第311話 カブトムシ
快晴の大海原を苦もなく進む一匹の――――と呼ぶにはあまりにも大き過ぎるだろうか。日々、順調に成長し続けて、体長はすでに四十メートルを超えている。海竜の子供――――アオである。アオの巨大な顎にはこれまた太い鎖が咥えられており、その鎖を辿ると魔導船に繋がっているのがわかるだろう。
「こらっ! そんなに急がなくていいんだよ! アオ、聞こえてんだろうがっ!!」
魔導船を任されている虎人族のナルモが叫ぶのだが、その声にアオは振り返るどころか反応すらしない。なにしろアオの目にはネームレス王国の港が映っているのだ。一刻も早く帰ることしか頭にないのだ。魔導船を引くアオの速度は、さらにグングンと上昇していく。
「どうやら船が帰ってきたようです」
「かえってきたよー」
港から水平線を見ていた竜人の男が淡々とした声で、鬼人族の幼女が元気いっぱいな声で、ユウに報告する。
「見ればわかる」
「わかるって」
鬼人族の幼女が嬉しそうに竜人の男へ伝える。
「なあ。お前はいつまでここにいるつもりなんだ」
「ご恩をお返しするまで」
「はい、はい! あたしもー」
ぴょんぴょん飛び跳ねながら、鬼人族の幼女が手を挙げる。
「そんなことはどうでもいいんだよ。帰る場所があるならさっさと帰れよ」
「そのような恩知らずな真似を、我が神はお許しにはならないでしょう」
「お前の信仰してる神って」
「八大龍王が一柱にして、慈悲深き偉大なる神――――
「なにが慈悲深いだよ。人族が好きすぎて…………まあいい」
この竜人の男と鬼人族の幼女はバリューの負の遺産である。元々はバリュー一派の貴族に飼われていた奴隷なのだ。奴隷など必要としていないユウは帰る場所がある者たちはそのまま解放したのだが、なかには変わり者がいるもので、奴隷から解放してくれたユウに恩義を感じてネームレス王国についてきたのだ。
「あと、ちびっ子。お前はそんなことよりも、遊んで、飯食って、寝て、早く大きくなることを考えてればいいんだよ」
「ちびじゃないよーだ。あたし、いーっぱいごはんたべてるよ。きのうはね。インピカちゃんたちと、かわであそんだんだよ」
ユウがちらりと竜人の男を見る。
「昨日は私がついていましたので、ご安心を。普段も子供たちが川遊びなどをする際は、誰か手の空いている大人たちがついています」
「おい。俺はなにも言ってないだろ」
「おうさま、おねえちゃんたちは?」
いつも一緒にいるニーナたちの姿が見えないことが、鬼人族の幼女は気になった。
「あいつらはうるさいから捨ててきた」
「えーっ!?」
驚きのあまり、鬼人族の幼女は自分の頭に生えている小さな二本角を握り締める。感情が高ぶった際に出る幼女の癖なのだ。
「冗談だ。ごちゃごちゃうるさいから迷宮に行かせてる」
ブエルコ盆地での激戦後、屋敷に戻るなりニーナたちはユウに説明を求めたのだ。あれだけ心配をかけて、さらに傷だらけの姿を晒したのだから、ニーナたちからすれば当然な要求と言えるだろう。だが、ユウは一切の説明を放棄した――――いや、そんなことで諦めるニーナたちではないので、手頃な迷宮へ放り込んだのだ。そう、問題の先送りである。その後、ロイとの件を終わらせて、滞っていたネームレス王国の仕事を処理しているというわけである。
「迷宮にですか?」
「ああ。『蠱蟲王国』ってところだ」
竜人の男が「Aランク迷宮……」と誰に言うでもなく呟いた。そして鬼人族の幼女と共に、先ほどからずっとユウの傍に控えるナマリへ視線を向ける。
「ナマリちゃんはおるすばん?」
「ちがう! 俺はオドノ様のボディーガードなんだぞ!」
