第318話 並び立つ

「はいっ!」


 元気な子供の声が青空のもと響き渡る。


「ではレテル、答えなさい」


 ネームレス王国で教師をしている三名の老人の一人、サンバイは挙手する生徒のなかから獣人族の少女レテルを当てる。


「36です」

「うむ。正解じゃ」


 「正解」というサンバイの言葉に「わあっ」と周りから拍手が起こる。


「レテルちゃん、やった」


 すぐ隣に座っている堕苦族の幼女ムルルが、小さな手で一生懸命にパチパチと拍手する。レテルは恥ずかしそうに俯きモジモジしながら「ありがと」と小さな声で応える。そして思い出したかのように顔を上げて、ある場所へ目を向けると。


(わっ。やった!)


 レテルが心の中でガッツポーズする。少し離れた場所から授業を見ていた黒髪の少年――ユウが控えめに拍手しているのが見えたからだ。


 ユウの視線の先には芝生の上へ座る十人ほどのグループがいくつも見える。そのグループの一つにはナマリの姿もあり。同じグループのインピカと一緒になって、あ~でもない。こ~でもない。と、サンバイの出した問題を解いていた。


 ネームレス王国の学校制度は当初、年齢ごとに年少、年中、年長にわかれていた。だが、種族間の学習能力の差や読み書きのできない大人も子供たちに混ざって授業を受けていたため、現在では年齢ではなく学力に応じてクラスをわけていた。


 大変なのは教師を務める三名の老人である。学力に応じて課題を与え、質問に答え、ときには助言を与える。忙しなく動いていると生徒たちが気を遣うので、落ち着いた動きを心がけ、また話しかけやすいように一人ひとりと目線を合わせるよう心掛けていた。


「わかった、7だ! じゃない、7です」

「正解じゃ。しかしマダ、元気なのは結構なことだが、当てられてから答えるようにな」

「あっ。ごめんなさい」


 魔落族の族長マウノの孫マダが「いけねっ」と謝りながら座る。年少のクラスでは簡単な読み書きに算数を中心とした授業が行われるのだ。


「各魔法の違いを説明しなさい」


 別のグループでは、もう一人の老教師コンラートが年中クラス向けの授業を行っていた。


「古代魔法は威力を重視した魔法で、そのため他の魔法と比べて消費MPが大きいです」

「よろしい。では精霊魔法は?」

「精霊の力を借りるので消費MPを抑えることができます」

「ふむ。ではデメリットはどうかのう?」

「精霊は気まぐれなので、同じ魔法を使用した際に効果が安定しません」

「よく復習しておるようじゃな」


 堕苦族の少年が座ると、周りから拍手が起こる。正解すれば褒めるのは誰が言い出したわけではないのだが、今では当たり前のようになっていた。


「先せーい、王様がね。前に精霊魔法を使ったら死にかけたから、二度と使わないって言ってたよ」

「むっ」


 魔落族の少女の言葉に、コンラートは少し困った表情を浮かべる。


「なるほど。そういうこともありえるのが精霊魔法というものじゃ」

「先生、どういうことですか?」

「先ほども言ったとおり、精霊は気まぐれな存在である。精霊魔法の使い手のことが好きなら、精霊は積極的に協力するじゃろう。この場合は精霊魔法の威力は普段より上昇し、消費MPも抑えられる。じゃが、嫌われている際は協力を拒み、消費MPは増えるにもかかわらず威力は下がるといったことが起こる。

 このようなことが起きぬように、最近の精霊魔法の使い手たち――つまり術者は精霊に協力を求めるのではなく、支配下に置くことが増えておる。ごく稀に精霊が言うことを聞かずに術者を殺したという話もあるからのう」


