第345話 舐めるなよ
先頭を歩くビクトルをユウは見つめる。
普段の馴れ馴れしい態度や胡散臭い笑顔はどこへやら、今は一流商人のような隙のない所作でユウたちを案内しているのだ。
しばらく廊下を歩いていると、談笑する声が廊下にまで聞こえてくる。その声の発生源が目的の部屋なのだろう、扉をビクトル自ら開く。
「サトウ様、こちらへどうぞ」
部屋へ入ると、5人の男がソファーや椅子に座ったままユウたちを出迎える。その態度にビクトルの目が細まっていくのだが、男たちは誰もそのことに気づかない。
「おや、待ちかねましたよ」
「やっと商談に入れますな」
「そちらが噂のサトウ
軽口を叩く三人に、残りの二人はユウを値踏みするような、不躾な視線を向けていた。
「で、どいつがウォーレンなんだ」
自由国家ハーメルン『八銭』が一人、ウォーレン・マルティブフォンの名を呼び捨てにしたユウを見て、男たちが絶句する。五大国に名を連ねる国家の最高指導者を呼び捨てにするということが、自分たちの常識では考えられないことであったのだ。
「ウォーレン様なら、遅れて――――」
「来ませんよ」
「――――は?」
ビクトルの言葉を遮って、男たちの一人が口にする。
「それはどういうことですかな」
珍しくビクトルが感情的な声で問い質す。
「どうもこうもマルティブフォン様が、この程度の商談で姿を見せるとでも?」
「約束を違えると?」
この日のためにビクトルはハーメルンからリューベッフォまでの旅路にある宿泊施設の手配から、もてなすための人員配置と駆け回っていたのだ。にもかかわらず、ウォーレンは急に進路を変更したりと、ビクトルは振り回され続けてきた。
そもそも、商談の場所をリューベッフォに指定したのはウォーレンであるにもかかわらず、思いつきで道中の経路や行動を変えられてはビクトルからすれば堪ったものではないだろう。
このように振り回され続けた結果、わずかな期間でビクトルが憔悴するのも無理はないだろう。それもこれも、ベンジャミンとウォーレンとの仲を取り持つためである。
ベンジャミン派とウォーレン派が協力関係になれば、自由国家ハーメルン内での政争において、主導権を握ることができるのだ。
「ビクトル殿が感情的になる理由がわかりませんな。こうしてマルティブフォン様の代わりに、私たちが来ているではありませんか。なんの不満があるというのです」
「全く以て、そのとおり」
「それより席につかれては?」
「我らも忙しい身なので、時間は有効に使いたいのですよ」
この期に及んでも男たちは座ったままで、立って挨拶をするどころか握手すら求めてこない。
ナマリは顔にこそ出さないものの、今にも爆発しそうな雰囲気を漂わせていた。頭の上で寝そべっているモモも、おもしろくなさそうに商人たちを見つめている。
「ごちゃごちゃうるせえ奴らだな」
向かい側のソファーにユウが座ると、ナマリも続く。残るビクトルは席につかずに、ユウの後ろに移動する。どうやらそのまま立ったままでいるようだ。
「いくらで買うんだ?」
ユウの言葉に、男たちは不思議そうに互いを見つめ合う。
「古龍の逆鱗が欲しいんじゃないのか」
「おや? 我々はサトウ殿が、マルティブフォン様に古龍の逆鱗をどうしても買っていただきたいと、お聞きしていますが」
ユウの背後に控えるビクトルはなにも口にしない。すでにこの者たちの狙いの一つが、自分とユウの間に不和をもたらすことであるのは明白であったからである。
ここでビクトルがなにを言っても、この商人たちはのらりくらり言い逃れするだろう。
「なにか伝達に不備があったようですな」
「これは困りました」
「ビクトル殿、サトウ殿に弁明をしたほうがいいのでは?」
商人たちは嘲笑するような笑みを浮かべて、好き勝手に喋りだす。
「ははっ」
乾いた笑い声とともに、ユウは首を仰け反らせて背後のビクトルを見上げる。
「ほんっと
脳内でどれだけの言葉を紡いでいるのかはわからないが、ビクトルはなにも言葉にすることなく――――ただただ、申し訳なさそうに俯いた。
5人の男――――商人たちはユウたちのやり取りに厭らしい笑みを浮かべる。
「百兆――――」
「は?」
その呟きが聞こえていたにもかかわらず、商人たちは信じられないとばかりに声が漏れ出た。
「い、今……なんと?」
