第355話 模倣

「申せ」

「ははっ」


 緊張した面持ちでウォーレンの従者は被害状況と損失を報告する。それはいかにウォーレンがレーム大陸に広大な商業圏を築いているとはいえ、笑って済ますことのできる金額ではない。


 報告する男もそれは十二分に理解しているので、全裸にガウンを羽織った主――――ウォーレン・マルティブフォンの怒りを恐れ、先ほどから身を縮こませているのだ。なのにウォーレンは窓から外を、日光を全身で浴びるかのように両手を広げ、背を向けたままである。


「時を稼げ」

「はっ」


 時を稼げ――――『不死の傭兵団』に対してのことだと、男は直ぐ様に応答する。


 ウォーレン一派も馬鹿ではない。

 これまでに滅ぼしてきた敵対組織の残党や、現在でも多くの商売敵や国家に組織と無数にいるが、これほどまでに手際よく鮮やかに攻撃できる組織など限られていた。


 自由国家ハーメルンからウードン王国北部を繋ぐ交易路や拠点を襲撃しているのが『不死の傭兵団』であることは把握している。

 残念ながら、証拠となるモノは残されていないが。


 そして現在進行形で『不死の傭兵団』と思われる襲撃によって、ウォーレン配下の商会は大打撃を受けている。


 だが、だからといって『不死の傭兵団』が要求している金額を素直に支払うわけにはいかない。

 他の『八銭』や同業者に舐められるからではない。単純に金が不足しているのだ。


 原因はオール平原である。

 マンドーゴァ王国から『不死の傭兵団』を利用して奪い取ったこの肥沃な地に、ウォーレンは巨大な要塞を建設している最中なのだ。


 その建設費用にオール平原の開拓をするための人足の雇用など、すでに莫大な金額を投資している。


 名目は『不死の傭兵団』に対するモノであると、マンドーゴァ王国や周辺国家には説明しているが、その言葉を信用している者などいないだろう。


 当初は自由国家ハーメルンの――――いや、ウォーレンの思惑に気づく国家はいなかったのだが、今では『不死の傭兵団』との戦争は偶発的なモノではなく、ウォーレン派閥による自作自演であったのではとの見方が大勢を占める。


 その結果、今は自由に動かせる金がそこまでないのだ。無論、レーム大陸でも十指に入るほどの資産を誇るウォーレンならば、捻出することは可能なのだが、そのためにはレーム大陸中からかき集める必要がある。

 そんな真似をすれば運転資金がなくなり、どれほどの規模で損失を出すのか、ウォーレン一派でも予測がつかなくなるだろう。


 さて、二千四百億マドカという莫大な慰謝料を吹っかけてきた『不死の傭兵団』には、従者の男は腸が煮えくり返るほどの思いなのだが、眼前のウォーレンはそれほど焦っていないことに気づく。


 これほどの事態であるにもかかわらず、主は冷静沈着そのものであった。さすがは自由国家ハーメルン『八銭』――――その中でも筆頭と言われるだけはある。最下位の、それも女のベンジャミンとは格が違うと、先ほどまでの怒りはどこへやら、男はウォーレンの後ろ姿を誇らしげに見つめる。


「それにしても生き残ったか」


 ウォーレンの予想では、メリットが限りなく百に近い数値で勝つと見ていた。つまりユウの敗北――――死である。それほどメリットの強さは常軌を逸しているのだ。


(それならそれでよい。早く私のもとまで来るがいい)


