第353話 粉砕

「あの少女は何者ですの? いえ……それよりも――――」


 ヴィントは強張った顔で、横にいるルヴトーへ視線を送る。その目は「いつからいたのか」と問いかけていた。


「わ、わからねえ。気がついたら、あそこにいたんだ」


 ユウとメリットの激しい戦いは周囲を地獄と化すほどである。一流の使い手であるルヴトーやヴィントですら、近づくことすらできない領域なのだ。


「ま、まさかっ……最初から?」

「そんなはずねえ! うちの斥候に気づかれずに? そんなこたあ不可能だ! それに俺だって、ずっと見張ってたんだっ!!」


 自分に言い聞かせるようにルヴトーは声を荒らげる。見れば、得体のしれないモノにでも出会ったかのように、ルヴトーの全身の毛が逆立っていた。それはヴィントも同様で、額だけでなく全身を冷たい汗が伝っていく。


「お、お姉さま、あれってニーナさんですよね?」


 ヴァナモが恐る恐るマリファへ問いかける。

 『不死の傭兵団』が警戒していたように、マリファたちも横槍が入らないように警戒していたのだ。その警戒網を潜り抜けて現れたニーナに、皆が驚きを隠せなかった。


(どのようにして、あの場に……)


 中央広場の周囲へ無数の虫を放っていたマリファは、ニーナにやすやすと突破されたことに歯噛みする。


 なにより――――


(これは……私が怯えているっ!?)


 いつもと同じ声音に、いつもと変わらぬ笑顔、なのに同一人物かと疑うほど纏う空気が、異様な圧力がニーナから放たれている。


 それはマリファの身体が無意識に震えるほどのモノであった。あのユウを神と同一視し、崇めるマリファが――――ユウの危機に動けなかったのだ。


(ニーナさん、あなたはいったい…………っ)



「知らなかったんだよね?」


 手を後ろに組み、メリットの顔を下から覗き込むように、ニーナが問いかける。

 一方のメリットは肩で暴れるユウの重心を巧みに操り、肘打ちや膝蹴りの威力を半減させる。それでもオーガ程度なら撲殺できるほどの威力があるのだが。


「なんだぁ? てめぇ……」


 メリットは困惑していた。

 いくらユウとの戦いに夢中になっていたとはいえ、目の前に現れるまでニーナの存在に気がつかなかったのだ。


じじいとは違った意味で不気味な奴だな)


 眼前の少女は不気味な存在だが、今はユウを抱えている。珍しくメリットは力尽くではなく戦いを避ける選択を――――ニーナを無視して素通りしようとする。


「いま私は最高に気分がいいんだ。運が良かったな」

「――――見つけたんだ」

「あ?」

「私が先に見つけたんだ。知らなかったんだよね? だから赦して・・・あげる」


 “赦してあげる”明らかに上からの物言いに、メリットのこめかみに青筋が浮かぶ。


「まだ死にたく・・・・ないでしょ? わかったら、さっさとユウを返し――――」

「お前が死ねっ!!」


 メリットの左拳が放たれる。音を置き去りにした拳打――――誰もがニーナの頭部が生卵を握り潰したかのように砕け散る姿が脳裏に浮かぶのと同時に、小枝を束ねてへし折ったような音が鳴り響いた。


