第312話 王妃 前編

 女性たちが着ているドレスは、ふんだんのレースに惜しみなく金銀糸を使用している。腰を締め付け、臀部に丸みを出す役目を果たすコルセットに、全身を着飾るのはスキルが付与された装飾にアクセサリーとしての貴金属類である。庶民からすればこのドレス一着で家族がゆうに一年は食って過ごすことができるだろう。

 驚くのはこれだけの出で立ちでありながら、嫌みがないのだ。それはこの女性たちに気品があるからである。気品があるから高級な衣類が浮いた印象を与えず、逆にそれが当然であるのだという印象を周囲へ与えるのだ。

 また女性たちには共通していることがあった。それは美女か美少女、全員が美しいのだ。口元を扇で隠しているのだが、それでも隠しきれない妖艶な色気を漂わせている。一つ一つの仕草が異性の気を惹くのだ。王族を護る近衛兵たちが、思わずその色香に任務を忘れてしまいそうになるほどである。


「あちらにいらっしゃるのは、王妃様とご令嬢の皆々様です」


 ユウの耳元で囁きながら、アドリーヌはさり気なくインピカたちを取り返すと「むほほっ」と淑女らしからぬ声を漏らす。


「王妃?」


 女性たちの輪の中心に、金色の髪を細かく何十にも編み込み後ろで束ね、身につけているモノが――いや、その美しさも頭一つ二つは抜けている女性がいた。おそらくこの女性が王妃なのだろう。その証拠に、頭上には宝石が散りばめられたティアラが、陽の光を受け光り輝いている。だが、ユウはそんなことよりも――


「えっ。あのデブ、結婚していたんですか!?」


 ユウらしからぬ素の表情で驚くと、アドリーヌは「ふふっ」と上品に笑う。


「ええ、ええ。アドリーヌにはサトウ様のお気持ちがよくわかりますよ。驚くことは無理もございませんが、陛下はご結婚されております。

 あちらにおわす王妃様は三公爵家がひとつ、デヴォンリア公爵家の出で、周囲にいるのは伯爵以上の爵位を持つ御家のご令嬢です」


 「なるほどな」とユウは内心で呟いた。モーベル王国のダッダーンがユウと初めて会ったときは、まだ第三王子であった。三公爵家が、それぞれ第一から第三までの王子を支持していたのだろうと。その結果、見事ダッダーンを支持していたデヴォンリア公爵家から王妃が選ばれ、権力争いに勝利したのだとユウは考える。王妃の周りにいる令嬢たちは、デヴォンリア公爵家の派閥の貴族か、側室といったところだろうと。


「違いますよ」


 ユウの心を見透かしたように、アドリーヌが囁く。


「サトウ様はお優しいですね。魑魅魍魎が跋扈する王宮内が、どれほど醜いのかを知らないのでしょう」


 暗にユウは甘いと窘めるようだ。


「三公爵家は王位継承権を持つすべての方々へ、自分の息がかかった者を送り込んでいます。ですが唯一、ダッダーン陛下だけはデヴォンリア公爵家からしか送り込まれていません」


 インピカに頬ずりしながら話すアドリーヌのメガネがずれる。


「王妃様ですよ。あの御方が、他家の手出しを許さなかったのです。言葉にするとなんてことはございませんが、これは信じられないことなのですよ。いくら王妃様がデヴォンリア公爵家の出とはいえ、他の二公爵家や自派閥の貴族を押さえつけるなど……」

「なぜそんな真似を?」

「陛下を愛されているからです」


 冗談かと思うユウであったが、アドリーヌの顔はいたって真面目である。


「サトウ様の仰りたいことはわかります。そんな王妃様が、なにようでネームレス王国へ足をお運びになられたのかが知りたいのですね?」


 「ぐふふっ」と下品な笑い声を漏らしながら、再度アドリーヌはユウの耳元へ顔を近づけ――


「王妃様は、陛下の浮気を疑っておられるのです」


 ――と囁いた。


「浮気? ダッダーンと誰がですか?」

「ですから~。ぬふふっ。陛下とサトウ様のですよ」

「俺は男ですよ」


 なにを言っているんだこの人はと、ユウはアドリーヌを見る。

 王侯貴族などの――いわゆる権力者と呼ばれる者たちが、同性や少年に愛を求めることはそれほど珍しいことではない。ないのだが……それをユウに理解しろというのは無理があるというものだろう。


