第323話 成功例
ネームレス王国の地下。
迷宮のように拡張され続けている地下一階には、上下水道などのインフラ設備が敷かれており、また地下三階までは堕苦族の居住区である。だが、さらに奥深く――深度三百メートル以上の場所には、一部の者しか知らされていない巨大な研究施設が造られていた。
「お待ちしておりました」
昇降機から降りてきたユウを出迎えたのは、ペストマスクと呼ばれる鳥の嘴のようなマスクを被った者であった。マスクの色は黒、身に纏うは黒衣、手袋から靴まで――上から下まで黒一色である。身長は百十五センチほどなので、この者が子供でないのならば、おそらくは堕苦族か魔落族の女性なのだろう。
「お一人ですか?」
「ああ。ここはそういうルールだろ」
ユウの護衛を担当する猪人の男どころか、ナマリやモモの姿すらない。ここには各種族の長ですら許可なく立ち入ることは禁止されていた。
「ところで
「あいつは真面目すぎるな。もっと肩の力を抜けばいいのに」
「一族を代表して王様へお仕えするのですから、力も入るというものでしょう」
「俺には理解できないな」
「そう仰らずに目をかけていただけませんか。私が言うのもなんですが、一族を見渡してもあれほど優秀な者はいませんよ。それにああ見えて、可愛らしいところもあるんです」
「人のことよりお前はどうなんだ?」
「私ですか?」
「長たちが推薦する連中を無視して、若いお前を研究所の所長にしたんだ。大人たちから反発はないのか?」
「まさか。王様が任命されたのに、それに逆らうような愚か者は、少なくとも研究所にはいませんよ」
魔法で施錠された扉を解除しながらユウたちは談笑する。直通の昇降機を降りてから、これで五つめの扉である。扉の両側には黒の骸骨騎士がそれぞれ一体ずつ配置されており、扉を解錠するには鍵と魔法の詠唱が、さらにユウが任命した者が必要なのだ。この場所がいかに厳重に管理されているのかが窺えるだろう。
石畳の通路は幅広く、また天井も驚くほど高い。壁沿いに植えられた木々に、通路内を照らす植物はヒスイの手によるものだ。自然光と森林の中にいるかのような澄んだ空気は、ここが地下深くだということを忘れさせるほどである。
「着きました」
最後の扉を潜ると、信じられないほど広大な空間にいくつもの石造りの研究棟が建ち並ぶのが見える。
「地下にこれほどの研究施設、大地と鉱山を愛すドワーフの国ですらないでしょう」
「わからないぞ。どこの国だって表向きとは別に、秘密の研究施設くらい造ってるだろうからな」
「それでもこれだけの規模はないと思いますよ」
二人はそのまま真っ直ぐに一番大きな研究棟の中へ入っていく。研究棟の中は、いくつものブロックに仕切られており、ガラス越しに白衣を着た所員が作業しているのが見えた。
ユウが姿を見せたのに作業の手を止めないのは、これまでに何度もユウから注意されているからだろう。
「では早速――」
「待て。その前に渡しておく物がある」
そう言って、ユウはアイテムポーチからいつものバスケットを取り出すと、テーブルの上へ置く。
「こちらは?」
「ドーナツだ。あとで食べろ」
所長は「ドーナツですか。大好物です」と言いながらバスケットの蓋を開けると、色とりどりのドーナツの中から表面をチョコレートでコーティングし、輪切りした間にはクリームがたっぷりと入ったドーナツを素早くいくつかハンカチの上に置くと、丁寧に包んで懐へ仕舞う。
「おい。皆で食べろよ」
「承知しております。ですが、今から王様をご案内するので、こうして自分の分を確保しておかないと、食いしん坊な職員たちにすべて平らげられてしまうので」
わざとらしい泣き真似をするが、見た目が見た目なだけに少しも可哀想に見えなかった。
「前から聞きたかったんだけど、その格好になんか意味はあるのか?」
ユウが『異界の魔眼』で見ても、ペストマスクにはなんらスキルが付与されていないため、ずっと気になっていたのだ。
「この
「それで?」
