナマリの頭をペシっ、とユウが叩く。真似するようにモモもナマリの頭をペシペシする。
「え~!? マリ姉ちゃん、今の俺は悪くないよね?」
「いいえ、ナマリが悪いです」
裏切られたみたいな顔で、ナマリはマリファを見つめる。
「悪いね。これでも忙しい身だから、ユウに足を運んで――――」
「早く用件を言え」
「ふぎっ」と情けない声を漏らすムッスを無視して、執事のヌングは紅茶や茶菓子をユウの前に並べていく。
「ユウ様、どうぞ」
「ありがとうございます」
「わー、ありがと!!」
お菓子を前にナマリとモモは目を輝かせる。
「もう少しウードン王国の侯爵に対して、敬意を払ってほしいものだね」
「お前は王に対する敬意が足りないな」
「僕とユウの仲じゃないか」
「馴れ馴れしいな。俺とお前はそんなに仲が良かったか? 仕事上のつき合いでしかなかったはずだぞ」
アイテムポーチからハンカチを取り出すと、ユウはナマリとモモの口元についたお菓子のカスを拭いてあげる。
「そんなこと言っていいのかな~」
なにやら書類を手にヒラヒラと、勝ち誇るようにムッスはユウへ見せつける。
「もったいぶらずに早く見せろ」
「ぐぬぅっ……。はい、どうぞ」
書類の中身は許可書であった。
以前、ユウがムッスに対して要求していた、ウードン王国内の都市におけるコロとランの出入り禁止の解除に関する書類であった。
「いや~、この早さでユウの要求に応えるのは大変だったよ」
「どうせ細かいところはヌングさんが手を回してたんだろ」
「そ、そんなことないさ。僕の人脈を使っても、大変だったからね。あー、そうそう。これも忘れないうちに渡しておくよ」
わざとらしく、ムッスは次の封筒を差し出す。訝しながら封筒から書類を取り出し、ユウは目を通していくのだが。
「はあ?」
「ご主人様、どうされましたっ」
驚いた様子のユウに、背後に控えるマリファが慌てる。
「リューベッフォに対する
いや~、向こうの領主に泣きつかれてね。そりゃそうだよ、こんなモノ誰だって対応したくないさ」
「――――なんだよ、この金額は?」
書類に記載されている賠償金は十二桁を超えていた。
「リューベッフォの中央広場で『不死の傭兵団』団長メリットと殺り合ったそうじゃないか。中央広場はいまだに復旧の目処が立たないそうだよ。しかも、ユウとメリット双方が周囲に配慮したと思うけど、それでも戦いの余波でリューベッフォ中の窓をはじめとするガラス類は破損、中央広場近くの家屋や建物は良くて半壊ときたものだ」
ムッスの話を聞きながら、ユウは頭が痛くなってくる。
「これは当然『不死の傭兵団』にも請求しているんだろうな?」
「あははっ、まさか。相手は傭兵とは名ばかりの無法者集団だよ? 言ったところで払うわけがない。武力行使したところで――――いや、リューベッフォの戦力じゃ返り討ちになるのが目に見えるだろうね。だからリューベッフォの領主は僕を頼ってきたんだ」
「くそっ」
「それに商店街で爆発魔法も使用したそうじゃないか」
「はああ? 誰が――――」
言葉の途中で、ユウの脳裏にレナの姿が浮かび上がる。
「心当たりがあるみたいだね」
微笑むムッスの顔のなんと憎たらしいことか。
「僕としてはリューベッフォの領主に貸しを作れて万々歳だよ。今までは遠く離れたウードン王国北部に伝手がなかったからね」
「払えばいいんだろ」
「うんうん。ユウなら、そう言ってくれると信じてたよ。ついでにカマーに対する投資も増やしてくれないかな? 当初の金額を大幅に超えるみたいでね」
「そっちはビクトルに伝えておく」
ユウの口にしたビクトルという名に、それまで笑みを浮かべていたムッスの表情は一転して暗くなる。
自由国家ハーメルンの大商人が、自分の足元で動き回るのが気に食わないのだろう。
「あまり気が進まないなぁ」
「贅沢言える立場かよ」
「彼はヘマをしてユウに見限られたそうじゃないか」
ウードン王国北部に伝手はないと言っておきながら、最近の動向を把握しているムッスに、マリファは顔こそ変わらないものの警戒感を強める。
「よく知ってるじゃないか。ただ、最近は調子を取り戻してるみたいだからな、もう一度くらい機会を与えるつもりだったんだよ」
「う~ん、でも――――」
「ごちゃごちゃ言わずに受け入れろよ。計画が頓挫すれば、これまで投資した金が無駄になるんだぞ」
「それはそうだけど、悩ましいね」
「お前はそんなことで悩むより、自分の町を心配したほうがいいんじゃないのか」
「ん? どういう意味かな?」
「どうもこうも、今メリットがカマーにいるだろうが」
書類をアイテムポーチへ仕舞い込むと、ユウは立ち上がる。そのままヌングに礼を伝えると「帰るぞ」とナマリたちに声をかけ部屋の出口へ向かう。
「んん? メリットが?」
言葉の意味は理解しつつも、理解したくないと駄々をこねるように、ムッスはユウを追いかける。その顔は吹き出した汗でびっしょりである。
「メ、メリ、メリメリ――――」
「メリットな」
「その、メリットというのは、まさかあのメリットじゃ、な、なっ、ないだろうね? ね? ねねっ?」
「唾を飛ばすなっ。あと顔が近いし、鼻水が垂れてるぞ」
「ユ、ユユ、ユウっ! 君が対処してくれるんだろうねっ!!」
「なんで俺が対処するんだよ。ここはお前の治める領地だろうが」
「まだ来たばかりじゃないか。そうだ、もっとお互いに有意義な話を――――」
「無理」
「無理だって」
「失礼いたしました」
さっきの仕返しとばかりに、ユウはムッスに無慈悲な言葉を告げるのであった。
※
「ここがカマーか。でけえ町だな」
これまでずっと迷宮か屋敷で過ごしていたメリットは、ユウが相手してくれないので暇潰しにカマーへ足を運ぶ。
「ま、待て! まだ通っていいとは――――」
「人の話を聞かんかっ!」
以前とは違い都市カマーの出入り口には衛兵がいるのだが、メリットは制止する衛兵を無視してカマーへ足を踏み入れる。そんなメリットを取り押さえようと、腰に数人の衛兵がしがみつくのだが、なんの意味もなかった。衛兵を引きずりながら、メリットは悠々と歩を進めていく。
「いつまで人の腰に掴まってんだ、このドスケベ共がっ」
特に威圧したつもりはないのだが、それだけでメリットの腰にしがみついていた衛兵たちは手を離し、他の衛兵たちも動くことができなくなる。
「あー、強い奴がいるといいな」
無邪気な笑みを浮かべながら、メリットは呟くのであった。
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