第337話 一流と二流

 ざわつく野次馬をよそにイジドーロは笑みを浮かべる。これで雪辱を果たすことができると。


「なにかおもしろいことでもあったかい?」


 セイテンが顎を掻きながらイジドーロへ問いかける。


「なにを言っている」

「およよ。気づいてなかったのかい。お前さん、フードで顔を覆っちゃいるが、笑っているのが隠せてないぜ」


 イジドーロは自らを戒めるようにフード越しに口元を手でさっと一撫ですると、笑みを消す。


「血眼になって探していた死徒が、自ら殺されに来たのだ。自然と笑みが出るのも仕方がないというものだろう」


 自信に満ち満ちた発言であった。事実、イジドーロの佇まいは全身から威容を誇っている。自分が負けるなどと微塵も思っていないのだ。


「オレっちを前に大した自信だ」

「私から逃げられるとは思わないことだな」

「うききっ」


 それは嘲笑の笑いであった。


「なにがおかしい」

「お前さんのことは聞いてるぜ? メリットから随分と無様に逃げたらしいじゃないか。それも年寄りの婆さん、爺さんを置き去りにしてよ。オレっちにはとてもじゃないが真似できないぜ。でよ、そんな奴がオレっちに向かって言うわけよ。私から逃げられるとは思わないことだなって――――うききっ、こりゃ笑わずにはいられないだろ」

「貴様っ――――」


 イジドーロのもっとも触れられたくない部分であった。

 メリットと激しい戦闘を繰り広げていたイジドーロであったが、このままでは勇者が敗北すると判断した『バラキオムの大魔女』ことミロスラーヴァ・ベリンェ・アントネンコによって戦場外へと吹き飛ばされたのだ。急いで戦場へ戻ろうとしたときにはすでに自軍は敗北しており、連合軍の実質的な大将である『カノムネートの英雄』ゼファー・ブラッドォ・クリヴォフに退却を命じられる。

 このままでは自分はメリットから逃げた卑怯者と罵られると、命令を拒否しようとするも、ミロスラーヴァの死を無駄にするなと、勇者が勝てぬとわかっている敵と戦って死ぬなど、ましてやその相手が死徒であってはならぬというゼファーの説得により軍を率いて退却する。しかし――――後ほどわかったことなのだが、ゼファーはイジドーロに退却を命じておきながら、自身は退却する軍の最後尾、つまり殿しんがりとして不死の傭兵団の足止めを行い戦死していたのだ。


「負けるわけにはいかない」


 カノムネート王国へ逃げ帰ったイジドーロへの周囲からの目は冷たいものであった。それだけ王侯貴族、国民にとって英雄ゼファーの存在は大きく、また勇者であるイジドーロは期待されていたとも言えるだろう。

 英雄と勇者というカノムネート王国が誇る二枚看板のうち、一枚が欠けたのだ。カノムネート王国の威信を、自身の誇りを取り戻さなくてはいけない。イジドーロは謹慎中にもかかわらず、誰にも相談せずにイモータリッティー教団の信徒を狩り始める。その手はやがて他国にまで伸びていく。


「そんな怖い顔をしなくても――――待てっ」


 これまで余裕の表情を微塵も崩さなかったセイテンの顔が強張る。その視線の先はイジドーロではなく――――


「そこの黒髪のチビ、ちょっと来いや」

「チビはお前だろうが。用があるならお前が来い」


 ――――ユウであった。


「ちーとばかし待ってろ」


 セイテンはイジドーロに軽く手を振ると、ユウのもとへ向かっていく。対するユウもマリファたちに退くよう指示を出し、同じくセイテンのもとへ向かっていく。


「うきっ、女に護ってもらう情けない男じゃねえようだな」

「なんの用かと思えば、減らず口を叩きにきたのか? 死徒ってのは随分と暇なんだな」


 同じ目線でユウとセイテンが睨み合う。セイテンの身長は152~153センチほどであろうか。だが、見た目以上に大きく見えるのは錯覚ではないだろう。その身に纏う空気や所作から見る者には一回りも二回りも大きく見えるのだ。


