第333話 破格の条件
アガフォンたちが修練場の入口までたどり着くと、そこには人集りができており、これ以上は進めなかった。
「悪いが前を開けてくれ」
「ああ? 誰に向かって――――ちっ、『ネームレス』かよ。おい、お前ら道開けろってよ」
「は? なんだアガフォンかよ。今頃ノコノコ現れるなんて良いご身分だな」
「やめろって。『ネームレス』とは揉めるなって言われてるだろ」
アガフォンに声をかけられた冒険者たちは、渋々ではあるが道を開ける。
広々とした修練場は多くの冒険者や傭兵たちが中央を囲うように円形に拡がっており、さながら戦いを見世物とする闘技場のようであった。
中央にはユウが立っていて、周囲には数え切れないほどの人が横たわっており、アガフォンの眦が吊り上がるのだが。
「アガフォン、盟主は無事みたいだね」
「無事に決まってんだろ」
モニクの言葉にぶっきらぼうに返事するアガフォンであったが、ユウに目立つような傷がないことを確認すると、強張っていた身体の緊張が緩和し安堵する。
(ユウさんは大丈夫そうだな。ニーナさんたちもいるし、俺が心配するようなことはなかったようだ。それにしても――――)
アガフォンたちは周囲の異様な雰囲気に戸惑う。
「『極星シャウエ』が『ネームレス』からレナの引き抜きだー!」
「こりゃいい。やれやれっ!」
「ついに『ネームレス』から脱退者がでるのか」
「ふざけたこと言ってんじゃねえぞ!」
「そうだっ! ぶっ殺すぞ! レナちゃんが『ネームレス』を辞めるわけねえだろうがっ!!」
「ああ? 誰が誰を殺すだって?」
「お前に言ってんだよ、顔だけじゃなく耳まで悪いのか?」
「上等だっ!!」
野次馬たちが互いに罵倒し合い、今にも殺し合いに発展してもおかしくないほど殺気立っているのだ。
(レナさんが『
驚き状況を把握できずにいるアガフォンたちをよそに、当のレナはなにやら杖を振るったり、ポーズを決めているのだ。その横ではナマリも真似するようにポーズを決めては「ほーっ」だの「うおーっ!」だの吠えている。
「なにあれ? バカみたい」
アガフォンの頭の上で、寝そべりながら眺めていたアカネが呟く。
「大体、傭兵のお前らがなんで冒険者ギルドにいるんだよ」
「うるせえ! なんか文句でもあんのかっ!」
「あるから言ってんだろうが、ばーか!!」
「この野郎っ!!」
「レナが引き抜かれたら、お前らのきっしょいクランも解散だなっ!」
「クランじゃなくてファン倶楽部なんだけど、あと気持ち悪くないし」
「自覚ねえのかよ!」
アカネが呆れるのも仕方がない醜態である。
「あ、あの。皆さん、落ち着いてくださいっ」
そんな揉め合いの中、冒険者ギルドの職員に混じってコレットが懸命に仲裁をしている。
「ギルド職員がでしゃばんじゃねーよ!」
そのとき、興奮した冒険者の一人がエールの入った木のジョッキを放り投げる。誰かを狙ったわけではない。ただ、不運にもそのジョッキは弧を描いてコレットの頭の上へと落ちていく。
「このまま騒いでると――――えっ」
自分を目掛けて飛んできたジョッキにコレットが気づいたときには、すでに躱すことはできない状況であった。驚き身が竦んだコレットは思わず目を瞑るのだが。
「きゃっ……あれ?」
木のジョッキはコレットへ当たる前に宙で木っ端微塵に砕け散っていた。騒いでいた者たちも何人かはそのことに気づく。なにをやったのかは理解できずに、だが誰がコレットを護ったのかは理解する。
「うるさい」
大きな声ではない。逆に、この場では誰よりも小さいほどであった。しかし、ユウの一言によって喧騒が嘘のように静まり返る。ナマリがユウの真似をして「うるさいんだぞ!」と叫ぶと、マリファが「あなたもですよ」と口を手で塞ぐ。
「ほら、話があるんだろ?」
ユウがアトたちに話を促す――――のだが。
「……あなたたち、ツイてる」
「違っ、お前じゃ――――」
「……この広い世の中、数多いる冒険者の中、私という超天才魔導士に会える幸運」
ユウの制止を無視して、レナはどこぞのゴリラみたいなことを話し始める。しかもいちいちポーズを決めながら話すので、人によっては鼻につくのだ。
「……最強にして無敗。最高にして無敵。かの『大賢者』も私の前では頭を垂れる」
「誰が無敗ですか」
冷静なマリファのツッコミも虚しく。レナは調子に乗ってポーズを決めまくる。帽子が落ちても気にせず、旋毛のアホ毛はグルングルンと絶賛大回転中だ。