「我々の、聞き間違いでなければ……ま、まさかとは思いますが……」
「ひゃ……百……兆……いやいや、私の聞き間違いでしょうか?」
「で、でしょうな! いくらなんでも、百……兆などと?」
「サトウ殿の冗談でしょう! 商談の場でそのような、ははっ……私たちが反応に困るような冗談を申すなどとっ」
今までの余裕はどこへやら、冷や汗をかきながら商人たちがユウへ尋ねる。
「聞こえてるじゃないか。百兆マドカって言ったんだ。お前ら、クソ共には笑わせてもらったからな、切りのいい数字にしてやったぞ」
時が止まったかのように商人たちが固まる――――のだが、その後に。
「ふ、ふざけるな!」
「そんな値段提示があるものかっ!!」
「我々を、いやハーメルンを馬鹿にするのも大概にしろ!」
「これだから私は成り上がり者は嫌だと言ったんだっ」
「このような侮辱は許されませんぞ! ビクトル殿にも――――いいや、ベンジャミン・ゴチェスター様にも謝罪をしていただかねば!!」
「そうだ! ゴチェスター家の責任問題だ!!」
「このことはマルティブフォン様にも伝えさせていただきます」
「我々がマルティブフォン様の代理とわかってか!」
怒声と罵声がユウに浴びせられるが、当のユウにはなんの効果もない。それどころか――――
「おい」
一言、ユウが口にしただけで、商人たちは首を締めつけられたかのように黙り込んでしまう。
それも無理はない。彼らは戦いを生業にしている者ではないのだ。商談での舌戦ならともかく、ユウのような戦いで数多の命を奪ってきた者から、尋常でない圧力をかけられれば耐えられないのだ。
「買わないんだな?」
淡々とした口調であったが、彼らがユウから受ける印象と圧力はいかほどのものであろうか。今や顔だけでなく全身から流れ落ちる汗が、雄弁に物語っていた。
「い、いくらなんでも……こちらが出せる金額にも限度がっ」
「そもそも、どれほど古龍の逆鱗が貴重だとはいえ、ひゃっ、百兆マドカなど、大国の国家予算を優に超える金額など出せるわけがない」
「サ、サトウ殿、今からでも――――」
余程、ユウからの圧力が怖かったのだろう。商人たちは弱気になる。
「へえ。買わないんだ。じゃあ、敵だな」
「て、てき――――敵っ!?」
「なにを驚いてるんだ。散々に舐めた真似しといて、俺をこんなところまで呼び出しておいて、俺がヘラヘラお前らに媚びへつらうとでも思っていたのか? 舐めた代償は必ず支払ってもらう。
お前らも商人なんだ。俺がどういう奴かくらいは事前に調べてるだろう。今まで俺に舐めた態度とった奴がどうなったのかも知ったうえで、おちょくってたんだろ?」
過呼吸を起こしかねないほど呼吸を乱しながら、商人たちは縋るような目でビクトルを見る。この場を上手く治めてほしいのだろうが、ビクトルはそんな彼らと目すら合わせない。
「わ、我々に手を出せば、マルティブフォン様が黙っていませんよ!」
「お、おおっ! そのとおり! 『八銭』マルティブフォン様を敵に回す気ですか?」
「なにをわけのわからないことを。お前らが自分で言ってたじゃないか。ウォーレンの
「そ、そのような無法が許されるとでもっ!!」
「ここはウードン王国が治める地。他国の王が好き勝手できるわけが、いいや! していいわけがないっ!!」
「考え直しを! サトウど――――様、今ならまだ間に合います!」
「ハーメルンを敵に回すということは、五大国を敵に回すも同意ですぞ」
今にも泣き出しそうな顔でユウに抗議と説得を繰り返すのだが、残念ながら心には響かないようであった。
「うるせえ奴らだな。そもそも、お前らは俺が手を出さなくても殺されるだろ」
「へあっ!? 我々が……殺され……る?」
「こう見えて俺も敵が多い身だからな。ウォーレンのことまで手は回らなかったんだけど、少しは調べたんだよ。危険な綱渡りを楽しむのが好きなのか、ただの馬鹿なのか。それともなにか思惑があるのかはわからないけど、冷酷な奴らしいじゃないか。役目を終えたお前らが生きてると知れば、どう思うだろうな?」
自分たちが仕えるウォーレンのことを脳裏に浮かべ、どのような男かを思い出したのだろう。
「そ、そんなっ……マルティブフォン様が私たちを切り捨てるとでも!?」
「我々はマルティブフォン様のためにっ」
「指示にっ……私は上からの指示に従っただけ」