 コンラートの話を真面目に聞いていた生徒たちがざわつき始める。


「えー!? それじゃ、王様は精霊に嫌われてるの?」

「これこれ、早とちりするでない。

 嫌悪や憎悪から精霊が術者を殺すことがあるのなら、そのまた逆もあるということじゃ」

「逆?」

「そう。好意の結果、術者を殺すこともありえるということじゃ。精霊が術者のことを好きすぎて言うことを聞かない。または術者が求めている以上に力を貸すこともある。

 ふむ。この場合は押しつけると言ったほうがいいかもしれんな。こういった際は気をつけねばならん。精霊に悪気がないだけにたちが悪い。ありあまる力を無尽蔵に押しつけようとするだけにな。なにしろ精霊は空気中に漂う魔素と同じくどこにでもおる。場所によってその属性は違えどな。その膨大な力は儂らが使うにはあまりにも大きすぎる。

 魔法は便利でとても大きな力を行使できる。今や儂らの生活になくてはならん力と言っても過言ではないじゃろう。一方で正しい知識を以て使わねば、己が身を破滅へと導く力であることを各々よく理解するように」


 コンラートの言葉に生徒たちが「はい!」と元気な返事をする。

 年中クラスからは一般常識と魔法の知識について授業が行われるのだ。


「一般的に獣人は魔法が苦手と言われておる。嘆かわしいことに、人族のなかには獣だから魔法を使えないと決めつけている無知な者までおる始末。もちろん獣人が魔法を使えないなどというのは論拠のない偏見なのは、儂の授業を受けておる生徒ならよく知っておることじゃな?

 じゃが、一方で獣人が魔法を苦手というのも事実である。では、なぜ獣人が魔法を不得手とするか説明できる者はおるか?」


 エーヴァルトがどこか意地の悪い笑みを浮かべながら生徒たちを一瞥する。すると生徒たちは「はいっ!」と一斉に手を挙げる。エーヴァルトはそのなかから、あえて獣人の女性を当てた。


「獣人は他種族に比べ、MPから魔力への変換効率が悪いからです」


 エーヴァルトは「うむっ」と鷹揚に頷くと、周囲から獣人の女性へ向けて拍手が起こる。


「獣人は優れた身体能力を誇るが、一方で魔法に関してはからっきしじゃ。魔法など自分たちには必要ないと――いや、使えないと最初から諦めて言い訳をしておる」


 そこまで言って、エーヴァルトは挑発的な視線を獣人の女性へ向けて問いかける。


「獣人は魔法に関しては諦める以外に選択肢はないのか?」

「いいえ」

「ではどうする?」

「まず最初に魔力変換効率が低いのを認識することから始めます。そこから日常的にMPを魔力へ変換する練習を積み重ねていけばいいのです。このように――」


 そう言って獣人の女性が魔法の詠唱をすると、指先に光球が発動した。発動したのは白魔法第1位階『ライトボール』である。周囲から「おおっ」と驚きの声が漏れ出た。第1位階とはいえ、獣人が、それも白魔法を使えるジョブに就いていないにもかかわらず、修練のみで魔法を発動したからであった。


「よろしい」


 エーヴァルトは満足そうに頷くと、獣人の女性へ座るよう促す。

 年長では初級魔法の実施や薬学に魔物の知識、レーム大陸の歴史などが授業に組み込まれるのだ。ここまでがネームレス王国の義務教育である。これ以降は本人の希望で、より高度な学問や特殊な専門知識の必要な科目へ進むことができるのだ。


 できるのだが――


「「「教師を雇わんか」」」


 三人の老人が声を揃えて、ユウに要望を伝える。

 今は午前の授業が終わり、さらに昼食を終えたあとの午睡の時間であった。各々が好きな場所で昼寝をしているのだが、胡坐をかく老人たちの膝上では、獣人の幼児や幼女が気持ち良さそうに寝ている。ユウの膝上にはインピカが丸まって寝ており、睡眠を必要としないナマリはユウの背中にもたれかかりながら読書をしている。


「教師なら雇ってるだろう。優秀なくせに、雇い主の貴族に媚びの一つもできない世渡りの下手な爺さんたちをな。ところでいつも外で授業をやってんのか? 校舎を造ってやっただろ?」

