第331話 雲霞の如く

 都市カマーの通称屋台通り。

 スラム街とは違い、通りは大賑わい――――と言いたいところであるが、現在は稼ぎ時である昼を大きく過ぎ、日もだいぶ傾き始めている。通りを行き交う人は多いものの、並ぶ屋台のほうへ視線を向ければ、お世辞にも賑わっているとは言えないようで、店の主たちも自慢の腕を振るえず暇そうに屋台の清掃や、これから来る夜に向けて仕込みをしている者たちにわかれていた。


「ここだ。ここの串焼きがうめえんだ」

「ほんとかにゃ?」

「ぜ、絶対ここはおいしいと思うよ! だ、だって良い匂いがしてるから」

「ほお……それは楽しみだな」


 暇そうにしていた店主が声に反応して顔を上げると、そこにいたのは羆の獣人アガフォン、さらに後ろにはフラビアたちである。

 あっという間に席数六の小さな屋台が満席となる。


「いらっしゃ――――うっ、臭え!! お前ら、迷宮帰りだな。それもこの腐敗臭……『腐界のエンリオ』か」


 機嫌よく挨拶しようとした店主であったが、アガフォンたちから漂う臭いに顔をしかめる。


「へへっ。バレたか」


 悪びれもせずアガフォンは椅子にドカッ、と座ると頭上のアカネが振動でずり落ちそうになる。


「お前さんら、まだEランクとかだろ? 『腐界のエンリオ』を探索するなんて自殺行為だろうに」

「いや~まいったまいった。ユウさんから面倒なところってのは聞いてたんだけどよ、第四十八層の腐れ沼で危うく全滅するとこだったぜ。やっぱまだ俺らには早かったみてーだわ。あっ、俺は串焼き全種類な」


 アガフォンが注文すると、普段は大人しく引っ込み思案なベイブが「ぼ、僕もそれを五本ずつで!」と続けて注文する。


「うちもにゃ!」

「もうフラビア、そんな慌てなくてもお肉は逃げないわよ」


 椅子から立ち上がって注文するフラビアをモニクが窘める。残るオトペとヤームは落ち着いたもので、まずは数本頼んで待っている間はエールで喉を潤す。

 大量の注文に店主は嬉しい悲鳴を上げる。なにせアガフォン一人でも普通の客の数倍は食べて金を落としていくのだ。チラリと見たところ、ベイブはアガフォンよりさらに食いそうな気配がある。これは夜の仕込み分もなくなりかねないと、今日は店仕舞いも考えながら串焼きを焼いていく。


「うおっ、良い匂いだぜ」

「ほ、ほんとだね」

「今日の肉は良いのが入ったから、後悔はさせねえぞ」


 気合を入れて店主は手元の串に集中する。炭で焼けた肉の表面がぷつぷつと弾け、その際に広がる香ばしい匂いに、アガフォンとベイブが涎を垂らさんばかりのだらしない顔になる。


「へいっ、お待ち!」

「きたきたっ!! よっしゃ! 食うぞーっ!」


 店主が次々と焼き上がった串焼きを配っていく。真っ先に喰らいつくのはアガフォンとやはりベイブであった。残るフラビアたちも腹は空いているので、次々に串を手にとって食事を始める。


「ちょ、ちょっと! 私の分を忘れないでよねっ!」


 アガフォンの頭の上で今か今かと待っていたアカネが騒ぐ。普通なら妖精種などがいれば驚きそうなものであるのだが、ここの店主は何度もアガフォンが客として来店しているので、今では驚くどころか気にも留めない。


「ちっ。わかったから毛を引っ張るんじゃねえよ!」


 いつものやり取りなのか。アガフォンは解体用のナイフで串焼きから肉を取り外し、アカネが食べやすい大きさに切り分けていく。


「ほら、切り分けたぞ」

「よろしい」

「何様だよ。たくっ」


 満足そうにアカネは頷くと、アガフォンの頭の上で跳びはねて、そのままクルッ、と縦回転してカウンターテーブルに着地すると、切り分けられた肉を優雅な物腰で口に運んでいく。妙にお行儀の良いアカネの姿に、店主は感心するほどである。


「しっかし、その様子を見るに大丈夫・・・そうだな」


 黙々と食べ続けていたアガフォンたちであったが、そのペースが落ち始めたので調理を続けていた店主も一息つけるようになると、会話する余裕が出始める。


「あん? そりゃどういう意味だ」


 店主の言葉に食事をしていたアガフォンたちの手が止まる。


「ほら、1~2週間前からよその国から冒険者や傭兵共がわんさかカマーに押し寄せて、ネームレスあんたらのところの盟主にちょっかいかけてただろ? それでずっと機嫌が悪かったじゃねえか。周りもピリついてて、こっちも関係ないのにおっかなびっくりしてたんだ」


