第348話 脆弱

 わずか一撃、それだけで周囲の野次馬が息を呑む。

 メリットの拳打によって発生した衝撃波で吹き飛ばされたのはネポラだけであるが、野次馬の全身にもハッキリとわかるほどの衝撃があったのだ。

 そして――――野次馬とは違う意味で驚いている者たちがいた。


「あの女……姐さんの拳を耐えやがった」

「この目で見てても信じられねえな……」

「いったい何者なんだ」


 不死の傭兵団の者たちが、口々に驚嘆の言葉を口にする。

 古参ならば、大抵の者がメリットに最低一回は殴られている。調子に乗っていた者、驕っていた者、舐めていた者――――『不死の傭兵団』に入団するような者は誰もが似たようなモノで、自分こそ最強と自負していた。そう、いた・・のだ。

 村で一番、なんなら町に出ても無双していた者たちばかりである。対人だけでなく、相手が魔物であっても同様で、周囲もおだてて褒め称えるのだ。


 まあ、そんな自信もメリットによって粉微塵に砕かれる。事実、この場にいる者たちもメリットに挑んで無惨な敗北を受け入れた者たちだ。一番隊隊長のルヴトーは鳩尾みぞおちに拳を喰らい嘔吐し、六番隊隊長のヴィントに至っては、胃が破裂して地獄の苦しみを味わった。

 その一撃を喰らって平然と立っているマリファを見て、信じられないと疑うのも無理はないだろう。

 だが、マリファも無理をしていた。


“脆弱”


 Aランク迷宮『蠱蟲王国』の第八十三層でマリファが出会った老人は、使役系のジョブに就く者の弱点は脆弱であると言っていた。

 前衛のようにジョブ補正や『闘技』で肉体を強化できるわけでもなく、後衛のように『結界』や魔法で身を護れる手段がない。


 弱点を補うために前衛または後衛のジョブを選択すれば器用貧乏になる。それは己の強みを捨てることになると――――前衛でもない。後衛でもない。使役系ならばの強靭、もしくは防御手段を身につけるべきだと。


 身体を修復・・させながら、そのときの会話をマリファは思い出していた。


(ただの拳打で、ここまでのダメージを……)


 メリットの拳打によって、マリファの胸骨は粉々に砕けていた。

 平静を装っているが、マリファの体内では無数の虫が大忙しで宿主の傷を修復している真っ最中である。

 当然、メリットも手応えから、マリファが少なくない損傷を受けていることに気づいていた。

 だが、それでも笑みを浮かべた。侮ったわけではない。マリファの心の強さに喜びを見出したのだ。


「もう少し待ったほうがいいか?」

「私が――――いつ待ってくれと頼みました?」


 マリファの返答にメリットの笑みがより深いモノへとなる。


「ははっ」


 メリットの上半身が消えた瞬間、音を置き去りにした拳がマリファの顔を貫いた――――かのように見えた。実際は『マリスの魔眼』によって見えた殺意の軌跡と、体内で飼っている虫による反射速度の強化により、メリットの放った拳を間一髪で躱す。


(プリリ以上の身体能力に常人でも視認できるほど強大な『闘技』、螺爆らばーも私が操る虫も効果はないでしょう)


 今この場にコロとランがいればとマリファは思う。自身の攻撃力のなさを従魔であるコロとランで補っているからだ。


「よく躱したっ! 次は――――」


 今度はメリットの下半身が消える。『マリスの魔眼』によってマリファは左脇腹を両腕でガードしたのと同時に、メリットの蹴りがマリファの両腕と激突する。


(疾すぎて、黒霧羽蟻の防御が間に合わないっ)


 凄まじい激突音と同時に乾いた音が辺りに響き渡る。

 ガードが間に合ったにもかかわらず、マリファの両腕がへし折れたのだ。ルヴトーたちは「折れたっ!」「ざまあみろっ」「ひゃっほう!!」と盛り上がる。


「攻撃が来ないようですが、どうかしましたか?」


 だらんと垂れ下がった両腕状態のマリファが、メリットに尋ねる。体内では虫たちが大慌てで骨を繋いでいるのだが、宿主のために働く虫の苦労などマリファは知ったことではないのだろう。時間を稼ぐどころか煽っているとも受け取れる発言である。


「うひひっ」


 一方のメリットは堪えきれないように声を漏らす。

 ゆらりと右脚を持ち上げると、速射砲のような前蹴りが飛んでくる。


「おっ」


 声を漏らしたのはルヴトーである。

 メリットの前蹴りにマリファは左足で乗り上げ、残る右脚でメリットの顎を蹴り上げたのだ。

 一瞬の攻防ゆえに、なにが起こったのかを完全に理解しているのはルヴトーを除けば、わずかであろう。


 野次馬からすれば、突如マリファが宙で後方に縦回転しているようにか見えない。


(ダメージを与えるどころか)