「良い匂いがします」
所長は「どうですかっ!」と言わんばかりにガッツポーズをする。
「案内してくれ」
ペストマスクに一切興味を示さないユウに、所長はしょぼんと肩を落としながら案内を始める。
最初の部屋でガラス越しに中を覗くと、白衣の所員たちが写眼具を分解していた。貴重な写眼具を、それもテーブルの上に並べられている部品の数から察するに、一つではなく複数の写眼具をである。
「写眼具ですが、量産どころか実用化の目処すら立っておりません」
「そんな簡単に実用化できるんなら、よその国がとっくの昔に量産してるだろ」
「ですが、すでに高価な写眼具を十も無駄にしています」
ユウがバリュー・ヴォルィ・ノクスの宝物庫から回収した写眼具の数は十七点である。その内の十点を研究のために分解しているのだ。この光景を写眼具の金額、軍事的な利用価値を知る者が見れば、顔が青褪めていることだろう。
「無駄じゃない。報告書を見る限り、一定の技術の解明はできている。まずは白黒の写眼具の実用化を目指せ。そのあとにカラー化だな」
「そのお言葉を伝えれば、写眼具担当の所員も安堵するでしょう」
次の部屋ではテーブルの上にいくつもの透明のケースが並べられており、その中には大きさの違う石が入っていた。なんらおかしな点はないと言えるだろう――ただし、その石が浮いていなければ。石はケースを持ち上げるように上にへばりついていた。ケースごと持ち上げるだけの力が石にはあるのだろう。石の大きさに合わせて、ケースには重しが載せられていた。
「浮遊石についてはなにかわかったのか?」
「王様が浮島から採取してきた浮遊石ですが、空気中に漂う魔素を浮遊する力へと変換しているのがわかりました」
つい先日、商人たちへ「誰もいない浮島とかでも見つけて、改造したほうが早いかもな」と言っていたユウであるが、まったくの嘘であった。事実はすでに浮島から浮く石――浮遊石を採取していたのだ。
「それだと浮島の高度は延々と上がり続けるだろう」
「はい。ですから一つの仮説を立てました。それは魔素の濃度です。王様はご存知でしょうが、迷宮などは深く潜れば潜るほど魔素が濃くなります。では浮島のある空は逆なのではないでしょうか」
「高度が上がるほど、魔素が薄いかもしれないってことか?」
「はい。それなら浮遊石の力と浮島の重量が釣り合った時点で、高度を維持するでしょう」
「飛空艇に応用できるか?」
「浮遊石の力を解明することができれば、必ず飛空艇に応用することができます。なにしろ飛空艇を浮かせる燃料が、空気中に無尽蔵に漂う魔素になるんですからね。推進力に関しては、魔導船のエンジンを利用すればなんとかなりそうです。
飛空艇が実現した
ワイバーンなどの空を飛ぶ魔物は、卵から孵化したときからつきっきりで世話をする必要がある。また騎乗するとなると、厳しい訓練と凶暴な魔物を意のままに制する操者が必要であった。この操者――
「随分と夢のある話だけど、浮遊石の解明と同じ物が作れるかどうかが前提だな」
「仰るとおりです。大量に浮遊石を入手することができれば、手間がかからないのですが、そちらは難しいでしょうか?」
「住んでる奴らがいるからな。敵対してもいないのに、住処を奪うような真似はしたくない」
「それは残念です」
所長が次に案内した部屋は、これまでの研究室とは一風変わったものであった。部屋の中央に巨大な浴槽があり湯気が立っている。その浴槽を汗だくの所員たちが、湯かき棒で一生懸命にかき混ぜているのだ。
湯の色は二色に分かれていた。透明な箇所と半透明の湯――というよりもゼリー状の物体である。所員たちは浴槽から溢れ出る白濁したゼリーを、取り零しがないように桶へ回収していく。
「ジェルポーション量産の件ですが、キュアスライムを増やすことは可能でしょうか? 現状の数ですと、キュアスライムの分泌液が不足しており、これ以上の量産は難しいと報告を受けています。逆に上下水道で使用しているダートスライムは、数が増えすぎですね」
