第330話 不機嫌

 日が出てまだそれほど経っていないにもかかわらず、ユウの所有する屋敷のリビングでは朝から元気な声が飛び交う。


「ニーナさん、そんなに慌てて食べなくてもおかわりはありますから」

「う~んっ! マリちゃん、今日もおいしいよ~」


 ビーフシチューを口の周りにつけながら、ニーナが料理を作ったユウたちに向かって親指を立て絶賛する。その横ではナマリが「ニーナ姉ちゃん、お行儀が悪いんだぞ!」と注意するも、ニーナと同様に口の周りは汚れている。


「……朝からうるさい」

「レナはまた夜深ししていたようですね」

「……今日は大事な役目がある。そのための準備をしてた」


 マリファからの指摘に心外だとばかりにレナが薄い胸を張る。


「なにかあるのか?」

「……空前絶後の最強、無敵、偉大なる超天才大魔導師にして、先輩冒険者としてコレットから頼まれてる」

「コレットさんから?」


 頭頂部のアホ毛をビンビンに尖らせながら力説するレナの自画自賛をスルーし、コレットからの頼みという部分にのみユウは反応する。


「ご主人様」


 そっとマリファはユウの耳元へ顔を寄せ囁く。その頬と耳が赤くなっているように見えるのは、気のせいではないだろう。


「実はコレットさんより、新人冒険者たちの講習に協力してほしいと要請がありまして」


 カマーの冒険者ギルドでは新人冒険者の死亡率を少しでも減らすよう取り組みをしているのだが、その一つに講習を実施しているのだ。だが、地方から出てきたばかりの新人冒険者たちは、冒険者ギルド職員の言葉を素直に聞く者が少ない。特に後衛職のジョブに就いている者たちはその傾向が強く、冒険者ギルドとしても頭を悩ませていた。

 そこで先達として実力、実績のあるレナが講師として参加させることで、生意気な新人冒険者たちに講習を真面目に受けさせようと考えたわけである。


「ご安心ください。レナには同じ後衛職のアリアネとポコリをつけますので、ご主人様からご指導していただいた技術を流出するような真似は、決して許しませんので」


 コレットからの依頼の詳細を話すと、マリファはチラリとレナを見る。そこには不満そうに頬を膨らませ、アホ毛を横回転させるレナの姿があった。


「レナだけか……」


 ユウの視線がニーナに向くと、ビーフシチューに浸したパンを頬張っていたニーナは「はっ」とした顔をして椅子から立ち上がる。


「ユウっ、私も依頼されてるからね!」

「へー」

「ほ、ほんとだよ~。ラリットさんのおまけだけど斥候職として頼まれてるんだからっ。それにこの依頼はギルドポイントが貰えるんだよ」

「……ふふっ。ついに私がAランクになる日が来た」


 Aランクの前にBランクが先なのではという、皆の問いかけるような視線に気づかないのか。レナは全身からやる気を漲らせながら食事を摂るのだが……サラダをさり気なく横に除けていたことをナマリとモモに指摘されると、マリファに叱られながら渋々と食べるのであった。

 いつものように朝食を終え、あと片付けが終わると各々が割り振られた仕事をし始める。屋敷の掃除や庭の管理、コロたちの散歩などだ。


「ご主人様、ヌングさんがお迎えにこられました」

「もうそんな時間か」


 ナマリの勉強を見ていたユウは窓から空の様子を窺うと、日はかなり高くなっている。

 昨日ユウがムッスに会いに行くことをニーナたちに伝えると、マリファが訪問の先触れをしますと言い出し、買い物から帰ってきたばかりのネポラに命じてムッス邸へと送り出したのだ。ティンたち奴隷メイドからは「ご主人様が足を運ぶのではなく、ムッス侯爵を呼びつけるべきでは?」との声もあった。当然、マリファも同じ考えであったのだが、ユウの決めたことにマリファが逆らうはずもなく、このような手続きをとることになったのだ。

 当のユウはそんな面倒な真似は必要ないと思っていたのだが――――


「あのような変態でも侯爵です。最低限の礼儀は必要かと」


 ――――酷い言いようであるが、あながち間違ってはいない。

 以前は伯爵にもかかわらず、謀反を起こした父や財務大臣バリュー・ヴォルィ・ノクスとの軋轢などによって、広大であった領土は都市カマーと周辺に点在する小さな村のみ、関われば損するだけの厄病神のような扱いを受けていたのは今は昔の話である。現在は全盛期を上回る領土に侯爵へと陞爵し、さらにはどこの派閥にも所属していないのだ。貴族からは縁を結びたい者や自派閥への勧誘から、急激に発展しているゴッファ領に少しでもあやかりたいと、豪族や商人たちが連日ムッスへの面会を求めてカマーへ訪れていた。


