第334話 “ない”
騒ぎが収まったはずの修練場では、多くの者が慌ただしく動き回っていた。
「痛えっ……痛えよおぉぉ……」
「自分から手合わせを願って、この程度で済んで運が良かったですね」
ユウによってズタボロに叩きのめされた者たちを、冒険者ギルドの職員たちが介抱しているのだ。
冷たい対応なのは連日に亘って業務外ともいえる怪我人の介抱と、彼らの目的を薄々ではあるが感づいているからである。
「ひゃ、ひゃめろっ。どこふぇ……つれふえ」
ただし『悪食のゼロムット』の連中を黙々と運んでいるのは冒険者ギルドの職員ではなかった。
「待ってぐ、れ……。アイ、テムポーチに…………ポーションが――――ぎゃあっ、いでえっ!! お、俺に触るんじゃ、いでえ゛え゛ええーっ!?」
「黙れ。お前らに拒否権なんぞない。おい、さっさと運べ!」
「はっ!!」
まるで物でも運ぶかのように――――いや、物どころかそれ以下の扱いである。折れた、または砕けた手足を気にも留めずに掴み、地面を引きずりながら淡々と運んでいるのだ。
この者たちは都市カマーの衛兵である。『悪食のゼロムット』は都市カマーへ来るまでの多くの都市や町、村々で無法を働いてきたのだ。当然、領地を治める貴族が対応するべき案件なのだが『悪食のゼロムット』は構成員約三百名の冒険者クランであり――――さらに盟主のモーヴェはSランク冒険者である。下手に揉めて面倒なことになるのを嫌がり、また自分たちの既得権益さえ侵さなければと、陳情を訴えてきた領民の声を黙殺したのだ。
だが――――
腐っても彼らは貴族、支配階級である。冒険者などという下賤な者たちに、舐められたまま済ますはずがない。『悪食のゼロムット』の目的地が都市カマーであると知ったことから、ムッスへそれとなく知らせる。なにやら怪しげな集団がムッス侯爵領で良からぬことを企んでいると、もしなにか粗相を仕出かすようなら声をかけてくださいと。
当然、ムッスも彼らの思惑を見抜いており『悪食のゼロムット』の
生け捕りにした『悪食のゼロムット』の連中を使って、ムッスが他領の貴族たちと、どのような交渉をするつもりなのかユウは興味はなかった。ただ、条件としてコロとランの都市への出入り禁止の解除――――それもカマーだけではなくウードン王国内においてと、かなりの無理難題をムッスへ伝える。これにはムッスも顔を
『悪食のゼロムット』以外の者たちを半殺しで済ませた理由はもっと単純である。冒険者ギルド内の修練場で一人や二人ならともかく、皆殺しはさすがに冒険者ギルドとしても見過ごすわけにはいかない。いくらユウがモーフィスと様々な面で繋がっているとはいえ、大量の死者がでれば庇えないからである。
もっとも、こんなことは言い訳である。ユウが内心で自分が納得するようそれらしい理由を考えたにすぎない。
本当の理由は一人の少女――――コレットである。ユウは彼女の前だと、どういうわけか殺意が萎んでしまうのだ。事実、何人かは見せしめの意味も込めて殺そうと思っていた。だが、コレットに見つめられると気まずくなり、普段のような振る舞いができなくなってしまう。
「いやはや
「ホッホ、心にもないことを」
野次馬の中にはビクトルとマゴの姿があった。
都市カマーへユウが戻ってからビクトルはある頼みごとのために、ずっと追いかけ回しているのだ。そしてマゴはそんなビクトルを警戒して同じくこの場にいる。
なにしろあれほど気を許すなと申しつけていたにもかかわらず、マゴの陣営から少なくない人数がビクトルに惹かれ始めているのだ。あのユウが容易くビクトルに
「サトウ様、お疲れ様です。ですが、こうも有象無象の輩が連日に亘って押し寄せてくると、気が滅入ってくるのでは?」