ユウが商人たちへ売り込んでいるジェル状のポーションは、キュアスライムが分泌する体液と通常のポーションを一定の比率で混ぜ合わせ、そのあとにいくつかの工程を経て製造していた。
「難しいな。キュアスライムはお湯に浸からせておけば温厚な魔物だけど、それでもランク5の魔物でそれなりに厄介な魔物なんだぞ。普段は岩の隙間の奥深くに隠れているし、ここにいるキュアスライムだって苦労して捕まえたんだ。今いるキュアスライムを繁殖させろ。あとダートスライムは間引く必要はないぞ。どうせ住人は増え続けるんだからな。すぐ必要になる」
「かしこまりました。そのように指示を出しておきます」
キュアスライムの浴槽部屋の次にユウたちが訪れた部屋は、魔物の解体場であった。山のように積み重なっているのは蟲系の魔物の死体である。それを所員たちが『鑑定』しながら解体、仕分けしているのだ。傍には万が一のことに備えて、ミスリル合金製の骸骨騎士たちが待機している。
「ニーナさんたちはどうしていますか?」
「ニーナとレナはふて寝してる」
「それはまたどうして?」
「あいつら大口を叩いといて『蠱蟲王国』を攻略できなかったんだよ。八十六層で出会った魔物に勝てなくて、逃げ帰ってきたんだ」
「確か……ニーナさんたちは、たった四人でAランク迷宮に挑んだんですよね?」
「モモにコロとランが抜けてるぞ」
「それでも大したものなのでは? あそこに積み重ねられているのは、ニーナさんたちが倒した魔物ですからね」
「まあ。よそのクランだと、Aランク迷宮の攻略に数十人から百人以上で挑むらしいからな」
「やはり大したものではないですか。そういえば……王様、ニーナさんからお聞きになりましたか?」
「なにを?」
「マリファさんが迷宮内で、人族の老人と話していたそうですよ」
「知らないな」
「仮にもAランクの迷宮で、それも話していた場所は八十三層ですよ? しかもその老人は信じられないことに、一人だったとお聞きしています。なにがあったのか知りませんが、マリファさんが迷宮内で単独行動をとっていたそうで、ニーナさんたちもマリファさんがその老人となにを話していたのかまではわからないそうです」
「『蠱蟲王国』の八十三層を単独でか……とんでもない爺さんがいたもんだな」
「マリファさん、怪しくありませんか?」
「あいつだって小さな子供じゃないんだ。詮索する必要はないぞ」
「お優しいことで」
その後、転移石などの研究状況などを話しながら、ユウたちは研究棟の奥へと進んでいく。これまで以上に厳重に護られている通路を進んでいくと、この研究棟でもっとも重要な部屋へ到着する。
「開けてもよろしいですか?」
そう問いかけながら、所長はペストマスクの嘴部分を強く握る。ハーブの香りを鼻へ送るためだ。ユウの許可が出ると、扉を解錠する。分厚い扉がゆっくり開くと、思わず鼻を押さえたくなる強烈な臭気が身体に絡みつく。
「トーチャーさんに言っていただけませんか。あの人、実験体が不足しているのを知っているくせに、譲ってくれないんですよ」
プリプリ怒りながら所長は部屋の中へ入っていく。広大な一室には無数のベッドが並んでおり、一つひとつが透明のシートで区切られていた。そのベッドの上には死体が――いや、アンデッドが拘束具で固定されていた。ただのアンデッドではない。ユウの死霊魔法によって痛覚を始めとする五感が備わった、人体実験用のアンデッドである。この者たちは新薬や魔法の効果、またその症状に伴う治療の経過を事細かに調べるためだけに存在する。
「トーチャーには俺から伝えておく」
アンデッドたちは声を出さぬよう口を太い糸で縫いつけられていた。生前は特権階級や強者であった者たちばかりである。罪もない弱き者たちや他種族を自分たちの快楽のために殺めてきたとはいえ、あまりにも惨い仕打ちであった。常人であれば、アンデッドたちの口からわずかに漏れ出る苦鳴や、赦しを乞う声にまともな精神状態を保てないだろう。だが、ここにいる所員たちは平然とした表情で人体実験を続けていた。
