第310話 赤手空拳

 時はアーゼロッテやドルムがオール平原に訪れる数ヶ月前までに遡る。

 開戦当初、マンドーゴァ王国の黒羊騎士団はメリット率いる不死の傭兵団を侮っていた。レーム大陸にその名を轟かせるとはいえ、所詮は金で雇われて戦う傭兵だと。

 だが、それも無理はないことであった。なにしろマンドーゴァ王国は大国ではないとはいえ、国力は小国をはるかに超えた規模の国家である。すべての兵を動員すれば、その兵数は約十万にまでおよぶ。今回の戦争でマンドーゴァ王国が送り出した黒羊騎士団の兵は約二万、対する不死の傭兵団は千ほどである。互いに種族、兵種などの違いはあるものの、それでも数だけで言えば約二十倍もの差があるのだ。仮に凡将が率いていようが、これだけの戦力を以てすれば、負けるほうが難しい。


 そう――――黒羊騎士団の誰もがそう考えていた。だが、その考えは誤りであったと、マンドーゴァ王国の者たちは身を以て知ることとなる。


「来たぞ! 不死の傭兵団だっ!!」

「盾を構えっ!!」

「待て。なんだあれは……」


 黒羊騎士団の前方に土埃が巻き起こる。千もの軍勢が迫ってきているのだ。それは当然な現象であり、不自然なことではない。しかし、黒羊騎士団の眼前に見えるのは、軍などではなく単騎――――否。馬になど騎乗していない。それどころか武具と呼ばれる物を一切身に着けてすらいない。だが、人影の正体は人族ではない――――腰と臀部の間から生えている尾は鱗で覆われており、深いアメジストを思わせる黒紫の髪から飛び出て見えるは濃い竜人の証である竜角、噂に違わぬその容姿こそ不死の傭兵団団長メリットであった。

 信じ難いごとに、メリットが単身で突っ込んできたのだ。

 武に秀でた者の単騎駆けや、名誉である一番槍を狙って飛び出る者の話は戦いに身を置く者ならば、誰しもが聞いたことがあるだろう。だが、それは後ろに助攻する者なり、続く軍がいてこそのものである。黒羊騎士団の物見からの報告によると、メリットの背後には人影は見えず、そのはるか後方――約二キロも離れた場所に土埃が見えるというものであった。


「所詮は亜人よ。こんなものは単騎駆けではない。これでは自殺行為ではないか」

「己が武を過信したのか」

「短期決戦はこちらも望むところよ」

「メリットさえ討ち取れば、残るは統制もまともに取れぬ亜人の群れ、我らの勝ちは決まったようなものだ」


 将官たちが口々に勝利を確信したかのような言葉とともに笑みを浮かべる。


「馬鹿めっ! 真正面から、それもたった一人で突っ込んできよったわ!! わかっているなっ! 相手が一人とはいえ、あの・・メリットだ! 油断はするなっ!!」

「「「応っ!!」」」


 黒羊騎士団第一重鎧隊の騎士たちが隊長の声に呼応し、一斉に盾技『石壁』を発動する。個々の技が連帯することによって、より硬く、より大きく、より強くなる。個の力で劣る人族が他種族を圧倒するために編み出した戦術である。

 その威風堂々たる構えからは、見る者に巨大な城壁を思わせた。




 “私をがっかりさせるなよ”




 女の声であった。メリットの声かと、黒羊騎士団第一重鎧隊の者たちが思うのと同時であった。前方にいたメリットの姿が消えたのだ。


「なっ!? メリットがき――――」

「そんなはずは――――」


 特大の雷が落ちたかのような轟音が騎士たちの言葉を掻き消し、メリットの正面にいた数百もの騎士が一瞬にして消え去った。

 突如、消えた仲間や部下に動揺を隠しきれない生き残った・・・・・騎士たちの身体に、どこからか飛来してきた異物が当たる。


「なにが起きた!? それにこれはなんだ? 不死の傭兵団の攻撃かっ」


 通常の部隊よりも重厚に作られた鎧によって、異物が当たった者たちが死ぬことはなかった。だが、鎧越しでも伝わる不快な感触に、騎士の一人が手で兜を拭う。


「なんだ……これは? ひっ!?」


 手甲は真っ赤に染まっていた。飛来してきた異物の正体は――――メリットの突進によって飛び散った同僚の肉片や臓腑、それに身に着けていた武具の破片であった。

 黒羊騎士団は中央に第一陣から第四陣までの、四重の防衛ラインを敷いていた。一陣ごとに約千の兵が配備されており、合計で四千の兵である。その四千にもおよぶ陣が、超弩級のバリスタでも撃ち込まれたかのように、真っ二つにぶち抜かれたのである。