「っ」


 言葉を発さずに、わずかにメリットが息を呑む。

 左拳を――――メリットの拳を、ニーナは右手で受け止めていた。遅れて周囲の者たちが息を呑む。

 先ほどの音は、おそらくニーナの右手が砕けた音なのだろうと、それでも原形を保っていることに皆が驚きを禁じ得なかった。


「ひっ……うひっ、うひひっ」


 先ほどまでの怒りはどこへやら、メリットが堪えきれぬ笑い声を漏らす。


「なんて日だ。お前――――いでっ」


 鼻血を宙へ撒き散らしながら、メリットが膝をつく。

 ユウが肘打ちと膝蹴りを、顔面と後頭部へ挟み込むように放ったのだ。当然、ユウはメリットを殺すつもりで、全力で攻撃したのだが。


「おいっ! 妻に対して、なんてことするんだ!」


 鼻を押さえながら、メリットが涙目になりながら文句を言う。


「誰が誰のつ――――」

「ユウ~っ!」


 追撃しようとしたユウに、ニーナが抱きつく。


「大丈夫? 怪我はない? あ~心配、心配~」

「おい…………」

「ん? ユウ、どうしたの?」

「なんの真似だ」

「ユウが怪我してないか、確認してるだけだよ~」

「お前は怪我の確認に尻を揉むのかよ」


 ユウから冷たい視線を向けられたニーナは、誤魔化すように「えへへっ」と笑う。続いて、鷲掴みしていたユウの臀部でんぶから手を放す。


「ご、誤解だよ~いだぁっ!?」


 ニーナの臀部をユウは引っ叩く。よほど強く叩かれたのか、ニーナはその場で飛び上がる。


「ひ、酷いっ。ユウの心配しただけなのに~。あ~、お尻が割れたっ! 私のお尻が割れちゃったよ~!」

「もとから割れてるだろうが」


 殺意が――――ユウの殺意が霧散していく。


「馬鹿らしい」


 そう呟くと、ユウはマリファたちのもとへ歩き出す。


「待てっ」


 その呼び声に振り返ると、鼻血を垂らしたメリットが立っていた。


「メリット、34歳だ」


 不意を突かれたからか。それともあまりにもどうでもいい情報だったからか。


「ユウ・サトウ、14歳……いや、15歳になったか」


 思わず同調して、ユウも応えてしまった。

 遠くでマリファが「そんな……」と青い顔をしている。大方ユウの誕生日を祝えなかったことを恥じているのだろう。


「ニーナ、置いてくぞ」

「ま、待ってよ~」


 メリットは去っていくユウを追わずに、なにやら思案顔である。


「よろしいんですの?」


 戦いが終わったと判断したヴィントが、メリットのもとまで来ていた。


「ふ……ふふっ」

「なんですの? そんな笑い方はお行儀がいいとは思えませんわ。とっても厭らしいですわよ」

「聞いたか? あいつ、15歳らしいぞ」

「ええ……。15であの強さ、にわかには信じがたいですわね」


 前衛としての戦闘力のみならず、後衛としての魔法を使った戦闘力も桁外れで、その両方を混ぜ合わせた戦闘スタイルは脅威の一言だろう。ユウが去るまで、ヴィントが警戒してメリットのもとまで近づけなかったのも無理はない。


「ちげえよ」


 わかってねえなぁと言わんばかりに、メリットがため息をつく。


「私のほうが年上、つまり姉さん女房ってやつだ。くふふっ……まさか私が年下と結婚することになるなんてな」

「メリットさん、あなたはなにを仰ってるのかしら? どう見ても結婚はしてないでしょうに。そもそも、あの少年はメリットさんのことが好きとは思えませんでしたわ」

「照れてんだよ。まあ、ヴィーにはわからねえか」


 鼻をふふんと鳴らして見下ろしてくるメリットに、ヴィントは内心では鬱陶しいと思うのだが、もちろん顔には出さない。


(それにしても……あのサトウという少年は異常でしたわ)


 15歳でメリットと殺り合って生き残る。

 どのような環境で育ったのか興味深いところであるが、なによりヴィントが関心をそそられたのは魔法の――――知識・・である。

 魔法は才能だけでどうにかなる世界ではない。


 日々の弛まぬ努力、それも貴重で高額な魔導書や魔導具を惜しみなく購入できる財力、そこに研究を積み重ねて地道に薄皮を重ねるようにして成長していく世界なのだ。


(あの少年が、齢二百を超えるわたくしよりも魔法の知識があるなんてあり得ませんわ)


 ヴィントは故郷の森を飛び出して傭兵になるような変わり者のエルフである。それも飛び出した理由が、魔法を極めるためという一般的なエルフでは理解できないモノなのだ。


 そのヴィントだが、現在も魔法を極めるために研鑽を疎かにしたことはない。


(まるで――――そう、まるで老練な。それも何百年と研鑽を積んだ高位魔導師の知識をそのまま脳に――――私としたことが、あまりに荒唐無稽な考えでしたわね)

