第341話 説教

「ぎゃああっ!」

「勘弁してく――――ぐはっ!」

「ま、待ってくださいよっ! 俺ら、別――――いでええっ!!」


 リューベッフォの富裕層が住むエリア、見事な豪邸が建ち並ぶその一つから悲鳴が周囲に響き渡るのだが、それを気にする者はいない――――いや、正確には見て見ぬ振りをするのだ。

 なぜなら、この豪邸には『不死の傭兵団』の団長や幹部たちが住んでいるからである。


「俺らがなんて言ったか忘れてねえよな?」


 獣人の男が容赦なく拳を振るう。殴られているのは、中央広場でティンたちに絡んでいた者たちである。


「ル、ルヴトーさん、俺らの話を――――げふっ」


 獣人の青年の顔に蹴りが叩き込まれる。


「気安く隊長の名前を呼んでんじゃねえよ」

「まさかお前ら、もう自分たちが『不死の傭兵団』の一員になったつもりなんじゃねえだろうな」


 周囲の男たちが睨みを利かすと、青年たちは「ひっ」と怯えた声を出して後退りする。


「隊長、こいつらどうします?」


 部屋の奥、ソファーに寝そべって爪ヤスリをかけていた狼人の男――――『不死の傭兵団』一番隊隊長ルヴトーは、めんどくさそうに欠伸をして身体を起こす。


「しらばっくれんじゃねえよ。お前らが中央広場で揉めごとを起こしたのは俺の耳にも入ってきてんだ。それとも、俺が嘘をついているとでも言うんじゃねえだろうな」

「ひっ……そ、そんな……俺たちはっ」


 ルヴトーの青い瞳に見つめられるだけで、青年たちは言葉に詰まる。


「別に俺は揉め事を起こしたことに怒ってるわけじゃねえんだぜ? 姐さんは騒ぎを起こすなって言うけどよ、どんなに言い繕うが俺らは傭兵だ。揉め事を起こしてなんぼだろうが、お前らもそう思うだろ?」


 青年たちを説教していた男たちも言葉にしないまでも、ルヴトーの言葉に同意するように頷く。


「だがよ――――」


 ルヴトーのグレーの体毛がゆらりと動く、まるで今の感情をそのまま表現するかのような揺らめきである。


「お前らが揉めてた相手は女らしいじゃねえか」

「あっ……ああっ…………」


 広い室内が急に狭くなったかのような錯覚に陥るほど、ルヴトーの圧力が増大しているのだ。


「こんな無様な話がよその隊――――いいや、姐さんの耳にでも入ってみろ。俺が説教を喰らうだろうがっ」


 顎でルヴトーが指示を出すと、説教が再開される。


「も、もうしませんから、ぎゃああああっ!!」

「許して、ごぼっ……!」

「し……死ぬっ……死ぬ…………っ」


 容赦のない説教という名の暴力が振るわれる。


「姐さんはなにしてんだ?」


 ソファーに座り直したルヴトーが部下に話しかける。


「はい。ヴィント隊長と密談中みたいです」

「密談だ?」

「ほら、例の商人の件ですよ」

「ああ、あれか。姐さんもさっさとぶち殺せって言えばいいのにな」

「全くです」

「いま姐さんすっげえ機嫌が悪いから、近寄らないほうがいいっすよ」

「うへぇっ。言われても誰が近づくかよ。殺されちまうじゃねえか」

「確かに」


 これには周囲の男たちも言葉にして同意する。

 ルヴトーたちが愚痴をこぼしている上の階の一室では、二人の女性が密談をしていた。


「ふぅっ、ふぅっ」

「餓えた獣じゃあるまいし、もう少し落ち着かれてはいかがかしら?」


 部屋は綿密に編み込まれた絨毯やタペストリー、金や銀の調度品で飾り立てられていた。

 当然、これは部屋の主メリットの趣味ではなく、ヴィントが気を利かせたのだ。仮にも『不死の傭兵団』の団長が住む部屋に調度品の一つもないなど、あまりにも外聞が悪いからである。。

 だが、せっかくの飾り立てられた部屋もメリットの座る椅子によって意味をなさない。無骨な鋼鉄で作られた座り心地など考慮されていない椅子は、この部屋に不釣り合いなのである。しかも、鋼鉄製の肘置きには無数の指の跡がついているのだ。これはメリットが興奮したりして力を込めた際についたもので、このように普通の椅子ではメリットの使用に耐えられないために、特別に椅子を拵えたものである。


「うるせえなっ」


 ミシミシッ……と鋼鉄製の肘置きにメリットの指が喰い込んでいく。


(困りましたわね。オール平原の戦いで、少しはストレス発散できたと思いましたのに)


