第352話 返して

 古龍マグラナルス。

 ウードン王国の王都テンカッシ近郊にあるAランク迷宮『悪魔の牢獄』の第七十四層に鎮座する龍である。


 その正体は八大龍王の一柱にして最古参の老龍――――なのだが、己が役目も忘れ『悪魔の牢獄』を探索する冒険者、挑みに来る勇者や英雄を屠る存在と化していた。


 当時、レベリングを兼ねて探索していたユウたちも古龍と出会うことになる。

 その強さは想像を絶するモノであった。古龍が無造作に腕や尾を振るうだけで迷宮内の地形が変わるほどの破壊力を誇り、わずかでも触れようものならユウやラスが纏う結界が紙のように破られるのだ。


 まともに戦っては勝ち目はないと、早々にユウはナマリを制御して戦いを挑むも、5回もナマリは死ぬ羽目となる。


 敗走するユウたちを古龍は執拗に追い回し、結局はユウの時空魔法で迷宮の外へと逃げることで難を逃れる。


 生きて帰れただけで、それも五体満足でだ。普通ならば二度と『悪魔の牢獄』へ挑もうなどと思わないだろう。


 だが、ユウは違った。

 どうすれば古龍マグラナルスを殺せるか――――否、滅ぼせるかを思案し始める。

 ユウが導き出した答えはシンプルなモノであった。

 喰らえば必ず滅ぶ攻撃を、絶対に躱せない状態で当てる。


 言うは易く行うは難し。

 それができれば、誰もが世界最強を名乗るだろう。

 だが、ユウはそれを“成功”させたのだ。


 問題は――――


(問題は俺一人で戦いながら、それもメリットを相手に成功させなきゃいけないってところか)

「はあああっー!!」


 メリットが当たり前のように龍人拳・初伝『龍拳』を放つ――――同時にユウとメリット、両者を寸断するように厚さ1メートルの鉄の壁が出現する。

 黒魔法第5位階『アイアンウォール』――――ユウが発動させたのだ。しかし、メリットの右拳が鉄の壁をぶち破りユウに迫る。盾技LV5『重化グラビ・トン』で自重を増やし、盾技LV6『鉄壁』で防御力を上げて、ユウは左腕で受ける。


 だが――――


 木の幹がへし折れるような音とともに、黒竜鱗のガントレットが砕け散り、ユウの左腕がへし折れる。

 鉄の壁に阻まれユウの顔は見えないが、確かな手応えにメリットはさらに拳を捩じ込もうとして――――慌てて拳を引き戻す。その瞬間、メリットの右腕のあった場所をユウの剣が通り過ぎていく。


「油断も隙もないなっ!」


 あの一撃を喰らって直ぐ様に反撃へ転じるユウに、メリットは笑みを浮かべる。


 すでにメリットは魔言は唱えないし、相手に合わせることもない。もうメリットは“枷”から解き放たれているのだ。

 その結果、メリットは縦横無尽に己が肉体を、技を、十全に発揮している。


(最悪だ……)


 ユウは残る右腕の黒竜鱗のガントレットを外し、アイテムポーチへ仕舞う。これまでのメリットとの攻防で、すでに右腕のガントレットは原形を留めていないので、このままつけていてもバランスが悪くなるだけで邪魔なのだ。


 アイアンウォールが時間経過とともに消え去り、ユウとメリットの間を隔てる壁がなくなる。


「よっしゃ!」


 勢いよく突っ込もうとしたメリットの視界を、深い緑み色の弾丸が埋め尽くしていた。

 ユウのオリジナル黒魔法第7位階『鉄鼠てつねず』である。タングステンで創られた弾丸は高い硬度と重さから優れた貫通力を誇る。

 『腐界のエンリオ』第四十層の階層主『兇獸ボラモブラン』と戦った際に使用したこの魔法は、倒すまでには至らなかったものの、それでも大きなダメージを与えたのだ。

 そのときと同じように、ユウは風魔法で自分とメリットの間に風のトンネルを構築し、空気抵抗をほぼゼロにする。


「しゃらあああっ!!」


 龍人拳・中伝『龍鱗功』で肉体を強化したメリットが、タングステンの弾丸を捌いていく。

 優に音速を超える速度で、それも数千発もの弾丸をメリットは自分に当たるモノだけを選別して処理しているのだ。


「ふひっ。いいぞ、いいぞ! そうだ! もっと本気を出せっ!! 私だけが本気になったんじゃ、不公平だもんなっ!!」

(いよいよ手に負えなくなってきたな。こいつはここで必ず殺すっ)


 さすがのメリットも、タングステンを用いた弾丸の弾幕を突破することは容易ではないようで、ジリジリとすり足で距離を詰めていく。


(もう少しだ。もう少し距離を詰めれば――――)

「無理だぞ」


 メリットの心中を読んだかのように、ユウが呟いた。


「なにが無理だって――――ぐおっ?」


 突然、メリットの身体が後ろへ持ってかれる。

 不可視のなにかがメリットの身体に絡みついていたのだ。


(普通なら抵抗する以前に、身体がバラバラになってるんだけどな)


