第322話 疑心暗鬼

 ネームレス王国の居住区は大雑把に分けて、獣人族、堕苦族、魔落族――最後に魔人族となっている。

 獣人族は基本的に木々に囲まれた住居で、堕苦族は地面を掘った地下に住居が、魔落族などは石をドーム状に積み上げた住居なのだが、魔人族は特に住居にこだわりなどはなく、雨露さえしのげればいいという考えであった。そのため魔人族の居住区に関しては、ウッド・ペインから取り寄せた木材を、わざわざユウが指示を出して住居を用意したのだ。こうでもしないと、今頃は魔人族の居住区には掘っ立て小屋が立ち並ぶことになっていただろう。


「力めばいいというものではない! 必要な部位に適切な力を込め、身体の連動を意識して突く!」

「「「はいっ!!」」」


 魔人族の住居が立ち並ぶ通りから少し離れた草原の一角、そこだけ土が剥き出しになっている場所で、魔人族の子供たちが槍を振るっていた。日に照らされ全身から玉のような汗を滴らせながらも、誰一人として脱落するどころか弱音すら吐かない。槍を一心不乱に振るう姿は、幼くともさすがは魔人族――いや、立派な戦士と言えるだろう。


「手の皮が裂け、腕が上がらなくなっても槍を振り続けろっ!」


 槍の指導をしている魔人族の男は、子供たちの手の皮が破れ血が流れているのを見ても、止めさせる気はないようであった。それどころか、より一層激しく槍を振るえと命令する。


「あれはっ」


 遠くから道形みちなりに歩く者たちの姿が魔人族の男の視界に入る。すぐにそれが誰なのか魔人族の男は気づく。護衛を務める重装甲の鎧を纏った猪人の男が歩いていたからだ。ここ最近の見慣れた光景である。反対側には張り合うように魔人族の子供――ナマリが胸を張って歩いているのが見えた。


「一旦、止め! 整列っ!!」


 魔人族の男が号令をかけると子供たちの動きがピタリと停止し、子供とは思えぬ動きで規則正しく整列する。遠目からでもわかる整列した魔人族の子供たちの姿に、ユウはげんなりする。ただ道を歩いているだけなのだから、自分のことなんか無視すればいいのにと思っているのだ。


「行くぞ」

「よろしいので?」

「いいんだよ」


 今日はこれから魔人族の長の家で会議をする予定だったので、護衛の猪人の男は寄り道してもいいのかと、ユウへ確認したのだ。ムスッ、とした表情で、ユウは道から外れて整列する子供たちのもとへ向かう。

 ユウが目の前まで来ても、魔人族の男だけでなく子供たちまで誰も言葉を発さない。ユウから言葉をかけられるまで、または許可が出るまで何時間でも立ったまま待つのだろう。


「見ればわかるんだけど、一応は確認するぞ。なにしてんだ?」

「はっ! この者たちの鍛錬を指導していました」

「ガキだぞ」


 魔人族の子供たちは一番上の者でも十歳ほどにしか見えない。


「オドノ様の仰るとおり未熟者ばかりです」

「そんなこと言ってないだろ。俺は学校が終わったあとは遊ば――自由にしろって言ったはずだぞ」

「いずれオドノ様へお仕えするときのために必要なことです」

「なんだそりゃ。俺がいつそんなこと頼んだ。それともなにか? 俺が死ねって言ったら、お前らは死ぬのかよ?」

「喜んで。我ら魔人族はいつでもオドノ様のために死ぬ覚悟ができております。オドノ様がお望みとあらば、この命いますぐにでも絶って御覧に入れましょう」


 まっすぐな瞳であった。魔人族の男は悪意の欠片もない眼でユウを見ている。後ろに整列する子供たちも同じ眼でユウを見つめていた。

 不意に――――ユウの胸に痛みが走る。

 痛み自体は大したことはない、小さな痛みだ。義父から受けてきた数々の理不尽な暴力――それこそ爪の間に針を通されたことや、数多の強大な魔物に人族の敵から受けてきた様々な攻撃――爪、牙、毒、呪詛、ブレス、剣、矢、魔法、身体の内から燃やされたこともある。