まるで長年の友人かのように両腕を広げながら近づいてくるビクトルを、ナマリがユウの前に立って壁となる。ユウの背後ではマリファが凍てつくような眼差しでビクトルを見ているのだが、当のビクトルは意に介さずである。
「まったくだ」
問いかけに同意するユウにビクトルの笑みが深くなる。
「では、気分転換などいかがですかな?」
「ホッホ、ユウ様。いけませんぞ。このような胡散臭い男の言葉に耳を貸しては」
「おや、おやおや? マゴ殿、嫉妬ですかな」
「嫉妬? これは異なことを仰る。あなたよりユウ様と懇意にしている私が、なぜそのような真似をする必要があるのですかな」
「むーん。どうやらマゴ殿は気づいておられぬようだ」
「ホッホ、私が気づいていない? 是非、なにについてなのか教えていただきたいものですな」
ニヤケ顔を浮かべながら
「アガフォン」
「は、はいっ!」
そんな二人を相手にせず、ユウは野次馬の中からこちらの様子を窺っていたアガフォンを呼びつける。ユウの前まで来たアガフォンは緊張からか、動きがぎこちない。頭の上に寝そべるアカネからは「しっかりしなさいよ」と言われるも、軽口を叩く余裕もないようだ。
「今はどんな感じだ」
アガフォンは「なにがですか?」などとは言わない。
「普段は『妖樹園の迷宮』に潜っています。手に入れた素材は冒険者ギルドと、霊木なんかは頼まれてベルントさんところの鍛冶屋に売却してます」
「そうか、頑張ってるんだな」
野次馬たちから「Eランクのくせに生意気に『妖樹園の迷宮』へ潜ってんのか」「ベルントってカマーで一番でけえ鍛冶屋じゃねえか」「気に入らねえな」「どうせユウのおこぼれを貰ってるんだろ」と心無い言葉が投げつけられるのだが、そのような者たちはユウが一瞥するだけで口を閉じる。
「構えろ」
理由も聞かずにアガフォンは言われるがまま、黒曜鉄の大剣を構える。続いてユウが黒竜・燭の大剣を構えると周囲がざわつく。
ニーナがレナに「コレットさんに『結界』を張っておいたほうがいいよ~」と囁くと、レナはわずかに頷きコレットのみならずギルド職員たちにまで『結界』を張る。
「まさか……このまま斬りつける気か?」
「マジか?」
「んなバカな」
「冗談に決まってるだろ」
「そうだ。ハッタリに決まってる」
冗談だと笑っている野次馬たちであったが、ユウから放たれる威圧が冗談ではないと物語っていた。
異様な緊張感から思わず野次馬の一人が唾を飲み込んだそのとき――――
「はっ?」
――――間抜けな言葉が口から漏れ出る。
アガフォンの姿がその場から消えたのだ。そしてわずかに遅れて轟音が野次馬たちの全身を叩いた。
「いでっ。耳が」
「くそ! なにが起こった」
「なんも見えねえ」
呆気に取られる野次馬とは別に、一部の高位冒険者はその瞬間を目で捉えていた。
ユウの放った横薙ぎの一撃をアガフォンが剣で受け止めたのを。そう、下位の冒険者では見ることすら叶わぬ斬撃を、アガフォンは見て反応したのだ。
「アガフォン、死んでないわよね?」
離れて見守っていたアカネが飛んでいく。その行先は修練場の端も端、壁にアガフォンがもたれかかっていた。修練場の建築は特別仕様で少々のことでは壊れないように設計されているうえに、エッダが魔法をかけて強化しているのだ。
その結果、壁は壊れてはいないのだが、アガフォンは衝撃をモロに受けることになった。どこか内臓を痛めたのだろう吐血している。
「い゛っ、生ぎ出……る」
「辛うじてじゃない」
アガフォンが立っていたと思われる場所から二本の
「ビクトル」
「サトウ様、ここに」
名を呼ばれたビクトルは、それは嬉しそうにユウのもとまで駆け寄る。
「前から頼まれていた件だけど、いいぞ」
「おっ、おお……それは真でございますか?」
珍しくビクトルが訝しむように、また言葉を確かめるように問いかける。
「ああ、古龍の逆鱗が欲しいんだろ」