ゴーリア・・・・、この名を知らねえとは言わせねえ」

「知ってる。屑の名だ」


 煽るユウの言葉にセイテンのこめかみに青筋が浮かび上がる。自然とユウたちを囲む野次馬の輪が拡がっていく。セイテンから発される圧力が爆発的に増しているのだ。


「お前さんの言うようにゴーリアはどうしようもねえ屑野郎だ。だけどよ、ジャーダルクの連中に目の前でかーちゃんをぶっ殺されてみろ? そら心も壊れるってもんだ」


 怒りを抑え込むようにセイテンの鼻から勢いよく鼻息が出る。軋む音は歯を食いしばっているからだろう。


「俺の知ったことか」

「コラッ、クソガキ」


 今にも喰い殺さんばかりに犬歯を剥き出しにしたセイテンが、さらに距離を詰めると互いの額が触れ合う。


「あんま調子こいてると殺しちまうぞっ」

「息が臭えから喋んな」


 凄まじい睨み合いである。

 互いに赤眼同士――――一方は澄んだような綺麗な赤色、もう一方は濁ったような赤黒い、どちらも目をそらさない。


「あんなでもオレっちが可愛がってた弟分だ」

「そんなに可愛がってたのなら、同じところに送ってやるよ」


 怒りを全身で表現するかのようにセイテンの体毛が逆立つ。さらに鼻から勢いよく空気を吸い込むと上半身が膨らんでいく。限界まで吸い込んだところで、口を大きく開くと。


「ホギャア゛ア゛アアアアーーーーーッ!!」


 まるで地響きのような咆哮であった。

 頭の先から足の先まで震わす咆哮をまともに受けた野次馬の何人かは、その場で気を失いひっくり返る。


てめえ・・・には手を出すなって上から言われてっからよ、今は見逃す。だが――――いつか必ず報いをオレっちが受けさせてやる」


 咆哮と一緒に怒りまでも吐き出したのか。スッキリした顔でセイテンはイジドーロのもとへ向かっていく。去っていくセイテンの背をユウは見つめていた。


(いつか? 次があると思ってるのか、馬鹿がっ。今この場で殺してやる)


 背の大剣を鞘から解き放ち、背後から斬りかかろうかとしたそのとき――――


「ああーーーーっ!!」


 悲鳴のような大声が聞こえる。

 見ればニーナの食べていたアイスが地面に落ちていた。「くだらない」と内心で呟き、ユウは再び攻撃に移ろうとするも。


「ユウ~私のアイスが~」


 急激にユウの殺気が――――いや、セイテンを殺そうとしていた感情が消えていく。

 これにユウは違和感を覚える。


(なんだ……これ)


 どうしてこの程度のことで死徒を殺せる機会を――――ユウの考えがまとまる前に、かき消すように思考が霧散していく。


(この違和感……初めて・・・じゃない)


 今まさに攻撃を受けているとユウは認識する。


(そうだ、この感じはニーナがベッドで……それに風呂…………一緒にっ)


 抗おうと固有スキル『並列思考』でいくつもの思考を巡らすも、その一つ一つが丹念に次々と消されていく。


「ユウ~! 聞いてるの?」

「わかった、わかったよ。新しいの買えばいいんだろっ」

「やった」

「ニーナ姉ちゃんだけズルいぞ! オドノ様、俺もっ!」


 結局、ユウはこの好機をみすみす逃す。なぜ? という疑問すらすでに忘れており、ニーナに小言を言いながら新しいアイスを買うために売店へ向かう。


「……どうかした?」

「いえ」


 不思議そうにレナがマリファに問いかける。マリファの視線の先には、ユウのあとを追うニーナの姿があった。



「悪いな。オレっちの都合で場所まで変えてもらってよ」


 セイテンとイジドーロは町から離れた山間の草原地帯へと移動していた。


「気にする必要はない。相手がいくら邪教徒とはいえ、私とて勇者としての慈悲の心くらい持ち合わせている。死に場所くらい選ばせてやるさ」

「うききっ。勇者ねえ」

「その気味の悪い笑みが、いつまで浮かべていられるか試してやろう」


 イジドーロの身体が弾かれたかのように吹き飛び、セイテンへと迫る。精霊魔法第1位階『風弾圧フーフリー』を自身の背後に当てることにより、予備動作なしでの高速移動を可能としたのだ。その勢いを殺さずにイジドーロは聖剣風輪で斬りつける。


「うきっ。その程度じゃオレっちに傷をつけることはできねえな」


 様子見の一撃とはいえ、セイテンは手にした棒で難なく剣を受け止める。


「ほう……。たかが棒で私の剣を受け止めるかっ」

「ただの棒じゃねえんだな、これが」


 剣に体重をかけ力で押し切ろうとするも、逆にセイテンの膂力によってイジドーロは押し返されてしまう。


(油断ならぬ相手だな)


 わずか一合の打ち合いにて、小手先の技では埒が明かぬとイジドーロは判断する。さすがは勇者の名を冠するだけはあると言えよう。


「勇者の剣を受けてみよっ!!」


 聖剣風輪の刀身が翡翠色に輝く。放たれるのは勇剣『風輪霞斬』――――この技で仕留めきれなかった相手はメリットただ一人。それ以外の相手は人であれ、魔物であれ、全てを斬り裂いてきたのだ。


「うっきー。こりゃおもしれえや!」

「ほざけっ!!」


 緩急自在の数十もの斬撃が秒間で絶えず叩き込まれるのだ。喰らう相手は堪ったものではない。

 だが――――その刹那の斬撃をセイテンは捌いていた。眼球を忙しなく動かしながら、一つ残らず斬撃を受け、流し、弾き、防いでいく。


(ば、馬鹿なっ!? なぜ受けきれるっ! そもそも、なぜたかが棒を聖剣で切断することができぬのだ!!)