 自らを賢才と称するウォーレンに焦りはなかった――――まだ慌てるような時ではない。

 このときはそう思っていたのだ。



「資材の買い入れはどうなっている?」

「それよりもまずは廃材の撤去からだ」

「人足の雇入れを進めねば」


 謎の賊によって灰燼に帰した拠点のあった場所で、ウォーレン一派の者たちが慌ただしく動き回っていた。


「買えない? それはどういう意味だ?」

「そのままの意味です。どこも在庫がないと」

「私のほうでも同じ対応で、金は上乗せすると伝えても無理の一点張りです」


 早急さっきゅうに拠点を復旧させねばいけないにもかかわらず、建築資材の買い付けが思うように進んでいなかった。

 いや、建築資材だけではない。人足の雇入れも上手くいっていない。


「我々がウォーレン様の派閥であることは伝えてもか?」

「は、はい」


 この周辺でウォーレン派閥に敵対するような――――否、できる組織など存在しないはずだと、そう思っていたとき。


「おや、おやおや。これはウォーレン派閥の皆様ではないですか」

「ビ……ビクトルっ……。そうか、貴様の仕業か!」


 髭を撫でながら、ビクトルはわざとらしく驚いた顔をする。


「いったいなんのことやら……おおっ……そのような怖い顔をしないでいただきたいものですな」

「惚けおって! 大方、貴様がこの近隣一帯の建築資材を買い占め、人足も同様に我らと契約せぬよう手を回しておるのであろうっ!」

「それがなにか?」


 一瞬、商人たちは虚を衝かれたかのように呆然とするが、直ぐ様に鋭い目でビクトルを睨みつける。


「それがなにか、だとっ!」

「貴様、自分がなにを言ったのかを理解しているのであろうな」

「我々に対する数々の嫌がらせ、ウォーレン様と敵対したいのかっ!」

「これは責任問題――――そうとも、貴様一人の問題では済まさんぞ! ベンジャミン殿に頭を下げてもらわねばな!」


 商人たちから罵りを受けても、ビクトルはいつもと変わらぬ飄々とした顔である。


「おや? これは異なことを仰る。あなた方がこのビクトルめにした仕打ちを忘れたとは言わせませんぞ」


 喧しかった商人たちが途端に口を噤む。

 ウォーレンからの指示があったからとはいえ、自分たちがビクトルへ様々な嫌がらせをしていたことは事実であったからである。


「それに敵対したいのか、ですか。ぬははっ、これもおかしな話ですな。これまでベンジャミン様がウォーレン様と手を取り合おうとしてきたことは、あなた方もよく知っているはず。その手を払って敵対行動をとったあなた方が、よくもぬけぬけと申されるものですな」


 ビクトルはやれやれと肩を竦めながら、一人の商人の前まで歩いていく。


「先ほど、このビクトルの聞き間違いとは思いますが、ベンジャミン様のことを、ん? あなたはなんと仰りました? 今一度、この私の前で口にしていただきたい」

「ベン……ベンジャミン、様…………っ」


 その言葉にビクトルは満足そうに頷く。


「わははっ。やはり聞き間違えでしたな! まさか派閥が違うとはいえ、『八銭』の一角であるベンジャミン様を“殿”などと、もし聞き間違えでなければ――――」


 ベンジャミンを殿付けで口にした男のもとまで、額と額が触れるほどビクトルが近づくと。


「――――私の全身全霊をかけて、償わせないといけないところでした」


 飄々とした姿から一変して圧力をかけるビクトルに、ウォーレン一派の商人たちは顔にこそ出しはしないものの、恐れ慄く。


(今はいい気になっておるがいい)

(この拠点一つ押さえたところで、蚊に刺された程度の痛みよ)

(憐れな男だ。女のベンジャミンなどに良いように利用されよって)

