第319話 レベルの高い変――――

「おらぁっ!!」

「死ねや!」

「お前がくたばれっ!!」

「あ゛あ゛っ?」

「あ゛あ゛んっ?」


 訓練場のいたるところで怒号が飛び交う。

 ネームレス王国で日常的に見られる光景の一つである。訓練、手合わせ、模擬戦、好き勝手な名称で呼ばれているが、ようはガス抜きだ。こうでもしないと、体力のあり余っている者たちがくだらぬ諍いを起こしかねない。

 ただ、今日はいつにも増して激しい戦闘行為が繰り広げられていた。その理由はいたって単純である。普段はあまり姿を見せない人物が見学に来ているのだ。その人物に少しでも良いところを見せたいがために、誰もが自ずと全身に力が入っていた。

 その人物は訓練場を広く見渡すことのできる丘の上から、訓練する者たちを見下ろしていた――ユウである。


「かーっ!!」


 魔落族の男が凄まじい速度で大鎚を振り下ろす。


「クソがっ!!」


 自らの頭部に迫る大鎚に対して、獣人の男が罵声を飛ばしながら戦斧を振り上げる。

 両者ともに殺気の込められた一撃である。重量のある金属同士が高速でぶつかり合った結果、火花を大量に散らす。押し負けたのは獣人の男のほうであった。


「ちっ」


 笑みを浮かべながら押し切ろうとする魔落族の男に向かって、獣人の男は舌打ちを鳴らす。獣人の男は無理に張り合おうとはせずに、圧し掛かる大鎚の勢いを利用し、独楽のように横回転しながらその場から飛び退き、危機を脱する。叩き潰す対象を失った大鎚は、そのまま大地へ撃ち込まれ、土砂を巻き上げながら先端が大地へ深々と埋没する。


「ほー。上手く逃げたではないか」

「はあ~? 腕力だけが自慢のとろくせえ魔落族がなんだって?」


 別の場所では堕苦族と獣人族の男性が、また別の場所では獣人族の女性同士が戦闘を繰り広げていた。数の多い獣人族の姿と他種族との手合わせが目立つ。続いて腕に自信のある者たちが骸骨騎士に勝負を挑む光景だろうか。

 人族の騎士団が行う模擬戦のような開始の合図もクソもない。目が合う、肩がぶつかる。いきなり斬りかかるなど、手合わせは唐突に始まるのだ。ただ、この手合わせの光景には、一点だけおかしなことがあった。魔人族へ挑む者がほとんどいないのだ。

 これには理由がある。魔人族の戦闘力が他種族を凌駕しているのだ。皆はユウに自らの、ひいては自分たちの種族が有能なところを見せたいのだ。誰が好き好んで、王の前で無様に負ける姿を見せたいだろうか。必然的に魔人族の手合わせは同種族の対決か骸骨騎士が相手になるのだが――


 一人の魔人族の男が悠然と歩を進める。周りにいる他種族の者たちは見て見ぬ振りで、通り過ぎていくその背を忌々しげに見送る。

 別にそのことに気を悪くすることもなく。男はいつものように骸骨騎士が待つ場所へ足を進めるのだが、今日はその行く手を遮る者がいた。


「いいのか?」


 槍を構えながら魔人族の男が問いかける。それに対して獣人の男――狼人のタランは言葉ではなく唾を地面にはきかける。その眼は射殺さんばかりに血走っていた。


「あ゛あ゛? 上からモノ言ってんじゃねえぞっ」


 魔人族の男は内心で「若いな」と呟き、軽く地を蹴った。ほとんど膝を曲げず足首だけの力で行われた跳躍は、タランからすれば魔人族の男が浮遊魔法でも使用したかのようにも見えただろう。


「しっ!!」


 タランとの距離を詰めた魔人族の男が刺突を放つ。軽やかな跳躍からは想像もできないような剛の突きであった。空気を抉りながら迫る槍からは、肉食獣の唸り声にも似た轟音が発せられる。

