第342話 嫌な予感
この日も前日に引き続き、どんよりとした曇り空であった。
「……眠い」
朝食を取るために席についたレナであったが、昨日はどこに行くか予定を立てるために夜更かししており、今もうつらうつらと船を漕いでいる。
「だから早く寝なさいと言ったでしょう」
小言を言いながらも、マリファはレナの寝癖を手櫛で整えていく。しかし旋毛のアホ毛だけは、どんなに頑張っても直ることはなかった。
「お前らは来なくていいからな」
ナプキンをナマリの膝にかけながらユウが言い放つ。
「わかってるよ~」
「……お前ではない。でも私も予定は詰まっている」
「迷子にならないよう気をつけなさい」
「……私は小さな子供じゃない」
まだ温かいパンを頬張りながら、レナはマリファに抗議するのだが「ふふっ」と鼻で笑われ、あしらわれる。
「マリファたちも来なくていいぞ」
余裕の表情を保っていたマリファの顔が凍りつく。
「それは……ティンたちだけではなく……私もでしょうか……?」
「そうだ。ただの商談でぞろぞろ引き連れても鬱陶しいだろ」
なにやら進言したそうなマリファは口を開きかけるのだが、結局はユウの決めたことを受け入れる。
「マリちゃんも仲間だよ~」
「……ふふっ。迷子にならないように」
悪気のないニーナと、さっきの仕返しとばかりに言葉を放つレナを、マリファは睨みつける。
「じゃあ、ナマリちゃんとモモちゃんは私と一緒に観光しよっか」
返事は聞くまでもないと自信満々のニーナであったが――――
「行かない」
――――ナマリの返事に、ニーナは驚く。
「ほ、ほんとに?」
「ほんとに! 俺はオドノ様の護衛なんだぞっ」
チラリと、ニーナがユウへ視線を向ければ「ナマリとモモだけなら邪魔にならないだろ」と言われる。
その言葉にショックを受けるマリファは、ナマリに代わりましょうと交渉するのだが、ナマリは「ダメ~」と拒否して食事を続ける。
「おかしいなぁ~」
「どうした?」
「う? ううん、なんでもないよ」
ナマリに断られたのが信じられないのか。ニーナは何度も「おかしいなぁ」「変だなぁ」と呟く。ユウに声をかけられるとなんでもないと手を振るのだが、やはりその顔は納得がいっていないようであった。
「帰るのは夜になると思うから、あんまり羽目を外して遊ぶなよ」
ホテルの前でユウはティンたちにお小遣いを渡していく。ヴァナモたちは頭を下げて受け取るのだが、ティンは「ご主人様がティンを信用してなくて、やんなっちゃう」と不満そうであった。
「ナマリ、しっかりとご主人様を護るのですよ」
「うん! 任せてよ!」
マリファがナマリとモモに念を押す。二人は腕を挙げて元気よく返事する。
「ホッホ、朝から元気で羨ましいですな」
「うるさいだけだ」
この場には護衛と共にマゴの姿もあった。ユウと同行して商談の場へ向かうためである。
「マゴさま、くれぐれもご主人様の邪魔はなされないように」
「ホッホ、わかっています」
マゴの護衛がなにか言いたげであったが、マリファの放つ圧力に臆して口を開くことはなかった。
「それとビクトルさんはまだ来ないのですか?」
「そちらは私に言われても困りますな。この場にいないということは、商談の場で待っているのでは?」
「ご主人様を呼びつけておいて……」
「それには私も同意しますな。ユウ様に対してあまりに無礼過ぎます」
「もういいだろ。行くぞ」
ユウがマゴたちを引き連れて行くのをマリファたちは頭を下げて見送る。姿が消えてから少ししてようやく頭を上げると、ティンがうきうきでマリファの横に移動する。
「お姉さま、どこに行きます? ご主人様からお小遣いも頂いたので、これならどこでも遊べてやんなっちゃう」
「ティン、ご主人様は無駄遣いさせるために、あなたたちにお金を下賜したわけではないんですよ」
「そうです。ティンは少しはしゃぎすぎですよ」
「ヴァナモだって、今日は服飾店に行きたいって言ってただろ」
「そ、そんなことはありません。お、お姉さま、本当ですっ」
メラニーに指摘されるとヴァナモは慌てて否定する。
「メラニー、その喋り方はなんですか」
「ひっ。も、申し訳ございません」
「にひひっ」
「ティン、あなたもなにがおかしいのですか」
「ひゃ~、お姉さまがお冠でやんなっちゃう」
「私を盾にするな」
ティンは大袈裟に驚くと、グラフィーラの後ろへ回り込む。
「賑やかだね」
「ニーナさん」
「……みんな元気でいい」
「レナはもっとしっかりしなさい」
「……姉に厳しい妹」
「あははっ。それじゃマリちゃん、またあとでね~」
「はい」