「このビクトル、これほど嬉しいことは何十年振りでしょうか。とうとうサトウ様が私に心を――――」
二人の会話を忌々しそうに見ているのはマゴである。
「それで申し訳ないのですが……」
「リューベッフォって都市に行けばいいんだろ」
「サトウ様にご足労いただくのは申し訳ないのですが、先方が――――」
「ウォーレンだろ。『八銭』ってのはそんなに忙しいのか?」
嫌味ではないのだが、ビクトルは口籠る。
それもそうだろう。一国の王――――それも五大国の一つウードン王国と対等の同盟を結ぶほどの力を保有しているのだ。自分から物を売ってほしいと頼み込んでおいて、品を指定の場所まで持って来るよう言いつけるなどと、いくらビクトルでも申し訳ないと思うのは当然であろう。
「此度の商いはベンジャミン様とウォーレン様との関係を――――」
「どうでもいいよ」
もう話は終わったとユウはビクトルとの会話を切り上げる。ユウのあまりにも素っ気ない態度に、マゴはビクトルを少し気の毒に思う。ビクトルの態度を見れば本人の意向ではないのだろう。上から命じられてのことなのは、マゴでなくても察することができる。
「アガフォン」
「はっ……はい」
ベイブの白魔法で回復してもらったのだろう。名を呼ばれると、アガフォンは走ってユウのもとまでくる。
「急用ができたから、俺がいない間はお前が『ネームレス』の代表だ。ちょっかいかけてくるバカの相手はお前がしろ」
「わかりました」
「お前がもし負けたら『ネームレス』の負けでいいぞ」
その言葉にアガフォンの全身の毛が逆立つ。
野次馬たちからは「おおっ……」とため息のような声が漏れ出る。ユウが相手ならともかく、アガフォンであれば勝てると考える者もいるのだろう。たとえ相手がアガフォンであろうと『ネームレス』に勝てば、その影響力はとてつもなく大きい。自分の名を、クランの名を、他国にまで轟かせることができる。そう考える者は少なくない。
「ま、待て! ユウ、落ち着けって!」
野次馬を押し退けて出てきたのはラリットである。この男、興味本位ではなく、ユウたちのことが心配で様子を見ていたのだ。
「なんだよ、お人好しのラリットじゃないか」
「バカッ! 冗談を言ってる場合か。そうだ、お前らいいか? 今のはユウの冗談だからな! バカなこと考えて、あとで恥をかくのはお前らなんだからな!!」
「冗談じゃないぞ」
「アガフォンじゃ厳しいぞ」
真顔でラリットが忠告する。いかにユウの一撃を受け止めたといえど、それだけで高位の冒険者や傭兵に勝てるほど甘い世界ではない。
「アガフォンたちは俺と迷宮に行きたいそうだ。この程度はこなしてもらわないと連れていけない」
「迷宮って……」
「Sランク迷宮に連れていくつもりだ」
なんでもない風に語るユウの言葉に、ラリットはゾッ、として背筋が強張る。
「S、Sランク迷宮に……アガフォンたちを連れていく?」
「ああ。俺はSランクになってSランク迷宮を攻略するからな」
「つい、この間にAランクになったばかりだろうがっ。なにをそんなに急ぐ必要があるんだ!」
「Sランク迷宮を攻略した冒険者はいないそうじゃないか。なら、俺が攻略すれば冒険者の中で一番ってことだろ?」
「た、確かにそうだ。ユウ、お前ならいずれSランクにだってなれるだろうし、Sランク迷宮だって攻略できるかもしれねえ」
ラリットは説得するように、ユウの両肩に手を置いて語りかける。
「だが、そんな慌てる必要はないだろ。アガフォンたちは見込みがある。十年――――いやっ、あと五年もあれば、お前やニーナちゃんたちのサポート要員としてついていける」
「五年か……」
ぽつりとユウが呟く。
「そう! たった五年だ! 幸いにも、お前たちは若いから時間は十分にあるっ!!」