 特徴的なエルフ耳が垂れ下がる。ヴィントはどうしたものかと唇に人差し指を当てて考え始めるのだが。


「それより商人のほうは?」

「あー、あれでしたら」


 言ってよいものかと悩むのだが、隠しても変に勘の鋭いメリットの前ではバレるだろうと、ヴィントは口を開く。


「ベンジャミン一派と名乗っていましたが、やはりといいますか真っ赤な嘘でしたわ」

「へえ」


 興味はなさそうな返事だが、肘置きからは先ほどより大きな異音が聞こえてくる。


「間違いないんだな?」

「ええ。大なり小なりどこの組織でも、自分たちが所属していると証明するアミュレットなり記章なりあるものなんでしてよ。当然ベンジャミン一派にもそれを証明する記章があるんですの。

 あの商人たちが見せてきた記章は紛い物でしてよ。それも粗悪なすぐに見破られるような代物、ふふっ。わたくし、今まで取引き相手にここまで舐められたことはありませんわ」

「で、相手の正体は?」

「それが……お粗末な記章を用意するくせに、彼らと接触する者たちを不死の傭兵団うちの斥候に追跡させたんですが、途中で三手にわかれ、さらにそこから三手にわかれる念の入れようでして」

「ふーん、ハーメルンの商人じゃない可能性もあるのか」

「いいえ、彼らはハーメルンの商人なのは間違いありませんわ」

「どうしてそう思う?」

「あまりにもベンジャミン一派のことに詳しいからですわ。ハーメルン出身の特徴的な訛に、それに彼らったらベンジャミンに対する敵意を隠しきれていないのも理由の一つですわね」


 天井を見上げながらメリットは思案する。目の前にいるヴィントは落ち着いてはいるものの、舐められたまま我慢するような女ではない。


「そこまで正体が気になるなら、ここは傭兵は傭兵らしく暴力に訴えてみてはいかが? そうすればすぐにでも彼らの正体なり、後ろ盾なり暴くことができましてよ」


 エルフ特有の美しい顔で物騒なことを言い放つヴィントに、メリットは「それもいいが」と言う。


「金の受け渡しの際に身分を偽っていたことを理由に倍の額を要求しろ。当然、その場に持ってきた金は回収しろよ」


 その言葉にヴィントは緑の瞳を輝かせて喜ぶ。


「まあっ! それは素晴らしい考えですわ!」


 ヴィントはなにやら頭の中で算盤を弾いているのか「前から欲しかった宝石を買って」「あれも買えますわね」とぶつぶつ呟いている。


「ヴィー、興奮するのは金を手に入れてからにしろよ」

「もー、わかってますわ。少しくらい夢を見させてくださいまし」


 自分より何倍も年上にもかかわらず、子供っぽいところを残しているエルフの美女にメリットは油断しないよう窘める。


「もし向こうが拒否したらどうします?」


 答えがわかっていながらヴィントは質問する。


「そんときはハーメルンと戦争だ。きっと楽しくなるぞ」


 凶悪な笑みを浮かべながらメリットは言い放つ。


(もしハーメルンと戦争になれば、団長のストレスも治まるのかしら?)


 大国と戦争になる可能性があるかもしれないというのに、ヴィントは呑気なことを考えていた。


「他になにかあるか?」

「うーん、そうですわね。ああ、入団希望者ですが、案の定そこかしこで暴れているみたいですわ。この都市の領主代行とかいう役人が、何度か私のところまで苦情に来ましてよ」


 他人事みたいに言い放つヴィントだが、彼女からすれば正規採用されていない者たちなどゴミ同然なのだろう。


「はあ? 私は騒ぎを起こすなって言ったはずだよな?」


 メリットの指と指の間から変形した鋼鉄がスライムのように溢れ出してきて、それを見たヴィントは「ええ……」とドン引きの声を出す。


「そうは言われましても、傭兵なんて基本的にゴミクズでしてよ。こんな平和な都市で大人しくしてろと言っても限度があるのではなくて?」

「私が、この私が大人しくしているのにかっ!!」

「ちょ、ちょっと! 落ち着いてくださいまし! だ、誰か~! ルヴトーはいないんですの?」


 助けを求めるヴィントの声に応える者は誰もいなかった。なぜならメリットの怒声が聞こえた瞬間に屋敷から飛び出していたのだ。



「う~ん、楽しかった~」


 ユウたちと合流したニーナたちは満足そうに談笑する。一日ではリューベッフォの全てを楽しむことはできなかったようで、明日はどうするかで相談している。


「ユウ、私たちが泊まるところって」

「ビクトルが事前に用意してる。もう少し歩けば見えてくるはずだ」


 観光通りを抜けて、さらに足を進めていけば通りには宿泊施設が並び始める。その中でも一番目立つ一等地に立つ建物、青を基調とした金はかかっているが下品ではなく、上品な造りをしたホテルが見えてくる。