 それらと比べれば大したことのない遥かに小さな痛みだ。そう、大した痛みではないはず。なのにユウは、どんな痛みにすら耐えてきたのに、この小さな痛みが嫌で嫌で仕方がなかった。

 昔はこんな痛みを感じることはなかったのだ。いつからだろうか。ユウですら気づかぬうちに時おり痛みが走るようになっていたのは。


「オドノ様?」


 ナマリが心配そうな顔でユウを見上げていた。


「なんでもない。

 おい。お前、ちょっと長の家まで俺がもうすぐ着くって伝えてきてくれ」


 ここから魔人族の長の家まで、それほど距離はない。わざわざ先触れを出したところで、ユウが到着するのとそれほど時間に差はないのだが。


「お任せをっ」


 それでも魔人族の男は二つ返事で駆けていく。その背をユウは見送ってから、先ほどから微動だにしない子供たちへ向き直る。


「集まれ。もっと近くにこい」


 そう言って、ユウはアイテムポーチから大きなバスケットを取り出し蓋を開ける。


「フィナンシェだ」


 バスケットにぎっしりとバターケーキが敷き詰められていた。バスケットからバターの香りが拡がっていき「わあっ」と、子供たちから声が上がる。すると、ユウの飛行帽の中から声と匂いにつられてモモが顔を覗かせるのだが、フィナンシェと子供たちを一瞥すると、自分のではないとわかるなり再び飛行帽の中へ潜り込み惰眠を貪る。


「お前らはいいよな。こんな天気の良い日に外で動き回れて。俺なんか見ろよ? これから長の家で、じいさんばあさんたち相手に面白くもない話し合いだぞ」


 自嘲気味に笑うユウの姿を見て、子供たちはやっと子供らしい笑みを浮かべる。魔人族が幼き頃より厳しい鍛錬を経て戦士へなるとはいえ、中身はやはりまだまだ子供なのだ。


「このフィナンシェは新作なんだ。俺の話し合いが終わるまでに食っとけよ。それであとで感想を聞かせてくれ。もし大人たちになにか言われたら、俺の命令だって言えばいい」


 嬉しそうにフィナンシェを食べる子供たちを残して、ユウは長の家へ向かう。


「ナマリ、残ってあいつらと一緒に食べてていいんだぞ?」

「そうだぞ。王様の護衛は俺がやるからよ」

「やだ! 俺はオドノ様の護衛だから!」




 ユウたちが魔人族の長の家に着くと、すでに各種族の長や相談役と呼ばれる――いわゆる初期組のあとにネームレス王国へ移住してきた各集落の長たちが席について待っていた。


「無駄な挨拶なんかするな。さっさと始めるぞ」


 ユウが部屋に入ると、皆が立ち上がり挨拶をしようとするのをユウは手で制し、部屋にいる者たちを一瞥して会議を始めるよう伝える。


「食料の自給率に関してですが耕種農業、畜産農業ともに当初の計画を上回る規模で拡大しています。このまま順調にいけば収穫量はネームレス王国の人口を優に養える――」


 若い堕苦族の男性が資料を手に、ネームレス王国の食糧事情を説明していく。この報告にどの種族の者たちも満足そうに頷く。ネームレス王国という安住の地を得るまでは、長きに渡り迫害を受け続けてきたのだ。衣食住――その中でも特に食の部分で一番苦労してきただけに、皆が安堵の表情を浮かべるのも無理はなかった。