「なにをしておる! 早く隊列を整え、穴を塞がんかっ!!」


 いち早く我を取り戻した指揮官の一人が、兵たちへ指示を飛ばす。


「で、ですが第四重鎧隊まで抜かれています。このままでは本陣がっ」

「我らの役目と作戦を忘れたのか!」


 指揮官の男が動揺する兵たちを一喝するのだが、しかし指揮官の男も内心では同じ気持であった。

 なぜなら黒羊騎士団の戦術は、中央にいる四千の重鎧隊で不死の傭兵団の進軍を受け止め、その間に右翼三千、左翼三千の兵で挟撃するものであったからである。その戦術の要である中央の部隊が、メリット一人によって真っ二つに分断されたのだ。


「急いで隊列を修復せねば、不死のよ――――へ?」


 兵たちの目の前で、指揮官の首が宙に舞った。地面に転がる生首は、いまだ自分の身になにが起きたのか理解せぬまま、目だけを動かし見上げる。そこには、いつの間にか獣人が立っていた。手には得物を持っていない。獣人の男は獣人拳の使い手であった。それも並みの使い手ではない。手刀で首を刎ねられた指揮官の傷口は、まるで鋭利な刃物で一刀両断したかのようであったからである。


「おらおら~っ! お前ら急がねえと、姐さんに全部もってかれるぞ!!」


 兵たちは呆気にとられたまま、獣人の男を見つめる。


「な、な、なにをしておる!! 敵が、敵だぞ!! 早く殺せっ!!」

「と……突撃っ!!」


 慌てて兵たちが、獣人の男に槍を向けて突撃を開始するが。


「おせえっ!!」


 指揮官の男と同じように、十もの首が宙に舞う。


「くははっ。不死の傭兵団最強~!」

「亜人風情が調子に乗るなっ!!」


 統制の取れた動きで兵が獣人の男を包囲する。


「こやつは不死の傭兵団の隊長格と見た! 討ち取れば恩賞は望むがままだ!!」

「まあ、殿方はせっかちでいけませんわ。隊長ならここにもいるというのに」


 獣人の男の隣へ、エルフの女が空から降り立つ。


「おい、俺の獲物だぞ」

「早い者勝ちでしょうに」


 エルフの女は言うなり、綿毛でも吹き飛ばすかのように右手のひらに息を吹きかける。すると、風が兵たちの間を撫でるように駆け抜けた。


「なんの……真似――――だ?」


 重鎧隊の兵たちが、鎧ごとバラバラになって地面に倒れていく。フルプレートの鎧が、盾が、ナイフで紙を切り裂いたかのように切断されたのだ。


「こんな、こんなことが…………あってたまるか。我ら黒羊騎士団第一重鎧隊が、たかが二匹の亜人に手も足も出ぬだとっ!?」


 生き残った兵たちは、さらなる絶望を知る。真っ二つに割れた重鎧隊の隊列へ、不死の傭兵団が突入してきたのだ。右翼、左翼の部隊はともに、不死の傭兵団のあまりにも速い進軍に中央への救援が間に合わなかったのだ。


「どんどん逝け! ほれほれ、どんどん逝け~!!」

「隊長たちはもっと奥に行ってんぞ!! 急げ急げっ!!」

「ひゃっひゃ~! こいつはいいや! 殺し放題だ~っ!」


 黒羊騎士団第一重鎧隊の兵が、次々に不死の傭兵団の手によって屠られていく。その戦い方は餓えた野獣そのもの――――いや、それ以上であった。手当たり次第、目につく兵へ襲いかかるのだ。戦術も陣形もあったものではない。にもかかわらず、次々に兵が殺されていく。理由は簡単である。不死の傭兵団が圧倒的に強いのだ。


「亜人に……亜人ごときに、このままでは負けてしまう」

「なにを突っ立っている! 急いで生き残りの兵を集めろ!」

「あ、ああ! 亜人などに負けてたまるかっ!!」


 不死の傭兵団は一直線に進軍していた。そのため、生き残りはことのほかいたのだ。

 指揮官たちが、生き残りの兵を集め隊列を組んでいく。だが、その兵たちの身体が揺れる。震えからではない。劣勢ではあるものの、兵たちの心はまだ折れておらず、戦う気力もある。揺れているのは兵ではなく地面であった。一定のリズムで地響きは起きていた。


「待っで~。オデ、走るの苦手なんだどぉ~」

「きょ、巨人族っ!」


 地響きの原因は体長三メートルはあろうかという巨人族の男であった。


「殺せっ!!」

「「「死ねっ!!」」」


 五人の兵が同時に剣で斬りかかる。


「あ~、敵だ~」


 間延びした声――――それに緩慢な動作であった。兵に向かって巨人族の男が、人族ではとても扱うどころか持つことすら困難な巨大な戦斧を振るう。それまでの動きが嘘のような鋭い一撃であった。


(速いっ!? だが、これなら防げる!)