「おはようございます」


 屋敷の門前では豪奢な馬車と執事服に身を包んだヌングが待っていた。


「わざわざヌングさんが迎えにくる必要はないんですよ」

「ないんだぞー」


 ユウのモノマネをしたナマリを、頭の上に座っていたモモがペシリと叩く。ナマリは護衛だからとユウについていくと主張し、さらには当然のようにユウの背後にはマリファが控えていた。


「私が迎えに上がらねば、ユウ様は徒歩でお越しになっていたのでは?」

「それはそうですが……」


 どこかステラと似た雰囲気をもつヌングに強くは出れないのか。普段からは考えられないほど、ユウは大人しい態度に言葉遣いであった。


「では私めが、お迎えにきたのは間違ってはいなかったようです。

 僭越ながら、一国の王であるユウ様が徒歩で貴族の邸宅へ赴くなどあってはなりません」


 頭を下げながら言葉を述べるヌングに、ユウは口を開こうとするのだが――――


「たとえ、今は国外で一冒険者として活動しているとしてもです」


 その眼は「いいですね」とユウではなく、マリファに向けて告げられていた。その視線にマリファは無表情を貫くのだが、内心では激しく感情が乱れているのだろう。


「では参りましょうか」


 ヌングは馬車の扉を開き、ユウたちが馬車に乗ると馬を走らせる。

 しばらくすると、カマーの城壁が見えてくる。ユウたちが初めて来たときとは違い、今では多くの衛兵が門の入口で行き来する人々の身分や目的を確認していた。

 ふとユウは昨日の孤児院の子供たちがどのように、この衛兵たちのチェックを潜り抜けてきたのか疑問に思う。その答えはあとになってヌングより「おそらくはユウ様のお名前を出したのでしょう」と伝えられる。のちに、ヌングの言葉が正しかったのかを確認し、このことは孤児院のシスターへ報告されるのであった。


「こ、これはヌングさま。どうぞ、お通りください」


 ヌングと馬車の家紋を見るなり衛兵たちは直立不動となり、手間を取らされることもなく都市の中へと進んでいく。市民街から商店街などを通りすぎ貴族街へ入っていくと、高級住宅が建ち並ぶ。その中でも他と比べ物にならぬほど、広大な土地に建てられているのがムッスの館である。


「おお……」


 なにがおもしろいのか。貴族たちの邸宅にナマリやモモは口を開いたまま感嘆の声を漏らす。

 長い塀を進んでいくと、やっと門が見えてくる。門前の衛兵たちはヌングの操る馬車に気づくと、すぐに開門し頭を下げる。


「オドノ様、馬車がいっぱいあるぞ」


 ナマリの言う通り、邸内の馬車を止める場所には無数の馬車が並んでいた。それもひと目で富裕層の所有物であるとわかるほど、豪奢な馬車ばかりである。

 ユウは止まっている馬車内から複数の視線を感じる。

 彼らが気になるのも無理はないだろう。なにしろヌングはムッスの執事にして家令でもあるのだ。そのヌング自ら御者をするほどの人物が誰なのか。皆が好奇の眼差しで、見えるわけでもないのに馬車内の様子を窺っているのだ。


「ユウ様。あの方たちのことは、お気遣いする必要はございません」


 御者台に座るヌングが、ユウの内心を読んだかのように言葉をかける。

 ユウたちへ好奇の目を向けるのは、本日ムッスと面会する予定の者たちである。一部の高位貴族などは別館に案内し、待ってもらっている間は接待しているのだが、全員を館内へ案内するわけにはいかないので、この場で待機しているのだ。横柄と思われるかも知れないが、激務のムッスにどうしてもと面会を求めてきたのは彼らなのだ。とはいえ、なにもせずとはいかないようで、メイドたちが御者へ飲み物などを提供している姿がちらほら見える。