 こっちも迷惑してたんだぜと、肩を竦めながら店主は箸休めのコールスローを差し出す。


「まあ、あんたらの盟主が怒るのも無理はないよな。あいつら、最初から勝つ気なんてないんだからよ、売名行為ってやつさ。ちょっと絡んで参った! だの、降参だ! 剣を交えるまでもないとか。それらしいこと言って逃げるんだぜ。あんなんに絡まれ続ければ、そら不機嫌にもなるわな」


 店主の話を聞きながらアガフォンの全身の毛が逆立っていく。


「でよ、酷えのがこのあとさ。

 そいつらが酒場とかで言うんだよ。ネームレスのユウ・サトウと手合わせしたが、なかなかの相手であったとか。善戦したが負けたなんかはまだいいほうで、中には向こうが俺の腕を認めて矛を収めただの、自分のほうが強かったが、相手の立場を考えてあえて負けたとかな。まあ、そういう連中はどこから聞きつけたのか、あんたらのとこのメイドがボッコボコにしてたがな。わははっ!」


 楽しそうに話す店主の姿にアガフォンの逆立っていた毛が徐々に戻っていく。


「ただ――――そういう連中に混じってとんでもなく強いのが数人いたんだよな……。一度だけその現場に居合わせたんだけどよ、俺にはありゃ手合わせってより……殺そう・・・としてたように見えたぜ。まあ、俺みたいな素人に――――おわっ!?」


 突然、アガフォンが立ち上がる。あまりの勢いにカウンターテーブルを挟んでいるにもかかわらず、店主がひっくり返りそうになるほどだ。


「こうしちゃいられねえ!」

「ま、待ってよ~」

「アガフォン、待ちなさいって!」


 走り去っていくアガフォンをベイブとモニクが追いかけていく。店主は「おい、お勘定――――」と言いかけて、椅子に座ったままのフラビアたちに視線を向ける。


「あんたらは行かなくていいのか?」

「うちの盟主が負けるわけないし」

「うむ。オドノ様がそのような輩に遅れを取るはずない」

「それに今の話を聞く限り、もう終わった話みたいだしね」


 興奮して飛び出していったアガフォンとは違い。フラビア、オトペ、ヤームの三人は冷静であった。


「でも、あんたらのリーダーだろ?」

「うむ。アガフォンは間違いなくパーティーのリーダーだ」

「信用してるし、頼りになるからね」

「うちは信用してないにゃ。あいつ、昔はとんでもない奴だったにゃ」

「へえ。わかった! 悪ガキだったんだろ? で、あんたはイジメられ――――」

「うちがアガフォンなんかにイジメられるわけないにゃっ!」

「ひゃっ。冗談だよ」


 シャーと威嚇するフラビアの剣幕に、店主はすぐに謝罪する。


「あいつ……昔は自分とおんなじような連中を集めてたにゃ」

「お山の大将ってやつか」


 やっぱり自分の予想は当たっていたと思う店主であったのだが。


「それで人族の騎士団を襲ってたにゃ」

「そ、そ、そりゃまたとんでもない悪ガキだな……。でもよ、それじゃ死人が出るだろ? 襲うっていってもイタズラかなんかを――――」

「い~ぱい死人が出てたにゃ。それでもアガフォンは諦めずに襲ってたにゃ。大人が叱ってもぜ~んぜん、懲りてなかったにゃ」


 想像を超える悪ガキっぷりに店主は絶句する。


「そんな風には見えねえけどなぁ」

「盟主のおかげにゃ。アガフォンは盟主に何十回も半殺しにされて、まともになったにゃ」

「ひえっ」

「さすがはオドノ様だな」

「間違いない」

「じゃなきゃパーティーのリーダーなんて任せてないにゃ」



 都市カマー冒険者ギルド。

 もともと近隣では抜きん出た規模のギルドであったのだが、ある者たちの争いで二階が半壊したのを折に、現在は増改築中である。今も組み立てられた足場では多くの職人が作業をしている。