 巨人族の男の動きを注視すれば、腰に力が入っていない。腕だけで振り回しているのが、動作からまるわかりであった。これなら盾で受け止め、その後に攻撃を加えればいい。それが確実で安全であると、兵たちは判断する。


「はがっ!?」


 盾を構え、攻撃に備えていた五人の兵士が、腰から上下に分断される。巨人族の膂力がいかに人族を上回っているとはいえ、理不尽にもほどがある一撃であった。


「みんな~、待っでほしいどぉ~!」


 ドスドスッ、と大きな音を立てながら走り去っていく巨人族の男を、誰も追うことはできなかった。


 黒羊騎士団は開戦早々に大打撃を被ることとなる。右翼と左翼の部隊は中央の損害状況から、もはや救援は無理と判断し、本陣へ合流するとそのまま一緒に後退していく。

 黒羊騎士団本陣では、団長や将官たちが本国のマンドーゴァ王国へ伝書鳩を飛ばしていた。内容は黒羊騎士団はこれより持久戦へ持ち込むので、一刻も早く他国へ援軍要請を求めるようといったものである。

 自軍と不死の傭兵団との戦力を正確に理解したうえでの、素晴らしく早い対応であった。だが本陣の幕僚たちは、不死の傭兵団が持久戦に応じる可能性は限りなく低いと見ていた。敵国の領地での戦闘で、まして数で劣る不死の傭兵団が持久戦をすることに理がないのだ。それよりもこの勢いに乗じて短期決戦で一気に決着をつけるほうが、後々のことを考えても正しいと言えるだろう。

 だが――――


「なにっ? 不死の傭兵団の動きが止まっただと!?」


 物見からの報告に本陣の幕僚たちがざわつく。この状況で不死の傭兵団が進軍を停止するなど、考えられないことである。不死の傭兵団内でなにか不測の事態が起こったとしか思えなかった。

 なにが原因で不死の傭兵団が進軍を停止したのか。黒羊騎士団はわからぬまま持久戦に持ち込むことに成功する。結果的に見捨てることになった中央の黒羊騎士団重鎧隊は各個撃破されたものの、他では小競り合い程度で、他国からの援軍到着まで時間を稼ぐことに成功するのであった。


「ご報告します! ハーメルンより一万の援軍が間もなく到着します。率いる将は『ハーメルン八闘士』シモン殿です!!」

「なんと!? 『深緑の死神』を送り出してくれたかっ!」

「ご、ご報告を申し上げます!! カノムネート王国より兵七千を引き連れて――――」

「カノムネート王国からは『カノムネートの英雄』殿と『暴風の勇者』殿か!」

「バハラグット王国からは二千の兵と『バラキオムの大魔女』殿に『炎雷の賢者』殿のお姿も――――」

「ふは、ふははっ! 勝てる! 勝てるぞ!! これなら不死の傭兵団に後れを取るものかっ!!」


 次々に援軍到着の報が本陣へ伝えられる。総勢七万にもおよぶ連合軍である。

 各国に様々な思惑があるにせよ。長年に亘ってイモタリッティー教団には苦しめられてきた。その中でも逃げも隠れもせずに、堂々と傭兵家業を続けるメリットはとりわけ目障りな存在であった。この機に乗じて不死の傭兵団ごとメリットを排除したいというのが、これほどの連合軍が結成された理由の一つである。

 連合軍の指揮権は当初マンドーゴァ王国の黒羊騎士団が握るべきだと主張したのだが、各国の将や将官たちの話し合いの結果、他国にまで知れ渡っている戦歴と人望から『カノムネートの英雄』と呼ばれる将軍が執ることとなる。

 そして確実に不死の傭兵団を滅ぼすために、七万もの連合軍による包囲網が敷かれる。ここから数ヶ月にも亘る戦いが開始されるのであった。


「クソがっ。六人も殺られたぞ」

「こっちは四人だ」

「凄腕の弓使いがいやがるな」


 焚き火を囲んで今日の被害状況を報告し合っているのは、不死の傭兵団の者たちである。それも席次十番以内の、いわゆる隊長格と呼ばれる者たちだ。

 すでに日が落ちて十時間以上が経過している。あと一時間もしないうちに日が昇り始めて、空を夜明けの紫色に変えるのだろう。


「ありゃハーメルンの『深緑の死神』って呼ばれている奴だろう」

「ちっ。『ハーメルン八闘士』シモン・ヘイか。こそこそと隠れて汚ねえ奴だぜ」

「あなたはなにを言っているのかしら。弓使いが敵から隠れてなにが悪いのよ」

「うっせ!」


 オール平原はその名の通り、陽の光が当たると一面が黄金のように見える美しい平原なのだが、その美しい平原が不死の傭兵団と連合軍との争いによって、無残な姿と化していた。高位魔法による爆撃によって、いたるところにクレーターが、遠距離攻撃を防ぐために創られた『アースウォール』『ストーンウォール』は、その役目を十分に担ったというようにボロボロに崩れ落ちている。日が落ちてからは互いに大規模な交戦はしないものの、連合軍側は不死の傭兵団を休ませないように、不規則に遠距離攻撃を繰り返していた。もっとも、そんな状況で呑気に焚き火を囲んで休んでいる不死の傭兵団の者たちは、常軌を逸していると言えるだろう。


