第338話 無欲無私

「わあっ。ニーナ姉ちゃん、俺のアイスはトリプルなんだぞ!」

「ええっ!? いいな~。私もダブルじゃなくてトリプルにすればよかった」

「お二人共、まだまだお子様ですね。少しはティンを見習ってほしくてやんなっちゃう」

「ティン、口の周りにアイスつけて言っても説得力がないぞ」


 大人振るティンであったが、口の周りについているアイスで台無しである。ポコリとアリアネの二人はユウがティンたちのやり取りを見ているのに気づくと、恥ずかしそうに頭を抱える。


「メラニー、気づいていたのなら拭いてくれたらいいのに、やんなっちゃう」


 氷菓子を販売する店で木の長椅子に腰掛けてアイスを食べているニーナたちと、それを眺めるユウを少し離れた場所でマリファは見つめていた。


「お姉さま、どうかされましたか?」


 ヴァナモが心配そうにマリファへ話しかける。


「なんでもありませんよ。私のことはいいので、あなたはご主人様の傍についておきなさい」

「はい」


 マリファの言葉を受け、それ以上は問い質すこともなくヴァナモはユウのもとへ向かう。


(まだ聴覚は完全には戻っていませんね)


 実はセイテンの咆哮によって、マリファの三半規管は揺らされ乱れていた。そのせいで身体のバランスが崩れて、ふらつくのをマリファは意思の力によって無理やり抑えてつけているのだ。


(ご主人様はあんな至近距離で咆哮を受けて、大丈夫なのでしょうか)


 以前、ユウはCランク迷宮の『魔鳥の籠』に生息するコカトリスの『超音波』によって耳を負傷していたのを、マリファはあとになって知る。


(離れていた私でも、これほどのダメージを負っているのです)


 ユウの身体の心配と同時にマリファは疑念がもう一つあった。


(それにあのときのご主人様は、なにかおかしいご様子でした)


 普通の者ならば気づかない。そもそも疑おうとすら思わない。それほど小さな違和感である。宗教の偉大な指導者たちに匹敵するほどユウを信仰しているマリファだからこそ気づけたのだ。


(ニーナさんの声がきっかけ――――だったように思えます)


 ニーナに不審な点はない。怪しい素振りも、スキルの発動どころか、魔力すら身体から発していなかったのはマリファも見ている。それでもマリファの中のなにかが訴えかけるのだ。この女・・・に気を許すなと。


(私の考えすぎでしょうか)


 今もニーナは楽しそうにティンたちと談笑している。三半規管の揺れが治まってきたところで、マリファはユウのもとへと向かう。


「ご主人様、さっきのお猿さんと勇者はどちらが勝つと思いますか?」

 アイスを舐めながら話しかけるティンに、ヴァナモがお行儀が悪いと注意するも、ティンはどこ吹く風である。


「そりゃ強いほうだろ」

「え~。その言い方はズルくてやんなっちゃう」

「いくら死徒とはいえ、相手が勇者では勝つのは難しいのでは?」


 グラフィーラが珍しく会話に参加する。狼人の血なのか、戦いのことになると興奮してしまうのだ。


「……私なら勝てる」

「えー。レナが猿に勝てるかな。だって、すっごい強そうだったぞ! それになんかカッコよかった」

「……お姉ちゃんでしょ。それに私のほうがカッコイイ」


 ナマリの前でカッコつけたいレナであったが、あいにく今はアイスを食べている最中なので、杖を振るってポーズを決めることができなかった。


「私は猿人が勝つと思うな! やっぱ純粋な戦いなら、人族より獣人族のほうが強いもんだ」


 虎人のメラニーとしては、獣人族が人族に負けるのは嫌らしい。


「猿人じゃなく猴人こうじんだ。それに勇者なら、なおさら強いほうが勝つだろうよ」


 意味がわからずキョトンとするナマリたちをよそに、ヴァナモはユウの言っている意味を即座に理解する。


「あの猿――――いえ、猴人が勇者・・と、ご主人様は仰るのですか?」

「そうだ。あいつは勇者だ」


 ティンたちが驚きの喚声を上げる。「死徒なのに勇者っ!?」「獣人に勇者がいたなんて」「勇者がイモータリッティー教団に入信したのでしょうか」「勧誘された可能性も」反応は様々である。