「話を続けてもいいだろうか?」
アトの当然の問いかけに、ユウは恥ずかしくなる。マリファも耳まで赤くなり、あのニーナですら気まずそうだ。喜んでいるのはレナのファン倶楽部の連中くらいのものである。
「レナ・フォーマ、あなたを私のクラン『極星シャウエ』に勧誘したい。無論、タダでとは言わない。移籍に伴い十億マドカを支払う」
十億マドカという金額に静まり返っていた修練場内は、再び喧騒に包まれる。
「うおおおおおっ!! 聞いたか? 十億だってよ!!」
「すっげえ金額だ」
「こりゃ『ネームレス』捨ててでも移籍する価値はあるだろ」
「Cランク一人の引き抜きに、こんな高額な金額を提示した話を聞いたことあるか?」
「いや、過去最高額じゃねえか」
特に騒いでいるのはDランク以下の冒険者たちである。一攫千金を夢見る彼らからすれば、レナの状況は喉から手が出るほど羨ましいのだろう。なにしろDランク冒険者の平均収入は経費を差し引いて手元に残るのは月に金貨10~15枚ほどである。Eランクで金貨2枚~4枚も稼げれば優秀なほうだろう。逆にCランクになると、金貨30枚以上も夢じゃない。つまりCランクでも年収は億に届くか、届かないといったところなのだ。
「レナちゃんの価値が
「わかってねえよな」
逆に冷静なのはBランク以上の冒険者や『レナのファン倶楽部』に所属するこの傭兵たち――――『銀狼団』の団長ポトや副団長アポロのように、レナの実力を知っている者たちである。
にわかには信じ難い話だが、非公式とはいえレナはムッスの食客と仕合をして勝ったという話もあるのだ。もし、その話が真実であれば、十代でAランク冒険者に匹敵する者よりも強い――――十億マドカで引き抜けるのならば、他の大手クランでも動くだろう。それこそ借金してでも上乗せして。
「私たちは現在Aランク迷宮『妖源郷』を攻略中なんだが、実は苦戦していてね。あなたのような後衛を――――それも強力な攻撃魔法の使い手を欲している」
話しながらアトは『妖源郷』で戦った妖精の姿を思い浮かべると、心の中を苦々しい感情が拡がっていく。
「失礼だと思うかも知れないが、あなたのことは事前に調べさせていただいた。冒険者となって2年ほどでCランクになる実力と才能。『極星シャウエ』に来ていただければ、今以上の高待遇を約束する! それにさらなる高みへ――――君ならいずれBランク、いいや! 私と同じAランクだって夢じゃないだろう!!」
アトは熱弁を振るう。『極星シャウエ』への移籍に同意してくれれば、いかにレナにとってメリットがあるのか。
貴重な素材やお宝を見つけた際の分前、普通なら新参は古参よりも低くなるのが常識なのだが、レナは主力の古参と同等の条件であることや、待遇に関しても同様に扱うなど。
「今この場で返答をしなくてもいい。私たちはまだカマーに滞在する予定だ。後日、返答していただけないだろうか」
冒険者の引き抜き自体は珍しいことではない。どこのクランでも優秀な冒険者は欲しているのだ。ただ、今回のアトのように堂々と、それも相手の盟主がいる前で勧誘するのは珍しいと言えるだろう。
引き抜きは引き抜きだろうと、おもしろくなさそうにしている者たちもいれば、清々しいアトの姿に好感を抱いている者たちもいる。
「レ、レナは『ネームレス』辞めないよね?」
「えー。レナ、どっか行くの?」
不安そうにニーナがレナに声をかける。ナマリがマリファを見上げるも、なにも言葉を発さない。だが、長耳がピクピクと動いているので、気にはしているのだろう。
「……コレット」
「は、はいっ」
レナに名を呼ばれたコレットは、なぜ自分なのだろうと思うも慌てて返事する。
「……私は、いつSランクになる」
「え? レナさんはCランクなので、まずはBランクを目指すべきなのでは」
コレットの正論にレナは頬を膨らませる。
「……コレット、私がギルドに預けている金額を、この人たちに教えてあげて」
「ええっ!? で、でも」
Cランク以上の冒険者からギルドにお金を預けることができるのだが、その金額を知らせてもいいと言われコレットは困惑する。『ネームレス』を担当するコレットは、レナが預けている金額を把握しているのだが――――
「ユウさん……」
助けを求めるようにコレットはユウの名を呼ぶ。
「言ってもいいですよ」
「ほ、本当にいいんですか?」