「アドリーヌ、先ほどからなにをコソコソと話しているのです」


 焦れたのか、王妃が声を発する。その美貌に相応しい美しい声音であった。同時に生まれながら民草を統べる側――貴族であると、否が応でも認識させられる。


「あなたはいったい誰に仕えているのかしら?」

「それはもちろん。ダッダーン陛下でございます」

「この私に対して、そのような口を利くのはあなたくらいのものですよ」

「お褒めにあずかり恐悦至極に存じます」

「私がいつあなたを褒めました」

「これは失礼いたしました。なにぶん下賤の出ゆえ、お許しを」


 王妃の目がわずかに細まるも、その姿に動揺は微塵もなし。対するアドリーヌは微笑みの表情を崩さない。武人同士が立ち会う際の緊張感や、チリチリと肌を焦がすような圧力とはまた違った。そう、もっとドロドロとした粘着質な圧力が両者の間に漂う。だが、その緊張感あふれる対峙も、アドリーヌが両脇に抱えるインピカたちのせいで台無しである。インピカたちはなにが起こっているのか理解していないようで、アドリーヌの頬を指でつついては、キャッキャッ、と喜んでいた。


「いいでしょう。今はあなたに構っている場合ではありません」


 王妃が一歩前に踏み出すと、なにも言わなくとも近衛たちが開けていく。


「ネームレス王、初めま――――」

「いいよ、挨拶なんてしなくて。ここになにしに来たのか知らないし興味もないけど、さっさと帰ってくれ」


 王妃の背後に控える淑女たちから「まあっ」と非難するような声が聞こえる。

 挨拶の途中で割って入るというユウの失礼な態度に対して、王妃は特に気にした様子もなく。ユウに向かって右手を伸ばし、そのまま顔の位置にまで上げると、親指と中指の間に銀色のメダルが挟まれていた。


「これを所持していれば、ネームレス王と商談ができるとか」

「あのデブ……貸すなって言ったのに」

「陛下はデブではありません。人より少しだけぽっちゃりなだけです」

「えっ。ぽっちゃり……? あれがっ!?」


 またしてもユウは素の表情で驚いてしまう。ダッダーンはオークに見間違うほどの肥満体である。それを少しだけぽっちゃりと評した王妃の目はどうなっているんだと、ユウは驚いたのだ。だが、王妃は冗談ではなく本気でそう思っているようで、扇で口元は隠れているのだが、頬はわずかに朱が差している。


「それがここ数ヶ月は政務の対応に追われて、そのせいで日によっては数百グラムもお痩せになっています。ああ……陛下、おいたわしや」


 常人でも起床後や食事後では一キロから二キロくらいは体重が変化する。それがダッダーンほどの肥満体だと数百グラムなど誤差だろうと、ユウは王妃や淑女たちに視線を向けるのだが、女性陣はその件についてなにも言いたくはないとばかりに、一斉に目を逸らす。


「それなのに陛下はっ。口を開けばネームレス、ネームレスと。私があらぬ疑いをかけるのも無理はないでしょう。モーベル王国内であれば、私の目が行き届いていますが、ここは私の力およばぬ他国ですからね。陛下によからぬことを吹き込む輩がいるやもしれません。陛下の妻である私が直々に確認しても、なんら問題はないでしょう。

 それにネームレス王は、他ではお目にかかれないような珍しい品々を扱っているとか。ですからわざわざ商人との商談が終わるまで待って――あなたは?」

「俺はオドノ様のボディガードなんだぞ!」


 ユウを護るように、ナマリが王妃の前で腕を組んで胸を張る。だが淑女たちからすれば、ナマリの強がる姿はとても愛らしい姿に見えたようで「可愛いらしいこと」「ふふっ。騎士様なのかしら?」などと、愛でるような視線を向ける。淑女たちからの好意的な視線にナマリは恥ずかしくなったのか。慌ててナマリはユウの後ろへ隠れて顔だけ出して「お、俺は強いんだぞ!!」と強がる。


「なにがおかしい」


 ユウの全身から殺気が放たれる。

 王妃たちに向けたモノではない。その後ろに控える近衛兵に向かってである。近衛の一人がナマリを嘲笑したのだ。頭部のみでなく、顔まで覆う兜であったが、鼻で笑ったのをユウは聞き逃さなかった。そのまま近衛の前までユウは歩いていく。


「さっきから近衛のくせに気の抜けた護衛をしやがって。俺がその気なら何百回お前らを皆殺しにできたか、お前の身体を使って教えてやろうか?」


 ユウの殺気を受け、近衛の男は鎧の下に着込んでいるインナーが、噴き出した汗で水を被ったかのようにびしょ濡れになる。

 これで王妃たちは怯えて帰るだろうと、ユウは王妃たちのほうへ振り返ると。


(くそっ。あいつら全然ビビってない)