「ナマリにも行けって言ったんだけどな。生意気に護衛のつもりらしいぞ。まあ、ニーナたちにはクロやモモをつけてるから、大丈夫だけどな」
退屈になったのか。鬼人族の幼女は竜人の男の身体をよじ登っていく。竜人の男は気にした様子もなく、そのまま鬼人族の幼女を肩車する。普段はお目にかかれない高さと景色に、鬼人族の幼女はご満悦のようで「むふーっ」と興奮する。
帰るべき場所があるにもかかわらず、竜人の男がネームレス王国に残っているのは、ユウへの恩義に報いるためもあるのだろうが、この帰るべき場所がない鬼人族の幼女の存在も少なからずあるのだろう。バリューの負の遺産である奴隷のなかには、年端もいかない様々な種族の子供たちがいたのだ。自分が住んでいた場所どころか親の名前や顔すら知らない子供たちを、ユウはモーフィスやムッスなどの権力者たちをこきつ――――協力を仰ぎ、順次送り返したのだが、なかには鬼人族のように、里の場所を同じ鬼人族にすら秘密にする種族もいるのだ。そういった帰る場所のない子供たちは、ネームレス王国が引き取り面倒を見ていた。
「ナマリ、行くぞ」
「うん!」
港に入っていく魔導船を見ながら、ユウはナマリと共に足を進めるのであった。
「ナルモ、錨を下ろしたぞ!」
「お~しっ! アオ――――って、もういねえじゃねえか」
魔導船が波止場に固定されると、アオは咥えていた鎖を「ぺいっ」と放して、さっさと子供たちが待つ浜辺へ向かってしまう。そのあまりにも素っ気ないアオの態度に、ナルモは肩を落としてため息をつく。
「くそ。いつか絶対に従わせてみせるからな」
悔しがるナルモを見て、作業中の船員たちが苦笑する。
「すまんが通してくれっ」
魔導船と波止場の間に桟橋がかかると、商人たちが我先にと走り出す。その後ろでは「雇い主が先に行ってどうするんだ」と護衛たちが慌てて商人を追いかける。
「ぬははっ。焦る気持ちはこのビクトルにもよくわかりますが、なんとも困った方々ですな」
悠々と魔導船から降りてきたのはビクトルである。
「ホッホ。それだけの価値が、この国にはあるということでしょうな」
「正しくは、ネームレス王の創るポーションにでしょう」
続いてマゴや商人の一団が。
マゴやビクトルを始めとするこの十人ほどの商人たちは、ユウが発行している銀のメダルを所持している。銅のメダルでネームレス王国で商品を売ることが、鉄のメダルでネームレス王国の品を購入することが、そして銀のメダルでユウの創る品を購入することができるのだ。すでにユウからポーションを購入することができる商人たちは、莫大な利益を現在進行中で得ていた。
先ほど桟橋がかかるなり走り出した商人たちは、銀のメダルを所持していない者たちである。
今までは貴族や商人などの富裕層、あとは冒険者や傭兵などのごく一部の者たちだけが購入していたポーションを、ユウは性能差をつけることによって、低価格で一般庶民でも気軽に購入できるようにしたのだ。その結果、新たな市場が開拓され、しかもその市場はユウと取引している商人たちが独占しているのである。
すぐ傍でライバルの商人たちが莫大な富を築いているにもかかわらず、自分たちは指を咥えて見ることしかできないのだ。なんとしてでもネームレス王国から信用と信頼を勝ち取って、銀のメダルを授かりたいと先走るのも無理はないことであった。しかも今日はユウがいると聞いているのだから、気合が入るというわけである。
「ご覧ください。この輝きをっ!」
商人の一人がユウの前に広げた敷物の上に、色とりどりの宝石を並べていく。どれも粒も質も文句なしの上物ばかりである。
「
迷宮の宝箱や古龍マグラナルスが貯め込んでいた金銀財宝から、ユウは売るほどの宝石を所持しているので、商人たちが持ち込む宝石類に興味を示さないことを、最近ネームレスに来るようになったこの商人は知らなかった。
