第336話 蚊帳の外

 リューベッフォはウードン王国北部に存在する都市で、北は自由国家ハーメルン、西は聖国ジャーダルクから絹をはじめとする服飾に使える様々な繊維が、東はセット共和国から小麦から肉と主に食べ物が輸入されており、美食、ファッション、さらに建築物の美しさからウードン王国で最も美しいと謳われる都市である。


「ご主人様、これ見てください」


 度の入っていない色付き眼鏡をかけたティンが、ユウに向かってアピールする。その眼鏡はレンズの枠部分がハートの形をしており、なんともメイド服姿のティンとは合わない。その横ではナマリも同じような星型の眼鏡をかけている。さらには普段は寡黙で冷静なネポラやグラフィーラまでもが、眼鏡をかけ羽目を外しているのだ。


「ティン、あまり私に恥をかかせないように」

「もう、お姉さまが真面目すぎてやんなっちゃう」


 もう何度目かはわからない小言にマリファはため息をつく。

 現在ユウたちはリューベッフォに向かっている最中で、その途中に立ち寄った町や都市で宿泊や買い物を楽しんでいる。今いる場所はリューベッフォから南に約100キロほどの山間部にある町の甘味屋で、流通の要として発展してきた場所なのだ。

 ティンたちがかけているこの眼鏡も、王都で立ち寄った際に雑貨屋の店主から流行だと言われ購入した物である。


「みんな旅行を楽しんでるよね~」


 右手で眼鏡をクイッ、と上げニーナはユウに話しかけながら、反対の左手にあるアイスクリームをぺろりと舐める。


 いくら各種族からユウのもとへ送り込まれた優秀な人材とはいえ、まだ遊びたい盛りの十代の少女たちだ。ましてユウに拾われるまでは遊ぶどころか、その日を生きていくことすら危うい環境で育ってきた。そんな少女たちが華やかな都会への憧れや流行のファッションに身を包みたいと思う気持ちは、なんら恥じることではないだろう。


「なんでニーナたちまでついてくるんだよ」


 めんどくさそうにボヤきながら、ユウはみんなと同じように眼鏡がかけられず拗ねているモモにアイスを食べさせる。


「……私たちだけ置いてきぼりなんて許されない」

「そうだよ~。レナの言う通り! 私たちだけお留守番なんてぜ~ったいにダメなんだからね」


 本来はビクトルに頼まれて商談の話でリューベッフォへ向かっているのであって、旅行などと遊興目的などではないのだ。ただ、ティンたちは普段はカマーにあるユウの屋敷にいるために、お出かけなどしたことがないので、ユウはついでに連れていくことにしたのだが。


「ご主人様、ティンが申し訳ございません」


 堕苦族のヴァナモが申し訳なさそうに謝罪するのだが。しっかりと変な眼鏡はかけていた。生真面目なヴァナモの言動とそのギャップに、ユウは思わず声にこそ出さないものの堪えきれずに笑ってしまう。


「二、ニーナさん、今の撮っていただけましたね」

「とる? マリちゃん、なにをとればいいのかな~」


 普段は滅多に見れないユウの笑みに、マリファが慌ててニーナの服を引っ張りながら確認する。


「決まっています。ニーナさんの写眼具で、ご主人様の笑みをです」


 写眼具とは王都のオークションでユウがニーナのために落札した魔道具である。その効果は見たものをそのまま紙へ写すことができるのだ。しかも、ニーナが所有する写眼具は等級が高く、白黒ではなくカラーで写し撮ることができる優れ物であった。


「え~。今の一瞬を撮るなんて無理だよ~。それに今はアイスクリームも食べてるし」

「使えない人ですね」

「ひ、酷いよマリちゃん」


 底冷えするようなマリファからの冷たい視線と言葉に、ニーナは戦慄する。


「ご主人様、どうかされましたか?」


 ヴァナモが心配そうにユウへ話しかける。自分が原因でユウが笑いを堪えていると気づいていないのだ。ヴァナモが真面目な顔をすればするほど、ユウは笑うのを我慢するために険しい表情になる。すると、ユウが我慢しているのに気づいているティンが悪い顔をする。