「俺が頼んでおいた研究の進捗状況は?」
「順調とは言えません。これまでに二千億マドカもの莫大な金額を費やしておいて、満足な結果を出せずに申し訳ございません」
「二千億が一兆になろうと研究は続けろ。金も必要な材料も俺が用意する」
「わかっています。ですが――本当に
「この島にザンタリン魔導王国って国があったのは教えたよな?」
所長は無言で頷く。
「カンムリダ王国の残党が中枢に入り込んで、できた国ですよね」
「お前に渡した研究資料の多くは、ザンタリン魔導王国から流出したものだ。この光景がおままごとに見えるくらい凄惨な人体実験を繰り返していたってんだから、恐ろしい連中だよ」
「最終的な目標はあったのでしょうか」
「
「…………冗談でしょうか?」
「冗談じゃない。
「同じ種族でも手足を繋ぐだけで拒絶反応がでますよ」
数多の人体実験を繰り返しているだけに、所長は異なる種族の肉体を繋ぎ合わせることがいかに無謀かを知っていた。
「それでも奴らは実験を止めなかった。膨大な実験の果て、新種の魔物――人造吸血鬼に人狼なんてモノまで造ったそうだぞ」
「成功例はあったのでしょうか?」
「ベースとなったのは安価で丈夫な
そこでユウは言葉を一旦区切り。
「――成功例はある」
「では
「いや、成功はしたが
とにかく、そんな複数の生物を融合させたキメラの実験が成功しているんだ。魂のないホムンクルス――フレッシュゴーレムくらいなら、創れてもおかしくないだろ?」
「王様はフレッシュゴーレムをどのように使うおつもりなのですか?」
これはこの研究室で働く者たちが、以前から気になっていたことであった。フレッシュゴーレムを創るのはいい、反対する者もいない。なにしろ貴重な材料から予算も使い放題なのだ。使用する実験体は憎き人族、それも畜生にも劣る連中ばかりである。なにを気兼ねする必要があろうだろうか。だがフレッシュゴーレム――これが完成したあと、どのように使用するのかを教えてもらっていないのだ。
「山城の――山の頂上になにがあるか知ってるか?」
「それはもちろん――世界樹です」
「じゃあ、その世界樹の傍に誰がいるかは?」
「ナマリは肉のお化けと言っていました」
「肉のお化けって……酷い名前だな。まあいい。そいつと、もう一人のために使おうと思ってる」
「もう一人ですか……?」
「本人は嫌がるだろうけどな。でも、もう十分だろ」
もう一人が誰のことを指しているのかわからぬまま、所長は研究の報告を終える。
「王様はなんて言ってた?」
ユウが帰ったあと、最初の部屋で休憩している所長に、所員たちが声をかける。
「必要な物はすべて用意するので、焦らず研究を進めるようにと」
「そうか」
周りから安堵のため息が漏れる。
「それで王様はいつまでいるんだ?」
「明日にはカマーへお戻りになられるそうです」
「ええっ。色々と話したいことがあったんだけどな」
「俺だって『鑑定』対策の技術とかお伝えしたかったのによ」
「大体、お戻りになるっておかしいだろ。ここが王様の戻る場所だろ」
「不満があるのなら結果を出しなさい」
所長の言葉に誰も異論を唱えることができなかった。
「では私は研究の続きがあるので――」
席を立ち、退席しようとする所長の肩に手がかかる。
「――なんですか、この手は?」
「ドーナツを出しな」
「これは私のドーナツですよ」
「王様は皆のって言ってたはずだぞ」
「そうだそうだ! 俺はちゃ~んと聞いてたぞ!」
「それをお前、一人で何個も取ってただろ?」
「…………私は所長ですよ?」
「関係あるかーい!」
「ダメ、ダメダメ! 頭を使うのには糖分が必要なんです!」
「あっ! 所長が逃げたぞ!」
「逃がすな!」
そそくさと逃げていく所長を、所員たちが追いかけていくのであった。
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