(順当にいけば、セイテンが勝つだろう。共倒れになってくれれば手間が省けるのにな)


 騒ぐティンたちをよそに、ユウはなんでセイテンに追跡ようの従魔を放たなかったんだろうと、そうしていれば両者の戦闘が終わった際に、たとえ両者が生き残っていようと止めを刺すことができたのにと、頭を悩ませるのであった。



「ぐっ……ごほっ」


 巨大なクレータの中心地から、積もる土を払い除けながら一人の男が立ち上がる。カノムネート王国から下賜された聖鎧マジェスティー、オリハルコンと聖銀などを混ぜ合わせて作製された対物理・対魔法に優れた鎧は原型を留めておらず、イジドーロの上半身は露わになっている。同じく清光のマントも燃え尽きたのか欠片すら見当たらない。


「おほっ、オレっちの『火之迦具土神』を受けて生きてるとは大したもんだ」


 イジドーロの頭上から声が聞こえる。空を見上げれば、宙に腰掛けるようにしゃがんだ状態でセイテンが見下ろしていた。


「はぁはぁ……だ、ぐふっ……黙れっ! 勇者は負け……ないっ」

「だからオレっちも勇者って言ってんだろうが」

「邪教に勇者が誕生してたまるものかっ!!」

「うへぇ~。ここまで話が通じないと、さすがのオレっちもうんざりしてくるぜ。

 いいか? オレっちはフィルシーの大樹海出身よ。イモータリッティー教団に勇者が誕生したんじゃねえ。勇者がイモータリッティー教団に入信したんだ」


 頭上を睨みつけながら、イジドーロは傷の回復に努める。


(いいぞ。その調子でもっと話せ)


 『勇体』――――勇者に備わる身体能力・魔力・回復速度などの能力が備わる優れたスキルである。回復魔法を使わずとも、こうして会話を続けることでイジドーロは身体を癒やすことができるのだ。


「さて、身体も治ってきたようだし、続きをやろうか」


 不敵な笑みを浮かべながら、セイテンが地上へ降り立つ。

 自身の考えを見透かされていたことにイジドーロはわずかに動揺する。


(認めたくはないが接近戦では勝負にならない)


 現状をイジドーロは冷静に分析する。万全の状態でも敵うかどうかわからぬ相手に、今は鎧とマントを失っているのだ。活路は遠距離戦にあると戦術を組み立てていく。


「オレっちと接近戦はしたくないわなぁ」


 また心を見透かすセイテンの発言に、イジドーロの顔が一層険しくなる。だが、たとえ自分の狙いがバレていようとやることは変わらない。

「獣にしては随分と知恵が働くじゃないか」

「そりゃ獣人を馬鹿にし――――ちっ」


 先に仕掛けたのはイジドーロである。精霊魔法第6位階『テンペスト』を発動する。通常の数倍はあろうかという威力・規模の嵐が、土を巻き上げながらセイテンの視界を覆う。


(よし、距離は取った。ここから一撃だ、一撃でけりをつける!!)


 次に発動する魔法にイジドーロはごっそりとMPを持っていかれる。


「うきっ、勇者ともあろう者が目眩ましなんてやめようや」


 如意金箍棒を大地へ突き立て、嵐に耐えるセイテンが目を凝らしイジドーロを探すも、あまりの視界の悪さになにも見えない。そこにさらに強烈な上昇気流がセイテンを空へと巻き上げる――――否、天地が逆さまになったような感覚に自分が巻き上げられているのか、それとも落ちているのかすら認識できなくなる。

 イジドーロが放ったのは精霊魔法第9位階『スーパーセル』である。『テンペスト』とは比較にならぬ強烈な嵐は雷雲を伴っており、セイテンは風に斬り刻まれながら雷にも襲われている。イジドーロは戦争で数千から数万人規模の軍隊に使用する戦術魔法を、セイテンただ一人を殺すためだけに使用したのだ。


「真の勇者は邪教の勇者になど負けぬっ!」


 疲労と蓄積するダメージにより、イジドーロは今すぐ横になりたいほどの睡魔に襲われるが、さらなる追撃のために戦技『不懐ふかい』『止水』『恐無サイコ』を発動する。それぞれ信念により心身を強化、意識をクリアにし集中力を増し、一切の恐怖・・をなくす技である。そう、イジドーロはセイテンに恐怖を抱いているのだ。誰よりも、勇者として立ち向かわなくてはいけないモノに。