自分の言葉に耳を傾けるユウの姿にラリットは安堵する。話のわからない少年ではない。なにも無理して迷宮を攻略する必要はないのだ。迷宮が逃げるわけでもあるまいし、時間を十分にかけて、成長しきってから挑めばいいだけの話である。
「そんな時間は
「そう、ない! ない? ないっ!?」
笑顔で同意したラリットの顔が驚愕で歪む。
日頃から笑顔でいる少年ではない。だが、今のユウはいつも以上に翳のある顔で、どこか切羽詰まっているようにも見えた。
「なに言ってんだ? 時間ならあるだろうがっ。ユウ、待て! 俺の話は終わってねえぞ!」
修練場をあとにするユウをラリットが追いかけていく。ニーナたちもそれに続き、残るは野次馬たちと――――
「これは、なにやらおもしろいことになってきましたな。そう思いませんか? コレット
「ビクトルさん、その
意外なことにビクトルはユウのあとを追いかけずに、この場に残っていた。
「私ごときがコレット様の敬称を省くなど、あとでサトウ様に叱られてしまいます」
「あの、ほんっとうに困ります」
「考えてみてください」
「な、なにをでしょうか?」
普段は胡散臭いビクトルが珍しく真顔でコレットと向き合う。
「もし冒険者になりに来たサトウ様の担当が、コレット様ではなかった未来を」
「どういう意味でしょうか……」
「私は考えるだけで恐ろしい。そんな未来があったことを」
そこまで言ってビクトルはニヤリと笑う。
「あなたは事によってはウードン王国を――――いやいや、世界を救ったのかもしれませんな」
「ビクトルさんっ!」
揶揄われたとコレットは怒るのだが。
「揶揄ったわけではありませんぞ。このビクトル、神に誓って嘘など申しておりません」
「いいえ、ビクトルさんは私を揶揄って遊んでいます! あの変な話だって」
「『誘惑の魔女』の話ですかな?」
「それです!」
ぷんぷんと私は怒っていますと身体で表現するコレットは、その姿が愛らしい。
「コレット様が『誘惑の魔女』などと、このビクトル謝罪せねばなりませんな」
「なら――――」
「コレット様はそれ以上です。『誘惑の魔女』は異性、それも同種族である人族だけにしか効果がありませんでしたが、あなたは異性――――どころか種族すらも超越している。無自覚の段階でこれほどの力を振るうなど――――自覚して力を発揮すれば、どのような事態になるのか。私はそれが恐ろしくて仕方がないのです」
ビクトルの鋭い眼差しにコレットは言葉が詰まる。すると、ビクトルは両端の髭を指で摘んで伸ばすと変顔をする。またも自分は揶揄われたのだと、コレットは顔を真っ赤にする。
「ビクトルさんっ!!」
※
「わーい! お出かけでやんなっちゃう」
屋敷の居間で嬉しそうにティンがスキップする。
「ティンたちも連れていくのですか?」
「ああ、ティンたちはカマーから出かけたことがないからな。いい機会だし、リューベッフォに連れていくことにした」
「留守番は――――」
チラリとマリファはコロとランを見る。高位の魔物である二匹を連れて遠方まで移動するなど、各都市でどのような問題になるかは火を見るより明らかである。
二匹は嫌々するように床の上をゴロゴロするのだが。
「コロとランは『ネームレス』で面倒を見てもらう」
「アガフォンくんたちは迷宮に潜るだろうし、家に誰もいなくなっちゃうけど大丈夫なの?」
「大丈夫なんだぞー!」
もっともなニーナの問いかけに、ナマリが叫びながらニーナの胸へ飛び込む。
「問題ありません」
答えたのはマリファである。自分の虫を使えば少々の輩など、どうとでもなると。
それよりも修練場でのラリットとのやり取りを、マリファは気にかけていた。
(ご主人様が焦っている?)
顔にこそ出さないものの、マリファはそのことについて深く考えるのであった。
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