「自分だけ助かるおつもりか!」
「ち、違う! サトウ様、話を――――」
「ちゅ、忠誠を誓います! あなたのために――――」
慌てて身の保身を図る者たちの声を無視して、ユウは立ち上がる。
「この様子じゃマゴのほうも碌な話じゃないんだろう」
※
「傘下に入れと?」
対面に座る金色の顎髭を貯えた四十代前後の男を睨みつけながら、マゴが尋ねる。
「傘下などと人聞きの悪い。これはあくまで提携です」
別室に案内されたマゴは、そこでウォーレンの
そこまではよかったのだ。マゴもウォーレン配下の者が、このような話し合いの場を設けることは予想していたからである。だが――――その内容が問題であった。
「しかし、私が王都に所有する店や土地をウォーレン・マルティブフォン……さまに提供するというのはいかがなものでしょう」
「それも致し方がないこと。
ウードン王国の王都テンカッシは、前財務大臣バリュー・ヴォルィ・ノクスのせいで、ハーメルンの商人が進出することができなかったのは、マゴ殿も知っていますな?」
「ホッホ、それはもう嫌というほど」
マゴ自身がバリュー配下の者によって、テンカッシへ進出した店を潰されたのだ。そのときの記憶は今でも鮮明に思い出せる。
「バリューが失脚したことで、現在はハーメルンの商人もテンカッシで進出することができます――――ただし、ベンジャミン派閥の商人だけが」
「なるほど」と、マゴは心の中で頷く。
自由国家ハーメルンはビクトルの手腕によって王都テンカッシへの進出を可能としたのだが、ビクトルはベンジャミン派閥である。当然、出店可能な限りある枠を他派閥の商人に譲るわけがないのだ。五大国が一つ――――ウードン王国の王都という極上の商機がありながら手が出せないのは、ウォーレンからすれば黙って見逃すわけにはいかないのだろう。
「そこでマゴ殿にご協力を願い出ているのです――――マルティブフォン様が」
「この場で返事するには難しい提案ですな。一度、持ち帰って――――」
「いいえ、この場で返答いただきたい」
「ホッホ、これほどの話をこの場で決めろなどとは、なんとも無体な言い分ですな」
「私もそう思います。ですが、ご協力いただければマルティブフォン様はマゴ殿のことを高く評価するでしょう」
ウォーレンから評価されることがこの上なく名誉なことであるかのように男は力説するのだが、マゴからすれば名誉どころか迷惑なだけであった。
商人であれば『八銭』の二つ名と、そこに連ねる大商人たちの名前は誰もが知ることであろう。以前のマゴであれば心を動かされたかもしれない。だが――――今はユウと出会ってしまった。ユウとの商いほど心躍ることはないのだ。
「ユウ・サトウ様もお喜びになられるかと」
「この会談はユウ様もご存知だと?」
男はマゴの質問に答えずに、ただ意味深な笑みを浮かべる。
(今後のことを考えれば、ウォーレンと手を組むのはユウ様にとって重要かもしれない。しかし……私になんの相談もなく……)
今までのことをマゴは思い返していた。初めての出会いからポーションの取引き、数々の商い、一生を懸けても内心ではできないと思っていたバリューへの復讐――――ユウへの多大なる恩を考えれば、頷くべきなのだろうと。
(ユウ様への御恩を考えれば、悩む必要などないことか……)
テーブルに置かれた書面に目を通し、羽根ペンに手を伸ばそうとしたそのとき――――
「マゴ」
――――扉を開けて入ってきたのはユウである。その後ろでは男たちが「ご再考をっ」「私だけでも亡命を受け入れてくだされ」「お助けください」などと縋る声が聞こえる。
「ユウ様っ」
テーブルの上にある書面にユウの視線が向く。同時にミシリッ……と空気が軋むような音が室内に響く。
「お前
マゴがユウの背後に控えるビクトルの顔を見れば、死んだような顔をしていた。なにがあったのかはわからないが、あのビクトルがこのような無様な姿を晒すほどの失態をしたのだろう。
(そうか。ホッホ、ユウ様はウォーレンなど興味はない、と)
それだけでマゴはなぜか心中が晴れ渡ったかのように真っ白となる。先ほどまでの苦悩はどこへやらである。笑みを浮かべながらマゴは書面を手に取ると、男の前で破り捨てる。
「なっ!? マ、マゴ殿、なにをしたのかわかっているのでしょうな!」