「そう仰らず。こちらのダイヤモンドを手に取って見てください」
「特にダイヤモンドはあまり珍しくもないから誰も買わないぞ」
「そ、そんな馬鹿なっ!?」
「北と南だ」
宝石を売り込みに来た商人は、ユウの言葉にポカンとした表情を浮かべるのだが、一部の商人がほんのわずかに動揺し、すぐさま素知らぬ振りをする。
「市場に出回るダイヤモンドの採掘は、北と南の国々で約七割ほどだ。北はハーメルン、南はデリム帝国、この二ヶ国が中心になって、それほど珍しくもないダイヤモンドの市場へ流れる量を調整してる。つまり、その価値を維持するために国や商人が談合してるんだよ」
その事実を知らなかった商人たちが、非難するような目を自由国家ハーメルンの商人であるビクトルへ向ける。
「サトウ様、酷いですぞ。国家の秘密を、それもこのような場で話すなど、もってのほかです。このビクトル、あとでお叱りを受けるやもしれませんな。これはなにかサトウ様に便宜を図っていただかねば」
「酷いのはお前らだろうが。大量に採れる石ころを高値で売り捌きやがって」
「物に価値をつけるのは商人の役目ではありませぬか。それに資源の限られた北と南の国々が、協力して利益を得るのはそれほど悪いことでしょうか?
さて、そちらで怖い顔をしている方々に一つ助言を、商人であるならば真実を見通す目を持つべきですな。流通量や情報から真実を見抜くことができなかった自分を恥じるのならばともかく。自分の無能を人のせいにするなど、商人として失格なのでは?」
「ぬははっ」と笑うビクトルに、ダイヤモンドの談合を気づけなかった商人たちは、誰も言い返すことができなかった。
「宝石にご興味がないのであれば、食はいかがですかな?」
商魂がたくましいと言うのか。重苦しい空気など吹き飛ばすかのように、別の商人がユウへ売り込みをかける。
「こちらは南の国で手に入る香辛料です。初めは刺激が強いと感じるかもしれませんが、慣れれば肉に野菜となんにでも合う。まさに魔法の調味料とでも呼ぶべき代物です」
「へえ。それはいいな」
並べられた香辛料に興味を示すユウの姿に、商人は内心で「よしっ!」と叫ぶ。
「あるだけ買うよ」
値段も量も聞かずの購入宣言であった。
「よろしければ、必要な量を定期的にお運びいたしますが」
「それでもいいけど、輸入量からネームレスの人口を調べようとしても無駄だぞ」
何人かの商人が誤魔化すように愛想笑いを浮かべた。ビクトルなどは隠そうともせず「いやはや、バレてしまいましたか」と開き直っている。
「と、とんでもない。ネームレスお――――あっ。サトウ様、私はそのようなことは考えていません!」
「どうだか。宗教、詐欺師、それに商人の言うことは信用するなってな」
「だ、誰がそのようないい加減なことを言っているのですか」
「俺だ」
「ええっ!?」
勝手に港についてきた子供たちが「「「俺だーっ」」」と大きな声でユウの真似をする。口を開けたまま固まる商人たちの姿に、黙って商談を見ていたマゴは思わず笑う口元を手で隠す。
その後も商人たちとの商談は続いていく。熱気に包まれた場や他国の珍しい品々に、見学している子供たちも興奮を隠せない。
そして、あらかたの取引が終わると、銀のメダルを所持する商人たちとユウの取引が始まる。以前は銀のメダルを所持している者だけにしか商品を見せていなかったのだが、現在はあまりにも要望が多いので取引を公開していた。
これはユウの創る商品を他の商人へ見せつけることによって、ネームレス王国との貿易を商人たちに競わせようとする考えも含まれている。