 ユウと近衛たちのやり取りを、王妃たちは怯えるどころか他人事のように見ていた。アドリーヌなどは微笑みを崩してはいないものの、ブツブツと「ナマリちゃんを馬鹿にするなんて許せない。許せない、許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない――――」と呟いているのをユウは聞こえていたのだが、あえて触れずにいた。


「おい、お前らの近衛が下手を打ったんだぞ」

「ネームレス王、私に言われても困りますわ。モーベル王国とネームレス王国との商談の場は、アドリーヌに一任されていますのよ? そこの近衛がネームレス王に非礼を働いたのなら、ここはアドリーヌが責任を取るべきだわ」

「王妃様。私はネームレス王国と、それはそれは親密に友好関係を築いています。どれほどか説明いたしますと、兵などという無粋な輩を引き連れなくとも、私や文官たちが身の危険を感じることは皆無です。

 それが今回に限っては王妃様たちがどうしてもというので、私は反対したにもかかわらず一部の愚かも――方たちが護衛のために近衛隊を要請したのです」

「私は頼んでいないわ」


 ユウをそっちのけで、王妃とアドリーヌが再び睨み合っていた。


「もういい」

「あら? それでは私に品を売っていただけると受け取っていいのかしら?」

「ああ。さっさと購入して帰ってくれ。お前ら向けの商品はここに置いてないから、あそこに見えるディッシュツリーまで移動するぞ」


 これだけユウが失礼な態度をとっても、王妃たちは帰る素振りすら見せない。


「殿方の皆様はご遠慮していただけないかしら?」


 さも当然のように同席しようとするマゴやビクトルを始めとする商人たちへ、王妃が冷たい視線を向ける。淑女の一人が王妃の耳元で「ハーメルン『八銭』ベンジャミン・ゴチェスターの右腕『渇求のビクトル』です」と囁く。その言葉に、王妃の眉間に一瞬だが皺が寄る。


「ぬははっ。その様子ですと、自己紹介の必要はないようですな」

「どういうおつもりかしら?」

「こいつら自分の取り分が減るのを心配してるんだよ。尻の穴の小さい連中だ」


 ユウの下品な言葉遣いに、淑女たちがわざとらしく「まあっ」と驚く。


「またそのようなことを仰る。

 他の方々はどうか知りませんが、このビクトルめは心配しておるのですぞ。どこぞ・・・の王族にサトウ様が取り込まれないかと。もちろん、サトウ様の邪魔はいたしませんとも。ただ、取引の場に立ち会わせていただきたいのです。我々は正規の手続きでサトウ様より銀のメダルを授かっているのですから、それくらいはいいと思うのですが、いかがですかな?」


 暗に王妃を非難する発言であった。ユウがビクトルになにか言うよりも早く――


「いいでしょう。私たちもここであなた方と言い争いをするつもりはありません。邪魔をしないのであれば、立ち会うのを認めましょう」


 ――実に王族らしい上からの発言であった。


「アドリーヌ、あなたのつき添いも近衛も不要です」

「かしこまりました」


 もとよりついて行くつもりなどなかったアドリーヌは、心の中で舌を出す。


「無様な姿ね」


 王妃の視線の先はアドリーヌの服であった。アドリーヌはメイド長なだけあって一般のメイドより上質な生地で服を作られているのだが、そのメイド服がインピカなど獣人の子供たちによって毛だらけになっていた。


「名門の出であるあなたが、子供の相手など。その才をモーベル王国のために役立てようとは思わないのですか」

「お言葉ですが、王妃様が蔑むこの行為こそモーベル王国の、ひいては陛下の利となる最も重要な仕事なのです」

「戯言を」


 家柄だけでなく、その恵まれた才能を活かそうとしないアドリーヌに、王妃は侮蔑の視線を向ける。だが、アドリーヌは少しも気にしていないようで、インピカたちを抱き締めてご満悦である。そのままアドリーヌはユウのもとへ駆け寄ると。


「サトウ様、残念ながら私は同席することができません。王妃様もなかなかに厄介な御方ですが、周りのご令嬢も男性を立てる深窓の令嬢などという可愛らしいものではありません。モーベル王国で才媛と誉れ高いご令嬢なのです。どうかお気を許さぬよう」


 インピカたちがアドリーヌを見上げながら「ないしょのおはなし?」「ひみつなの?」と問いかける。


「そーなの~。秘密のお話なのよぉ~。さあ、あっちでお姉ちゃんと遊びましょうね。オホホッ。なんて楽しい職場なのかしら~」


 インピカたちと手を繋いで、スキップしながら去っていくアドリーヌの後ろ姿を見送りながら、ユウは「どこが最も重要な仕事なんだ」と呟くのであった。

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