「素晴らしい報告じゃなっ!!」


 獣人の一人が大袈裟に声を張り上げる。


「うむ。国民が飢えずにすむのは喜ばしいことだ。それに収穫量に余裕があるなら、レーム大陸より同胞を呼び寄せるのはどうだろうか?」

「おお……っ! それはいい提案だ」

「私もその案に賛成だわ」

「儂も報告を聞きながらそのことを考えておった」


 獣人たちが打ち合わせでもしていたかのように、次々と大きく声を揃えて賛同する。ネームレス王国で一番人口の多い種族が獣人族である。必然的に会議へ出席する者も過半数が獣人族であった。

 レーム大陸から獣人を呼び寄せる。この案に獣人族は満場一致で賛成――とはならなかった。二人だけ声を揃えなかった者がいたのだ。一人はユウの背後に立っている猪人の男で、どこか白けた表情で獣人たちを見ている。

 もう一人は獣人族の長ルバノフである。その顔はなんとも申し訳なさそうな、情けない、といった表情であった。


「ルバノフ殿もなにか言ってくだされ」

「そうじゃ。獣人族の長としてルバノフ殿からも……ルバノフ殿?」


 口を真一文字に結んだまま視線すら合わせないルバノフの態度に、獣人たちがざわつき始める。


「なんのためにだ?」


 口を開いたのはルバノフではなく、ユウであった。


「お、おそれながら先ほども申し上げたとおり、食糧に余裕があるのなら、今後の開拓開墾や国力を増すためにも労働力の確保は必須かと。ならば多産で丈夫な獣人がもっとも適しているのは言うまでもなく」

「それにレーム大陸で虐げられている獣人は多い。同じ・・虐げられてきた儂らじゃからこそ、その辛さは誰よりも理解できるんじゃ」

 獣人たちから似たような言葉が続く。


「自分たちの集落さえ無事なら、よそのことなんか知らんぷりだったお前らが立派になったもんだな」

「お……王のおかげです。自分たちさえ良ければいい、まさに獣が如き考えと言えましょう。今は人として他者を思いやる心が、余裕が――」

「嘘つくな」


 室内が静まり返る。

 自分の心中を見透かされたかのように、老いた獣人たちの身体が縮こまっていく。


「お前らの多くが人族との混血だろうが。血が薄いからってよその獣人からも差別を受けてきたくせに、なにが同じ虐げられてきた儂らだよ。お前らの気持ちなんて、血の濃い獣人たちにわかるわけないだろ。

 それに仮にレーム大陸から獣人を連れてくるとして、どうするつもりなんだ?」

「び、備蓄している食糧に、それに……そう、ヒスイ殿に協力していただければ、いくらでも田畑など増やせますぞ!」

「う、うむ。それだけではない。ネームレス王国には世界樹がある。このことを伝えれば獣人を集めることなど容易い。い、いや。それどころか、レーム大陸中の獣人を統べる王となることすら――」


 ユウの不興を恐れてか言葉に先ほどまでの力はなかった。


「ダメだ」


 その言葉に獣人たちは落胆する。


「理由をお聞きしても?」

「面白くないからだ」

まつりごとを、国家の行く末を面白いかどうかで決められるのですかっ!?」

「そうだ。なにか文句でもあるか? 俺の創った国だからな。面白くないことには興味がないし、動きたくない。それに世界樹がいつお前らのモノになったんだよ」

「い、いえ……自分たちのモノであるなどと畏れ多い……。あれは王様が所有して――」

「俺のモノじゃない。あとヒスイは協力しないぞ。俺がするなって言ってるからな」

「な、なぜっ!?」

「自分で考えろ」


 結局、この日の会議で獣人たちの意見が通ることはなかった。勢いが削がれたからなのか、それともユウを怒らせたくないと気を遣ったためなのか。このあとの議題について獣人族が強く主張することはなく、堕苦族や魔落族の声がほとんどを占めた。