ニーナたちは三手にわかれてその場をあとにする。その様子を窺っていたホテルの従業員が、急いでエントランスホールへ移動する。
「わかれて行動するようです」
エントランスホールのレストスペースで待機していた人物の耳元で従業員の男が囁く。
「それは好都合。サトウはマゴと移動したのは間違いないですね?」
「は、はい。間違いありません。護衛の姿もありました」
男は報告をした従業員へ金を渡すと、すぐに周りの配下へ指示を出していく。
「相手は高ランクの冒険者たちです。それを踏まえて尾行をしなさい」
「こちらからはなにもしなくていいのでしょうか?」
「する必要なし。私たちの役目は事前に伝えたとおりです。あくまで切っ掛けを与える存在に徹しなさい」
「はっ」
「行きなさい」
配下が次々に移動するのを見届けてから、男は紅茶に手をつける。
「失敗は許されない……か」
男の主であるウォーレンは冷酷な男である。だが、今回は失敗による処罰よりも、ユウ・サトウとメリットがウォーレン派閥に牙を剥く可能性に、男は顔にこそ出さないものの心胆を寒からしめるのであった。
※
「サトウ様、お待ちしておりました」
ホテルのエントランスでユウたちを出迎えたビクトルの姿に、マゴがわずかに息を呑む。ひと目でビクトルだと、マゴはわからなかったのだ。なにしろビクトルの姿は目がくぼみ、頬もこけているように見えた。見えたというのはどうやらビクトルはドーランのようなもので、目の隈やこけた頬を隠しているようで、遠目にはわからなかったのだ。
「ご案内します」
いつものふざけた態度もなく、ビクトル自らが案内をする。ユウが宿泊しているホテルに勝るとも劣らないホテルの最上階が商談の場所なのだが。
「出迎えはビクトル殿だけなのですかな」
ユウがなにも言わないので、痺れを切らしたマゴが口にする。仮にも一国の王であるユウをリューベッフォまで呼びつけておいて、いまだにウォーレン派閥の者が誰一人として出迎えに来ていないのだ。
「お許しを」
なにも言い訳せずに頭を下げるビクトルに、マゴはそれ以上はなにも言えなかった。
「いいから早く案内しろよ」
「すぐに」
ナマリは不穏な雰囲気を感じ取ったのか顔が険しくなっていく。一方マゴや護衛たちも同じくただの商談では済まないと、覚悟を決めたかのような顔になる。
(やっぱりマリファたちを連れてこなくてよかったな)
ユウだけは面倒なことになるのを回避できてよかったと、呑気に安堵していた。
「マゴ殿はあちらの部屋へ」
「どういう意味ですかな」
商談に同席するためリューベッフォまで出向いたマゴからすれば、ビクトルの言葉は受け入れ難いものだろう。
「どうやらウォーレンさまはマゴ殿に興味があるようで、個別に話をしたいと」
(ウォーレンが私に? どうせ本人ではなく代理の者だろうが、どのような企みをしているのやら)
マゴはユウへそれとなく目配せするのだが、肝心のユウは興味がないようで一切の反応を示さなかった。
「いいでしょう」
誰も気づかないような小さなため息をつき、マゴは了承する。
「ユウ様、あとでどのような商談であったのか、この老いぼれめにも教えてください。ホッホ、この歳になるとこういった大きな商いの話というのはいい刺激になるのですよ」
「いいぞ」
「ホッホ、ありがとうございます。それでは後ほど」
マゴは護衛を引き連れて別室へと消えていく。
「さあ、ビクトル。屑共のところへ案内しろよ」
あまりにも自分を舐めた扱いに、ユウは怒りよりもおもしろくなってきていた。
※
「おい、いたか?」
「いや。見当たらねえ」
「他の奴らはどうだ?」
「見つけたって連絡は来てねえよ」
リューベッフォの商店街を『不死の傭兵団』入団希望の者たちが、ティンたちを探し回っていた。
「よろしければ、力になりますよ」
人の良さそうな人族の男が、不意に声をかけてきた。
「誰だ、てめえっ」
「私が誰かなど、どうでもよいではないですか。
大事なのは、あなた方が捜している
「なにっ!? どこだ、さっさと俺らに――――どうした?」
すぐに居場所を聞き出そうとする仲間を獣人の男が手で制する。
「怪しい奴だな。どうして俺らに協力する? 善意なんて舐めた返答しやがったら、この場で叩きのめすぞ」
犬歯を剥き出しにして唸り声を上げる。常人ならそれだけで怯えそうな力のある声だ。
「もちろん善意などではありません」
しかし、男は動じることもなく平然とした受け答えであった。
「ある御方が恥をかかされたのですよ。そう、あなたたちと同じように。ですから、こうして協力を申し出ているのです」
「いいだろう……場所だけ教えてさっさと消えろ」