「ほ、本当にここなの?」


 立派な五階建てのホテルの佇まいに、ニーナは気後れしている。


「……私が泊まるに相応しい宿屋」

「レナ、宿屋ではなくホテルと呼ぶそうですよ」

「……っ」


 マリファの冷静な指摘に、レナは気づかないフリをするのだが。


「あ~っ! レナ、顔が真っ赤なんだぞ!」

「……そんなことない」

「マリ姉ちゃん、真っ赤だよね?」


 ぷいっ、と顔をそらすレナであったが、ナマリがマリファに確認すると。


「レナでも羞恥心というものがあるようです。そっとしておいてあげなさい」

「ふ~ん。よくわからないけど、わかった!」

「……ぐぬぬっ」


 マリファの大人な対応に謎の敗北感を覚え、レナが唸る。


「ご主人様、私たちもこのホテルに泊まれるのでしょうか?」


 ヴァナモの質問に、ティンが「よく聞いてくれた」と言わんばかりに両肩を揉む。


「ああ、そもそもなんでわかれて泊まるんだよ」

「そ、そうですよね」


 同じところに泊まれるとわかり、ティンたちは自然と笑みを浮かべる。


「お待ちしておりました」


 ホテルに着くなり総支配人の老人がユウたちを出迎える。事前にビクトルから連絡がいっているのか、メイド服姿のマリファたち他種族がいても顔色一つ変えることなく自然な対応をする。


「ルスティグ様からの指示で、最上階全ての部屋をご用意しております」


 これだけのホテルの最上階を全て借り切るとは、さすがは大商人と呼ばれるだけはあると、ニーナたちが感心する。


「ご主人様のお世話は私たちがするのでご心配なく」

「は、はあ……本当によろしいのですか?」

「問題ありません。食事は私たちがお運びするので、用意ができた際はお知らせください」


 マリファからの言葉に総支配人は面食らうが、ビクトルからは大事な客なので要望は断らないよう申しつけられていたので、不承不承であるが了承する。


「さあ、始めますよ」


 マリファの言葉にティンたちが「はい」と返事をするなり、部屋中を確認し始める。これは諜報対策であり、盗聴やなにか魔導具や魔法が仕掛けられていないかの調査である。


「ねえ、まだダメ?」


 待ちくたびれたナマリとその頭の上に寝そべっているモモが期待した目で問いかけるのだが、マリファからは無情にも「駄目です」と許可が下りない。


「いいでしょう」

「うおおおおお~っ!」

「……偉大なる姉が一番先」

「私も~」


 許可が下りるなりナマリが駆け出し、レナとニーナが続く。

 ベッドに飛び込むような不作法は、普段からユウやマリファから躾されているのですることはなかった。ただ、初めて泊まる高級ホテルの部屋を物珍しそうにナマリとモモは見回っていく。


「……なぜか妹が不機嫌」

「妹ではありません」


 夕飯の時間になると、マリファたちは慌ただしく動き回る。このホテルの従業員から料理を受け取り、毒が混入していないかのチェックを終えるとそれをテーブルへ並べていくのだが、人数が人数なので部屋ではなく大広間で食事することとなった。


 通常では考えられないことなのだが、その席にはティンたちも同席する。これもユウの屋敷では見慣れたものなのだが、このホテルの従業員が見れば驚きを隠せないだろう。


 そしてマリファが不機嫌な原因は――――


「きっとなにか理由があるんだよ」

「どうでしょうか。マゴさまはちゃんと挨拶に来られましたよ」


 明日の商談に向けて、強引にとはいえ同席するマゴは先ほどユウへ挨拶に来ていたのだ。だが、肝心のビクトルはいつまで経っても姿を見せないことに、マリファは無礼であると立腹している。


「なにかトラブルがあったのかもな」

「トラブルですか?」

「普段は呼びもしなくても姿を見せるビクトルが来ないんだ」


 そうユウに言われると、マリファは納得してしまう。あのビクトルが、リューベッフォに着いてから一度も姿を見せていないのだ。


「それよりせっかくの料理が冷めるから食べるぞ」

「は、はい」


 素晴らしい北の料理の数々に、ユウたちは舌鼓を打つのであった。




「くそっ。痛え……痛えよ」

「あんまり痛え痛え言うなよ。こっちまで痛くなるだろうがっ!」


 ルヴトーの部下たちに説教を喰らった者たちが、腫れ上がった顔や脇腹などを擦りながら呻く。

 彼らは安宿を拠点としており、複数人で金を出し合って部屋を確保しているのだ。

 彼らはランプで照らされた薄暗い部屋の中で、輪になって話し合っていた。


「あのクソ女共のせいだっ! 俺は許さねえぞ!」

「俺だって許すつもりはねえ! あんな目立つ格好してんだ。すぐに見つかるだろ?」

「ああ、絶対に見つけ出して代償を支払わしてやる!!」

「他にも暴れたい奴らに声かけろ!」

「でもルヴトーさんたちに見つかったら……」

「馬鹿か? 見つかる場所でやらなきゃいいんだよっ」

「へ、へへっ……そうだよな、見つからなきゃ問題ねえか」

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