「ポーション……ジェルですと?」
「ああ。今のポーションは飲むか、傷口にかけるかだろ? このジェル状のポーションは傷口に塗ることで、わずかな量でも効果を発揮する」
「さすがはサトウ様ですな。このようにポーションを加工するなど、錬金術ギルドでもできますまい」
「俺だけじゃない。今はラスや堕苦族にも創らせてる」
「で、ではサトウ様のみならず、製法さえ知っていれば他の者でも同じ物が創れると?」
「そうだな」
「対価を支払えば教えていただくことは可能で――――」
抜け駆けしようとした商人に、他の者たちが色めき立つが。
「ダメに決まってるだろう。お前らだってポーションの材料は知っていても、錬金術ギルドがポーションを創る方法は知らないだろ」
高位の『鑑定』スキルを所持する者たちは、当然ユウや錬金術ギルドの創るポーションに使用されている材料は特定しているのだが、その製法までは突き止められずにいた。
「サトウ様、今回も有意義な商談でしたな」
冷えた果実水を一気に飲み干したビクトルが、ユウへ話しかける。
「お前らとの商談は、魔物と戦うより疲れる」
「ぬははっ! またそのような。ところで以前に空飛ぶ船――――飛空艇でしたかな? 製造状況はどのような感じなのか。こそっとこのビクトルめに教えて――――」
「ビクトル殿、そのようにユウ様へご無理を言うのは感心しませんな」
「おや? マゴ殿、サトウ様と私の仲に嫉妬ですかな?」
「ホッホ、まさかそのようなことはございませんよ」
ユウに一番近い商人は自分であると、ビクトルを牽制するマゴであったが、当のビクトルはさして気にした様子もなく、マゴを交えて会話を続ける。
「飛空艇か……。簡単に造れれば苦労はしないんだけどな」
「ほう……。では?」
「誰もいない浮島とかでも見つけて、改造したほうが早いかもな」
「ぬははーっ。さすがのサトウ様でも飛空艇を造ることは――――」
「あるよーっ!」
「――――難しい…………ある?」
ユウたちの会話に割って入ったのは、獣人の子供であった。
「うん、あるよ。しさくがたなんだって」
「でもね。こどもだけで、のっちゃダメなんだよ。おとなってズルいよね?」
「まだふたりくらいしかのれないから、わたしたちはダメなんだよねー」
「ぼくもおそらをビューンッてとびたいなぁ」
さらに別の子供たちが次々に話し始める。
「いたーいっ」
獣人の子供がお尻を押さえて声を上げた。
さらにユウが魔力弾で子供たちのお尻を狙い撃つ。もちろん威力は弱めているので本当に痛いわけではないのだが、それでも子供たちはユウから逃げ回る。
「やめてよー」
「王さまのイジワル~」
「このお喋りがっ」
子供たちは「なんで? なんで?」と言いながら、素早い動きで魔力弾を躱す。
「ほう、ほーう!」
ビクトルが意地の悪い笑みを浮かべながら、横目でユウを見つめる。
「なんだよ? 文句でもあるのかよ。言っとくけどな、あんなガキ共でも知ってることなんだからな。大して重要な秘密じゃないぞ」
「ホッホ、私は別に気にしてなどいませんよ。おや、あちらにいるのは商人ではないようですね」
マゴの視線の先では、堕苦族の者たちと熱心に話している三人の男がいた。身なりから商人ではないのは一目でわかる。なぜなら上はジュストコールにジレ、下はキュロットを着る商人などいないからだ。
「船で一緒になった際はあまり気にもなりませんでしたが、このビクトルめの記憶が確かならば、カラ・ムー王国の貴族でしたかな」
「そうだ。あいつらはカラ・ムー王国の貴族で四男だか五男だ。ネームレス王国を調べてこい、あわよくば取り入れって言われたそうなんだけどな」