「ええ、もとからそのつもりですよ」
男は笑みを浮かべながら何度も頷くと、その場所を告げるなりその場をあとにする。
「へ、へへっ。よし、すぐに仲間を集めろ!」
「もう呼びに行ってる」
リューベッフォの中央広場にマリファたちの姿があった。
「昨日はゆっくり見ることができなかったけど、やっぱり綺麗で良い場所です」
ヴァナモが頻りに頷いてなにやら納得している。
「お姉さま、あそこのシャーベットが美味しいのでオススメですよ」
「私は初めて食べたのですが、パイン味というのが美味しかったです」
ヴァナモとグラフィーラがマリファへシャーベットを勧める。だが、マリファはどこか
ヴァナモたちはマリファの反応がないので困った様子である。噴水で寛いでいたティンが、見かねたこちらに向かってくると。
「お姉さま、ご主人様のことを考えるのは大変に素晴らしいことですが、遊ぶときはしっかり遊ぶべきだとティンは思いますよ」
珍しく真面目なティンの言葉に、マリファは目を見開く。
「ティンの言うことも一理ありますね」
わずかに微笑んだマリファにヴァナモは笑顔を浮かべる。
「珍しくティンが良いことを言いました」
「珍しいなんて失礼でやんなっちゃう」
ヴァナモの言葉にティンが頬を膨らませる。
「では、私がシャーベットを買ってきます。お姉さまは、何味になさりますか?」
「そうですね。私は――――なにか私たちに用でも?」
マリファたちの周りを囲むように、前日の男たちが立っている。ティンが周囲を一瞥すると、さらに広い範囲で仲間と思われる者たちが少なくとも数十人は確認できた。
「な~に、ちょっと話し合いがしたくてな。黙ってこちらの言うとおりに――――」
「お断りします」
余裕の表情を浮かべていた男たちの表情が一変する。
「お嬢ちゃん、状況がわかって言ってんのかい?」
こめかみに青筋を浮かべて獣人の男が威圧する。
「ええ、よく理解していますよ。よくも――――」
マリファを囲んでいる者たちの背筋が不意に寒くなる。
「――――よくも、私のご主人様を侮辱してくれましたね」
その言葉にティンたちは一斉に顔が青くなる。あのとき、この者たちの一人が口にした“気色の悪い髪の色したガキ”という言葉をマリファはしっかりと聞いていたのだ。
中央広場でマリファが激昂しているとき、別の場所では。
「……良い買い物をした。これならみんな喜ぶ」
カマーの孤児院へのお土産を購入し、レナは機嫌が良かった。さあ、ここからは自分の分だと、次の店へ向かおうとしていると。
「あんたら、もしかして『不死の傭兵団』の人たちじゃねえか?」
通りに並ぶ飲食店の一つ、店の外にテーブルを設置しているのだろう。そこで酒を飲んでいる男たちへ、別の男が話しかけていた。
「ああ? だったらなんだよ」
「俺はリューベッフォから出たことないからよ。あんたらみたいな有名な傭兵に会うのは初めてなんだ!」
「ちっ。めんどくせえな。てか、お前声がでけえんだよ」
その後も男は大きな声で『不死の傭兵団』を連呼する。
「わかった。わかったからよ。握手すればいいんだろ? ほれ、満足したらさっさと消えろ。俺ら今は休暇中なんだよ」
男は「ありがとう! ありがとう!」と礼を言いながら離れていく。そのままレナの横を通り過ぎる際に――――
「まさかこんなところで『不死の傭兵団』に所属する傭兵に会えるとは、俺はツイてるな」
――――嬉しそうに独り言を大きな声で口にする。
「でよ、そいつがま~た言うんだよ」
「ガハハッ、ほんとかよ」
「マジなんだって、それで――――あ? なんだ嬢ちゃん」
「嬢ちゃんも『
「……『不死の傭兵団』?」
レナの様子を不審に思ったのか。そこは歴戦の傭兵たちである。自然に武器の柄へ手を伸ばしていた。
「あ~どうだったかな? おい、お前は『不死の傭兵団』か?」
「『不死の傭兵団』? なんだそりゃ、俺は初めて聞くな。おめえはどうよ?」
「俺か? 聞いたことあるような、ないような……」
揶揄うように惚ける男たちを前に、レナは静かに魔力を練っていた。
「……蟲共……みな…………ろす」
「ああん? なんだって? でっけえ声で頼むわっ!」
「おいおいっ。あんま怖がらせるなって、泣いちまうぞ」
「そうだそうだ。女子供を泣かせると上がうるせえからよ。で、なんだっけ? ああ、俺らが『不死の傭兵団』かどうかって? だったら文句でもあん――――なっ!?」
レナの爆発魔法が町中で発動した。
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