第356話 自滅 前編

 デリム帝国領。

 かつては緑豊かな大地であったが、それも今や昔。現在は国土の半分以上を砂漠が占める。日中は灼熱が大地を照らし、夜中は凍えるような寒さになる過酷な地である。


 デリム帝国領だけで複数の砂漠が存在するのだが、そのどれもが日中の最高気温は軽く五十度を超える。


「相変わらず暑いところだな」


 ジョゼフが空を見上げながら呟く。

 燦々と輝く太陽は容赦なく大地を照らす。

 視界を占めるのは砂、砂、砂である。どこを見ても、どこに向かえど広大な砂漠があるのだ。


「やってくれるぜ」


 この男、軽装で挑めば三日で死ぬと言われているナーン・バン砂漠を、すでに数十日も彷徨っているのだ。


 その後もジョゼフはなぜか自信満々に足を進めていく。一般的な成人の歩行速度は平地で時速4~5キロほどだろうか。砂漠では砂に足を取られ速度は半減、疲労は増加するのだが、ジョゼフは平地と変わらぬどころか、軽く走るくらいの速度で砂漠を進んでいく。


 数時間を経過してもジョゼフの移動速度は落ちることはなく、むしろ速度は上昇しているくらいである。


「あ?」


 ジョゼフの目の前に森林・・が現れる。しかも森林の奥深くから、天にも届かんばかりの巨大な樹まで見えるのだ。

 どこまでも見渡す限り砂漠の世界で、広大な森林地帯が現れるなど誰が想像しようか。そう――――ジョゼフを除いて。


「ちっ……なんでここにたどり着くんだよ」


 頭を掻いているジョゼフの足元に矢が突き刺さる。


「ここを『ヨダンの大樹海』と知って、足を踏み入れたのであろうなっ!!」

「人族の男よ、我らとデリム帝国は不可侵条約を結んでいる。早々に立ち去るがよい」


 木々の間から姿を現したのは長身細身の美丈夫――――エルフたちである。

 それぞれの手には弓が、そしていつでもジョゼフを射ることができるように矢を番えている。


「待て。こいつの髪と肌の色、デリム人ではないぞ」


 デリム人の特徴は褐色の肌に金色の髪である。

 仲間の言葉に、周りのエルフたちは道理でと、どこか納得した様子であった。


「旅人か? 一度は見逃してやる。二度とこの地に――――」

「俺だ」

「――――足を踏み……今、なんと言った?」

「だから俺だって」


 ジョゼフは自信満々に親指を立てて、自分の顔を指す。「ん? ん?」と、なんとも憎たらしい人を苛立たせる顔だ。

 対するエルフたちは訝しむようにジョゼフを凝視する。


「貴様のような人族など知らん」

「大体なんだその不愉快な顔はっ」

「そうだそうだ! 気持ちの悪い笑みを浮かべよって!」


 散々な罵倒にジョゼフのこめかみに青筋が浮かぶ。だが、珍しくジョゼフは堪えて、引きつった笑みをエルフたちへ向ける。


「ジョゼフだ」

「ジョゼフ? まさかジョゼフ・パル・ヨルム――――」

「そうだ」


 やっとわかったかとでもいうように、ジョゼフは鷹揚に頷く。

 貴族姓を捨てたことに関しては、面倒くさいので訂正はしなかった。


「――――語るに落ちるとは、このことだな」

「あ?」

「バカめっ! ジョゼフは、我らエルフに勝るとも劣らぬ容姿を持つ男よ!」

「貴様のような醜い顔をしているものかっ!」

「か、髪を切った」


 凄まじい剣幕で怒鳴りつけてくるエルフたちに、ジョゼフはなんとも情けない言葉を口にするも。


「髪の長さ、どうこうではないわっ!!」

「その醜悪な面で、よくもジョゼフの名を騙れたものよ! 図々しいにもほどがあるわ!!」

「恥を知れ! 恥をっ!」


 謂れのない罵倒――――いや、エルフたちからすれば正当な根拠や理由があるのだろう。


「おい、まあ落ち着け。

 俺の眼を見ろ、この眼が嘘をついてるとでも? お前らの眼はそんな節穴じゃねえよな? それでも俺が嘘をついてると思ってる奴は、遠慮なく攻撃――――」


 言葉を言い終える前に、無数の矢がジョゼフ目掛けて放たれる。そこでジョゼフの我慢は限界に達したのだった。



「ぶははーっ! ひーひっ、腹がいてええぇっ! お、俺の……なんだっけ?」