 メリットの身体に絡みついているのは、ユウが創り出した魔力の糸である。蜘蛛の糸は同じ太さの鋼鉄と比較して、その強度は数倍もあるという。だが、ユウの創り出した魔力の糸は、蜘蛛の糸など比にはならないほどの強度を誇る。


 メリットがタングステンの弾丸を見極めて捌いているとわかるなり、ユウはあえてメリットに当たらない弾丸を散らしたのだ。そして、その散らした弾丸と弾丸を魔力の糸で繋ぐ。


 あとは見ての通りである。メリットは得意げに弾丸を捌いていたが、ユウの思惑どおりに魔力の糸によって絡め取られたのだ。


「くっ、くくっ、お前は本当に私を楽しませるな」


 絶好の好機にもかかわらず、ユウは動けずにいた。無数の糸で拘束されたメリットは、今ならまともに動けないはずなのに、ユウの足が前に出ないのだ。


「来ないなら私から行ってやるっ」


 魔力の糸を引き千切りながら、メリットが強引に前に出る。



「見ろ! あいつ、逃げ回ってやがるっ!」

「わははっ!! 情けねえ奴だぜ!」


 メリットの攻撃から逃げ回るユウを指差して、ルヴトーの配下たちが笑う。


「あの少年を蔑むあなたたちに、メリットさんをあれほど楽しませることができて?」


 ヴィントの言葉に、ユウのことを笑っていた者たちは一斉に口を噤む。その情けない姿にルヴトーは順番に頭を殴りつけていき、ヴィントは鼻を鳴らして再びメリットを見る。


(本当に楽しそうですわ)


 メリットの望みを叶えたユウに、ヴィントは羨望と嫉妬が入り混じった視線を向ける。


(結局、私ではメリットさんを満足させることはできませんでしたわ)

「あのクソガキが強いのは認めるが、やっぱり最後に勝つのは姐さんだぜ」


 ルヴトーが横に来て、話しかける。


「ええ、それは私も否定は――――」

「どうした?」

「――――おかしいですわ」

「なにがだ?」

「精霊が……いない・・・? いえ、これは急速に離れて……こんなことあり得ませんわ」


 精霊はどこにでもいる。

 普段は目に見えないだけで、森や山に川、それこそ土、風、火、水――――町の中にだって、至るところに存在するのだ。


 エルフであるヴィントは他種族より精霊に関して敏感である。そのヴィントが精霊の存在を感じ取れないのだ。

 直ぐ様、精霊魔法でこの異常を調べようとするのだが、精霊がいないために精霊魔法が発動しなかった。


 周囲に少し精霊がいないくらいでは、精霊魔法が発動しないことなどない。

 つまり、この中央広場だけでなく、都市リューベッフォの精霊が――――下手をすれば近隣一帯までの精霊がこの場から急速に離れていることになる。


「おいっ、俺にもわかるように説明しろ」

「静かにっ」


 この現象が偶然などではなく必然――――なるべくして起こっていると、ヴィントは判断する。

 そして、再びメリットを――――正確にはユウを注視する。


「まさか……儀式魔法を…………メリットさんと戦いながら?」


 それは一流の後衛職であるヴィントだから気づくことができた。

 メリットから逃げ回るユウが、なにか・・・をしていることに。そのなにかをヴィントの眼を以てしても見抜けないのだ。


「ヴィー、いい加減に説明くらいしろや」

「あの子、なにか企んでいますわ」

「そのなにかを教えてほしいんだがな」

「恐らく……儀式魔法を…………」

「儀式魔法だ? バカ言ってんじゃねえぞっ。儀式魔法って言えば、複数の使い手に触媒やら魔法陣やらを事前に準備して、やっと使えるって代物だろうが。そんなこと魔法の専門じゃない俺だって知ってるぜ」


 馬鹿にするような視線を向けてくるルヴトーを無視して、ヴィントは黙ってユウの動向を注視し続ける。


(あなたに言われるまでもなくわたくしだって、そんなことは十分に承知していますわ! 

 本当にこれだから、おバカな殿方って嫌いですわっ)


 言い返したところで前衛職の、それも獣人のルヴトーでは崇高な魔法の知識を説明したところで、到底理解できるとは思えなかったのでヴィントは黙殺する。


(触媒を使っている様子はありませんわね。

 そもそも、あの二人の戦いは私クラスでも近づけば死ぬような規模、そこらの触媒など設置しようとも、たちまちに消し飛びましてよ)


 使い手はユウ一人、触媒は実質的に設置不可能、残るは――――


(魔法陣でほぼ確定ですわ)