「おい、そのくらいにしとけよ。くだらねえことで揉めてる場合じゃないのは、お互いわかっているだろ?」

「オデはお腹が空いだんだどぉー」


 巨人族の男が物足りなさそうに、空になった木の器を見つめる。


「てめえはいっつも腹を空かしてんだろうがっ!」

「今やめろって言ったばかりだろうが。それに警戒するのは『深緑の死神』だけじゃねえぞ。『バラキオムの大魔女』と『炎雷の賢者』の火力バカは厄介なんてもんじゃねえ。あの二人のせいでこっちは思うように、前へ出れねえんだからな」

「『暴風の勇者』もだ。あれと一対一の交戦は避けるよう、自分とこの連中に言っとけよ」

「今でどのくらい死んだのかしら?」


 エルフの女が顎に人差し指を当てながら、焚き火を囲む隊長たちを見渡す。隊長たちが自分の隊の生き残りを述べていく。


「そんなもんか。じゃあ怪我してる奴も含めて、いいところ六百だな」


 わずか千の軍勢で、七万もの大軍に数ヶ月も包囲されて、まだ六百も生き残りがいることは驚愕としか言えないだろう。不死の傭兵団に所属する者たちが、いかに常人離れした戦闘力を誇るのかがわかるというものである。


「お、おい」


 獣人の男が小声で隣のエルフの女性へ話しかける。


「どうかしたの?」

「バカっ! 声がでけえよ」

「あなたのほうが大きいでしょう」

「わかった。とにかくちいせえ声で話せよ。それで姐さんはなんで機嫌が悪いんだ?」


 そう。この場には隊長たちに混じって不死の傭兵団の団長であるメリットの姿もあったのだ。だが、その表情は明らかに不機嫌である。


「さあ? 気になるのなら、あなたが尋ねればよろしいのでは?」

「それができねえから、お前に聞いてんだろうが!」

「耳元で大きな声を出さないでもらえるかしら!」

「だから声がでけえって!!」


 いつものやり取りに周りの者たちも呆れるばかりで止める様子がない。


「おい」


 その声に皆が身体を強張らせ、周囲が静まり返った。声の主はメリットである。


「す、すんません……姐さん」

「申し訳ございませんわ」


 数多の傭兵団から悪鬼羅刹と畏れられる獣人の男とエルフの女性が、神妙な面持ちで頭を下げる。


「お前らはいいよ。好きなだけ殺り合ってんだからな。こっちは私が行っても逃げ回るだけで、まともに戦おうともしやがらねえ」


 隊長たちが慌てて集まり円陣を組む。


「ま、拙いぞ。姐さんが拗ねてる」

「お前がなんとかしろよ」

「無茶を言うな。それならお前がしろや!」

「ぜーってえに嫌だね。姐さんに殺されるわ」

「こういったことは、殿方の仕事でしょうに」

「都合のいいときだけ女を利用すんじゃねえぞ」

「オデはなんか食べ物でも探しでくるどぉ」

「そうはさせるか!」

「そうだそうだ。一人だけ逃げるなんて卑怯だぞ」


 これが黒羊騎士団との戦いで優勢であった不死の傭兵団が、進軍を停止した理由であった。信じられないことにメリットはより多くの敵と、好敵手を求めて勝てる戦いに待ったをかけたのである。そしてメリットの思惑どおり黒羊騎士団は他国へ援軍を要請したのだが…………。残念ながら連合軍はメリットではなく、まずは不死の傭兵団の数を減らすことに専念したのだ。その結果、満足に戦うどころか、一人放置され続けたメリットの不満は高まり続けて、我慢の限界に達しようとしていた。