「ようこそ我が家へ。ネームレス王陛下」

「きもっ」


 館に入るなりエントランスホールで出迎えたのは、整列する侍女やメイドたち使用人――――それにムッスであった。

 目が合うなり大仰な振る舞いで挨拶をするムッスに対して、ユウは思わず本音が出てしまう。

 いきなりの――――それもウードン王国の大貴族であるムッスに対する罵倒に、使用人たちは皆一様に顔を青くさせ驚く。ここにいる使用人の多くは雇用されてから、まだ日が浅いのだ。カマーで生まれ育ち、そのまま人生を終える者も多い。五大国ならともかく、ネームレス王国などという国の名を聞くことも知ることもまずないのだ。


「きも!? いくらなんでも大国の大貴族に対して、あまりにも礼を失する言葉じゃないか」

「自分で大貴族って言うか? 俺なら恥ずかしくて死にたくなるぞ」

「くっ。まあいいよ。こんなところで立ち話もなんだ。部屋へ案内するよ」


 どうすればいいのか判断に迷っている使用人たちは、ムッスではなくヌングの顔色を窺う。それを察したヌングは手際よく指示を出すと、使用人たちは安堵するかのように動き出す。


「それにしてもユウのほうから訪ねてくるなんて珍しいじゃないか」


 応接室のソファーに座りながらムッスは軽口を叩く。向かいにはユウとナマリが座っており、その背後に立っているのはマリファである。同じ様にムッスの背後には穏やかな笑みを浮かべたヌングが立っている。


「わあぁっ」


 テーブルに置かれている紅茶やクッキーを前に、ナマリとモモの目が輝く。


「たまには金を貸している奴の顔を見て、確認しとかないとな」


 減らず口を叩きながら、ユウはテーブルのクッキーが載っている皿をナマリたちの前へと移動させる。


「ユウ、君から借りているお金はゴッファ領のために、有効活用させてもらっているから安心していいよ」

「だといいがな」

「こんな話は知っているかい? マンドーゴァ王国で――――その結果――――僕はこの争いに裏が――――」

「セット共和国の錬金術ギルドだけど――――今後はポーションの値段は――――それに」



 雑談の内容は聞く者によればとんでもない内容で、多額の金銭を支払っても知りたいようなものであった。

 しかし、徐々に雑談の内容が――――不穏になっていく。


「そういえばユウ、君に懸賞金が懸けられているらしいじゃないか」


 懸賞金という言葉に反応したのはユウ――――ではなく、その後ろに控えるマリファであった。顔こそいつもと変わらぬ無表情であるのだが、全身から放たれる圧力が増していく。だが、ナマリとモモが振り返って見つめると、今の自分の姿に気づいたのか圧力は何事もなかったかのように霧散する。


「へえ。どこの誰が懸けてるんだ。冒険者ギルドに行けばわかるのか?」

「どこのギルドに行ってもわからないだろうね。懸賞金は正規ではなく裏社会で懸けられているよ。それに個人ではなく国――――国家が動いている。それも複数の国家が」


 複数の国家が動いていると言われても、ユウは変わらず「ふーん」と興味がないようであった。全く関心を示さないユウの態度が気に障ったのか、ムッスの口調が次第に熱を帯びていく。


「他国もバカじゃない。懸賞金はウードン王国と自国を除いた国々で懸けられている。裏取りしようにもそんな証拠は残していないだろうしね」

「へー」

「僕が調べさせた段階で懸賞金の総額は百三十億を超えていたよ、今はもっと上がっているだろうね。それにAランクやBランクの高ランク冒険者や傭兵が、すでにゴッファ領に入ってきているのが確認できている――――他にもネームレスと揉めて、名を上げようとしている複数のクランが――――」

「ほー」

「そんな悠長に構えてていいのかな」


 有益な情報にもかかわらず、態度の変わらないユウの姿にムッスは歯軋りせんばかりである。


「無駄死にだな」

「それは……そうかもね」


 ユウの一言でムッスは冷静さを取り戻す。


「今さらAランク冒険者なんか・・・を送り込んできて意味があるのか? ああ、そういうことか。俺じゃなく俺の周囲を狙うっていうのなら意味があるかもな」


 できるできないはともかくとして、とユウはつけ加える。


「それともあれか。俺を利用して他国の冒険者を削るつもりなのかもな」


 仮にも複数の高ランク冒険者や傭兵に命を狙われているにもかかわらず、尊大とも思える態度であるが、ムッスが感じた印象は違う。


(まいったな。実力だけじゃなく貫禄までついてきたじゃないか)