「ルバノフ殿、なぜ儂らの声に続いてくれなんだっ!!」


 会議が終わり、ユウのいなくなった部屋で、獣人たちがルバノフを責めるように問い質す。この場には他種族がいるにもかかわらず、我慢できなかったのだろう。


「なにを言うておる。お主らはルバノフ殿に感謝するべきじゃわい」


 堕苦族の長ビャルネが口を挟む。横にいたマウノは「お人好しがよせばいいのに」とでも言いたげな顔である。魔人族のおババやマチュピは、ユウが帰るのと同時に部屋を退出していた。


「なにをっ。堕苦族は関係ないじゃろ。これは儂ら獣人族の問題じゃ!」

「そのとおり! それに儂らは知っておるぞ! お前ら堕苦族がこそこそと動き回って、レーム大陸からネームレス王国へ仲間を引き込んでおるのをな!」

「堕苦族や魔人族がよくて、なぜ儂ら獣人族だけ許可を頂けないんじゃ。いったい……王様のお考えがわからんのう」

「ふんっ。くだらん」


 あまりの獣人たちの醜態に、マウノもついに我慢できなくなったのか。心の内に思っていたことを口に出してしまう。


「マウノ殿、なにか言いたいことでも?」

「別に儂はどうでもいいんだが、やれ獣人族がどうだ。堕苦族が、魔人族がと。儂らは同じネームレス王国に住む仲間ではなかったのか? なのにお主らときたら、そんなことでみっともなく騒ぎよって、だからくだらんと言ったんだ。これではルバノフ殿がお主らに賛同しなかったのも無理はないだろう」


 マウノの言葉に興奮していた獣人たちが静まり返る。


「王の言った言葉の意味をよく考えるんだな」


 マウノは苛立ちを隠さずに魔落族の者たちを引き連れて部屋を出ていく。


「儂もマウノ殿と同じ気持ちじゃわい。儂らなんぞどれほど偉ぶってみても、もとはつまはじき者の集まり。人族を真似て権力争いするなんぞ、どれほど愚かなことか……」


 続いてビャルネも一族の者と共に――部屋に残るは獣人族のみである。


「儂が王様の真意を聞いてこよう」


 会議中も黙ったままだったルバノフが口を開く。


「ルバノフ殿っ……」

「なに儂もお主らほどでないにしろ思うところがある」


 そう言ってルバノフは立ち上がると、そのまま部屋を出ていく。だが、向かう先はユウのいる山城ではない。なにしろそのまま城へ向かったところで、たどり着くことなど到底不可能だからである。なので、そこまで案内してくれる者に頼み込まなくてはいけない。ルバノフは家まで戻ると、お菓子をかき集めてインピカのもとへ向かう。山城までインピカを介して、ブラックウルフに案内してもらうためである。


「あちらがご主人様のお部屋になります」

「ここまでの案内、感謝する」

「お気になさらずに、これが私の仕事です」


 メイドは一礼すると、廊下の奥へと消えていく。ここから先は、ルバノフ一人だけで進めということなのだろう。

 ここまで驚くほどスムーズに事が運んだことに、ルバノフは獣の神に感謝する。インピカに頼み込み、ブラックウルフに山城まで案内してもらい、応対したメイドへ事情を説明してしばし待つと、信じられないことにユウの部屋まで案内すると言われたのだ。


「さて……どうなることやら」


 犬に汗腺がないように、犬系の獣人であるルバノフにも汗腺はほとんどない。だが人族の血が混じっているため、手足にわずかながら汗腺がある。その手から汗が、次から次へと溢れ出ていた。

 ここまで来たからには覚悟を決めねばなるまいと、ルバノフは足を進める。気分はまるで断頭台へ連れていかれる死刑囚のようだ。重い足を無理やり動かし進んでいくと、扉が見えてくる。その扉は良い木材が使われているとひと目でわかるのだが、細やかな装飾が施されているわけでもなく、シンプルなデザインであった。震える手で扉をノックをすると、すぐ中から明るい返事が返ってくる、ナマリの声だ。


「入んな」


 扉を開けて姿を見せたのはナマリではなく、猪人の男であった。特に威圧しているわけでもないのだが、その体格と風貌からルバノフは思わず後ろへ引いてしまう。

 部屋へ入るとルバノフは間抜けにも口と目を見開いて、しばし呆然とする。


(こ、これが王様の…………部屋?)