 メリットの顎を打ち抜いたはずの、マリファの右足の指が折れていた。

 痛みを感じさせぬ着地を決めるマリファであったが、その目の前にはメリットが立っていた。


「お前、良いぞ!」


 すでにメリットは崩拳を放つ構えである。

 躱せない――――マリファは前に出ようとするが。


「あ?」


 メリットの脇腹に布の槍が突き刺さる。


「隙だらけです」


 ネポラが『布術』によって腰帯を尖槍と化して、刺突を放ったのだ。


「躱す気も起きない攻撃をするんじゃねえよ」


 鉄の硬度を有する尖槍も、メリットの皮膚すら貫くことはできなかった。


「効かないのはわかっていました」


 尖槍がもとの柔らかな腰帯へと解けていくと、ネポラは両手で二枚の腰帯を操り、メリットの身体へ巻きつけていく。


「今です!!」


 合図とともに、ポコリとアリアネが精霊魔法第3位階『火鳥延焼かとりせんこう』を発動、無数の火の鳥がメリットへ次々と追突して巨大な炎の渦を形成する。


「で?」


 鉄の硬度を持つ拘束具と化していた布を、いとも容易く引き千切りメリットが爆炎の中から姿を現す。


「しっ!!」

「はああっ!!」


 メラニーとグラフィーラが左右から、メリットの脇腹へ貫手を放つ――――だが。


「つまんねえって」


 貫手を放ったメラニーたちの指が折れ曲がっていた。

 メリットが軽く両拳を振るうと、メラニーたちが地面と平行に吹き飛んでいく。


「調子に乗ってて、やんなっちゃう!」


 メラニーたちへ拳を放ち、無防備となっているメリットの懐へティンが潜り込んでいた。

 同時に武技LV3『双拳大振伝そうけんだいしんでん』を放つ。


「遅え」


 武技を発動したティンの両拳をメリットが握り締めていた。

 顔にびっしりと玉のような汗を浮かばせたティンであったが「敵から触れてくれるのならば好都合」とばかりに『双拳大振伝そうけんだいしんでん』を発動――――ティンの両腕から破壊の振動がメリットの腕へ伝導――――する前に。


「手本を見せてやる」


 刹那の攻防の最中であったが、ティンの耳は確かに聞いた――――そして見た。

 メリットの両腕が残像すら残さない疾さでれ、ティンが起こした破壊の振動を飲み込み、押し返すのを。


「ぶはっ……」


 目、鼻、口、あらゆる穴から血を垂れ流しながらも、ティンはメリットの腰にしがみつく。


「しつけえって」


 容赦なくメリットはティンの脳天へ肘を落とす。


「私の邪魔――――あん?」


 鋼蜘蛛の糸を加工し、ミスリルの粉末をまぶした糸がメリットの首に巻きついていた。


(ティンっ! この女、許さない!)


 糸を操っているのはヴァナモである。

 常人ならば、この糸だけで両断することすら可能なのだが、メリットには首に糸が喰い込むことすらしない。


(わずかな傷でいい。傷さえつけばっ)