 無手のタランがどう対応するつもりなのか。魔人族の男は眼を見開きながらつぶさに見る。


「があっ!!」


 タランの咆哮が刺突の音を掻き消す。螺旋の回転を纏い迫りくる槍に対して、タランは右足を一歩前へと踏み込む。半身の体勢になったタランの左わき腹を槍が容赦なく抉り取っていく。宙にタランの体毛がついたままの皮膚や肉が飛び散る。だが、その傷は致命傷とまではいかない。痛みを物ともせず、タランは凶悪な笑みを浮かべながら右拳を顔目がけて放つ。殺意と紫電を纏った拳打を魔人族の男は身体を宙へと翻し、間一髪のところで躱す。地面へ着地した魔人族の男には、当初の余裕の表情などはなかった。


「今ので殺せたと思ったんだけどな」


 両肘から手の先まで雷を纏うタランが振り返る。ユウのアクティブスキル『魔拳』をタランも使えるのだ。


(不完全とはいえ、オドノ様と同じスキルを使うか。それよりも今の一撃、躱したにもかかわらず。この痺れは……っ)


 魔人族の男は槍へと目を落とす。わずかに紫電を残す槍からパチパチと音が鳴っていた。

 先ほどの攻防、タランは右拳を放ちながら、左手で槍を掴み取ろうとしていたのだ。それを察知した魔人族の男は槍を素早く引き戻したので奪われることはなかったのだが、その際に槍越しに雷を喰らっていた。その影響で身体が痺れているのだ。


(オドノ様の薫陶、恐るべし)


 円を描く足運びで、魔人族の男がタランの周囲を移動すると、それに合わせてタランも身体の向きを変える。


(本来は浅慮な獣を、これほどまでの戦士へと変えるとは)


 この男――ネームレス王国に来る前は、数多の魔物、様々な種族を相手に槍を振るってきたのだ。こと獣人に関しては負けるどころか、苦戦したことなど一度たりともなかった。

 だが、今まで手玉に取ってきた獣人――タランを油断ならぬと判断し、同格以上の相手と見なして慎重に距離を詰めていた。


(奴の狙いはわかっている)


 魔人族の男は槍の切っ先を地面に刺し込む。両者の間で殺気と闘気がぶつかり合う。濃密な気当たりの衝突によって、空間が歪み始める。

 気づけば周囲で手合わせしている者たちが、タランたちの戦いを見物するため、その手を止めていた。

 先に動いたのは魔人族の男である。槍を跳ね上げながら、刺突を放つ。地面に刺し込まれていた槍の切っ先が、土を巻き上げ礫のようにタランへ向かっていく。


「考えが甘いんだよっ!!」


 土が目に入ってもタランは目を見開いたまま槍から目を離さない。槍を掴むことさえできれば、勝てる相手だと。


「ぐっ」


 苦鳴の声が、タランの口より漏れ出る。同時にタランの左肩から飛び散った血によって、地面に赤い染みができる。

 槍を掴むどころではない。触れることすらできなかったのだ。躱すことに徹していなければ、どうなっていたのか。誰よりもタランが理解していた。

 魔人族の男はタランの狙いを読み、威力から速度を重視した攻撃へと切り替えたのだ。距離を取ろうとするタランへ、そうはさせんとばかりに凄まじい刺突が連続で放たれる。先ほどまでの空気を抉るような剛の突きではない。空気を切り裂く鋭い刺突である。


「て、てめえっ!」


 なんとか槍を掴もうと――いや、雷を纏った手で触れようとするのだが、槍の引き戻しが速く、タランは触れることすらできない。見る間にタランの身体が削られ、全身の体毛が真っ赤に染まっていく。


「ク……クソがぁっ……」


 すでに勝敗は決していると言っても過言ではない。それでもタランの戦意は衰えるどころか増しているくらいだ。


(見事な闘志だ)


 油断なく槍を構えながら、魔人族の男はタランを心中で褒め称える。


(だからこそ私は負けるわけにはいかぬ。魔落族は鍛冶技術、堕苦族は薬や装飾技術で貢献している。対して魔人族と獣人族はともに狩りや戦うことでしかオドノ様のお役に立てない。だからこそ、得意分野が被っている獣人族のお前に、魔人族の私が負けるわけにはいかんのだ)