 室内は十畳ほどで、ベッドが一つ、机が二つ並んでいる。その一つがナマリのモノなのだろう。椅子に座って勉強中で、ナマリの頭の上にモモが寝そべって一緒に本を読んでいる。棚には絵本に混じって花輪や形や見た目は綺麗だが、なんの価値もなさそうな石が並べられており、ルバノフをより一層に困惑させる。もっと王に相応しい品が、それこそ山ほど所持しているはずなのに、と。

 もう一つの机でユウは作業をしており、机には山のように本が積み重ねられている。さらに金貨や銀貨が散乱し、その中央には天秤が置かれている。


「長、話があるんだろ」

「む? う、うむ。そうだった」


 一国の王が――ユウの自室とは思えぬほど質素な室内に、ルバノフは自分がからかわれているのではと、猪人の男へ視線を送るのだが、それを否定するように猪人の男は首を横に振る。


「王様、先ほどの会議にて――獣人族の非礼をお詫びいたします」

「よせ」


 跪いて頭を下げるルバノフへ、ユウは止めろと立たせる。


「人族のように権力へ執着するなど、獣人でありながら嘆かわしいこと。持たざる者ゆえ、このような醜態を晒すことになったのか……いえ、儂は長として――」

「別にいいだろ」

「――恥ずかし……は?」

「誰だって手に入れた物は手放したくない。それが苦労したうえでなら、なおさらな。特に俺の国にいるのなんて、奪われ続けてきた奴らばっかりじゃないか」

「し、しかしっ」

「ルバノフ、お前だって最初の頃は似たようなもんだったろうが」

「うっ……。お恥ずかしい話です」


 笑いを堪える猪人の男をルバノフは睨む。


「それよりこれを見ろよ。各国の法に関する本を取り寄せたんだけど、わざと難しく書いてるんじゃないかって思うくらい難解な文章だぞ」


 ユウから手渡された本をルバノフは開いて見るが、軽く黙読するだけで頭が痛くなってくる文章であった。


「それにこの貨幣だ」

「その金になにか問題でも?」

「おおありだ。例えばこの金貨はウードン王国とデリム帝国が発行しているモノだけど、デザインは違っても金の含有量に違いはない。それはレーム連合国で一枚あたりの金貨や銀貨の含有量が決められているからだ。だけど、こっちの金貨と銀貨は決められた基準が守られてない。サムワナ王国ってところが発行してるんだけどな。これをネームレス王国うちとの取引で商人共が支払いで使ってたんだよ」


 悔しそうにユウはサムワナ王国が発行している金貨と銀貨を指で弾く。


「商人を罰してみては?」

「どういう理由で罰するんだよ。商人は巧妙に、しかも相手が獣人のときにサムワナ王国の貨幣を混ぜる念の入れようなんだぞ? お前たちの支払う金に、なんかサムワナ王国の貨幣が気持ち多めに混じってるから許さないぞ! とでも言うのか? 失笑されるだけだ。騙されるほうが悪いってな。気づかなかったこっちが馬鹿なんだよ」

「それが獣人の移住を反対する理由でしょうか?」


 獣人は簡単に騙される。だから会議で反対したのではと、ルバノフは問いかけた。ルバノフとて、会議での獣人たちのようなあからさまな駆け引きはどうかと思うが、それでも他種族がネームレス王国へ移住してくることについては思うところがあったのだ。