「うぎぎっ。強力っちゃ強力だけどよ。これでオレっちを倒そうなんて――――」

「死ねっ!!」


 不意打ち――――それも接近戦である。強力な遠距離魔法で接近戦を避けるような攻撃を仕掛けておいて、これにはセイテンも驚く。

 溜めのいる勇剣『絶・空集ぜつ・くうしゅう』、セイテンの遥か上空に移動したイジドーロは自由落下を利用して、溜めをしながらセイテンへ攻撃を仕掛けたのだ。


「下からかっ!」


 上下の感覚がなくなり自身が落下していることに気づいていないセイテンからは、イジドーロが下から攻撃を仕掛けたように見えただろう。

 攻防は一瞬であった。イジドーロの放った『絶・空集ぜつ・くうしゅう』はセイテンが防御する間もなく、下腹部から頭頂にかけて唐竹割りに斬り裂く。斬撃はセイテン諸共、大地へ巨大な傷痕を刻み込む。


「はぁはぁっ……」


 精魂尽き果てたイジドーロは残心を取ることすらできずに、その場で膝をつく。


「私の……勝ちだっ」


 ふらつきながら立ち上がったイジドーロが聖剣風輪を掲げて勝利宣言をする。


「うききっ。そりゃ良かったな」


 信じられないといった表情でイジドーロが振り返ると、そこにはセイテンが如意金箍棒を肩に担いで立っていた。


「ん? オレっちが生きてて不思議って顔だな? しゃーない優しいオレっちが教えてやるか。ほれっ」


 セイテンが人差し指と親指で頭の毛を毟り取り、ふっと息を吹きかける。すると、たちまち毛からセイテンが数十人ほど現れる。


「分身ってやつさ。お前さんがなにやら企んでそうだったんでな、念のためってやつよ?」


 すでに勝敗は決したと言っても過言ではないだろう。一方は万全の状態、もう一方は心身ともに限界まで力を使い果たしているのだ。

 だが、イジドーロは刃毀れした聖剣風輪を手にセイテンへ斬りかかる。


「かっ!!」

「ただのイケメンかと思いきや、根性あるじゃねえかっ!!」

「負けぬっ! 負けるわけにはいかぬ!!」

「うききっ。こっちも負けてやるわけにはいかねーな!!」


 すでにまともな剣戟を繰り広げる余裕もないイジドーロが最後に頼った技は勇剣『風輪霞斬』――――刹那の間に必殺の斬撃を繰り出す技である。だが、その刹那の斬撃が見る影もないほど、セイテンが欠伸をしてても躱せるほど、その威力・速度は劣化していた。


「もう仕舞いにしようや」


 これまでのふざけた様子から一転、真剣な眼差しとなったセイテンが如意金箍棒を構える。繰り出したのは棍技LV3『捻転棍ねんてんこん』である。

 槍技の『螺旋』の棍バージョンなのだが、その流れるような一切の無駄がない動きにイジドーロは時が止まったかのように見惚れてしまう。

(美しい……)


 そのまま螺旋の回転を伴った如意金箍棒が、吸い込まれるようにイジドーロの鳩尾きゅうびを穿つ。


「どうして同じ勇者でこうも違うかわかるか?」


 仰向けになって倒れるイジドーロの顔を覗き込みながら、セイテンが問いかける。


「病み上がりだったから? かもな。勇者としての資質? それはあるだろうな。武具の差? 当然それもある。だが、一番大きなのは勇者としての行動よ」

「わ……わた、しが……貴……様より……ごふっ」


 言葉を言い切れずにイジドーロが吐血する。だが、その眼は敗北を受け入れた沈んだ眼から、殺気の籠もった鋭いものへと変化した。


「勇者の力の源は無欲無私よ。自分のためじゃねえ、他者のために、それも弱者のために、その力を振るうとき最高の力を発揮する」

「わ、私がっ……私欲で、ちかっ……がふっ…………ふ、る……? と、りけせ……侮じょ…………っ」

「なら、なんでお前さんは信徒狩りなんてやってたんだ?」


 イジドーロの瞳に動揺の色が浮かぶ。


「そうだろ? お前さんの仇はイモータリッティー教団の信徒じゃねえ、メリットだろうが。あいつは逃げも隠れもせずに行動してる。なーんでお前さんはメリットを直接殺しに行かずに、わざわざ信徒狩りなんて面倒なことをしたんだい? おかしいだろうが」