「ぜぇぜぇっ……。どうした? あ゛? ビビってんのか!!」


 血塗れのタランが挑発するも、虚勢であるのは誰の目にも明らかである。このまま距離を維持しつつ時間を稼げば、いずれは失血で意識を失うだろう。だが、ユウの見ている前で、そのような見苦しい勝利は相応しくないと、魔人族の男は両脚を大きく開き、槍を構える。


「安心しろ。止めは刺してやる」

「へ、へへ……。そりゃ奇遇だな。俺もそろそろ止めを刺してやろうかと思ってたところなんだ」


 先に動いたのはまたも魔人族の男であった。体力の消耗が激しいタランに無駄なことをする余力など残っていないからである。最後の一撃を放つために、ただそのときを待っていた。


「はっ!!」


 槍が届き、タランの拳が届かない間合いから槍技『三段突き』――目にも止まらぬ刺突が繰り出される。通常の突きですら躱しきれぬタランは、恐るべき決断をする。


「ぐおぉっ」


 『三段突き』のうち、二つの刺突がタランの左肩と上腕を貫く。躱せぬのなら喰らえばいい。無防備で刺突を受けたタランに、魔人族の男の目がわずかに見開く。

 最後の刺突はもっとも躱し難い胴体であった。


(ここを狙うと思っていたぜ!!)


 「狙いどおりだ」と、タランは踏み込んで刺し違えるべく、正拳突きの体勢に入っている。

 だが、最後の刺突は狙いの場所には来なかった。軌道を突如として胴体から左太腿へと変えたのだ。槍技『蛇行突き』、蛇のようにうねりながら刺突を放つ技である。魔人族の男は『三段突き』の最後を『蛇行突き』へと変化させたのだ。

 槍が、太く鍛え抜かれたタランの左太腿を貫く。


「お前の狙いはわかっていた。これで――ぬっ!?」


 タランの太腿から魔人族の男が槍を引き抜こうとするも、どれだけ力を入れても槍はビクともしない。タランが太腿の筋肉を引き締めて縫い留めるように槍を固定しているのだ。


「バカがっ……。俺の勝――」


 今度はタランが驚く番であった。突如、魔人族の男は槍を握ったまま身体を高速回転させる。

 槍技『躰刃孔ていじんこう』、己が五体を槍と一体化し、回転させながら突撃する技なのだが、それをタランの太腿に槍が刺さった状態で発動させたのだ。

 結果――タランの左太腿が弾け飛び、左脚が宙に舞っていた。


「私の勝ち――」


 勝利を確信した魔人族の男の顔面に、稲光のような拳打が叩き込まれる。地面の上を大型の魔獣にでも跳ね飛ばされたかのように転がっていく。


「――ぐぬっ……。ず、ずひを……みへ……たか」


 地面を蹴って体勢を立て直し槍を構えるも、魔人族の男の前歯は砕け散り、顎も砕けていた。


「隙だぁ? ま……負け惜しみを……言うんじゃねえよっ……」


 大量の出血によりタランの顔色は土気色になっていた。しかも右足だけで立っているので、足元がおぼつかずにふらついている。


「はい。そこまで~! あんたの負けよ」


 声の主はローブを纏う堕苦族の女性である。その傍には同じようなローブを纏った者たちが続く。この者たちは治療班である。手合わせで怪我をする者たちを治すのは、治療班にとってもいい訓練となるのだ。


「誰が負けたって!!」

ここ・・のルールを忘れたの?」

「うっ……」


 なんでもありの手合わせであるが、両者が負けを認めないと行き着くところまで行くのは言うまでもない。そこで数少ないルールの一つに治療班がストップをかければ、その時点で手合わせは終了というものがあるのだ。


「クソがっ!」


 ユウのいる丘に向かって槍を掲げる魔人族の男の背に、タランが罵声を飛ばす。そのまま魔人族の男は振り返ることも、傷を癒すこともせず、次の相手を求めて去っていく。


「さっさと治せ!」

「なによ~。その口の利き方は? そもそも、その程度・・・・の傷をなんで私が治さないといけないのよ。そこのあなた。そう、そこのあなたが治しなさいな。ほら、そこに落ちてる脚を拾って」