「今日はほれ、見てのとおり快晴じゃ。だから外で授業をしたんじゃ」

「いつも同じ教室で授業を受けるのは、子供たちにとって窮屈で退屈じゃからな」

「それより儂らは教師を増やせと言っとるんじゃ」


 老人たちは「わかっとるくせに」と膝上の子供たちを撫でながら述べる。


「事実、教師の数が足りておらん。ほれ、どこから聞きつけてきたのか知らんが、魔落族に堕苦族、それに魔人族やらが、ナルモの運航しよる魔導船に乗って来ておるじゃろ?」

「子供もポンポン生まれておるしのう。いや、責めておるわけじゃないぞ? めでたいことなんじゃからな。どの種族の子も可愛くて仕方がないわい」

「年長までは儂ら三人で回しておるから、今はええんじゃが。それ以降を希望する者には高度な学問を教えることになる。必然的に今までよりもついてやらねばならん。それに問題はカンタンやタランの弟などの特進科じゃ」

「儂ら自分で言うのもなんじゃが、数字や文学をはじめとする一般教養に魔法の知識に関しては、そこらの学者風情なんかには負けんと自負しとる」

「ふひゃひゃっ。一般教養と言っても教える相手はもっぱら貴族じゃったがな。ネームレスここくらいじゃよ。民草にまで教育を、それも無料で授業を受けれるなど。お~いかんいかん。別に話を中断させようと思ったわけではないぞ?」


 ユウにジロリと睨まれたコンラートは、大袈裟に「怖い怖い」と言いながら、膝上ですやすやと寝息を立てる獣人の幼女の顎を優しくかいてやる。


「本人に悪気はないんじゃ、許してやってくれ。での、カンタンの地図を作製する技術やら、タランの弟は絵じゃったよな?」

「違うぞ。タランの弟は空――天候じゃったはず。最近は星なんかも独自に調べておるそうじゃがな。絵は魔落族の幼子で、これがまたなんとも見事な絵を描きよる」

「そうじゃったか。

 まあ、細かいことはええ。そういった知識や技術を儂らは持っとらん。つまり助言をすることすらできんのじゃ。ネームレス王、お主はそういった者たちに、道具やら書物やらを与えておるそうじゃが、それだけではダメなことはわかっとるんじゃろ?」

「人族をあまり増やしたくない」

「うーむ。それはわかっとる。国民の多くは人族に迫害されてきた者たちじゃからの」

「大体、老い先の短い爺さんたちならともかく。こんななにもない辺鄙な島国に、なにが悲しくて来ないといけないんだよ」


 エーヴァルトたちは「えっ!? なにを言っとんるじゃ」というような顔でユウを見つめる。


 ネームレス王国はエーヴァルトたちにとって、天国のような場所であった。自分たちを慕う子供たちは目に入れても痛くないほど愛らしい。学校が終われば子供たちや護衛でついてくるブラックウルフたちと、川で釣りや山で散策をして嬉々たる時間をすごす。日が暮れれば、元詐欺師のフラングが経営する酒場でちょっとお高い酒を飲む。フラングはいけ好かない男だが目利きは確かなようで、商人から仕入れる酒の味は素晴らしいの一言である。休日は休日で、ユウが造った美術館に図書館巡りである。

 美術館には庶民ではお目にかかることすらできないような品々が展示されており、エーヴァルトたちは数々の芸術品を鑑賞するだけで、一日中でも時間を潰すことができた。それに図書館である。館長のヒスイは張り切り過ぎて少し空回り気味だが、それもまたご愛敬というものだろう。その証拠に本来は堅苦しい、重苦しい空気が漂うはずの図書館内の空気は軽く感じられた。これは絵本を求めて来館する子供たちの存在だけのせいではないだろう。

 さらにこの図書館の蔵書ときたら、そこらの国の図書館では太刀打ちできないほどの量である。しかも、この美術館も図書館も無料で使用できるのだから、エーヴァルトたちは驚くとしかいえない。他国であれば決して少なくない金銭や、それなりの身分の権力者たちに身元を保証する書状などを用意してもらう必要がある。

 エーヴァルトたちのような学術バカには、ネームレス王国へ移住しない理由があるのか? と思うほどの理想的な国であった。今さらユウに、もうネームレス王国から出てってもいいよと言われても、絶対にこの老人たちは出ていかないだろう。