 なにか言おうとするも言葉が出てこないのか、イジドーロは黙ったままである。


「そういう性根が勇者の力を万全に発揮できなかった一番の理由よ。勇者として他者のため戦うオレっちと、私怨で他者を襲うお前さん、勝負はやる前からわかってたんだよ。おいっ、来ていいぞ」


 セイテンが呼びかけると、姿を現したのは栗鼠人の男である。その手には短刀が握られていた。


「な、にを……させ……るつも……りだ。ぐっ、止めなら…………貴様がっ、刺せ」

「そりゃオレっちだって、そうしてやりてえところなんだが、約束しちまったからな。お前さんの止めは譲ってやるってよ」

「ふ、ざけるなっ! こん、な……雑兵に……私が、こ――――やめ」

 栗鼠人の男がイジドーロの胸へ短刀を突き立てようとすると、イジドーロは右手で短刀を持つ手首を握り締めて抵抗する。


「お前さんにとっちゃ、名もなき雑兵かもしれねえが。そいつにはちゃーんと名もある、一人の獣人よ」

「死ね、死ね! 死ねっ!! 妻のっ、息子の仇だっ!!」


 血走った眼で栗鼠人の男が手に力を込める。死にぞこないにもかかわらず、イジドーロの抵抗に手こずっているようだ。


(私の最期が、カノムネートの『暴風の勇者』として、戦ってきた私の最期が、このような惨めなものであっていいはずがないっ! 力を、勇者の力を今こそ振り絞るんだっ!!)


 窮地にこそ勇者の力は発揮される。

 イジドーロの願いに応えるかのように、全身に力が漲ってくる。だが――――


「まあ、もうわかっていると思うけどよ。そいつの妻と息子をお前さんが殺したんだ」

「じゃ、邪教徒をっ……ころ――――」

「違うんだよ。そいつがイモータリッティー教団に入信したのは、家族を失ってからだ。つまり、お前さんが無実の家族を一方的に殺したんだよ。相手が獣人だからって聞く耳も持たなかったそうじゃないか」


 漲っていた力が急速にイジドーロの身体から失われていく。そして、ゆっくりと短刀の刃が胸へ突き刺さっていく。


「ま、……で、ぐ……れ。はな、しを……わたっ……」

「ふざけるな!! 俺の妻と息子を殺しておいて、話を聞いてくれだと!? お前が、ほんの少しでも妻の言葉に耳を傾けてくれていればっ!! 返せっ! 俺の妻と息子をっ! 返しやがれっ!!」


 栗鼠人のまなこからこぼれ落ちた涙が、イジドーロの顔に当たって弾ける。すでにイジドーロの抵抗は意味をなしておらず、短刀は深々と胸に突き刺さっていた。何度も、何度も、栗鼠人の男は短刀をイジドーロへ突き刺す。それはイジドーロが動かぬ屍と化したあとも続いた。


 それから数日後、カノムネート王国に激震が走る。ウードン王国のとある都市で『暴風の勇者』イジドーロ・ラリラ・コスタンティーニの生首が晒されたのだ。


“この者、勇者を騙る不届き者なり”


 生首を乗せた台座の横に設置された看板には、このように書かれていた。その言葉に続くのは、イジドーロの行ってきた所業が事細かに書かれており、最後にはイモータリッティー教団が天に代わって成敗したと締め括られていたのだ。


 情報が入ってくるに連れて、カノムネート王国の王侯貴族に文官や騎士団は真っ青になる。

 見つかった場所も悪かった。自国内であれば緘口令を敷くことができたかもしれないが、他国であったために情報を封鎖することもできず。そもそもウードン王国から連絡があったのは『解析』スキルの使い手によって、多くの庶民が見守る中イジドーロ本人と確認されてからである。


 この出来事は瞬く間にレーム大陸中へと広まっていき、人族の国家は今後の他種族への対応に追われることとなり、反人族を掲げる他種族の組織は勢いを増すこととなる。

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