 巨大な樹の玉座に寝そべるエルフの男が腹を抱えながら大笑いする。エルフ特有の美形に金色の長髪、瞳はエルフらしく緑色なのだが、見る角度によって様々な色にも見える。


「俺の眼を見ろ、です」


 男の問いかけに、エルフの女性が淡々と応える。


「ぶふぅっ!! それ! んで、うちの連中はどうしたんだ?」

「躊躇なく攻撃したそうです」

「ぶひゃっ、あはははははーっ!! やめろって、俺を、うひひっ、笑い死にさせるきかよ!! あーおかし。ジョゼフ、お前バカじゃねえの?」


 エルフの男の視線の先――――ジョゼフが横になって鼻をほじっている。


「ちっ、うるせえよ。お前も王なら、下の者の教育くらいちゃんとしとけっ、ば~か。俺が優しくなかったら皆殺しだったぞ」


 部屋の周囲に配置しているエルフたちから、ジョゼフに対して剣呑な雰囲気が漂う――――かと思われたが。


「やめとけ、やめとけ。お前らじゃ返り討ちなんだからよ」


 エルフ王が手をひらひらさせて、場を和ませる。


「お前ね、仮にもエルフの王に対して、ば~かはないだろうが」

「知るか。なんで俺がエルフの王に、ぺこぺこしなきゃいけねんだよ」


 鼻の次は尻を掻きながら、ジョゼフは大きな欠伸をする。

 今ジョゼフがいるのは森林外から見えた巨大な樹の中である。


「それにしても、よくヨダンの大樹海ここに来れたな。この周辺は俺が強力な迷いのまじないをかけているから、見えていようが普通なら近づくことすらまず不可能なんだが」

「自慢じゃねえが生まれてこの方、迷ったことがねえ」

「ほう……さすがは『槍天のジョゼフ』だな」


 エルフ王のみならず、周囲のエルフたちも感嘆の声を漏らす。


「まあ、積もる話もあるだろう」


 エルフ王が目配せすると、女性のエルフが手を叩く。すると侍女たちが次々に現れ手際よく絨毯を敷き、その上に料理や酒を並べていく。

 エルフ流なのか、それとも下品なジョゼフに合わせているのか、どうやら料理は絨毯の上に座って食べるようだ。


「ジョゼフ、クラウディアは元気にしているか?」

「喧しくて仕方がないほどにな」

「ふははっ。そうか、元気にしているのならいい」


 料理を頬張るジョゼフは、クラウディアの名前が出たことで思い出したかのようにアイテムポーチを漁る。


「ほらよ」


 アイテムポーチから取り出した一振りの剣を、エルフ王に向かってぞんざいに放り投げる。


「これは……文句なしの名剣だな」


 鞘から剣を――――精霊剣リアマ・コアを抜いて、エルフ王は唸りながら刀身を見つめる。


「いいだろう。結納の品、しかとこのアッシュグラウ・バルリングが受け取った!」

「結納…………なんだそりゃ?」

「クラウディアと結婚するのであろう? この剣は結納の品ではないのか?」

「はあ? なんで俺があんな小便臭えガキンチョと結婚しなきゃいけねんだよ」

「しょっ、小便臭いって……お前……俺の前でよくそんな言葉を抜かすな」


 剣の柄を握ったまま、アッシュグラウの全身が小刻みに震える。


「あいつ、お前がど~してもついて来てくれっていうから、しょ~がなくついて行くって言ってたんだぞ」

「そんなこと言ったことねえぞ」

「だがジョゼフ、お前がクラウディアと結婚したいって」

「バカらしい。お前があんな小娘の言葉にまんまと騙されるなんてな。アッシュ、耄碌したんじゃねえのか。あ、そうだ。これも渡しとくわ」


 ジョゼフは封蝋の施された封筒を、アッシュに向けて放り投げる。仮にもエルフの王に対してする態度ではないのだが、アッシュ自身は気にしていないようで、封筒の蝋を魔法で解除する。どうやら、ただの封蝋ではなく特殊な仕掛けが施されているようであった。


「間違いなくクラウディアの施した封蝋だが――――はあ?」


 手紙に書かれている文章は王侯貴族が使うような言葉遣いであるが、要約すると。


“パパの宝物庫からフィフスエレメントを借りたからね。代わりの剣をジョゼフに預けたので、それで許して♡ パパの愛する娘より”