 堕苦族の女性に名指しされた堕苦族の少女が、慌ててタランの左脚を拾って治療を開始する。


「お前が止めなきゃ俺が勝ってたんだぞ!」

「なーにが勝ってたんだぞ、よ。魔人族なのに空は飛ばないわ、魔法も使ってなかったじゃない」

「あ、あの野郎っ! 手を抜いてたの――ぬがあぁぁぁ!?」


 堕苦族の女性がタランの左肩の傷をほじくる。傷口の奥に紛れ込んだ体毛を取るためかどうかはわからないが、それはもう楽しそうにぐりぐりと。あまりの激痛にタランは白目になって泡を吹いている。タランが逃れようにも、今は吹き飛んだ左脚の骨やら神経やらを繋いでいるところなので、動くことができないのだ。


「あ~あ。どうせなら臓物をぶちまけるくらいの傷を負えばよかったのにね。そうすれば、私の腕前ってやつを王様にアピールできたのにな~」

「なんだとっ!!」

「きゃっ。もう! 唾が飛んできたでしょうが、唾が! 黙って治されてなさいよ。

 私も、もう少しで王様の研究所の所員になれたのにな~。きっと研究所では好きなだけ切り刻んで、好きなだけ解剖できるんだよ。それってステキなことだと思わない?」


 その言葉に賛同する者は、この場にはタランを含めて誰もいなかった。


「のちにおう帝と呼ばれる」

皇帝こうてい

「皇帝と呼ばれるその男は、七人の……七人の……う~ん、と」

従者じゅうしゃ

「七人の従者をひき連れて、南の地に国をつくりました。偉大なる西のじゅう? の王の」

けものの王」

「獣の王の名にあやかって、国の名前をデリ――」


 芝生の上に座って読書に苦戦しているナマリに、ユウが横から字の読み方を教える。普段ナマリが読んでいる本よりも、難しい字が使われているためだ。


「だいぶ難しい字も読めるようになってきたな」


 先ほどまで字を読むのに険しい顔をしていたナマリの表情が、一瞬にして輝くものへと変わる。


「うん!」


 一見、ユウとナマリのほのぼのとした光景に見えるのだが、丘の上では下とは違った意味で緊張感が漂っていた。

 その原因は――


「オドノ様、どうやら私の・・配下の者が勝ったようです」


 背後から魔人族の女性が声をかける。この女性、名をネフティといい。ナマリとは別の氏族の出自である。両腕には魔人族特有のタトゥーが肩から手首までびっしりと彫り込まれており、髪は両サイドを刈り上げベリーショートヘアと、なんとも男勝りな出で立ちであった。


「見てたよ」


 その言葉にネフティは頬が裂けんばかりの笑みを浮かべる。逆に他の種族の者たちは憤怒の表情を浮かべた。

 この場にはユウを護るように様々な種族の者たちがいるのだ。丘の下で手合わせをしている者たちよりも、はるかに手練の者たちが――クロがユウの許可を得て創設した軍の隊長格である。


「あの者には、私のほうから厳しく言い聞かせておきます」


 そこでネフティは振り返る。


「他種族の者には手心を加えるようにと」


 後ろにいる者たちへよく聞こえる大きな声であった。殺気が――ネフティに向けて放たれるのだが、平然とした顔でネフティは笑みを浮かべたままである。


「そんな必要はないだろ。タランもよく戦ってたぞ」

「オドノ様はお優しいですね。あの程度の者をお褒めになるとは」


 徐々にネフティはユウとの距離を詰めていく。肉食獣が獲物に気づかれぬよう、足音を、気配を消すように、細心の注意を払う。座っているユウを見下ろす形になるので、失礼な行為とも取られかねないのだが、ネフティの心中はそれどころではなかった。


(もう少し……もう少しでオドノ様のっ)


 ごくりっ、と唾を飲み込むと同時にネフティの額を一筋の汗が流れ落ちる。緊張しているのだ。同族から冷酷無比と恐れられる女傑が。


「おい。さっきからなにを馬鹿なことをやってるんだ」

「ハハッ。さすがはオドノ様、お気づきになられていましたか。これは恥ずかしいところを見られてしまいました」


 これほどまでにネフティが慎重に、なにをしていたのかというと――


「俺は男だぞ。こんなの見てなにがおもしろいんだか」


 そう言いながらユウはシャツの襟を引っ張ると、胸元が露わになる。周囲の女性陣から「おおっ」と短くも興奮した声が漏れ出る。逆に男性陣はそんな女性たちの頭を叩く。

 信じられないかもしれないが、ユウを護衛する者たちがいるこの状況で、ネフティはユウの胸元を覗き込もうとしていたのだ。それはもう普段の彼女からは考えられぬほど真剣に、一生懸命にである。