「かーっ! やっぱ戦場で飲む酒はたまんねえな!!」

「そりゃうめえけどよ。このままじゃ俺ら全滅だぞ」

「おりゃ、稼いだ金を使い切る前に死ぬのはごめんだぜ」


 メリットたちとは別の場所で暖を取っているグループが、このまま戦争が続けば、ほぼ確実に訪れるであろう自分たちの悲惨な結末について愚痴を言い合っていた。


「でもこのままじゃ死ぬのは確実だ」

「その辺のこと、上はどう考えてるんだろうな?」

「なーんも考えてないかもしれねえぜ? なんたって俺ら以上の戦馬鹿ばっかりだからよ」

「うへっ」

「死ぬのは嫌か?」

「あ? なにをあたりめえのこ――――あ、姐さんっ。こりゃ違うんですよ! な? お前らもそうだろ?」


 男たちは慌てて先ほどの発言を否定するのだが、メリットはそんなことに興味はないようである。


「あ……ああっ。そうですよ。俺ら別に文句を言ってたわけじゃ」

「そんなことはどうだっていいんだよ。私は死ぬのは嫌なのかって聞いてんだ」


 男たちは互いに顔を見合わせると苦笑する。


「そりゃそうっすよ。姐さんだって死ぬのは嫌でしょ?」

「なら簡単だ。目の前の敵を倒し続ければ死なない」

「うへへっ。言うのは簡単ですよ。それができないから死ぬんじゃないっすか」


 男たちは愛想笑いを浮かべる。


「見せてやろうか?」

「へ?」

手本・・を見せてやるって言ったんだよ」


 そう言うなり、メリットはスタスタと歩いていく。その後ろ姿を男たちが呆気にとられながら見送った。


「おい。お前ら、姐さんに怒られてただろ?」

「あ、隊長」


 自分たちの隊長である獣人の男に、先ほどまでのメリットととのやり取りを伝える。


「それで姐さんはどこに行ったんだ?」

「さあ? なんか手本を見せてやるって歩いていっちまったんですよ。なあ?」


 「そうだよな?」という男の言葉に、周りの者たちも同意するように頷く。


「手本だと? おい……おいおいおいっ。うっそだろあの人……マジか!?」


 獣人の男の全身から血の気が引いていく。


「お前ら! すぐに他の隊長を――――いや、寝てる奴らも全員たたき起こせ!!」

「全員っすか?」

「全員って言ったら全員なんだよ!! 姐さんが一人で敵軍に向かったんだぞ!! 俺らも追いかけないと……あ~っ! もう無茶苦茶だよ!!」


 メリットの単独行動に、不死の傭兵団が騒がしくなっている頃、その対面に陣取る連合軍主力の将官たちは、寝ずに今後の作戦の詰めについて話し合っていた。


「しかし驚きましたな。英雄殿の言うとおり、メリットは相手にせず無視すれば、途端にやる気をなくして被害を抑えることができるとは」

「それに包囲網を破る素振りも見せぬ」

「ふははっ。馬鹿な亜人共も、我ら鉄壁の包囲網を破れぬと理解しているのでは?」


 ここまでは連合軍の指揮を執る『カノムネートの英雄』の思惑どおりに進んでいることに、黒羊騎士団の将官たちから笑みが零れる。


「なにを笑っておる! わずか千の手勢しかいない不死の傭兵団に我らはすでに万を超える兵を失っておるのだぞ!!」


 黒羊騎士団の団長が恥を知れと将官たちを叱責する。他国の援軍によって戦況は優勢であるとはいえ、とても笑っていられる被害ではなかった。


「も、申し訳ございません」

「貴公らもメリットの力は目の当たりにしたであろう! あの戦力を以てすれば、包囲網を破ることなど造作もない。それをあえてせず残っていることをなぜ理解できぬ!! 不死の傭兵団は負けることなど考えておらぬわっ!! それどころか我らに勝つつもりだ!!」

「ふひゃひゃ。まあ、そんなに叱ることもないじゃろーに」


 赤色のローブを纏った老婆が宥める。この老婆こそ、近隣諸国から畏怖を込めて『バラキオムの大魔女』の二つ名で呼ばれる老魔女である。


「魔女殿、しかしですな――――」


 いまだ叱り足りないといった様子の黒羊騎士団の団長であったが、幕僚たちのテントに伝令兵が慌てた様子で駆け込んでくる。


「火急につき、お許しをっ!!」

「よい。それよりも報告を」

「はっ! 物見より不死の傭兵団に動きあり!!」

「ついに焦れたかっ!」

「そ、それが……」

「どうした? 続きがあるのなら早うもうせ」

「物見の見間違いでなければ、メリットが――――不死の傭兵団団長メリットが単独でこちらに向かっています」


 その言葉にテント内の温度が上昇する。伝令兵の言葉を虚偽かと疑ったからではない。


「信じられん……」


 将官たちが――いや、全員が怯えを含んだ目で、連合軍の指揮を執る将軍――――『カノムネートの英雄』を見た。


「ここまで……英雄殿の目論見どおりに戦況が動くとはっ」


 恐るべきことに、将軍はこうなることを予想して軍を動かしていたのだ。


「少し時間はかかったが、あとは手筈どおりに」


 金髪に白髪交じりの男は椅子から立ち上がり皆を一瞥し、指示を出していく。それに反論する者などいるはずもなく、黙って会議を聞いていた『暴風の勇者』や『炎雷の賢者』も一度だけ頷くと配置へ向かう。