「はあ? そんなわけないだろ。その程度で一々キレてたら、これ見たらブチ切れることになるぞ」


 ユウは机の引き出しから手紙の束を取り出し、そこから二通をルバノフへ渡す。


「こちらは?」

「いいから読んでみろ」


 読めと言われても、先ほど目を通した法書のように書いている内容が、ルバノフではよく理解できなかった。


「それは親書だ。人族の国から送られてきたな」

「親書……ですか?」

「内容は簡単に言うと、我が国に資金援助してくれれば三倍にして返しますだとよ」

「ほう。それはまたなんともうまい話ですな。しかも人族の国が儂らの国に対して親書を送ってくるとは」


 表向きは種族による差別を禁止している国もあるのだが、人族の国のうち実に九割以上が他種族を亜人と称して蔑んでいるのは、暗黙の了解である。ネームレス王国はまさに亜人の国と言っても過言ではないにもかかわらず、親書を送ってきたことにルバノフは手にした親書を前に我が目を疑う。


「ところがだ。その親書には、肝心の金をいつ返すかが記載されてないんだよ。つまり金の返済に関しては、こいつらの気持ち次第でいくらでも引き伸ばしができる口先だけの約束で、ネームレス王国うちを舐めてんだよ」

「ははっ……」


 ルバノフは苦笑する。


「なにか?」

「いや。なんでもない」


 ユウが自分を見つめていることに気づいたルバノフが問いかけるも、ユウは特になにか述べるでもなく、話を続ける。


「もう一つの親書は、領海を共同で管理、所有しましょうだってさ」

「ということは、この親書を送ってきたのは海洋国家ですな」

「そうだ。ネームレス王国うちの領海が羨ましいんだと」

「しかし領海ですか。そんなモノがあったのですか?」

「俺が決めた。なにしろ海洋国家のほとんどが、せっかくの立地を活かそうともせずに、陸から近い場所で漁をするくらいだからな。

 お前は知らないだろうけど、レーム大陸からネームレス王国まで続く安全な航路すべてに、ネームレス王国の領海を示す警告文を刻んだ塔を、海に何本も建ててるからな」

「もし他国の船がその警告文を無視して進めば――」

「皆殺しだな。というよりも、すでにいくつかの国の軍船が警告を無視して侵入してきたから対処・・した」


 対処したというユウの言葉に、ルバノフは唾を飲み込んだ。自分が知らぬ間に、そんな大事件が起きていたことを驚いたのだ。横目で猪人の男を確認すると、首を横に振る。つまり、クロからユウの護衛を任されている隊長ですら知らなかったのだ。


「港にある魔導船がどこから来たと思ってたんだよ。製造するほど人員も資材もないぞ」


 ネームレス港にある魔導船の数が、日に日に増えていることをルバノフは気づいていた。だが小さな船ならともかく、魔導船のような大型の軍船を短期間でどのように量産していたのかと、ルバノフは不思議に思っていた。

 その答えはユウが拿捕していたのだ。造るのではなく、完成している船を奪うのだから、短期間で魔導船が増えるわけである。


「皆殺しって言っても三割くらいだぞ。残りの七割はなにを考えているのか。深海ルートを選んで海の魔物に殺られてた。まあ、バラバラになった船は資材として、ありがたく回収したけどな」

「それほどまでに人族の国は、ネームレス王国を欲しているのですか」

「人族の国だって馬鹿ばっかりじゃない。うちに出入りしている商人から情報を入手して、どれだけ旨味があるか計算してるだろうさ。

 さっきの海を共同で管理したいって言ってた国、自分たちの所有する海軍では力不足なので、ネームレス王国の魔導船で使用されている技術の公開から魔物の駆除まで頼むって書かれている。そのうえで、海から手に入る資源は仲良く半分にしましょうだぞ。そんな真似して俺になにか得があると思うか?」