「そういう思惑は否定できないね」

「だろ? そっちのほうが納得できる。それよりお前、求婚が殺到しているらしいな」

「ぐっ、どこでそれを」


 端正な顔を歪ませながらムッスは紅茶に手をつける。


「あははっ。普通、お前くらいの年齢の貴族なら結婚どころか子供が複数いてもおかしくないそうじゃないか。良かったな? 鬱陶しい財務大臣が死んで、陞爵して、今まで疎遠になっていた貴族共が一斉に手のひらを返したんだから喜べよ」

「これのどこを喜べというのかな。

 ああ、今になって思い出したよ。君が冒険者ギルドが吹っかけてきた賠償金を――――二百億マドカなんてふざけた金額を一括で支払うから、僕がどれほど大変な目に遭ったか」

「お前のところの食客のせいだろうが」

「だとしても二百億はないだろう! 二人合わせて四百億だよ、四百億!! モーフィスは都市カマーに城でも建てるつもりなのかな!!」

「さあな。俺が関与することじゃないし、それに一括で支払ったのは嫌がらせだ」

「ふぎぎっ」


 貴族が出していい声ではない。なんとも情けない声にヌングは口元を手で隠す。


「それよりあいつはどうなんだ」

「あいつ? ああ、ジョゼフのことかい」

「誰がいつジョゼフなんて言った。まあいいや。それでジョゼフはどこにいるんだ?」

「いないよ」

「は?」

「え……知らなかったのかい。ジョゼフなら――――」


 この日、屋敷へ帰ってきたユウは大層不機嫌であったそうな。



日が落ち、頭上を見上げれば無数の星々が輝いている。多くの飲食店の前では店員が呼び込みの声かけをしており、店から漏れ出る光が道行く人々の足元をさながらランタンのように照らす。


「こりゃうめえわっ」

「こっちも美味いぞ!」


 カマーのとある酒場にて、料理に舌鼓を打つのは『極星シャウエ』の面々である。コオゥは煮込まれた鳥肉料理を頬張りながらエールで流し込んでは、次の肉へと手を伸ばす。負けじと金髪ソフトモヒカンの男――――スモークも分厚いポークステーキに喰らいつく。


「確かに美味いな」


 鶏肉のモモを手に齧りつくアトは、香辛料と肉から溢れ出る脂の旨さに唸る。


「うむ。それにしても大きな都市だけあって、なんでもあるな」


 普段は寡黙な赤髪の男――――斥候職であるグランも旨い料理と酒に珍しく多弁になる。


「ああ、そうだな。まさか牛肉まであるとはな」


 切り分けられた牛肉が載った皿を眺めながらアトは同意する。

 大衆が利用するような飲食店で牛肉が食べられるなど、アトたちの故郷であるカラ・ムー王国では考えられないことであった。なぜなら鶏や豚ならともかく、牛は農作業などの貴重な労働力であり、食べるとしても老衰や不慮の事故などで亡くなった場合のみで、このように気軽に食べられるモノではないのだ。


「全くだ。ところでパリの姿が見えないが?」

「少し外の空気にあたってくると出ていった」

「ふむ。なにやら少し前からパリは思い詰めている様子だったが」

「なにに悩んでいるのか予想はつくが、お前が気にする必要はない」


 酒場を出てすぐ目の前の大通りには多くの人々が行き交い、雑踏によって多少の音などはかき消される。


「おえ゛え゛えぇぇっ」


 人気のない路地裏にパリの姿があった。

 指を喉に突っ込み、何度も吐こうとするも出てくるのは唾液と胃液のみである。ここ最近はろくに食べておらず、そのわずかに摂取した物すらすでに吐きだしているのだ。吐こうとしても胃の中はすでに空っぽであった。


「はぁはぁ……。くそっ、なんで僕がこんな目に遭わないといけないんだ」


 不調の原因はわかっている。多大なるストレス・・・・によるものであった。

 結局、四男の兄の助言も虚しく、パリは『極星シャウエ』の――――アトの思考をコントロールすることができなかったのだ。


(落ち着け、己が役目を思い出すんだ。そう、なにも戦うわけじゃない。ただの交渉なんだ。大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫……失敗しても……いや、失敗は赦されない? 下手すると、国がっ……大丈夫、落ち着くんだ)


 周囲を確認し、大きくため息をつく。不安定な感情を整え、口元をハンカチで拭うと、パリは酒場へと戻っていくのであった。

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