「メリットだ! メリットが来ました!!」

「見ればわかる! いいか? こちらから手を出すなよ」

「隊長、本当に素通りさせてよろしいので?」

「それが本陣からの指示だ。ただし、メリットが通ったあとはすぐに封鎖するようにとな」

「私たちだけで不死の傭兵団を抑えきれるでしょうか?」


 この場には五千もの兵がいるにもかかわらず、それでも兵は不安を隠せなかった。開戦での不死の傭兵団の戦闘力を目の当たりしたからである。


「心配せずとも、こちらは『深緑の死神』殿より援護がある。それよりお前たち、いいな? 勝つ必要はない。俺たちは本陣がメリットを倒すまでの時間を稼げばいいんだ!!」


 戦場にもかかわらず、メリットはいつもと変わらぬ道を散歩でもするかのように悠然と歩を進める。距離を取っているとはいえ、メリットがその気になれば即座にここは最激戦区になるだろう。そのことを理解している兵たちの全身を冷たい汗が伝っていく。

 メリットは距離を取るだけでなにもしてこない兵たちに侮蔑の目を向け、そのまま兵の前を通り過ぎていく。その後もメリットの道を阻む者は誰一人もなく、ついに連合軍の本陣前までメリットは足を進める。


「情けない連中だ」


 失望した表情でメリットが呟き、空を見上げる。夜空がいつの間にか黒と紫が入り混じった色に変化していた。間もなく早朝――――日が昇り始めるのだろう。


「もういいだろ」


 我慢の限界であった。戦場を求めたにもかかわらず、敵は自分を無視する。メリットはもうこの戦は、今日で終わらせると決めたのだ。


「あ?」


 メリットが前へ足を進めると、背後から重低音が聞こえる。振り返れば巨大な石壁が大地より生えるように姿を現していた。いや、後ろだけではない。前も左右も同様に、次々と石壁が姿を現す。壁の一辺は約三百メートルほどで、規則正しくメリットを囲むように創成されている。飾りもないシンプルな正方形の囲いは、まるで古代のコロシアムを思わせる。

 石壁の上には連合軍の魔導部隊の姿が見えた。さらに姿は見えぬが、壁の向こう側にも同様にいるのは、魔力の高まりからメリットも気づいている。

 今までと違う。メリットは先ほどまでの鬱憤はどこへやら。好戦的な笑みを浮かべて軽い足取りで進む。


「よく来たな、亜人の将よ!」


 中央では青のマントに若緑色の甲冑を纏う男――――『暴風の勇者』と『バラキオムの大魔女』が待ち構えていた。


「罠とわかっていながら逃げも隠れもしないその勇が、蛮勇でなければよいのだがな」


 『暴風の勇者』が腰の鞘から剣を抜いて構える。


「魔女殿、お下がりください」

「風の坊やすまんな。この老体ではメリットと真正面から殺り合うのはちと厳しいようじゃ」


 間近でメリットを見て、老婆は即座に敵わぬと悟り、助攻へ配置変更を申し出る。


「風の坊やは止めていただきたい。ですが、その判断は正しいかと」

「すまんの」


 重ねて謝罪し、老婆は白魔法第7位階『フライング』で空へ舞い上がっていく。


「もういいか?」


 仕掛けることはいくらでもできたにもかかわらず、メリットは黙って二人のやり取りを見ていた。


「気遣いに感謝する」

「いいよそんなことは。それで、お前は有名な奴なのか? 風の坊やじゃわかんねえしなぁ――――おっ」


 先に仕掛けたのは『暴風の勇者』であった。メリットに向かって突きを放つ。メリットとの距離は十メートルほど、突きが届く距離ではないのだが。剣先から荒れ狂う風が放たれる。創成されたのは、精霊魔法第7位階『巻尖風暴飛トル・ナード』である。

 高位の魔法を使用するだけでも莫大な魔力と集中力を要するのだが『暴風の勇者』はメリットの背後にある石壁を傷つけぬよう、途中で軌道を空へと曲げる気の配りようである。

 大量の風の精霊によって創り出された暴風は、すべてを吹き飛ばすのだが――――


「あははっ。思い出したぞ! お前は『そよ風・・・の勇者』だな」


 メリットは吹き飛ばされるどころか、暴風の中で平然と立っていた。


「これはほんの小手調べ。図に乗るなよ」


 信じられないことに、メリットは暴風を受けながらゆっくりと歩を進め始める。


「始めよ!!」


 その声を合図に、正方形の石壁の上にいる魔導部隊が『暴風の勇者』へ正の付与魔法を、ダメージは受けていないものの『巻尖風暴飛トル・ナード』によって満足に動けないように見えるメリットへ負の付与魔法を放つ。