 冒険者ギルドの複数ある出入り口に目を向ければ、吸い込まれるように、または吐き出されるように冒険者たちが行き交いしているのが見えるだろう。


「こっちはギルドのでかさも冒険者の数も半端ねえな」


 冒険者ギルド一階のロビーで周囲を窺いながら呟くのは『極星シャウエ』のコオゥである。円卓テーブルにはコオゥ以外のメンバーも勢揃いである。

 『極星シャウエ』は、ここ2週間は情報収集に努めていた。というのも、有象無象の冒険者や傭兵たちがユウに突っかかり、いま接触するのは得策ではないと、全員の意見が一致していたのだ。


「コオゥ、頼むから『解析』で相手のステータスを見ようなんて真似はしないでくれよ」


 厳しい眼でパリが注意する。


「わかってるっての。俺だって時と場所をわきまえてるさ」


 いつもの軽口ではなく、コオゥの声には緊張感が漂っていた。それもそのはず、周囲にはカマーへ来る際に見かけた高位冒険者や傭兵たちの姿が、ちらほらと見受けられたからだ。さすがにコオゥの腕を以てしても、この距離から『解析』を使おうものなら直ちに気づかれるだろう。それほどの使い手たちが、この場には集まっているのだ。


「あれがユウ・サトウか」

「本当にガキじゃねえかよ」


 アトの見つめる視線の先、ロビー中央の一番目立つ、一番大きな円卓テーブルにユウたちの姿があった。


「あんなわざわざ目立つところに座りやがって」


 ユウに接触したいのはアトたちだけではない。周囲に散らばっている複数のパーティーから、視線や気配がユウへ注がれている。ただ互いに牽制し合って、どのパーティーも二の足を踏んでいるのだ。

 だが――――その均衡を破る者が現れる。


「イディオさんっ!!」


 新たにロビーへ入ってきた冒険者を見るなり、ユウを監視していた冒険者の一人が立ち上がって叫ぶ。


「こっちです!」


 イディオはガラの悪い連中を引き連れて、悠々と歩いてくる。だが、この場にいる者たちは、イディオたちをただのチンピラとは見なしていなかった。まず身に纏う武具の品質、そこらの冒険者では手が出ないようなモノを装備している。そして身のこなし、周囲を威嚇しながら歩むものの、その動作は隙のない極めて戦うことに通じている者であることを示していた。


「あそこにいるのが――――」

「あれがそうか」


 イディオはユウを見るなり馬鹿にするように鼻で笑う。


「くくっ。あんなガキ一人を殺るだけで」

「ええ。百億です」

「こりゃ貰ったな。百億は『悪食のゼロムット』イディオ様が頂くぜ」「間違いねえな。あんなクソガキ、イディオさんの手にかかれば楽勝だろ」

「逃げねえように出入り口は、うちの者に囲ませてますよ」

「よしっ。行くぞ」


 下品な笑みを浮かべながら、イディオたちはユウのいるテーブルへ向かっていく。


「お、おいっ。『悪食のゼロムット』が動いたぞ! 俺たちも――――」

「待てっ」


 先を越されたと、焦って立ち上がるコオゥの腕をアトが掴んで離さない。


「なに言ってんだ! ほら見ろっ。他の連中も動き出しやがったぞ」

「様子が変だ」


 よそ者の冒険者が幅を利かせているのだ。殺気や罵詈雑言の一つでも飛んできてもおかしくないはずなのに、周囲からは悪意や怒気どころか、憐れむような視線すら感じることにアトは違和感を覚える。


「よう坊主、お前がユウ・サトウか。俺は『悪食のゼロムット』に所属するイディオって者なんだが」


 椅子に座ったままのユウを見下ろしながら、イディオはユウの頭を軽くポンポンッ、と叩く。


「これじゃ俺がイジメっ子みたいじゃねえか。なあ、お前らもそう思うだろ?」

「ギャハハハッ!! ちげえねえ!!」

「実際そうだしなっ!」

「こいつ、涙目になってねえか?」

「ボクちゃん怖くて泣いちゃったんでちゅか?」


 騒然としていたロビーが一転静まり返り、皆の視線がユウに集まる。ユウの傍にはニーナたちもいるのだが、黙ったままである。あのマリファとナマリですら困ったような、どうすればいいのか判断に迷っているようだ。