信じられないとばかりに激昂する男を前に、マゴは笑う。
「ホッホ、この私を舐めないでいただきたい。私は
ユウ様、私はあなたを利用して、まだまだ稼がしていただきます。やがては『八銭』を超える商人になるのが、私の夢なのですからね」
「わかってればいいんだよ」
ムスッ、とした顔をしながらも、ユウはどこか満足そうだ。横のナマリまで「わかってればいいんだぞ!」と生意気なことを言っている。
「サ、サトウ様……ですな? 私はマルティ――――」
「黙れ」
マゴと会談をしていた男がユウへ話しかけようとするのだが、それをユウは一言で黙らせる。
「お前にはがっかりしたよビクトル」
背後に控えていたビクトルが身体をビクッ、と震わす。
「おもしろい奴だと思っていたのに、こいつらと同じつまら――――あ?」
突如――――ユウの耳元で囁きが繰り返される。
“危ないよ”
“危ない危ない”
“死んじゃうよ”
“あなたたちのお友達が大変”
“ウソじゃないよ”
“たいへんたいへん~”
“急いだほうがいいわよ”
“急げ急げ~”
“急がないと間に合わないかもね”
「――――サトウ様?」
急に黙り込んだユウに、ビクトルが思わず口を開くのだが、それでもユウは固まったまま動かない。
「オドノ様?」
「『精霊の囁き』か」
ナマリまでも心配になって声をかけるのだが、ユウは振り向きもせず呟く。
自分だけに聞こえた囁きが、固有スキルの一つ『精霊の囁き』が発動したのだと。
少し焦った様子で、ユウはここ最近は使用を控えていた固有スキル『並列思考』を発動させる。発動と同時に増えた思考の分だけ頭痛が増えるが、今はそれよりも優先することがあると、リューベッフォの近辺を周回させていた鳥系の従魔たちと視覚を同調させる。
(いない。ここも。煙? 爆発でも――――)
複数の視覚から入る情報を処理しながら、ユウは高速でリューベッフォを見て回っていると。
(いた)
リューベッフォの中央広場で、マリファたちが何者かと争っているのが視界に入る。
「ナマリ、モモと一緒にマゴを護ってやれ」
「わかった!」
アイテムポーチから剣や鎧を取り出しながら、ユウはナマリに指示を出す。ナマリも慣れているのか、細かいことは尋ねずにマゴの傍で腕を組んで待機する。頭の上で寝そべっていたモモまでやる気をだしている。
ユウが鎧に魔力を通すと、鎧の接合部が開いていく。これは大剣の鞘などにも使われている技術で、武具の所有者が魔力を通すことで接合部が拡がり、大剣なら背に背負っていても鞘から抜剣が、鎧なら通常なら二人以上で着脱するのを一人でできるようになるのだ。
「あいつは?」
鎧を着ている最中のユウにナマリが問いかける。その視線の先はビクトルである。頬が痩け、目の下には隈が、生気のない佇まいはなんとも情けない姿であるが、今はそれどころではない。
「放っておいていい」
「ホントに?」
「ああ、花の闘士がいるからな」
鎧を着込むなりユウは窓から飛び降りる。そのまま宙を駆けていくと、あっという間に姿は小さくなっていく。
「ビクトル様」
室内に花びらが舞っていた。
商人たちが驚きながら周囲へ目を走らせる。
「わっ! 花が降ってきた!?」
驚きながらもナマリはマゴの傍を離れない。
「ダリボル――――あなたがいたのですか」
ただ一人、正体に気づいていたビクトルは目の前で跪く男に向かって声をかける。
「はい。どうやらサトウ様は気づかれていたご様子」
「私になにか用でも?」
「お忘れですか? 私はベンジャミン様の命にて御身を護るよう――――」
「そんなことはどうでもいいです」
「いつものビクトル様らしくありませんね」
「少し疲れました」
「では、ビクトル様が驚く話を」
煩わしそうに手で遮ろうとするビクトルの腕を押さえて、ダリボルは耳元で中央広場でなにが起きているのかを伝える。興味なさそうにしていたビクトルの顔に――――心身ともに疲れ果て、青白くなり化粧で誤魔化していた肌に、血色が、色が戻っていく。
「ビ、ビクトル殿……?」
商人の一人が恐る恐る声をかけるのだが。
「そういうことですか」
「ひっ!?」
振り返った先には――――そこには鬼でも怯えるような形相をしたビクトルの顔があった。
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