 新たにヴァナモが放った糸の先端には針が、そして針には堕苦族が得意とする毒が塗られている。


「もっと工夫しろっての」


 メリットの指と指の間に、ヴァナモが放った針の全てが受け止められていた。

 針の一本をデコピンでもするかのようにメリットが弾く。針は弾丸のような速度で、防ごうとしたヴァナモの手のひらを貫き、額に突き刺さる。


「己っ!」


 全ての連携を弾き返され、動揺したネポラが叫ぶ。


「叫ぶ暇があるなら攻撃の一つでもしてこいよ」


 警戒するでもなく無造作に距離を詰めたメリットが、爪先蹴りを放つ。鉄と化した腰帯に穴を開け、そのままネポラの鳩尾を貫く。


「ごぼぉっ……!」


 血反吐をはきながら足を抱え込もうとするネポラを、メリットは足を軽く振って弾き飛ばす。


「せっかく、おもしれえところだったのに邪魔すんなよな。お前もそう思――――おっ」


 振り返ったメリットの眼前に、巨大な破壊の塊が迫っていた。

 マリファの仕業である。10本しかない貴重な木龍の牙で作られた鏃を――――矢をここで使用したのだ。

 当のマリファ自身もこのような規模の破壊をもたらすとは思っていなかったようで、メリットの反対側で驚いた表情をしていた。


「姐さんっ!」

「もう! 油断するから!」


 巨大な螺旋の渦がメリットを飲み込もうとしたそのとき――――


「かあああああああっ!!」


 縦拳の構えからメリットの龍人拳――――『龍拳』が炸裂する。

 破壊と破壊――――力の塊が衝突し、中央広場を中心に衝撃波が拡がっていく。

 拮抗した力の衝突によって、やがて威力が萎んでいき、徐々に消えていく。


「あははっ!! やるじゃねえか!! この私に龍人拳を使わ――――なに!?」


 今度はメリットも驚きを隠せなかった。

 二射・・目が放たれていたのだ――――それも時間差で。

 いかに達人であろうと、技を放った際は隙ができる。それもこのような規模と破壊力のある技だ。

 直撃せずとも余波だけで消し炭になってもおかしくないと、幻惑魔法で隠れて隙を窺っていたポコリとアリアネは思う。



「殺った……お姉さま、殺りましたわ!」

「すぐに回復をっ」


 ポコラとアリアネがマリファへ駆け寄る。

 繋がったばかりの腕で矢を放ったために、マリファの腕は再び折れていた。


「私よりもティンたちを見てあげなさい」

「「は――――」」


 ポコラとアリアネは言葉を言い切ることはできずに、前のめりに倒れる。

 二人の後頭部を見れば、つぶてが喰い込んでいるのが確認できただろう。


「やるじゃないか」


 離れた場所にメリットが立っていた。

 さして傷を負ったようにも見えず、変わらず笑みを浮かべたままだ。


「お前のことが好きになってきたぞ。こんな楽しい気持ち――――と、その前に」


 手の中に握り締めていた石畳の欠片を親指で弾く。倒れて身動きすらしないティンたちへ、礫を放ったのだ。

 だが――――マリファの樹霊魔法第4位階『慢愚爐腐マングローブ』が発動。地面より木々が、小さな森がティンたちを覆い隠し、護る。


「あん? まあ、あんな小物どうでもいいか」


 メリットはティンたちに特に興味はないようで、それ以上の追撃はしないようだ。

 いまメリットがもっとも関心があるのはマリファである。


「まだ奥の手はあるのか?」


 話しかけながら、メリットが蹴りを放つ。

 両腕が折れているマリファは満足に防げず――――というよりも『マリスの魔眼』を以てしても、メリットの動きについていけないのだ。興奮するメリットに合わせるかのように、攻撃の速度も威力も上がっていた。


「あ~あ、可哀想に」

「ありゃもう姐さんの玩具だな」

「下手に楽しませるから」

「でもよ。あの状態でも泣き入れないって、どうなってんだ」

「バカなんだろ? 見てみろよ、あの無様な姿を。地べたに這いつくばって、あそこからなにができるってんだ」


 『不死の傭兵団』に所属すれば、よく見慣れた光景である。

 自分たちに歯向かってきた者たちが、無惨に崩れ落ちていく姿にルヴトーたちが愉悦を感じていると。


「退けよ」


 突如、背後から声をかけられる。

 真っ先に反応したのは十番隊隊長のヴァーランドである。知らず知らず後退して、道を譲っていた。

 巨人族の自分が、遥か矮小な存在である人族の――――それもよく見れば少年である。あれ・・とは似ても似つかないはずなのに、その姿が重なって見えたのだ。


「はあ? おい、クソガキ。今なんか言ったか? もう一度でけえ声で言――――ぶっ」


 一番隊隊長ルヴトーの鼻先から鮮血が宙に糸を引く。

 ルヴトーの周りにいる団員が驚愕の表情で目を見開いた。あの獣人拳の達人であるルヴトーの鼻に拳を当てたのだ。油断してたとはいえ、目にも留まらぬ早業である。後衛のヴィントには、目の前でなにが起こったのかも理解できていない。


「おんなじことを何度も言わせんな。そのでけえ耳は飾りか?」

「こ、このガキっ!!」


 ルヴトーがユウの顔目掛けて貫手を放つ。

 獣人拳の達人であるルヴトーの貫手は、甲冑ごと人体を貫く。

 空気を斬り裂きながら迫る貫手を、ユウは右掌で下から上へと払う、狙いは肘である。

 ボキッ、という乾いた音と共にルヴトーの右腕が逆方向へ曲がる。一方ユウは払い退ける動作がそのまま次の攻撃へと繋がり、右肘がルヴトーの鳩尾へ打ち込まれた。


「げぶうううぅぅぅっ……おえ゛え゛え゛えぇぇ!?」


 嘔吐しながら身体をくの字に曲げるルヴトーの顎へ、下から打ち抜くように蹴りが叩き込まれる。

 不死の傭兵団が見守る中、ルヴトーの約90キロの身体が軽やかに宙へ舞った。


「退けよ」


 ルヴトーの配下――――一番隊の者たちが、ユウへ道を譲る。歴戦の傭兵が恐怖したのだ。


「女でも殺すぞ」


 密かに風魔法を放とうとしたヴィントは、ユウに魂胆を見抜かれ硬直する。

 どんな相手だろうが怯まず殺してきた女傑が、ユウの一言に身体が動かなくなったのだ。

 それ以上はどうすることもできず、ヴィントたちはユウの背を見送ることしかできなかった。


 そして、ついにユウとメリットが――――『八銭』ウォーレンの思惑どおり対峙することとなる。

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