「――――聞こえてんのか? ヴィーっ!」

「は? はい、なにか仰って?」

ユウたちあいつらが、なんでリューベッフォに来たのか調べとけ」


 外部からメリットは脳筋と思われがちなのだが、それは大きな間違いである。


「偶然ではないと?」

「ああ、間違いねえ。調べればハーメルンの商人の件もわかるさ」

「では、報酬は倍で?」

「いいや――――」


 ハーメルンの商人に報酬を倍にして吹っ掛ける話をしていたヴィントは、メリットの言葉に露骨にがっかりした表情を浮かべるのだが。


「――――4倍にしろ」

「4倍っ!? まあ、まあ! まあまあっ!!」


 途端にヴィントの目の色が――――いや、目の形が金貨になる。


「やり方は任せる。お前の隊も好きに使え」

「任せてくださいまし」


 次にメリットはルヴトーを呼びつける。


「私が戻ってくるまでに、新入りを使い物になるよう鍛えとけ」

「え? 姐さん、どっか行くんですか?」

「野暮なことを聞くなよ」


 なぜか頬を赤らめるメリットをよそに、説明を求めるようルヴトーはヴィントへ視線を送るのだが、ヴィントは肩を竦めるだけであった。


「ヴィー、団の滞在費の請求も忘れるなよ」

「もちろんですわ」

「今後の団の維持に関してはヴィーとルヴトーで話し合って決めろ。金銭関係はヴィーに任せてるから、もし足りなければ私の金を使え」

「うっす」

「私が管理しているのに、そんな無様な真似は許しませんわ」


 ふとメリットが自分の左手を見ていることに、ヴィントが気づく。


「メリットさん、その左手」

「ん? ああ、砕けてる」

「へっ!? あ、姐さん、そりゃどういうっ!」

「ルヴトー、うるさいですわよ」

「ヴィー、なにを呑気にしてやがんだ! さっさと、姐さんの怪我を治さねえか!」


 言われなくてもわかっていると、ヴィントはメリットに回復魔法をかけるのだが。


「あら? 左手だけじゃなく、全身がボロボロですわね」

「まあな」


 なぜか誇らしげにメリットは肯定する。


「実戦で使うのは初めてだったからな」


 ユウをあっという間に担ぎ上げたメリットであったが――――担ぎ上げる前、つまり移動する際にある技を使ったのだ。


 龍人拳・奥伝『汰氣諳タキオン』――――歩法の技である。使いこなせれば光を――――光速を超えることも可能と、メリットに『盡龍拳』を教えた老人は言っていたのだが。


 この技、実は単体では欠陥技である。たとえ光速を超える速度で動くことができたとしても、使用者の思考が追いつかないのだ。

 仮に小石にでも接触しようものなら、メリットは甚大なダメージを受けることとなるだろう。


 それにこの技自体が、身体に莫大な負担がかかるのだ。それは少し使用しただけで、頑強なメリットの身体がボロボロになるほどである。


 『汰氣諳タキオン』はさらに上の――――皆伝の技と併せて使用することで真価を発揮するのだが、メリットはそこまで『盡龍拳』を極めていないのだ。


 10歳の頃に集落を飛び出し、14歳の頃に戦場に現れたメリット、『盡龍拳』の修行自体は約3年ほどしかしていない――――いや、やらなかったのだ。

 子供のメリットには、修行という地味な積み重ねは作業のように思えて苦痛でしかなかった。


「戦う相手がいなくて、うんざりしてたってのによ」


 ユウのことを思うてか。それとも――――メリットは嬉しそうに笑みを浮かべるのであった。



「帰るぞ」


 マリファたちのもとへ戻ったユウの第一声がこれである。

 この帰るとは宿泊しているホテルではなく、カマーの屋敷と誰もが認識していたので、誰もそのことについては聞かなかった。


「ご主人様、帰るのならティンはお土産を買いたくて、やんなっちゃう」

「テ、ティンっ!?」


 ヴァナモが慌ててティンの口を塞ぐ。

 『不死の傭兵団』を相手に無様な姿を晒しておいて、この図太さは大したものだと褒めるべきなのだろうか。


「賛成、賛成、さんせ~い! レナもいないし、帰るにしても合流してからだよね? ユウもそう思うでしょ?」


 ニーナがティンの案に乗っかる。

 先ほどから静かなマリファは『不死の傭兵団』を警戒しているようで、ティンたちの話は聞こえていないようだ。


「わかったよ。レナたちを回収して、買い物を済ませたら帰るぞ。俺は少しでも早く、この町から出ていきたいんだ」

「え~。それって、もしかして、ご主人様がメリットに勝てなかったからで――――痛いっ!?」


 余計なこと言ったティンの尻を、ネポラたちが思いっきりつねる。


 このあと、激しい戦闘でもしたかのようにぼろぼろになったレナと合流し、さらにナマリたちを回収する。


 そのままユウたちはリューベッフォで買い物を――――しようとしたのだが、ユウとメリットの戦いの余波でリューベッフォは大混乱となっており、ほとんどの店が営業をしていなかったのだ。


 この日、都市リューベッフォは過去に例がないほどの被害を――――それも甚大な災害を被る。

 その原因がユウとメリット――――わずか二人の争いによってもたらされたことは、その日のうちに衛兵の下から上へと逐次報告され、最終的に領主へと伝わる。


 そう、伝わったのだが――――どう対応したものかと、領主と官吏たちは頭を悩ませることとなるのであった。

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