 あまりのくだらなさに、周囲に充満していた殺伐とした空気が霧散していく。だが、ネフティはそれどころではなかった。


(はぁ? な……なんだこれはっ。オドノ様が私に笑いかけている。いやそうじゃない。み、見えている。オドノ様の、オドノ様の――――あれ・・が。もしや私は今日、死ぬのか? いや、すでに死んでいる可能性も否定できんな。と、と、ともかく。ともかくだ。しかと、この眼に焼きつけたぞ。四回、いや五回はいけるかっ!? 今日は限界を突破できるやもしれんな。いやいや、そもそもこやつらがいなければ…………いっそ、皆殺しにするか? きっとオドノ様も笑って赦してくれるだろう。いや、そうに違いない)


 ネフティが振り返る。とても穏やかな笑みを浮かべていた。怪訝な表情でそれを見返す者たちをよそに、魔人族の者たちの背中を冷たい汗が流れ落ちていく。


「お前たちに一つ頼みがあるのだが、いいだろうか?」

「あ゛?」


 これまでのネフティの態度に、特に苛立っている獣人族の者が険のある反応を示す。


「なに簡単なことだ。自害してもらえないだろうか」


 あまりにも突飛な発言にポカンとする者たちとは対照的に、魔人族の者たちは膝を軽く曲げ、すぐ動けるような姿勢をとる。


「自害が嫌なら少し目を瞑ってくれるだけでもいい。なに痛みはない。私の腕を信じ――ぐはっ!?」


 不意の痛みにネフティは頭を押さえて蹲る。


「お前はさっきからなにを言ってるんだ」


 ユウが槍の石突と呼ばれる部分でネフティの頭を小突いたのだ。周りの者たちはいい気味だと、魔人族の者たちですらネフティに見られぬ場所で同意するように頷いていた。


「オ、オドノ様、いきなりなにをするのですか」

「お前が馬鹿ばっかりやってるからだろうが。それよりこの槍どう思う?」


 ユウの手には一本の漆黒の槍があった。


「ただならぬ業物かと」

「だろ? マチュピにやろうと思ってせっかくマウノに作らせたのに、あいつ槍ならすでに頂いていますって断りやがったんだよ。前にあげた飛竜の槍よりこっちのほうが強いのにな」

「身の程をわきまえたのでしょう。あの者に、オドノ様のお役に立てていないことを恥じる心があったとは、このネフティ驚きました」

「なんだよ。お前ってマチュピと仲が悪いのか? あ、そっか。前にマチュピに負けたんだっけ?」


 以前ネームレス王国の噂を聞きつけたどこぞの魔人族が、国を護ってやる対価に領土の半分を譲るよう要求してきたことがあった。その場で激昂したマチュピが問答無用で叩きのめしたのだが、その魔人族を率いていた族長がネフティなのだ。マチュピはネフティと話をつけるために、ユウの許可を得て島の外へ出向いたのだが――当然、ただの話し合いで済むはずもなく。マチュピはネフティを含む魔人族を相手にたった一人ですべてに勝利を収める。

 その後どのような話し合いが行われたのか。マチュピと共にネフティ率いる魔人族はネームレス王国へ移住することとなる。


「先日、オドノ様のお創りになった水晶のおかげで私も3rdジョブに就くことができました。今ならあのような未熟者に負けることはないでしょう」

「へえ」


 あまり興味のなさそうなユウの反応に、ネフティはムキになる。


「3rdジョブは『魔天鎗まてんしょう』。魔人族固有のジョブです」

「固有ジョブか、凄いな」


 ユウが褒めると、沈んでいたネフティの顔が一気に輝き笑顔になる。


「お前って犬みたいにコロコロと表情が変わるんだな。もっと無愛想で男に興味がないって聞いてたんだけど」


 ネフティが、ギ、ギギ、ギギギッ、と壊れたブリキの人形のように、ゆっくりと振り返る。ちょっとしたホラーのようだ。その眼は「誰だ? 余計なことをオドノ様へ言ったのは」と、問いかけていた。魔人族の者は誰一人として目をそらさない。ここで変な態度を取れば、あとでどんな難癖をつけられるかわかったものではないからである。