「お~いっ! どういうことだよ!」

「うるせえなっ。飯食ってるときにでけえ声出すなよ」

「宝物庫から俺の剣が――――それもお気に入りの精霊剣フィフスエレメントが持ち出されてるじゃねえかっ!」


 アッシュは慌てて家臣たちに、宝物庫を調べるように指示を出す。


「知らねえよ」

「お前、どういう教育をしてんだよ!!」

「お前の娘だろうがっ」


 ぐぎぎっ、と歯軋りを鳴らすアッシュを無視して、ジョゼフは料理を次々に平らげていく。


「大体、お前がそこら中にガキを作るから、クラウディアも反抗期なんじゃねえのか?」

「俺は王としての役目を果たしてるだけだろうがっ! 責務だぞ、これ王族の!」

「な~にが、責務だ。お前、エルフ以外にも仕込んでるそうだな、クラウディアから聞いたぞ」

「まあな」


 なぜか自慢気にアッシュは胸を張る。


「褒めてねえぞ」

「大昔に人族の貴族に頼まれて、たねをくれてやったこともあるぞ。様々な種族から優秀な血を取り入れていたそうだが、今じゃ俺の血を引く子孫に乗っ取られたそうだがな」

「お前はエルフのくせに、なんでそんなポンポンとガキができんだよ」


 長命種であるエルフは、その寿命に反比例するかのように子供が出来難いはずなのだが、アッシュだけは例外のようで多くの女性を孕ませているのだ。


「知りたいか?」

「長くなるなら聞きたく――――」

「遥か太古、古の巨人は自分たちの小間使いに――――巨人を創った。まあ、女だけじゃなく男の巨人もいるんだがな、ようは奴隷よ奴隷。でだ、その巨人も長い年月を古の巨人の奴隷として過ごすわけだが、手が回らなくなったんだろうな。

 奴ら、上を見習って奴隷を創るわけだ。それがエルフとダークエルフの祖となる――――ハイエルフよ」


 気分が乗ってきたのか。金属製のゴブレットに注がれた酒を一気に飲み干し、アッシュは饒舌になる。


「さて、自分たちより遥かに矮小な存在だが、それなりの力を与えて創ったハイエルフだ。万が一にも反旗を翻されちゃあ困る。

 そこで巨人たちは縛りを設ける。生殖できるハイエルフの個体を十三人に絞ったのさ。

 くくっ、笑えるだろ? あんなでけえ図体してて、内心では怯えてたんだぜ」

「おい……俺は別に――――」

「何千、何万年も巨人の奴隷として仕えたハイエルフ、いわゆる暗黒期ってやつさ。だが、そんな地獄そのもののと言っていい時代に、暗闇を吹き飛ばすような燦然と光輝放つ――――」


 ジョゼフは興味がないのかゴブレットの酒を飲みながら、侍女たちにあれこれと新たな料理を頼んでいる。


「で、余が産まれたってわけ」


 鼻息荒くアッシュが、どうだとジョゼフへ視線を向けると。当のジョゼフは片尻を持ち上げて、ブッ!! とでかい放屁をかます。


「ジ、ジョゼフっ…………貴様、余のありがたい話を、人族の歴史家でも知らない話をっ」

「な~にがありがたい話だ。ただの自慢話じゃねえか」

「なんたる言い草っ! ハイエルフの偉大なる英雄譚に興味がないと申すか!」

「頼んでもねえのにペラペラ、ペラペラ能書き垂れくさりやがってよ。なんで年寄りってのは、こうも話が長いんだろうな。しかも、内容は自慢話か説教ときてやがる」

「ぬぐぐっ……」

「そもそも余ってなんだよ。さっきまで俺だったじゃねえか」

「ば、ばかっ! お前バカっ! このような貴重で歴史の真実を解き明かす話をする際には――――」

「どうせいつも頼まれてもねえのに、下の者にも恩着せがましく喋りまくってんだろうが。それやめておいたほうがいいぞ。ぜってえ嫌がられてるからな」


 「そんなバカな……」と、アッシュが周囲を見渡せば、家臣や侍女たちが露骨に目を逸らす。


「な? それよりも聞きたいことがあるんだが」

「聞きたいことだと? 今の俺の気持ちがお前にわかるか?

 貴様の粗野で下品な気遣いの欠片もない無神経な発言に、俺の繊細な心がどれほど――――」

「目が赤くなる病気について知らねえか?」

「目などゴミが入っただけで赤くなるわ」


 くだらん! とアッシュはゴブレットの酒を飲み干そうとして――――その手が止まる。


「待て? くくっ……」

「なにがおかしいんだ」

「いや、なに思い当たることがあってな。

 で、その目が赤くなる奴は貴様とどういう関係があるんだ?」


 ジョゼフが先ほどとは打って変わって、真剣な顔で耳を傾ける。すると、アッシュは意地悪そうな笑みを浮かべながら尋ねた。


「俺が気にかけている奴だ。そんなこと今はどうでもいいだろう。それよりも――――」

「瞬く間に著しい成長をした?」


 そこには傲慢で人を見下すエルフの権化がいた。


「生産系か? 文官などの外交や内政系もあるな」


 ゴブレットの縁を指でなぞりながら、アッシュはジョゼフの心を覗き込むように目を合わせる。


「いいや、違うな。ジョゼフが気にかけるくらいだ。戦闘系だろう。どうだ? くふふっ、そうか当たったか」

「治療法は?」

「放っておけばよい」


 指についた酒を舌で舐め取ると、アッシュはジョゼフにとって無慈悲な宣告をする。


「どうせすぐ死ぬ――――いや、自滅するか」

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