 自分でたどり着いた答えに、ヴィントはそんなことは無理だと、自嘲気味に微笑む。


 魔法陣は複雑な文様や魔法文字で構成される。

 誰にも邪魔されない環境でも集中して作業をせねばならず、一文字でも間違えれば魔法陣は効果が変わってくる。

 ミスをして不発ならまだいい。場合によっては術者が死亡、最悪の結果なら周囲一帯にどれほどの影響を及ぼすか。想像するだけでゾッ、とする話である。


「魔素が濃くなっていますわ」

「あ? 魔素がどうしたって?」


 魔素は空気中に漂う。

 その魔素が濃くなっていると、ヴィントは言っているのだ。


「これでは……まるで迷宮の深部並でしてよ」


 地上よりも迷宮内のほうが魔素が濃いということは、冒険者ならずとも戦闘に携わる者であれば知っていて当たり前の常識である。

 迷宮を深く潜って行けば行くほど、魔素は濃密になっていく。


 問題は地上の、それもこの中央広場に、迷宮深部に匹敵する魔素が集まっている――――いや、現在進行系で魔素が流れ込んでいるのだ。


「もし、そうならどうなるんだ?」

「わかりませんわ。空気中に漂う魔素を、このように集めて利用するなんて…………」

「よくわからねえが、魔法なのは間違いねえんだな?」

「それは間違いありませんわ。

 あの少年がメリットさんを倒すには、魔法以外の手段はないのは前衛職のあなたのほうが、ご理解されているのではなくて?」


 ヴィントの言葉にルヴトーは唸るしかできなかった。

 あの圧倒的な身体能力を誇るメリットを、前衛職では倒す手段がないと理解しているがゆえに、なにも言えなかったのだ。


(あの勘の鋭いメリットさんが、このことに気づいていないはずがあり得ませんわ)



「すげえ肌がピリピリしやがる。お前がなにをしようとしているのか、全くわからねえが――――」


 両手を前に出した構えで、メリットは不敵な笑みを浮かべる。


「――――ワクワクさせるじゃないか」

「遺言はそれでいいのか?」


 普通ならば挑発と受け取るところだろう。

 だが、ユウの表情からは絶対の自信のほどを窺い知ることができた。


「いいや、言いたいことならある」


 まさか本当に遺言――――言いたいことがあるとは思わなかったのか。ユウの眼がわずかに見開かれる。


「私がお前のことが大好きなように、お前も私のことが大好きなはずだ。なのに、なんでお前はさっきから、そんな不機嫌そうな顔で戦っている。おかしいだろうがっ」


 「ふざけるな」と、マリファの心の叫びが、ティンたちには聞こえた。

 メリットのもとへ乗り込もうとするマリファを、ティンたちが慌てて取り押さえる。


「やっぱり――――馬鹿は死んでも治らないな」


 ユウが二本の大剣を地面へ突き刺す。その動きに、ヴィントはやはり儀式魔法かと反応する。

 続いて凄まじい速さで、ユウが手印を結んでいく。手の動きに合わせて地面から半透明の魔法陣がせり上がってくる。

 魔法陣の発動と同時に膨大な魔力を溢れ出し、感知した弱い者たちが膝をついて嘔吐する。


「やはり魔法陣でしたわ! そ、それも積層型魔法陣っ!」


 魔法陣は平面ではなく立体的に構築されていた。そのあまりの規模と複雑さに、ヴィントですら理解が及ばない。

 この魔法陣をメリットと戦いながら準備したユウに、ヴィントや後衛職の者たちは背筋が凍る。


 一瞬にして巨大な積層型魔法陣がユウとメリットを覆う。


「メリットさん、逃げてくださいな! そのままだと死にますわよっ!」


 普段、大きな声など出さないヴィントが、メリットに逃げるよう言葉をかける。


「私が死ぬか」


 ヴィントの言葉も虚しく、メリットは迎え撃つようでその場から動かない。


「最期に言っといてやるか。

 俺は、お前みたいに美人・・だからって、沢山の男を侍らかしてる奴が大嫌いなんだ」


 「はあ?」と、『不死の傭兵団』所属の男たちは思う。マリファたちを引き連れたユウを――――女を侍らすお前がそれを言うのかと。

 そして――――


「ぷっ」

「バ、バカ野郎っ!!」


 メリットのことを美人と評したユウの言葉に思わず吹き出した兎人の男を、横にいた獣人が叱りつけるのだが――――遅かった。


「ち、ちがっ、い――――ぶぺっ」


 首から上が吹き飛んだかのように、兎人の男の頭部が後へのけ反り倒れる。

 メリットが放った拳圧によるものである。自分を笑った男を許さなかったのだ。


 周囲の者たちが、とばっちりがくるかもと恐れるなか。メリットは呆然と立ち尽くしていた。


 だが、その瞳はユウを捉えて離さない。


(なんだこいつ……隙だらけだぞ。まあいい、あとは俺がこの魔法陣の外へ出れば――――)


 ユウは間違いなくメリットから視線を外していなかったし、微塵も油断などしていなかった。


 だが――――


「なん……だとっ!?」


 気づけばユウはメリットの肩に担がれていた。

 驚愕の出来事にいまだ理解が及ばないユウをよそに、メリットは胸いっぱいに空気を吸い込むと。


「婿、獲ったぞー!!」


 高らかに宣言した。

 どよめく周囲をよそに、メリットはご機嫌である。


「今日は婿まで手に入るなんて最高かよ!」


 今にもスキップしそうな足取りで、メリットはユウの太腿に頬ずりする。


 しかし――――


「返して」


 そこに待ったをかける者がいた。


「私のなんだ」


 ――――ニーナである。

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