「オドノ様、私は男に興味がないわけではありません。これまで愛を捧げるに値するほどの男がいなかっただけです」


 最後に「ですが、今は違います」と呟く。


「ふーん。まあいいけどな。ほら、お前にやるよ」

「よ、よろしいのですか?」

「お前、隊長になったそうじゃないか。他の奴らにも隊長になったときに渡してるから、遠慮せずに受け取れよ」


 ネフティはユウの前で跪くと、恭しく手を差し出す。


「おい」


 その手が槍ではなく、槍を持つユウの手に重ねられていた。さらに言えば、指が絡みつくように纏わりついている。


「これはご無礼を。どのようなお仕置きでも――」

「いいから早く受け取れよ」

「はっ!」


 漆黒の槍を持った途端、ネフティは身体から力が抜けて倒れそうになる。


「驚いただろう? その槍は黒竜の角をもとに作られてるんだけど、呪われてるんだよ。それもマウノが強い槍を作るってんで、黒竜の角を濃縮だかしてな。おかげであれだけあった黒竜の角がなくなったんだぞ」


 イタズラが成功した子供みたいにユウが笑う。


「もしやこの槍に使われている黒竜の角とは……」

「ん? ああ、俺の大剣と同じやつだな」


 周りから嫉妬の篭もった強い視線がネフティの背に注がれる。それを受けながらネフティは不敵な笑みを浮かべ立ち上がる。


「うひっ。必ず、必ずこの魔槍を使いこなしてみせます」


(マチュピも飛竜の槍を渡したとき、同じようなことを言ってたな。あんだけ嫌ってるのに、マチュピもネフティも似た者同士か……)


 ネフティはこれ幸いにユウの横を陣取ると、そのまま談笑をし始める。


「ネフティ、知ってるか? はるか昔、大賢者のハゲ爺が転職の水晶を創る前は、お前みたいに自然と目覚めるしかジョブに就くことはできなかったそうだ。もし今でもそうなら、お前は強者として名を馳せれたのにな」

「ふふっ。それは良かったです。大賢者とやらに感謝せねば」

「なにが良かったんだよ」

「今も変わりなければ、こうしてオドノ様と出会うこともなかったでしょう」


 ナマリの勉強を見ながらユウは「お前って変な奴だよな」と呆れたように話す。だが、そんなユウの表情すらネフティにはご褒美のようなモノであった。


(ぬふふっ。今日は本当に素晴らしい日だ。あの忌々しいダークエルフもいないから、オドノ様との仲を邪魔されずに済むのだからな。難点は周りにいる有象無象の蝿共だな。私に気を使って自害くらいすればいいものをっ! ええい。忌々しい連中だ)


「オドノ様、この槍を使いこなせるようになったあかつきには、キン殿に挑もうと考えています」

「やめたほうがいいぞ。キンはアンデッドになる前は高名な騎士で、今は外骨格にレーム大陸に十二領しかない黄金甲冑の一つが癒着しているから強いぞ」

「相手にとって不足はないということですね」

「それに俺が迷宮で手に入れた武具も装備させてるから、今は生前より強いかもしれないぞ?」

「望むところです」


 なにがそんなにネフティをやる気にさせるのか。これ以上はなにを言っても無駄だと、ユウは「好きにしろよ」と言う。すると、ネフティはそれはもう嬉しそうに「はいっ!」と返事する。