「はい。問題ありませんし、コレットさんが気にする必要はありませんよ」
自分ではなくユウに確認するコレットに、レナはまた不服そうに頬を膨らませるのだが、これはニーナ、レナ、マリファに関してはユウがすべて管理して冒険者ギルドとやり取りしているためである。
コレットは本当にいいのかなぁと思いながらも、深呼吸を数度繰り返して落ち着くと。
「約三十億七千万マドカになります」
コレットの告げた金額に、ニヤニヤとエールを飲みながら見物していた野次馬たちが一斉にエールを噴き出す。
「は、はあっ!?」
「三十、億?」
「レナってそんな稼いでたのかっ!?」
「気安く呼び捨てしてんじゃねえよ!」
「うっせ! 今はそれどころじゃねえだろうがっ!」
「マジかよ……『ネームレス』ってそんなに稼げるのか」
「『ネームレス』に移籍しようかな」
「お前みたいなカスが入れるか!」
「なんだてめえっ!!」
途方もない金額である。とてもではないが、一Cランク冒険者が貯蓄できるような金額ではないのだ。皆が驚くのも無理はないだろう。
「……三十億、七千万っ!?」
「なんでお前が驚くんだよ」
自身の貯金にもかかわらず、金額を知ったレナの足は小刻みに震えている。ついでにアホ毛も不安そうに左右に揺れていた。
ユウから自分の貯蓄くらい把握しておけと注意されるも、なにかに気づいたかのようにコレットへ向き直る。
「……コレット」
「な、なんでしょうか」
「……ニーナとマリファの金額は?」
「それは言えません」
いくら同じクランだからとはいえ、明かしていいことと悪いことがある。コレットはその辺の線引はできる女性であった。
「……少しでいいから」
「少しってなんですか。ダ、ダメですよ」
「……ちょっとだけ。耳元で囁いて」
「ダメですってば」
「……ユウの秘密を教えてあげる」
「えっ!? ユウさんの……そ、それでもダメです」
「……ケチ」
レナはコレットに迫り奇妙な動きで圧力をかけるのだが、真面目なコレットは首を縦に振ることはなかった。
「コレットさんに迷惑をかけるな。ニーナとマリファは、お前より貯金額は上だ」
「……がーん」
「なにを驚いてるんだ。お前は無駄遣いしてるんだから、ニーナたちのほうが金を持ってて当たり前だろうが」
「……お前ではない」
あまりショックを受けているように見えないレナとは正反対に、ニーナたちは自分たちがレナよりも冒険者ギルドに預入があると知って動揺していた。そう、この二人もレナと一緒でお金の把握をしていなかったのだ。
「それより、ほらっ。あいつらを放っておいていいのか?」
「……むっ」
レナは落ちていた帽子を拾い被り直すと、アトたちのもとへ向かっていく。
「……そういうことだから、私のことは諦めて」
「待っ――――」
自分が提示した金額を遥かに上回るレナの貯蓄額に固まっていたアトは、去っていくレナに手を伸ばそうとするのだが。
「……モモ、うるさかった?」
ずっとユウの帽子の中で眠っていたモモが目を擦りながら姿を現すと、そのままレナの帽子の上まで飛んでいき着地して座る。
(バ、バカなっ!?)
モモの姿が視界に入った瞬間、アトは――――『極星シャウエ』の面々は凍りつく。
なぜなら――――
(なぜっ、
――――Aランク迷宮『妖源郷』の深部で、アトたち『極星シャウエ』を数々の高位魔法で散々にボコった妖精が目の前に突如と現れたのだ。アトたちが凍りつくのも無理はないだろう。
(べ、別個体か!? そうだ、あれがここにいるわけがない)
全身から噴き出す汗でアトの鎧内部はびっしょりと濡れる。ずっとえずいていたパリなどは嘔吐していた。コオゥなども、どう対応すればいいのか判断に迷って動けない。
「……私は『ネームレス』のレナだから諦めて」
それ以上、アトがレナに声をかけることはなかった。正確にはモモが姿を見せた時点で、心が完全に折れてしまったのだ。
そして――――
「レナちゃん最高~っ!」
「ひゃっほう!! ぽっとでの奴らに、俺らのレナちゃんが
「レナちゃん最強! レナちゃん最高!!」
「ええ~い! 失せろ、失せろ!」
「我らが『レナちゃんファン倶楽部』は永遠に不滅よ」
――――存続の危機を危ぶまれた非公認ファン倶楽部の面々は、胸を撫で下ろすのであった。
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