「ご主人様、どうされたんですかっ!? ティンは心配でやんなっちゃう」


 両手を広げて、さらに身体を左右に揺すり、なにやらアピールしながらティンはユウにゆっくりと近づいていく。


「やめろ。どうもしてないから俺に近づくな」

「ええ~。でもさっきからなにやら様子がおかしくてやんなっちゃう」


 その後は背中を向けて逃げていくユウのあとを追うティンと、さらにナマリとシャドーウルフのエカチェリーナが不思議そうに二人を追いかける。なんとも奇妙な光景が続く。


「……リューベッフォには明日には着く?」


 マリファがティンを捕まえたことで、やっとくだらない追いかけっこから解放されたユウへ、レナが問いかける。


「ああ、明日には着くな」


 約100キロの距離を――――それも碌な舗装もされていない道のりを、わずか一日で到着とは通常ならあり得ないのだが、ユウはアンデッドの従魔に馬車を引かせているので問題はないのだ。


「お前だけ先に行っとくか?」


 レナは揺れる馬車の振動でお尻が痛いと、途中からは馬車に乗らずにミスリルの箒に跨って空中を移動していた。


「……お前ではない。でもたまにはこういうゆっくり移動するのもいい」

「レナもたまには良いことを言うんですね」

「……いつもでしょ」


 レナとマリファのやり取りにティンたちは笑みを浮かべながら見守っていると、なにやら通りが騒がしい。


「オドノ様、なんか来てる」


 通りの先へ視線を向けると、旅人や商店の店員たちが悲鳴を上げている。原因は竜巻――――それも自然現象ではまずお目にかかれない縦ではなく横に渦を巻きながら移動しているのだ。


「退けっ、お前ら道を開けろっ!!」


 獣人――――栗鼠人の男が通りにいる人々を軽やかに躱しながら、竜巻から逃げていた。


「ティン」


 マリファが名を呼ぶ前に、すでにティンたちはユウを護る配置に移動を終えていた。


「うわあぁぁっ!」


 竜巻は砂埃だけではなく、その辺に落ちている石や小枝――――さらには商店の重石を乗せて固定していた看板までも石ごと巻き上げ、吹き飛ばす。その石と看板の一つが通りで遊んでいた子供たちの頭上へ落ちていく。子供たちは悲鳴を上げるだけで動けない、このままでは直撃というところで――――


「くそっ」


 子供たちに気づいた栗鼠人の男が、わざわざ進路を変えて石と看板へ見事な二連蹴りを叩き込む。間一髪で子供たちは危機から逃れることができた。


「なにしてる! 早く逃げ――――ぐあっ」


 竜巻が生き物のように栗鼠人の男を飲み込み巻き上げる。そのまま天高く昇っていき、次に急下降して地面へ叩きつけた。暴風と人体が大地へ叩きつられる轟音に、避難していた人々が耳を手で塞ぐほどである。


「ぐっ……ち、ちきしょう……俺としたことが…………げふっ、ヘマをこいちまったぜ」


 地面との衝突で内臓を痛めたのか、栗鼠人の男は血を吐き出す。


「邪教の信徒め、この私から逃げられると思うたか!」


 突如にして竜巻がかき消えたかと思うと、暴風の中から男の声とともにその姿を現す。青のマントに若緑色の甲冑、顔こそフードで覆い隠しているものの、腰にく剣は見る者が見ればひと目で気づくだろう――――聖剣風輪だと。