「いいぞ、いいぞ! もっと工夫して私を楽しませろ」

「その減らず口がいつまで叩けるか見物だな」


 『暴風の勇者』が地を蹴って突進する。今度は魔法ではない。手にする聖剣風輪による刺突である。


「死ぬなよ」


 暴風によって満足に動けぬ者が、負け惜しみをと――――『暴風の勇者』が風を操りさらなる加速を生み出す。視界に映るメリットが右拳を構える。


(無駄なこ――――)


 『暴風の勇者』が咄嗟に横へ身を躱す。その瞬間、衝撃波が暴風を弾き飛ばし、大地を抉る。その威力は衰えることはなく、そのまま石壁を砕くかと思われたが、空に浮かぶ『バラキオムの大魔女』が魔法で防いだ。


「冗談じゃない。ただの拳圧で、この威力だとっ!?」


 メリットが放った拳の威力に『暴風の勇者』の額に一筋の汗が流れ落ちる。


「よく躱した。褒めてやるぞ」


 嬉しそうに褒めるメリットの頭上より、雷が降り注ぐ。『バラキオムの大魔女』の仕業である。高位魔法による雷が放つ眩い光が、周囲を照らす。


「ひゃひゃっ。これは一対一の戦いではないのを忘れておらんか」

「喋ってる暇があるんなら、もっと攻撃をしてこいよ」

「ひゃっ!? なんと、今のをまともに喰らってその程度かいっ」


 全身から黒煙を立ち昇らせるも、メリットは効いていないとでもいうように首を鳴らす。


「その自惚れが貴様の弱点だっ!!」


 無防備な立ち姿で余裕を見せるメリットの懐に『暴風の勇者』が潜り込む。その手に握る聖剣風輪の刀身が翡翠色に輝く。刹那の間に必殺の剣が数十も繰り出される。剣技と風の精霊の力を組み合わせた斬撃は、緩急自在であり霞のように実態を捉えることが困難な剣である。そのすべての斬撃をメリットは躱すのではなく腕や脚で受け止める。


「おー、今のはそこそこ速かったな」

「勇剣『風輪霞斬』を……そこそこだとっ」

「ほら待っててやるから、もっと色々しろよ」

「いいだろう」


 『暴風の勇者』は最初からメリットのことを舐めてなどいなかった。それでもこの不甲斐ない結果に心を乱されたことを恥じ、改めて気を引き締める。

 剣を目線の高さで止めると、戦技『不懐ふかい』『止水』『恐無サイコ』を発動する。


「勇者の力を見せてやる」

「そうだ。もっと力を私に見せろ!」


 メリット一人を殺すために、この場には連合軍の約九割もの戦力が割かれていた。『暴風の勇者』は負けるわけには――――いや、勇者だけではない。これは連合軍の総意である。必ず勝たねばならないのだ。

 なぜなら不死の傭兵団は千の軍勢であるが、これはメリットが千以上は増やさないと決めているだけで、その気になれば万でも十万でも増やすことができる。それほどメリットは人族以外の種族から慕われているのだ。

 もはやそれは崇拝に近い。力を誇示する者たちにとってメリットの存在は神にも似たようなものである。なにしろ武具を一切身に着けず、逃げも隠れもせずに堂々とレーム大陸中を渡り歩いているのだ。人族の国からすればこれほど忌々しいことはない。逆に他種族からすれば痛快そのものである。

 今はメリットにその気はないが、いつ気が変わるとも限らない。そうなれば、瞬く間に数十万の亜人を率いる軍事国家の出来上がりである。人族の国としてはいつまでも野放しにしておくわけにはいかなかった。


「私は勇者だ! 負けるものかっ!!」


 高位の魔法が絶え間なく使用され、正と負の付与魔法が『暴風の勇者』を援護し、受けた傷はすぐさまに回復されていく。

 どれほどの時間が経ったのだろうか。何十時間も戦ったようにも、十数分ほどにも感じられる。


「あはっ。おもしろくなってきたな!」


 人懐っこい笑みを浮かべるのはメリットである。その身体は無傷とはいかず、ところどころから血を垂らし、大地へ真っ赤な斑点をいくつも作っている。


「こ……ごふっ。こんなことが……あって、たまるも……のかっ」


 聖剣風輪の刃はメリットとの激闘によって刃毀れし、身に着ける甲冑の損傷は著しい。それでもメリットを相手に『暴風の勇者』は立っていた。


「お前、なかなかいいぞ。私はお前のことが気に入った。だけど、もう限界みたいだな」


 残念そうな視線を向けるメリットであったが、止めを刺すべく拳を構える。


「させるわけにはいかんのう」


 空より老婆の声が響く。

 そしてメリットと『暴風の勇者』、両者の間に円柱状の魔力が集う。発動したのは召喚魔法であった。


「ひゅーっ。ひゅー……」


 呼吸をするたびに口枷より涎が滴り落ちる。地を割り這い出てきたのは、幾重もの拘束具で縛られている全長二十六メートルもの巨人――――さらにもう一体、天を裂き降臨するのは巨大な翼に頭上に浮かぶは天輪――――美しき天魔であった。