「ほ、本気で言っとるんかの?」

「なんで俺が爺さんたちに冗談を言わなきゃいけないんだよ。思い出した。イザヤもなにを考えてるのか知らないけど、ずっと島に残らせてくれって言うし、あいつちゃんと嫁と子供に相談して言ったんだろうな」

「ふ、ふむ。儂は良い判断じゃと思うがな。それで人族を増やしたくないのはわかった。じゃが五年もすれば、今いる赤子たちは学校に通い始めるんじゃぞ。その問題はどうするつもりなんじゃ?」

「五年あれば爺さんたち以外の先生も育って――あっ」

「ん? なにか気になることでも?」


 エーヴァルトたちが訝し気な顔でユウを見ると。


「いや、先に爺さんたちのお迎えが来そうだなって」

「なっ!」


 いつもなら「かーっ! なんちゅうことを言うんじゃ!!」と怒るところであったが、今は膝上に子供たちがいるのだ。エーヴァルトたちは怒りを抑えて「ぐぬぬっ」と唸ることしかできなかった。


「ふあ~」


 可愛らしい欠伸が聞こえる。声の主はユウの膝上で寝ていたインピカである。インピカは立ち上がり「う~んっ」と背伸びする。


「おいっ」


 背伸びが気持ち良かったのか。インピカの尻尾が左右に勢いよく振れて、座っているユウの顔や胸にパシパシと当たる。


「王さま、どうしたのぉ?」


 振り返ったインピカが、寝惚け眼をこすりながらユウの顔を覗き込む。


「どうしたじゃない。お前の――」

「あ~っ! 王さま、おめめがまっ赤だよ! どうして? ねえ、どうしてウサギさんみたいにまっ赤なの? ねえ、インピカにおしえてよぉ~」


 インピカのどうして口撃に、ユウは怒る気も失せた。げんなりしているユウを見て、エーヴァルトたちはいい気味だと笑っている。


「俺の言うことを聞かない悪い奴らばっかりだからな。夜中に泣いてんだよ」


 雷に打たれたように、インピカは身体を硬直させる。ずっとユウの背中にもたれて読書していたナマリも「そうだったの」と驚いた顔をする。


「王さま。インピカがその悪い子に、めっ! てしてあげようか?」


 ポカンとした顔でユウは真剣な顔をするインピカの顔を見つめ返す。


「もしかして……お前、自分が良い子だと思ってるのか?」

「うん! インピカ、良い子だよ!!」


 微塵も自分を悪い子だと思っていないインピカは、満面の笑みで答える。その姿にユウはさらにげんなりするのであった。




 『蠱蟲王国』。

 セット共和国の領内にあるAランク迷宮である。その名を冠するとおり生息する魔物の多くが蟲系であり。また迷宮の支配者層でもあった。

 この迷宮の難易度は生半可な冒険者パーティーでは、十層潜ることすら至難の業である。

 Cランクに上がったばかりの前途有望な冒険者パーティーが、自分たちの力がどこまで通用するのか。または浅い階層なら大丈夫だろうと、探索しに行って帰ってこないなどは、よくある話である。いや、よくある話どころでは済まなかった。あまりの死亡事例の多さに、セット共和国の冒険者ギルドは『蠱蟲王国』へのCランク以下の探索を規制したこともあるのだ。ギルド内に通達を貼りだし『蠱蟲王国』の入り口には冒険者ギルドから職員を派遣して、探索しようとする冒険者の冒険者カードをチェックするという念の入れようであった。その甲斐もあって、今では無謀な挑戦や、軽はずみに力を試そうとする冒険者は激減したのだ。