 つまり、この男の正体は――――カノムネート王国が誇る『暴風の勇者』ことイジドーロ・ラリラ・コスタンティーニである。


「こそこそと……顔を隠してる奴に言われたくねえな」


 口元の血を拭いながら栗鼠人の男は、イジドーロを睨みつける。戦意喪失どころか、全身に殺気を漲らせているほどだ。


「貴様などと違って私には立場があるのでな。他国で公に活動するわけにはいかぬ」

「へっ、活動だ? 好き勝手に暴れてるだけじゃねえかよ、なあ? そよ風・・・の勇者さまよ。わざわざカノム――――ぎゃあっ!」


 栗鼠人の男の頭部が、後ろへ折れんばかりに反る。イジドーロが放った精霊魔法第1位階『風弾圧フーフリー』によるものである。

 本来であれば、風を指先ほどの大きさに圧縮して放つ魔法なのだが、イジドーロが放てば手加減しても人の頭部ほどの大きさになるのだ。そしてその威力は――――


「が、がふっ……お……お、れは…………まだ、しん……死んでねえ、ぞぉ……?」


 歯が砕け、鼻が千切れかけ、片目が破裂していた。それでもなお、栗鼠人の男は些かも戦意が衰えずに、残る眼でイジドーロを睨みつけていた。


「ほう……屑にしては大したものだ。死徒の居場所を吐けば、楽に死なせてやるぞ」

「お、げふっ……俺が……し……死ぬのは……っ…………てめえが……死んだ……あとだっ!!」


 周囲の野次馬は満身創痍にもかかわらず、栗鼠人の男が放つ鬼気迫る壮絶な姿に言葉を失う。


「オドノ様っ! あいつ悪い奴だ! だってあの獣人は子供を助けてたのに酷いことしてる!!」


 飛び出そうとするナマリの手首をユウが掴む。「なんで?」とナマリが不満をあらわにするのだが。


からなんか来る」


 ユウの言葉と同時にニーナたちは空を見上げる。そこには巨大な火球が浮いていた。


「な、なんだありゃ!?」

「落ちてくるぞっ!!」

「逃げろ、逃げろ! 巻き込まれるぞ!!」


 野次馬たちがパニックになって逃げ惑う中、火球がイジドーロと栗鼠人の男との間に落下する。地面に衝突すると、火球は蕾が花開くように火が一枚一枚の花びらように広がり開いていく。そのさまは美しく、野次馬たちが思わず逃げる足を止めて見惚れてしまうほどであった。


「うききっ」


 その美しい火の花から姿を現したのは――――


「オレっち、参・上っ!!」


 ――――猿であった。

 二足歩行しているということを除けば、まさに猿である。上半身は灰褐色の体毛、下半身は橙色の体毛で、目は赤目。

 身に纏うは肩に長い棒を背負い、鳥の羽根を利用した冠、分不相応な黄金の鎧に靴は紺地の絹布に淡黄色で装飾を施されている。


「えっ、ご……ご主人様、猿が現れました」

「ヴァナモ、なにをバカなこと言ってるの。ティンは恥ずかしくてやん――――猿だわっ!?」


 その衝撃たるや、あのティンですら思わず素になってツッコムほどである。


「オドノ様、あれ猿だ」

「そうだな」


 ナマリの言葉に同意しながらもユウは冷静に猿の実力を分析し始める。


(獣人――――それもかなり純血種・・・に近いな)


 驚くべきことに目の前に現れた猿の獣人をユウは警戒していた。


「おい、おいおい、お~い。な~んだそのザマはよ? 生きてんだろうな?」

「は…………はいっ……す、み……ません」

「いいよいいよ。お前さんが生きてりゃ、オレっちも約束を守れるってもんよ」


 野次馬が先ほどまでの恐怖心はどこへやら。物珍しそうに猿の獣人を眺める者や、連れと笑いながら指差す者など様々である。


「かあ~っ! 人気者は辛いねえ」


 自身が注目されていることに猿の獣人は気を良くする。


「貴様、名を名乗れっ」


 イジドーロは油断なく聖剣風輪・・・・を鞘から抜く。なにしろ先ほどから隙を窺おうとしているのだが、イジドーロの眼を以てしてもその隙が見当たらないのだ。自然と愛剣を引き抜くのも無理はないだろう。


「あはん? オレっちのことを知らないなんて、はは~ん。お前さん、さては引き籠もりで外に出たことがねえな」


 猿の獣人は馬鹿にするように下顎を突き出して、イジドーロを煽る。


「お前さんが探してたんだろうが」

「なにっ!? まさか貴様は――――」


 肩に担ぐ棒を軽々と振り回しながらポーズを決めると、レナとナマリが「おおっ」と感嘆の声を漏らす。


「おうよ! オレっちこそ誰が呼んだかイモータリッティー教団の第五死徒こと『炎神』セイテン様よ!!」


 皆がセイテンの口上に感心する中、ユウだけが「自分で言ってるんだろうが」と冷静なツッコミを入れるのであった。

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