第349話 知らん

 中央広場を封鎖していたポコリとアリアネの幻惑魔法による結界は、マリファの射った木龍の矢とメリットの放った『龍拳』の衝突によって、消し飛んでいた。


 結界が消えたのに気付いた野次馬の多くは我先にと逃げる。残っているのは怖いもの見たさや、命知らずの愚か者に『不死の傭兵団』の傭兵たちくらいのものだ。


 当然、これほどの騒ぎである。リューベッフォの治安維持を担当する衛兵隊も気づいている。

 だが、上から見て見ぬ振りを――――いや、かかわるなと厳命が下されていた。


(でかい女だな)


 メリットの姿を視界に捉えながらユウは心の中で呟き、龍晶ミツハのゴーグルをずらす。

 ウッズがユウのために拵えたこのゴーグルは、1級に相応しい性能なのだが、ゴーグル越しだとユウの『異界の魔眼』が阻害されてしまうためである。


 ステータスを確認し――――ユウの顔が強張る。


名前 :メリット

種族 :竜人

ジョブ:竜拳士・重拳士・轟拳士・龍拳士

LV :76

HP :19943

MP :1571

力  :3946

敏捷 :1762

体力 :3608

知力 :152

魔力 :230

運  :99


パッシブスキル

竜躯LV7

体術LV13

豪腕LV7

身体能力激化LV9

状態異常耐性LV10

魔法耐性LV7

高速再生LV10  

龍眼LV3

クリティカル確率激化LV6

クリティカル威力激化LV7

会心蓋然かいしんかいぜんLV8

耐性貫通LV11


アクティブスキル

武技LV12

闘技LV10

盡龍拳じんりゅうけん


固有スキル

大器晩成


装備

武器:なし

防具:綿の服

  :綿の靴

装飾:なし


 その馬鹿げた数値に、ユウの顔が強張るのも無理もない。

 だが、ユウに焦りはなかった。これまで戦ってきた高位の魔物の中には、それこそ桁が一つも二つも違う相手だっていたのだ。

 ただ――――人型でここまで常識外れの数値はお目にかかったことがないので、ユウは慎重になる。


(メリット――――第三死徒、それに『不死の傭兵団』か。道理でレベルの高い連中が集まってるわけだ。

 それにしても――――こいつ、本当に噂通り武具を身に着けてないんだな)


 メリットが身に着けているのは、付与どころか等級すらない綿の服であった。シャツは肩までしかなく、それゆえに三角筋が強調されている。ズボンは太もも部が大きく膨らみ、膝までしかない。おそらく膨らんでる部分は太腿四頭筋がパンパンに詰まっているのだろう。靴はいわゆるカンフーシューズのようなシンプルな作りである。


 見るからに肉弾戦を得意とする前衛職、スキル構成も無駄なモノがない。素のステータスがすでに化け物であるのだ。ここに種族特性、ジョブ補正、スキルの効果が乗るのだ。相手からすれば考えるだけで嫌になるだろう。


 特にユウがメリットのスキルの中で注目したのは、固有スキル『大器晩成』である。

 もし――――もしこれが、いまだ発動していないとすれば、恐ろしいことである。


「はっはー!! まだまだ元気じゃねえかっ!!」


 ご機嫌なメリットが拳を振るう。回避することもできず、メリットの拳が深々とマリファの肋骨にめり込み、同時に吐血する。

 いくらマリファが体内に宿す虫で随時、治療しているとはいえ、それにも限界があるのだ。


 それでも満身創痍のマリファは、いまだ勝負を諦めていなかった。マリファもここまで一方的にやられていたわけではなかった。効かぬとわかっていながら、徒手空拳による攻撃、樹霊魔法、虫などを駆使し、少しでも活路を見出そうとしていたのだ。


「くっ……」


 胃から上がってくる血を飲みながら、マリファはメリットの顔面に頭突きをかます。

 他に攻撃手段が残されていないため、苦肉の策が頭突きであった。すでにマリファの身体はボロボロで、まともな箇所を探すほうが難しいほどだ。

 そしてメリットはマリファの頭突きを躱さずに、そのまま顔で受け止める。通常なら相手の顔が陥没するほどの頭突きも、メリットは鼻からわずかに血を流すのみで、嬉しそうに笑っている。