「オドノ様、ナマリから聞いたのですが、なんでもとんでもない必殺技をお使いになられるとか」

「必滅技な。この世には殺したくらいじゃ死なない奴がいるからな」

「必滅技っ……!」


 興奮したネフティが――いや、周囲で聞き耳を立てている者たちも興奮した様子で、ネフティに早く続きを聞けよと念を送る。


「その必滅技を以て、かの兇獸の一体を討ち滅したので?」

「いや、その頃はまだ使えなかったな」

「なんと! では必滅技なしで兇獸をっ?」

「弱ってたからな」

「弱っていた?」

「俺が戦ったときには、兇獸はアンデッド化してたんだよ。つまり俺より先に兇獸を殺した奴がいるんだ。その証拠に頭頂部から尾にかけて斬撃の痕が残ってたから、一刀両断で殺した奴がいるんだろうな」

「そ、それでも偉業に変わりはないでしょう!」

「魔人族は弱った魔物を倒して自慢になるのか? ならないだろ」

「うっ。それは……その……」

「別に責めてるわけじゃないぞ。それに必滅技のほうだって、あんなに苦労して編み出したのに、結局はあれ・・を滅ぼせなかったんだから必滅技って呼べないよな」


 初めて見る気落ちしたユウの姿に、ネフティは慌てふためく。なんとか話題を変えねばと。


「と、ところで、あの技術はオドノ様が考えられたので? 複数の者たちの魔力やMPを一纏めにして使用するなど、なんとも恐ろしくも素晴らしい技法の一言です」


 ネフティの視線の先では、聖国ジャーダルクの聖者派が使用する『聖技』、聖繋横陣せいけいおうじん聖繋縦陣せいけいじゅうじんを練習している者たちの姿があった。


「俺じゃない」

「ではラス、殿でしょうか?」

「違う」

「まさかあの人族の――いや、レナとかいう」

「それも違うな。俺を罠に嵌めた連中が使ってたのをパクったんだよ」


 時が止まったかのように周囲が静まり返る。そのなかでナマリの本を読む声だけが淡々と聞こえる。


「詳細をお聞きしても?」


 ネフティの顔が先ほどまでと一転して、凶相を帯びていく。


「嫌だ」

「どうしてでしょうか?」

「お前だって、自分が罠に嵌められてボコられた話なんかしたくないだろ?」


 もはや隠す気がないのだろう。ネフティは全身から押さえきれない怒気を放っている。そのままナマリへ目を向けると。


「ナマリに聞いても?」

「好きにしろよ」


 ユウは立ち上がると、尻についた草を叩き落として歩いていく。そのすぐあとを、クロからユウの側仕えを命じられている獣人が追随する。


「ナマリっ」

「んん?」


 ネフティの呼びかけに、本から目を離さずにナマリが返事する。


「少しオドノ様のことで聞きたいことがある」

「でも今は勉強してるから」

「大事なことなのだ」

「う~ん、でも俺――わっ」


 ナマリに向かってネフティが頭を下げていた。大人の女性が、それもマチュピとは違う部族を率いていた族長がだ。あまりのことに驚いて、ナマリは読んでいた本を手から放してしまう。


「このとおりだ。頼む」

「うん。わかった」


 その返事にネフティは感謝の言葉を伝えるのだが、ナマリの話を聞くうちに、徐々にネフティの顔は険しく、さらに全身から怒気ではなく殺気が漏れ出ていた。


「いいんですかい?」


 猪人の男がユウへ話しかける。


「なにがだよ」

「なにがって……王様が仲良くしろって言えば、あんな険悪な雰囲気にならないと思いますよ」

「俺が言って仲良くするようじゃ困るんだよ。それじゃ俺がいなくなったら、また険悪になるのか?」

「えっ。まあ……そうはならないとは思うんですが」


 猪人の男は苦笑いしながら、なんとも歯切れの悪い返答で誤魔化す。


「このあとのご予定は?」


 これ以上はあまり踏み込むべきではないと、猪人の男は話題を変える。


「図書館と美術館の様子を見に行く。ヒスイが来い来いってうるさいからな。そのあとはラスとトーチャーのところだな。こっちはついて来なくていいぞ」

「わかりました」


 クロからは自分が不在時は常にユウの傍にいるよう命じられている猪人の男であったが、相手がラスやトーチャーだと面倒なことになる。それを察してユウはついて来なくていいと言ったのだ。

 王であるユウに気を使わせている不甲斐ない自分に、猪人の男は後頭部をパンパンッ、と叩きながらため息をつくのであった。

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