「今までこの辺りはさして気にしたことはなかったのですが、こうしてこの地を見渡せば、いやはや拠点を築くのはなかなか良いように思えてきますな」


 “馬鹿め”と商人たちが心中で毒づく。

 この地をベンジャミンに奪われるのは率直に言えば痛いのだが、それでも他の地に拠点を築けばなんとでもなる。

 だが、対するベンジャミンはどうだ? この地だけを手に入れ拠点を築いて、どう運用するつもりなのか? ただの嫌がらせ目的ならば、あとで痛い目に遭うのは――――


「ご安心くだされ」


 心の中を読んだかのようなビクトルの言葉に、商人たちは息を呑む。


「まさかこの地を押さえただけで、このビクトルめが満足するとでも? ちゃんと要所のス・ウドーを始め、諸々まで手を回していますぞ」

「なっ……」

「わははっ。少しは驚いていただけたようで。そう、流通網は繋いでこそ機能する。あなた方を真似て、私も一つ流通網を築こうかと思いましてな」


 青い顔をする商人たちは舐めていたのだ。

 新参の『八銭』――――それも女が古参の『八銭』であるウォーレンに敵対することなどないだろう、と。

 多少の嫌がらせをしたところで、いつものように我慢するだろう、と。

 なぜなら自分たちは『八銭』筆頭のウォーレン・マルティブフォン配下なのだから、と。


「ビ、ビクトル殿、いくらあなたが優秀な商人だとしても、広大な地に流通網を築くなど、とてもとても」

「何事も作って終わりではない。維持・管理をしてこその流通網とご理解しているのかな?」

「そのとおりっ。我々と協力すれば――――」

「ご心配には及びませんぞ。

 さすがに私も独りでどうこうできるなどと、傲慢な考えは持ってはいません。ぬふっ、ぬははははっ! 今回はこのビクトルの持つ人脈・・を、フル活用して動いていますからなっ」


 商人たちは、普段からビクトルが単独で動くことから忘れていた。

 この男が一商人とはとても思えないほどの人脈を――――それこそ小国の王が束になっても敵わぬほどの人脈を誇ることに。

 ビクトルの言葉が嘘でないことを、のちにウォーレン派閥の商人たちは身を以て知ることとなる。



「もし、突然の訪問をお許しください」


 ある森林の開けた場所で、テントを張る『不死の傭兵団』のもとへ、商人たちが護衛とともに訪問する。


「誰だてめえ?」

「私はウォーレン様の配下の――――」

「ちっ、ウォーレンの商人かよ」


 後ろに控える商人たちの顔が強張る。

 このような横柄な態度を受けたことがないのだろう。


「ヴィント殿はおられるか?」

「あ? 約束は」

「事前に約束することをアポイントメントって言うらしいぜ」


 傍にいた別の獣人が口を挟む。


「どうでもいいわ。で、約束は?」

「いえ、ヴィント殿がどこにいるかも把握できていないので、約束は――――」

「なら帰れ」


 わざわざこんな辺鄙な森林まで足を運んだにもかかわらず、『不死の傭兵団』の団員たちはろくな会話もせずに商人たちを追い返す。


 そもそもウォーレン一派は『不死の傭兵団』の所在を、全くと言っていいほど把握できていないのだ。


 あの日、ユウとメリットの戦い以降、『不死の傭兵団』は姿を晦ませる。一箇所にまとまっていれば、まだ追跡のしようもあったのだが、彼らは複数に分かれて活動しているようで、各々が好き勝手に動いているように見受けられた。


 ウォーレン一派としては『不死の傭兵団』の団長であるメリットではなく、隊長――――それも相談役や金庫番とも呼ばれているヴィントと接触し、なんとしても現在行われている拠点への襲撃を止めさせたいのである。


「こちらは私の上役の――――」

「それって俺になんか関係があるのか?」


 耳をほじりながら、獣人の男が商人たちを睨みつける。


「まずはあなたに紹介をしようかと」

「興味ねえわ」


 今回、見つけた『不死の傭兵団』は町に宿泊していた。上役を連れて接触を試みるも、やはり快く思われていないのは態度から理解する。


「そんな睨むなよ、先に舐めた真似をしたのはお前らだろうが」

「ええ、良く理解しています。ですが、このような不毛な争いをいつまで続けるつもりなのですか」

「くくっ。だったら金を払えばいいだろうが」


 獣人の男が馬鹿にするように笑う。


「傭兵風情が調子に乗るなよっ」


 別の商人が我慢できずに罵倒する。


「落ちつかぬか」

「あなたは悔しくないのか! このような下賤の――――」


 上役の男が必死に宥めるも、怒りは収まらぬようで揉み合いになる。


「くくっ」

「なにがおかしい!」

「別に~」

「こちらは建設的な話し合いがしたい」

「だから、さっさと金を払えばいいだろうが」

「金は払うが、金額が金額だ。まずはあなたたちが行っている破壊活動を止めさせていただきたい」

「はあ? 破壊なんだって?」

「惚けるなっ!」

「惚けるもなにも、俺は昨日『不死の傭兵団』に入団したばかりの新入り・・・だぜ?」


 商人たちが唖然とする。

 事前に伺う旨を伝えていたにもかかわらず、よりによってなにも知らない新入りに対応を丸投げしたのだ。


「し、新入りっ……だと」

「どこまで、どこまで我らをっ」


 怒りのあまり歯を食いしばる商人たちであったが、心の中で「冷静になれ」と叫ぶ。これは“意趣返し”だ。自分たちが『不死の傭兵団』に対して、これまでしてきたことをやり返されているだけなのだと。