「良い根性しているじゃないかっ」


 マリファは頭部をメリットに鷲掴みにされ持ち上げられるも、逃げることも抵抗することもない。もう余力がないのだ。


「気に入ったぞ。今なら――――あ?」


 メリットの視界に、こちらに向かってくるユウの姿が入る。また邪魔者かと、左手で空に拳打を放つ。瞬間――――拳圧によって生じた衝撃波がユウに向かっていく。

 だが――――両者の間で不可視の衝撃波が衝突・・し、消え去る。

 ユウの放った固有スキル『虚空拳』によって、衝撃波同士が打ち消しあったのだ。


「へえ……」


 ほんのわずかだが、メリットの興味がマリファからユウへ移る。またもメリットは拳を空に放つ。今度は一発ではなく、無数・・に。


「な、なにが起こってやがるっ」


 ルヴトーの配下が不安から思わず呟く。

 ユウとメリットとの間で凄まじい威力と量の衝撃波同士の衝突が発生し、それによって生じる異音が耳に届くのだ。


「お前、何者だ?」


 新しい玩具を与えられた子供のように、メリットの口角が上がっていく。


「惚けるなよ。仇討ちをしたいなら、こんな面倒な真似をせずに直接、俺のところに来いよ」

「仇討ちだ?」

「ゼペ――――ゼペ・マグノートの仇討ちがしたいんだろ」

「ゼペ……マ、マなんだって? 知らん」

「お前のところの団員だろうが」

「知らん」


 ルヴトー配下の兎人の男が、ユウたちの会話を耳で拾う。


「ゼペ? あっ。姐さーん!!」


 そして、その名に心当たりがあったのだろう。大声でメリットに呼びかける。


「んだ? お前の知り合いか?」

「ゼペっすよ! ほら、ちょっと才能あるからって調子に乗ってた!」

「知らん」

「姐さんに一撃でも入れることができたら、村に帰ってどうこう言って、逆に姐さんに一発殴られただけで逃げ出したゼペっすよ!」

「知らん」


 本当に記憶にないのだろう。

 メリットは頭を掻きながら首を傾げる。


「よくわからんが、お前がそのゼ――――っ」


 ユウから視線を外していたメリットが、再び視線を戻したとき――――視界が真っ暗で、同時に吹き飛んでいく。

 数十メートル以上も地面と平行に飛び、背が地面についてなお勢いが衰えない。メリットの身体が完全に止まったのは、ユウから百メートルほど離れた場所である。


「いつまで掴んでんだ」


 飛び後ろ回し蹴りをメリットの顔面に叩き込んだユウが、解放されたマリファを受け止める。


「ごっ……ご主人様」

「悪いけど、話を聞いてる暇はない。ティンたちは治しておいたから、離れてろ」


 人体を蹴ったとは思えない。まるで巨大な岩――――いや、金属のような感触に、ユウはメリットから視線を外さない。

 ユウが全力で放った蹴りである。しかもメリットは完全に油断しており、まともに喰らったのだ。

 だが――――


「見かけによらず、なかなか良い蹴りを放つじゃないか」


 ムクリと顔だけ起こしたメリットが笑みを浮かべる。


「メリットさん、その少年――――人族で黒髪、おそらくユウ・サトウでしてよ!」


 ヴィントが油断するなと、メリットに忠告する。


「そっか。そっか、そっか。お前がユウ・サトウか」


 ゆらりと立ち上がったメリットが拳を握る。


「私を――――楽しませろよ」


 信じられないことに、ユウの眼前にメリットが立っていた。どのような歩法を使用したのか。しかも、すでに拳を放つ構えである。

 百メートルもの距離を一瞬にして無とする武技LV3『縮地』であった。『縮地』が移動技といえ、あまりにも常識外れの移動距離である。


「かあああーっ!」


 マリファへ放ったときと同じように、音を置き去りにしたメリットの拳打が、ユウへ放たれた。

 一方のユウは流れるような動作で左手に盾を構える。

 拳と盾――――激突すれば、どちらが勝つかなど誰もが知っている。但し、相手がメリットでなければだ。団員たちの誰もがメリットの拳打によって盾が打ち砕かれ、ユウが吹き飛ばされると思っていた。