 その凶悪な迷宮の下層――鬼も黙る八十一層にニーナたちの姿があった。


「はあっ!」


 わずか・・・に見える大地を駆けながら、ニーナは青紫の甲殻を斬りつける。だが、黒竜の牙と爪より造られた二本のダガーは、火花を散らしながら弾かれる。


「わっ、わっ~!」


 衝撃で後方へ飛ばされたニーナは、空中で体勢を立て直すのだが、その眼下に拡がる悍ましい光景に思わず悲鳴を上げた。

 それも致し方がないと言えるだろう。なにしろ大地の大部分を覆っているのは夥しい蟲――百足であったからだ。それも一匹一匹が数メートルほどのなんとも巨大な大百足である。


「ニーナさんっ!!」


 マリファが樹霊魔法でニーナの落下地点に木を創る。


「マリちゃん、ありがとうっ!」


 無事に木へ着地したニーナは、先ほど斬りつけた相手――八十一層の階層主である双頭大百足を見上げ・・・る。ランク7の魔物である五百年百足の亜種で、階層主と名ありを加味してランク8超えは確実であろう。全長は二十九メートルほどだろうか。身体を起こせば、木にいるニーナが見上げるのも無理はない巨体である。大地に蠢く大百足は、双頭大百足に従属する蟲たちなのだが、その数の暴力で先ほどからニーナたちの邪魔をしていた。


「気に入りませんね」


 マリファが双頭大百足を睨みつけながら呟く。その理由は双頭大百足がマリファたちを歯牙にもかけていないからであった。巨大な二つの頭部それぞれにある三十八もの複眼はニーナたちではなく、クロだけを捉えている。その巨体に相応しい鋭く大きな顎肢がくしをカチカチっと威嚇するように打ち鳴らし、その顎肢から滴り落ちる猛毒が大地に蠢く大百足にかかると、激しく悶えながら大百足の甲殻が溶けて死んでいく。


「厄介な蟲め」


 身体に大百足を巻きつかせながらクロが呟く。通常の毒が効かないとはいえ、身体に絡みつく大百足は顎肢をクロの身体に突き立てようとしているのだ。それらを無視して、クロは双頭大百足から視線をそらさない。否、そらせないのだ。それほどの強敵であった。先ほどから何度もクロは攻撃を放っているのだが、双頭大百足に大きなダメージを与えることができていなかった。あのクロが槌技や斧技を全力で叩き込んでも、双頭大百足の青黒い甲殻はへこみはするものの割れないのだ。


「クロちゃ~ん、いい加減に甲殻を壊すことにこだわらずに、頭とかも狙ってよ~!」


 ニーナの叫ぶ声が聞こえているのか聞こえていないのか。クロは反応を示さない。


「もう! クロちゃん、ぜ~んぜん私の言うことを聞いてくれないんだから! モモちゃんからも言ってよ~」


 ニーナの肩に座るモモは、首を横に振るばかりである。

 クロの攻撃で双頭大百足の防御力を突破できないのであれば――ニーナたちの視線が上空へ注がれる。


「……任せて」


 箒の上に立つレナが、杖を持ちながら器用にニーナたちへダブルピースする。


「レナっ、無理をしてはいけませんよ!」

「……大丈夫、お姉ちゃんを信じて」


 軽口を叩くレナであったが、マリファの眼には膨大な魔力を身に纏うレナの姿が見えていた。その異様な気配を察知したのだろうか。双頭大百足の頭部の一つが、クロからレナへ向きを変える。


「そうはさせん」


 大地に数万と蠢く大百足を蹴散らしながら、クロが双頭大百足へ突っ込んでいく。合図もなにもなかったにもかかわらず、ニーナたちもその動きに連動して攻撃を開始する。


「……ぐっ」


 レナが龍芒星りゅうぼうせいの杖・五式の力を解放し始める。膨大な魔力を注ぎ込まれると、杖に埋め込まれている宝玉が――五芒星の形に埋め込まれた宝玉の内、風と水の宝玉が反応する。恐るべきことにレナの魔力を以てしても、五つある宝玉の二つしか力を解放できないのだ。


「……ぐぐぅっ」


 迷宮内の上空に黒雲が発生し、渦を巻きながら空を覆っていく。黒い雲からときおり稲光が放たれ、地を這う大百足たちを照らす。

 この黒雲を創り出したのは当然レナである。そのレナは高負荷の魔力に身体が耐え切れず、両腕の皮膚が裂け、血が腕を伝って杖を赤く彩る。身体には雷が駆け巡ったかのような雷の模様が浮かび上がり、全身から魔力と灰色の煙が立ち昇る。