 ウォーレン一派が『不死の傭兵団』を見つける度に、このようなやり取りは繰り返された。



 いつもの一室で、ウォーレンは椅子に座りながら天井を見つめていた。人払いをしており、部屋には従者もメイドもいない。


(なぜ、なぜ来ない)


 ウォーレンはいつまで経っても、ユウ・・が来ないことに疑問を抱く。


(彼の少年のことは熟知している)


 ユウが単独を好むこと、舐められたまま許すような気性ではないこと、相手が貴族や王族であろうと――――それこそ自由国家ハーメルンの『八銭』であろうが、乗り込んで落とし前をつけるだろう。

 そのことを知っていたウォーレンは、ただ待てばいいはずであった。


(現れれば、私の勝ちだ)


 会話さえできればユウを取り込むことは容易であると、ウォーレンは考えていた。そのための“餌”もいくつも用意している。ユウが知りたいであろう情報を。


(早く私の前に姿を――――)


 そこでふと思考が途切れる。


(そもそも、なぜこのような事態になった)


 聞けばユウとメリットは双方ともに健在だという。

 なぜメリットを相手に生き残ることができたのか。


(いや、違う。そもそもがビクトル――――)


 『不死の傭兵団』以上に厄介なのがビクトルであった。ウォーレンにとって、武力を持つ相手よりも商人であるビクトルのほうが脅威である。

 すでにウォーレン派閥が独自に構築した自由国家ハーメルンとウードン王国を繋ぐ交易路の3割ほどを、ベンジャミンに押さえられている。この流通網を復旧させるのにどれほどの時間がかかるだろうか。数年、早くとも5年はかかるだろう。


 莫大な損失である。

 また多くの顧客からの信用も失うだろう。“信用”は金銭では取り戻すことのできないものである。


(なぜベンジャミンはビクトルを野放しに――――違う)


 ビクトルに対する嫌がらせを、なぜベンジャミンは黙認したのだろうかと、ウォーレンは思考を加速させる。

 ベンジャミンならば防ぐことなど容易であったにもかかわらず、動いた様子がなかったのだ。


(――――あえて、か?)


 知らず知らずのうちに、ウォーレンは拳を握り締めていた。


(あえてビクトルに情報を与えずに――――)


 無機質な人形のような老人の眉間に皺が寄る。


「己、ベンジャミンっ」



「此度の件、さすがはベンジャミン様です」


 椅子に座るベンジャミンの前で老人が――――ルフィノが跪く。

 目に入れても痛くないほど可愛がってきた弟子の見事な手腕に、興奮が隠しきれない様子である。


「まさかこのような結果をもたらすとは」


 かつての師に称賛されても、ベンジャミン・ゴチェスターの表情は微動だにしない。

 他の者が見れば、人としてなにか大事なモノが欠けている印象を受けるだろう。そしてそれは、ウォーレンも同様であった。


 一生かけても使い切れないほどの、誰もが羨むほどの富を築いても、ウォーレンとベンジャミンは生まれてから一度も心の底から笑ったことがないのだ。


「ウォーレンは常日頃から凡愚はなにも考えずに動く。凡人はあれこれしようと、身の程をわきまえずに動く。有能な者ならば取捨選択し、自分のできる範囲で動く。そして――――賢才は動かず利益を得ると申していました」


 エメラルドのようなベンジャミンの瞳が、ルフィノを見つめる。


「私が配下へ命じたのは、ビクトルへ入手した情報を知らせない。それだけです」


 顔をわずかに傾げてベンジャミンは、ルフィノへ問いかける。


「私はウォーレンの模倣を上手くできていたでしょうか?」


 ルフィノの全身が震える。

 何度も頷き。それはなんとも幸せそうな笑みを浮かべるのであった。

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