「ふははっ、確かに。親書を持ってきた大使はなんと申されたのですか?」

「ネームレス王国がレーム連合国入りを希望する際に、我が国は賛成票を投じるとか抜かしてたな。どれだけ中小国が賛成しようと、五大国のうち一つでも反対すれば無効になるのをわかってるくせにぬけぬけと言ってるんだから、大使を任されるだけあって図太いよな。そもそも、誰がいつ連合国に入りたいって言ったんだって話だ。次に舐めた真似をすれば、お前の国を滅ぼしてやるって追い返してやったよ。

 なにがムカつくかって、今まで散々な目に遭ってきて人族に恨みがあるくせに、ちょっと貴族が下手に出たくらいで、あいつは他の人族とは違いますだの、あの国の話を聞いてあげてくださいだのって、お前ら獣人が言ってきたことだな」


 思い返して腹が立ってきたのか。ユウは天秤の皿へ乱暴に金貨を置く。


「もっとフラングから学んだことを活かせ。せっかくの知識も使いこなす知恵がなければ無意味だ」

「王様の仰るとおりかと」

「お前、変わったな」

「儂が……ですか?」

「出会った頃のお前なら顔を真っ赤にして、今すぐ人族の国を滅ぼしましょうって俺に提案してたと思うぞ」


 ルバノフはどこか申し訳なさそうな表情でユウを見る。


「俺が獣人を受け入れないのは今の数で十分なのもあるが、急激な人口の増加を警戒しているからだ」

「獣人の多くは多産ですからな」

「それもあるけど、本当の理由は違う。俺がもし人族側・・・・・なら、レーム大陸の獣人をネームレス王国へ逃げるように追い込む。それとなく人族から護ってくれる獣人の楽園があるとか噂を流しながらな。そうすれば開拓に邪魔な獣人を追いやれて、さらにネームレス王国へ押しつけることができる」


 ルバノフと猪人の男は、そのもしを想像して絶句する。レーム大陸で生きる獣人の正確な数は把握していないが、それでも数千万どころではきかないだろう。それらが人族の軍に追い払われ、ネームレス王国へ向かうように誘導したとしても、すべてが住み慣れた故郷を放棄するとは思えない。だが、それでもだ。数割でも軽く億を超える獣人が、ネームレス王国へ助けを求めたとする。とてもではないが、救うことはできない。しかも一度ひとたび、島への上陸を許せばレーム大陸へ帰すことは難しいだろう。なぜなら人族の国が必ず妨害にでるからだ。そうなれば、ネームレス王国で養わなければいけない。億の民が食糧を求めて争いが――やがて内乱が起こるのは、ルバノフでも容易に想像できた。


「そのような深い考えがあったとは……」

「怒らないのか? 獣人を見捨てるのですかって」


 また・・ルバノフは申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「儂には息子が五人、娘が七人、孫にいたっては五十一人いました。王様に救われるまでは迫害の日々で、あるときは人族の騎士に殺され、奴隷狩りに遭い、他の獣人の縄張りに入り込んだ際の争いで、魔物に襲われ、飢えで、口減らしで儂が手にかけたこともあります。今では生き残っているのは息子が二人、娘は三人、孫にいたっては…………」


 懺悔するようにルバノフは言葉を吐き出す。


「ですが王様もご存知のとおり、今では孫が八人も生まれましてな。これがまた手のかかるなんとも元気な孫で、儂も育児を手伝わねばならないほど多忙の日々でして」


 可愛い孫たちのことを思ってか、ルバノフの顔がほころぶ。


「子育てで、よその獣人にまで気を回せない、か」

「隠さず申せばそうなりますな」


 ルバノフにとって一番大事なのは孫たちなのだろう。

 自分に嘘をつかず、見も知らぬ獣人よりも孫たちのほうが大事と言ってのけたルバノフのことを、ユウは褒めてあげたいくらいであった。


「オドノ様、おやつの時間だよ」


 難しい話が終わるのを待っていたのだろう。ナマリとモモがユウの袖を引っ張り、おやつの時間だと告げると。ユウたちは自然と笑みを浮かべるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る