「まさか本人たちが、そう言ったので?」
「言ったんだよ。あいつら、揃って家じゃ厄介者扱いの穀潰しで、なんなら殺されたほうが都合がいいみたいだな」
「それはまたなんとも」
マゴもビクトルも困った顔をする。
「ホッホ。あの方たちは。それほど無能なんでしょうか?」
「いや、無能じゃない。話せばわかるんだけど、頭はいいんだよな。ただ変な趣味を持ってんだよ」
「変な趣味ですか……」
三人の男はユウに気づくと、籠を抱えながら走ってくる。
「ややっ! これはこれはネームレス王ではないですか」
「お会いできて光栄です」
「今日という日を、火の神アグニンニ・アラーズ様に感謝せねばなりませんな!」
「うるさい。会うのは初めでじゃないだろうが。あと、王って呼ぶな」
興奮した男たちがユウを囲んで騒ぎ立てる。その男たちをナマリが一生懸命に押し返す。
「オドノ様に近づくな」
「おぉっ。これはナマリ殿、失礼した」
「我らとしたことが、つい興奮してしまったようですな」
「うむ。だが、それも仕方があるまい。これほどの個体を手に入れたのだからな!」
そう言って、男たちが籠の蓋を開けると。
「これは虫ですかな?」
「虫ではなくヘラムジヨンカブトムシっ! こちらはエラフェンダンカブトムシ! せめて甲虫と言っていただきたいものです」
「これだから商人は」
「無粋な。どうせ、このカブトムシの価値もわからんのだろう」
籠の中身は鮮やかな赤や青の光沢を放つカブトムシであった。
「な? 変な趣味だろ。こいつら、いい年してカブトムシ集めをしてるんだ。それも迷宮にしか生息しないようなのばっかり」
「は、はあ……」
マゴが呆れた声を漏らす。
「こっちは迷宮の探索ついでに捕まえるだけだから、楽でいいんだけどな。その青色のカブトムシにいくら払うと思う? 一匹で金貨一枚も払うんだぞ」
「む、虫一匹に金貨一枚っ!?」
「ぬははっ。たかが虫一匹に金貨一枚も支払うとは。それでは御家の当主が無下にするのも無理はないのでは?」
マゴやビクトルの冷めた反応に対して男たちは慣れたもので、気にした様子もなくカブトムシをうっとりした目で見つめている。
「こいつらみたいなのが、よその国にもいるんだとさ。そんな連中が集まって、飼っているカブトムシを自慢し合うっていうんだから、変な奴らだよ」
「ネームレス王までなにを仰るのです! ですが、ネームレス王国には感謝しても感謝しきれません。
なにしろ今までは冒険者ギルドに採集依頼を出しても、冗談と思われ、時には激昂され、ついには実家に報告されるなど散々でした。それがネームレス王国では違いました。我らの趣味を理解するだけでなく、危険な迷宮から見たこともないカブトムシを持ち帰っていただけるのですからな」
「そのとおり! このヘラムジヨンカブトムシの美しさときたら…………。はあ~ん……う、美しい。てっかてかの光沢に、この真っ直ぐに伸びた角、たまらん!!」
「我のエラフェンダンカブトムシも負けてはおらん! この青色に黒が混じった角の美しさはまさに甲虫の王よ!!」
カブトムシへ熱視線を送る三人の貴族は、いくらでも飽きずに見ていられるようであったが、申し合わせたようにユウへ視線を向ける。
「もしや…………ネームレス王は我らも知らぬ珍しいカブトムシをお持ちなのでは?」
「持ってない、お前らと一緒にすんな。カブトムシを集めて喜ぶのなんて、ガキかお前らくらいのもんだ」
世にも珍しいカブトムシを隠し持っているのではと疑う男たちに、ユウは馬鹿馬鹿しいと一蹴する。
「いるよ!」
「なんとっ!?」
会話に割って入ったのは堕苦族の子供である。先ほどユウが追い払った子供たちとは別のグループであった。