 パッシブスキル『詠唱破棄』を持つレナが、これだけ一つの魔法を発動するのに時間をかけなければいけないのには理由があった。

 今から発動しようとしている魔法が、現在のレナでは使えない位階の魔法だからである。そのため複数の魔法を組み合わせ、さらに杖の力を借りて補っているのだ。


「……離れて」


 発光色を赤色に変化させたライトボールでレナが合図を送る。点滅する赤い光を見たニーナたちは一斉に双頭大百足から距離を取った。それと同時に黒雲を突き破り、超巨大な鋼の塊が紫電を纏いながら姿を現す。

 即座に自らの死を感じ取った双頭大百足は身体を丸めて防御態勢に入る。その判断の早さ、危機察知能力の高さ、さすがは『蠱蟲王国』八十一層の階層主と言えた。


 だが――


「っ! ……っ!! …………っ!?」


 声にならない悲鳴を上げ、双頭大百足の姿が消え去る。残っていたのは大地に穿たれた底の見えない巨大な穴と、双頭大百足の一部だったと思われる残骸であった。迷宮の階層がどのように繋がっているのかはわからないが、次の階層にまで穴が続いていても、なんらおかしくないほどの破壊の痕であった。

 従属していた大百足の行動は早かった。数万もの大百足は即座に別の階層へ逃走を開始したのだ。それは双頭大百足が死んだことを証明していた。


「……はぁはぁっ」


 ミスリルの箒の力を借りても浮遊を維持できぬほど疲弊したレナが、息も絶え絶えに地面へ降りてくる。


「レナ~、凄い魔法だったね! でもこれじゃ魔玉も素材も期待できないかも。なにか残ってないか、ちょっと見てくるね。マリちゃんたちはレナを見ててあげて」


 ニーナはレナの無事を確認すると、巨大な穴に向かって走っていく。


「レナ、あなたはいつの間にこれほどの魔法をっ」


 レナが行使した魔法の威力にマリファは絶句する。しかも、あれほどニーナたちの攻撃を受けて、びくともしなかった双頭大百足の甲殻を貫くほどの魔法でありながら、被害は双頭大百足とその周辺のごくわずかな範囲であった。

 これはレナがニーナたちを巻き込まないように威力を維持しつつ、範囲をコントロールしたからである。


「……わ、わた……はぁはぁ……」


 自身の放った魔法の反動で受けた傷と疲労で、レナの身体が傾いていく。慌ててマリファが支えようとするのだが、レナは杖で身体を支える。


「……私はユウに並び立つ」


 杖で支えねば立っていられないほど疲弊しているにもかかわらず、レナはまっすぐな瞳でマリファに宣言する。


「なぜ?」


 自分でもわからぬままマリファが問いかける。


「……だってパーティーだから。私はユウと対等の存在になりたい」


 ふらつきながらニーナのもとへ向かうレナを、マリファは追うことができなかった。ただ、手でコロにレナへつくよう指示を出すのが精いっぱいであった。

 クロは木龍を倒した実績と、この『蠱蟲王国』で八十一層にいたるまでに数々の魔物を屠ってきたことからも、このパーティー内で隔絶した実力を兼ね揃えている。ニーナもそんなクロに合わせるかのように実力を伸ばしていた。コロやランは従魔として順調に成長し、モモは積極的に戦闘へ参加しないものの、要所要所でパーティーを危機から護っている。マリファ自身も何度も助けられていた。そしてレナである。

 レナの才能が開花し始めていることに、マリファは気づいていたのだが、ここにきてこれほど急激な成長を遂げるとは――いや、まだその途中でこれである。

 自分が一番パーティーで足を引っ張っているのではないか。この『蠱蟲王国』の探索でマリファが痛感していたことであった。


「私は……私は――――」


 私は――それに続く言葉をマリファは述べることができなかった。

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