 メリットとの戦いによって、イジドーロの聖剣風輪は刃毀れなど少なくない損傷を負っていた。それでも――――それでもだ。棒を剣で断ち切れぬ道理がない。


「どうした? そんな驚いた顔しちゃってさ。オレっちの美技に見惚れちまったかな」

「美技……だと」

「おうよ。オレっちクラスになると、単純な受けでも技へと昇華しちまうんだよな、うききっ」

「では、私の聖剣が貴様の棒を断ち切れぬのは技量の問題だと言いたいのかっ」

「そうだよ、と言いたいところだが。そんなわけねえだろ」


 セイテンはクルクルと頭上で棒を回しながら語りかける。


「その聖剣、等級はいいとこ2級ってところだろ? オレっちの眼力を以てすれば『鑑定』スキルなんかなくても、わかっちまうもんなんだよな」

「だったらどうだというのだ」

「うきっ、そう興奮するなって。せっかく誰の邪魔も入らねえんだ。ゆっくりと戦いを楽しもうじゃねえの。

 それにしても、その聖剣はお前さんにピッタリだ」

「なにが言いたいっ」

「二流の勇者に2級の聖剣、お似合いだって言ったんだ」

「ふざけるな!!」


 激昂したイジドーロが精霊魔法第7位階『巻尖風暴飛トル・ナード』を放つ。巨大な渦が槍のように草原を抉りながらセイテンへと迫るが、それを宙へ高く飛び跳ねて躱す。


(失敗したな。宙では次の攻撃は躱せまい!)


 聖剣を上段に構え、イジドーロは勇剣『絶・空集ぜつ・くうしゅう』を放とうとする。

 だが――――


「およよ? どうした。攻撃してこねえのかい」


 宙から落下するはずのセイテンは、その場に留まっていた。これでは技を放っても躱されると、イジドーロは構えたまま剣を振るわない。


「うっきー。言っとくが魔法じゃねえぞ。この靴に備わったスキルよ。オレっちの装備はどれも1級品ってやつさ。で、お前さんがさっきから馬鹿にしてるこの棒も当然1級品よ。その名も如意金箍棒にょいきんこぼうってんだ。どうだ? オレっちに相応しいかっけええ名前だろ」

「1級……だとっ」

「おうよ。やっぱ一流の勇者・・・・・には1級品の装備じゃないとな」


 隙を窺っていたイジドーロの頭が一瞬だが真っ白となる。それは致命的な隙であったが、セイテンは攻撃を仕掛けることもなく、反応を待っていた。


「貴様がっ……貴様が私と同じ勇者だとっ」

「なーにをそんな驚くことがある。まさか勇者は人族の独占とでも思ってたわけじゃねえだろうに」

「そのような戯言で私の油断を誘うつもりか」

「うききっ。さっきから隙だらけのくせに、なにを言ってんだか」


 邪教に勇者がいてたまるものかと、イジドーロはセイテンのいる宙へと翔ぶ。剣だけでなく、超一流の風魔法の使い手でもあるイジドーロにとって、空中戦は不得手ではない。むしろ望むところである。


「ネタバレになっちまうが、さっきの受けも勇技の一つよ」

「黙れっ!!」


 空中にて激しい斬撃を放つイジドーロと、その斬撃をこともなく受け切りながら攻撃を繰り出すセイテンとの応酬で火花が散る。


「死ねっ!」


 怒りで我を忘れながらも、身体に染みついた戦闘経験は膨大。故に最適なタイミングで無数の斬撃と牽制が自然と繰り出される。その合間にイジドーロは剣技LV6『咲乱剣舞しょうらんけんぶ』を強引に発動させる。


「おほっ。こりゃ激しい剣戟だ」


 時が止まったかのような一瞬に放たれた乱れ狂う剣戟の中、イジドーロの常人を遥かに凌駕する動体視力はそれを見た。流れるような美しいセイテンの技の妙技を。

 そして――――セイテンと眼が合う。


「見たか? これが勇棍『天地転流あまちてんりゅう』だ。ついでにこれも見ていけ!」


 突如、セイテンの身体が火に包まれると、巨大な火の巨人が現れる。


「見たな? 見たなら――――死んどけっ!!」


 火の巨人はその巨躯に相応しい巨大な棍を握っており、そのままイジドーロの頭上目掛けて振り下ろされた。咄嗟に聖剣と風魔法で防御するも巨大な棍は聖剣諸共、イジドーロを大地へと叩きつける。その衝突音は山々だけでなく近隣の町や村にまで響くほどで、大地へ大きな傷跡を残すのであった。

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