「こ~んなに大きいんだよ!」
「大きいとっ!?」
魔落族の子供が、両手をこれでもかと広げて大きさを表現する。
「角が五本もあって、超カッコイイんだぜ!」
「ちからもちなのー。でも、おとなしくてみんないい子ばっかりなのよ。わたし、このまえのせてもらったんだから」
「王さまのお庭にしかいないんだぁ」
「五本角とっ!? 人が乗れるほどの個体がっ!?」
子供たちが張り合うように、次々とユウの庭で飼っているカブトムシのことを話し出す。
「言っちゃダメなんだぞ!」
「なんで?」
「ナマリちゃん、なんで言っちゃダメなのー」
「だって、秘密だから」
「えー。そんなのおかしいよー」
「みんなしってるのに?」
「うぅっ…………」
ナマリが慌てて子供たちの口を押えようとするが遅かった。すでに三人の貴族は興奮してユウに迫っていたからだ。
「ぬほっ。先ほどカブトムシを飼って喜ぶのは……」
「ホッホ、誰でしたかな?」
こういうときに限って、ビクトルとマゴは協力するのだ。
「なんだよ。お前ら、俺に言いたいことがあるならハッキリと言えよ」
しつこく纏わりついてくる貴族たちを魔力弾で追い払ったユウが、マゴたちを睨む。
「このビクトル、子供心を忘れないサトウ様に感心していたのです」
「ホッホ、私もビクトル殿と同じ気持ちです」
「どうだか。もう俺との商談は終わったんだから、よそに行けよ」
周囲を見渡せば、ネームレス王国の住人やモーベル王国の文官を相手に商談は続いていた。
「いえいえ、他の者たちはどうか知りませんが、実はまだ売っていただきたい物が――――風の噂でネームレス王国に竜が、それも名を持つほどの竜がいるとか」
商人の一人が笑みを浮かべながら、探るようにユウへ話しかける。
「白々しい奴だな。まどろっこしいから、さっさと要件を言えよ」
「ハハハッ。これはお見通しでしたか。実は雪竜ウラガーノと言えば、各国に名の知れた竜でして、ここにいる者ならば誰もが知っているほどです」
「なんだよ、あのボッチ竜って有名なのか」
「そのように呼ぶなど……。我々では畏れ多いほどの存在ですよ」
「そんな大した奴じゃないぞ? ワガママで、寂しがり屋で、小うるさいだけなんだからな」
商人たちは内心で「それはネームレス王と変わらないのでは?」と思うのだが、決して口になど出さない。
「サトウ様にはぞんざいな口を利けても、我々では話すどころか近づくことすら容易ではない竜なのですよ。それで話は戻りますが、生え変わった爪や牙、鱗――――なんなら排泄物でも売っていただけないかと」
「生え変わったモノより、剥ぎ取ったほうが価値があるんじゃないのか?」
「妻も子もいるのに、まだ私は死にたくありませんよ」
「ふーん。それと排泄物って…………。そんなモノ手に入れてどうするつもりなんだ?」
「ぬははっ。サトウ様、竜の排泄物でしか育たない希少な植物があるんですぞ! それに錬金の素材や魔法の触媒にと、それこそ使い道はいくらでも! それが名の知れ渡っているような竜であれば、誰もが手に入れるために金貨を積み上げるでしょうな」
「そんなに欲しいならインピカに頼めよ」
「インピカとは……あの獣人の子供の?」
「ボッチ竜と一番仲がいいのはインピカだからな」
その言葉に商人の顔がほころぶ。難儀すると思われていた交渉が上手くいきそうだからである。インピカはその人懐っこい性格と保護欲をそそられる容姿から、多くの商人に可愛がられる存在であった。言葉を選び、頭を下げれば無下にするような子供ではない、と。
「では私が直接お話をしても?」
「それならば私も――――」
「いやいや、インピカちゃんならば――――」
「なにを言い出すのです! 私がサトウ様と交渉して許可を――――」