「マジで黒髪なんだな、気持ち悪いなぁ」

「これなら俺一人でもいけそうだぞ」

「それなら俺だって」

「連れの女は若いが、良いじゃねえの」

「これ終わったら、女は貰っていいよな?」

「待て待て。あとで揉めんだから、勝手に決めるんじゃねえよ」


 好き勝手に喋り続ける『悪食のゼロムット』を前にしても、ユウたちはいまだ黙ったままである。


「おっ」


 大笑いしているイディオたちであったが、ユウが立ち上がろうとすると、一転して険しい顔になる。


「こらっ。誰が立っていいって――――」


 ゆっくりと、ユウは椅子から立ち上がろうとする。自分が話しかけても、馬鹿にしても、一切反応しないその態度に内心では苛ついていたイディオは、ユウの頭を押さえつけるように右腕に力を込めるのだが。


「――――こ、この野郎っ!」


 取り巻きたちが「イディオさん」と訝しむように声をかけるのだが、イディオはそれどころではない。力を込めた上腕二頭筋は大きく盛り上がり、青筋を浮かべているのだが、それでもユウの立ち上がる動作を阻止できないのだ。身長約190センチ――――大男のイディオが全力で押さえつけているにもかかわらず。


「てめえっ」


 ついにユウが立ち上がると、威勢のよかったイディオの取り巻きたちは黙り込んでしまう。

 そして――――


「誰の頭に気安く触れてるとっ!」


 お返しとばかりにユウがイディオの頭に手を置く。その手を振り払おうとするのだが、イディオがどれほど腕に力を込めてもユウの左手を払いのけることができないのだ。


「こ、このクソガキがあ゛あ゛あ゛ああああっ!!」


 大勢の冒険者の前で、それも自分が率いてきた下っ端の前で恥を掻かされたイディオは、なりふり構わず両腕でユウの左腕を掴むのだが、それでもビクともしない。

 さらに――――


「どうした。それで本気か? もっと力を込めろよ」


 ユウの腕からの圧力が増していく、それも徐々に。その結果、イディオの顔が下がっていく。


「舐めてんじゃねえぞお゛お゛おおおーっ!!」


 獣が如き叫び声を上げながら、イディオが左拳を放つ。イディオのガントレットはダマスカス鋼製で、前腕から甲にかけてだけでなく指の第二関節まで覆われている。つまりダマスカス鋼で殴りつけたようなもので、まともに喰らえばただでは済まない。


(殺っちまった。だが、まあいい。言い訳なんてあとで、どうと――――なんだ? なぜ、誰もなにも言わない!?)


 頭を無理やり下げさせられているために、周囲の状況がよく把握できないイディオは、取り巻きたちからなんの反応もないことを不審に思う。


「なにが起こりやがった!? アト、お前はわかるか?」

「俺にもなにが起こったのかわからん」

「なんで今ので無傷なんだよ。躱したようには見えなかったぞ」

「だからわからんと言ってるだろっ」


 イディオが放った拳打は、アトから見ても不自然な体勢からとは思えない速度、威力を伴っていたのだ。それをまともに受けて、ユウが無傷なのは理解不能であった。


(『闘技』か? いや、俺が見逃すはずがない。なら『結界』――――ますますありえない。ユウ・サトウは前衛職だ。仮に『結界』が使えるとしても、あの一瞬で展開できるとは思えん)


 嫌な汗がアトの背中を伝う。その横ではパリが「おえっ、おええぇっ」とえずいている。


「ふーん。少しは戦った経験があるのか」

「誰に向かって舐めた口を――――」


 そこでイディオの意識は途絶える。

 ユウの腰の高さにまで無理やり下げさせられたイディオの顔面に、右拳が深々と突き刺さったのだ。

 肉のひしゃげる音、骨が砕ける音、それらすべてを混ぜ込んだ不快な音がロビーに伝わる。

 拳は手首までめり込んでおり、イディオの顔は取り巻きたちですら判別できないほど破壊されていた。


「お前らはかかって来ないのか?」


 イディオの取り巻きたちにそう問いかけるも、それに答える者はいない。なにしろこの場にいる『悪食のゼロムット』で一番偉く強いのがイディオだったのだ。そのイディオが一撃で倒されたことを、いまだ信じられないのか。『悪食のゼロムット』は絶句したままである。


「まあいいや。ついて来いよ。ここじゃギルドの迷惑になる」

「俺たちは――――」


 ユウと目が合ったアトが言葉を言い終えるよりも先に――――


「いいから来いよ。どうせ誰も逃げれないし、逃さない」


 『悪食のゼロムット』に続こうとしていた他の冒険者や傭兵たちも沈黙したまま、立ち尽くしている。


「それともこう言えばいいのか? 逃げたら殺す」


 諦めたのか、それとも覚悟を決めたのか。イディオを引きずりながら修練場へ向かうユウのあとを、他の者たちもついて行くのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る