 だが――――


「うっ……嘘だろっ!?」


 団員の一人が、目の前の光景に思わず呟いた。

 耳をつんざくような激突音、間違いなく盾でメリットの拳を受けたのにユウはその場に立っていたのだ。盾も無事ならユウも無事。あり得ない出来事であった。

 しかし、驚くのはこのあとであった。


「やるじゃな――――」


 拳打を受けきったユウを称賛しようとしたメリットの頭上より、黒き刃――――黒竜・燭が降ってくる。

 巨体に見合わぬ柔の動きで、メリットが攻撃・・を躱す。


「姐さんが、相手の攻撃を躱したっ!?」

「たまたまに決まってんだろうが!」


 周りのざわつきなど聞こえていないかのように、メリットの笑みがより一層深まっていく。


「かあっ!」


 掛け声とともに、メリットが右上段回し蹴りを放つ。対するユウも同じく右上段回し蹴りを。

 互いの蹴り足が激突し交差すると、団員たちが口々に「はい、逝った!」「粉々だな」「バカなガキだ。普通、姐さん相手に体術を挑むか?」と罵る。

 しかし、両者の足が弾かれる。


「お前っ!」


 歓喜の表情で、メリットが拳を次々に放つ。それをユウは盾で受け流しながら大剣を振るう。


「ふ、普通に……姐さんと戦ってねえか?」

「そんなわけねえ!」

「そうだ! 遊んでるに決まってるだろ! じゃなきゃ……あのガキがっ」


 団員たちは、今までメリットが戦っている姿を見ても、どれもが一方的なもので、目の前で繰り広げられているような、まともな戦いなど見たことがなかった。


「間違いねえ」


 団員の一人が呟く。


「なにがだよ?」

「あいつ、姐さんと同じ『流脈・・』を使いこなしてやがるっ」


 前衛職の基本にして奥義とも呼ばれるのが『闘技』である。肉体を強化する攻防一体の技なのだが、簡単に見えて実に奥が深い技とも言われている。


 未熟な者だと『闘技』が垂れ流しの状態で小さな効果しか得られず、安定して纏うことができるようになって、やっと一人前と認められるのだ。


 一部の高位の者になると『流動』と呼ばれる全身を流れるように『闘技』を纏うことにより、少ない消費で効果的に『闘技』を運用する。


 そして――――メリットのような超一流になると身体の表面だけでなく、体内を循環する血液のように『闘技』を纏う。これを『流脈』と呼ぶ。


「じゃなにか? あんのクソガキが、姐さんと同じ技量だって、お前はそう言いたいのか?」

「そうとしか考えられねえ。じゃないと、姐さんと蹴り合って無事なことの説明がつかねえだろうが」

「このっ! ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ!」

「おやめなさい!」


 掴みかかろうとした団員を、ヴィントが一喝する。


(にわかに信じ難いですが、あのメリットさんの喜びよう)


 ヴィントは嬉しそうに戦うメリットの姿に驚きを隠せない。


(拙いですわね。

 あの少年がそれほどの相手とは、思ってもいませんでしたわ。このままメリットさんが溜まりに溜まったストレスを解放して、もし本気・・になれば)


 自分で想像しておいて、ヴィントは背筋が寒くなる。

 杞憂であってほしいと願うヴィントを裏切るように、ユウとメリットの戦いは激しさを増していく。


「死ぬんじゃねえぞ」


 敵であるユウを気遣う言葉をかけて、メリットは距離をとる。そのメリットの構えが縦拳であることに気づき、マリファの顔が青くなる。


「お姉さまっ」


 意識の戻ったティンが、マリファへ心配そうに話しかける。


「ご主人様は負けません」


 自分に言い聞かせるようにマリファは呟く。


「龍・人・拳、初伝――――『龍拳』!!」


 すでにこれまでの戦いで中央広場は無惨な姿と化していたのだが、そこにメリットの『龍拳』により、爆発的なエネルギーが大地をひっくり返したかのように抉りながら、ユウへ襲いかかる。

 対するユウは逃げずに『闘技』で肉体を強化、さらに盾技LV5『重化グラビ・トン』LV6『鉄壁』LV7『オーラシールド』を展開、闘気で創られた巨大な盾がユウを全面に展開される。


「ご主人さ――――!!」


 マリファたちの叫び声が、衝突の爆音に掻き消される。


「ど……どう、なった? 今のは、姐さんの……『龍拳』だろ?」

「隊長っ」


 意識を取り戻したルヴトーが、配下に状況を確認する。


「あの……クソガキは死んだか? いや、死んだだろっ」

「い、いえ」


 土煙に見える人影に、団員たちは驚愕の表情を浮かべる。


「そんなはずねえっ! 腕の一つは吹き飛んでるだろ!」


 メリットは20メートルを超える巨人族を『龍拳』の一撃で絶命させたこともあるのだ。

 その一撃を受けて無事なはずがない、と。何度も配下に確認するも。


「し、信じらんねえですが……ピンピンしてますよ」


 風魔法で土煙を散らしたユウは、何事もなかったかのように佇んでおり、メリットを睨みつける。


「徒手空拳で最強って聞いてたんだけど、警戒して損したな。

 お前、想像より大したことないぞ」


 ユウの挑発に、団員たちが真っ青な顔になる。

 ヴィントを見れば、すでに自分の前にだけ『結界』を展開していた。


「かっかか……うひっ、うひひっ。お前、お前っ、最高じゃないかっ!!」


 メリットが怒り狂うかと、顔を青褪あおざめる団員たちとは対象的に、メリットは嬉しくて、嬉しくて仕方がないといった様子で、顔がグニャグニャと変わる。


「もうっ、もう我慢できねえっ! お前が悪いんだからな! ずっと、ず~っと我慢してきたんだっ!!」


 両拳を腰で構えるメリット、戦いの最中だというのに笑みを絶やさず、眼は爛々としている。


「龍人拳、中伝――――『龍破・身角灯りゅうは・みかくとう』!!」


 この世から姿を消したのかと思えるほどの速度――――音速で、メリットが突進してくる。

 両腕を龍の角に見立てて放つ『龍破・身角灯りゅうは・みかくとう』は二つのパターンがある。縦型と横型で、今回メリットが使用したのは横型――――形は空手の諸手突きのようである。

 対するユウは先ほどと同じ技で防御する。


「があ゛あ゛あ゛あああああーっ!!」


 龍の咆哮とともに、両拳と『オーラシールド』が激突――――ユウの視界が真っ白になる。

 メリットの拳が光っていたのだ。『オーラシールド』に微細な罅が入り、メリットの拳が貫通する。そのままユウの構える黒竜鱗の盾までもが砕かれる。


(こいつっ)


 光と衝撃波に吹き飛ばされながら、ユウはメリットのステータスを思い出す。


“盡龍拳”


(どこが龍人拳だっ)

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