他の商人まで欲を出して手を挙げ始める。
「うるさい!」
騒ぐ商人たちをユウが一喝すると、途端に黙って愛想笑いを浮かべる。
「インピカならあそこにいるから、交渉するならさっさと行けよ」
「では――――うげっ」
意気揚々と向かおうとした商人たちの視線の先には、インピカを含める子供たちの姿と――――モーベル王国の王、ダッダーンに仕えるメイド長アドリーヌの姿があった。その顔を見るなり商人たちは苦々し気な顔を隠そうともしない。あのマゴやビクトルですら苦笑して、できれば近づきたくないような空気を出す。
「ア、アドリーヌ殿がいるではないかっ」
「これは拙いぞ」
「言い出したあなたが行くべきでは?」
「なにを言うのです。あなたたちも欲しがっていたではないですかっ」
海千山千の商人と呼ばれる者たちが、アドリーヌを見るなり気後れしていた。それほど彼らはアドリーヌにやり込められているのだ。
商人たちはユウからの頼みでモーベル王国と取引することになったのだが、最初こそ敗戦国などいかようにでもできると高を括っていた。だが、アドリーヌと交渉するうちに容易い相手では――――どころではない。ことごとくモーベル王国に有利な条件で商談を進められたのだ。今ではアドリーヌの姿を見るだけで寒気がするほどである。その女傑とでも呼ぶべきアドリーヌだが――――
「おねえちゃん、あのねー」
「ぐふふっ。なんでちゅか?」
なんともだらしない顔を晒していた。
「これあげる」
「インピカちゃん、これはなにかなー?」
インピカの顔に頬ずりをしながらアドリーヌが尋ねる。
「あー、ビワだぁ」
「それおいしいんだよねー」
「アドリーヌおねえちゃん、いいなぁ」
インピカがアドリーヌに差し出したのはビワであった。
「これね、王さまのお庭にしかないんだよ。す~ごく甘くておいしいの! あのね、アドリーヌおねえちゃんにたべてほしくて、王さまのおてつだいしてもらったんだよ!」
涎を垂らさんばかりにだらしない顔を晒していたアドリーヌが、雷でも落ちたかのように身体を強張らせる。
「こ、これを、私に食べさせるために?」
「うん!」
「なんて、なんて可愛いんでしょうかっ!! ええ、ええ、わかりましたとも!! そのお気持ち、アドリーヌが見事に受け止めましょうとも!! さ、ささっ。お姉ちゃんと一緒にお家に帰りましょうね~」
「帰りましょうねじゃありませんよ。アドリーヌさん、勝手に連れて帰ろうとしないでください」
インピカや他の子供たちを両脇に抱えて帰ろうとするアドリーヌを、ユウが待ったをかける。
「あっ。王さまだ~」
「王さま、おしごとはおわったの?」
「これはサトウ様っ。なぜ止めるのですか? 子供たちの愛に応える義務が私にはあるのですよ!!」
「なにを言っているのか理解できませんね」
インピカたちがアドリーヌの脇からすり抜けてユウの身体によじ登ると、アドリーヌは「ああっ……私の子供たちが」と寂しそうに呟く。
「そろそろ
「あれとは?」
「あれですよ、あれ」
インピカたちが落ちないように支えているユウは顎で指す。その先ではモーベル王国の近衛兵が周囲を威嚇するように警戒していた。その輪の中心にいるのは、当然モーベル王国の王ダッダーン――――ではなく、女性たちであった。それも並みの貴族では手が出ないような煌びやかな衣装に、魔道具の機能を備えた装飾で着飾る姿から、上級貴族の女性であることがわかる。
「あー…………あれですか」
迷惑そうな顔で、アドリーヌは大きなため息をつくのであった。
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