「魔女殿っ」

「風の坊やをむざむざと殺させんわい」


 『バラキオムの大魔女』が召喚したのは、過去にバハラグット王国で猛威を振るっていた巨人アマ・ノ・キユゥーに、天魔ヴァード・ズズゥである。強力な魔物を、それも同時に二体召喚するのは身体にかなりの負荷がかかるのか。赤色のローブの袖から見える細く皺だらけの腕は、さらに干からびたようにやせ細っていた。


「おっ! って、なんだよ。ただの・・・巨人か。どうせ召喚するなら古の巨人にしろよな。そっちの天魔は座天使ソロネ級ってところか」

「メリット、そうがっかりするでない」

「そう言われてもなー。その巨人なんか、お前人族に封印される程度なんだろ?」


 拘束具を引き千切ろうと暴れる巨人を見ながら、メリットは大きなため息をつく。

 『バラキオムの大魔女』はそれ以上なにも言い返すことなかった。ただ薄く笑みを浮かべると、腕を掲げる。それを合図に四方の石壁に配備されている魔導部隊が、巨人に正の付与魔法を一斉に放つ。巨人の強靭な筋肉が爆ぜるように盛り上がっていくと、圧力に耐え切れず拘束具が引き千切れる。自由を得た巨人は、真っ先に自分を封印した『バラキオムの大魔女』に襲いかかろうとするのだが、老婆が聞いたこともない詠唱をすると、メリットへ矛先を転じる。


「があ゛あ゛あ゛あああああーっ!!」


 巨人が吼える。メリットに向けたものであるとわかっていても、それだけで数千もの兵士が竦み上がった。人族の根源に刻み込まれている巨人族への恐怖からである。


「うるせえぞ」

「ギャガガガウ゛ッ! アガウ゛ガガガヤガ!!」


 絶対的な存在である巨人の自分に怯えるどころか、生意気な態度を取るメリットの頭へ巨人の鉄槌が振り下ろされる。それも何度も繰り返してだ。技もへったくれもあったものではない。相手に自らの膂力を叩きつける。ただそれだけの単純で原始的な攻撃であるが、巨人がそれを行使すればこれほどの脅威になるのかと、包囲する兵たちは震える身体を無理やり押さえつける。皆が心の中でこう思っていた。


(どうか早く終わってくれ)


 『バラキオムの大魔女』が使役しているとはいえ、苦痛に歪む老婆の顔を見れば限界が近いのは明らかである。万が一、巨人の標的が自分たちに向けば、どうなるのかを想像するのは容易であった。


「さすがに……死んでるよな?」

「ああ、これで死んでなかったら」


 巨人の鉄槌によって刻まれたクレーターは、メリットだけでなく巨人の身体も隠すほど深く、大きなものであった。それでもいまだ両腕を振り下ろし続ける巨人の姿に、これではさしものメリットも生きているわけがないと、兵たちは希望に縋るよう口々にする。


「いってえなぁ……」


 その期待を裏切るように、メリットが呟く。


「龍・人・拳、初伝――――『龍拳』」


 なにが起きたのか。誰も理解できなかった。ただ、宙に舞う巨人の右肩のつけ根から先が吹き飛んだのだけはハッキリと見えた。


「やはり無理かのう……」


 右腕を失ってもメリットへ襲いかかる巨人を見ながら、『バラキオムの大魔女』が呟く。


「魔女殿、私も参戦します。回復魔法と付与魔法の更新をお願いします」


 ボロボロの身体で『暴風の勇者』が老婆へ願う。その言葉に応えるように、老婆は杖を向けるのだが――――


「それはできんわい」

「なに……を?」


 老婆の風魔法によって、『暴風の勇者』が吹き飛ばされる。まさか味方である老婆から攻撃されるなどとは思っていなかったのか。防ぐどころか躱すことすらできずに『暴風の勇者』はメリットを囲う石壁のはるか先に消えていく。


「炎雷爺っ!」

「そんな大きな声を出さんでもわかっとるわい!!」


 今まで魔力を練りに練り。MPを温存していたバハラグット王国が誇るもう一人の大魔導師『炎雷の賢者』が姿を現す。


「すまんのう」

「なーに、老い先短い婆と爺の命で『赤手空拳』を倒せるなら安いもんじゃ」


 カッカッカッ! と快活に笑う『炎雷の賢者』に、老婆は元気をわけてもらったような気がする。

 そして――――覚悟を決める。


「メリットよ! これからお主を倒すでな! 覚悟せい!!」


 老人たちの目の前では二十六メートルの巨人が、メリットの手によって挽き肉と化していた。それでも巨人の肉体は再生しようと、肉や臓器が蠢いている。


「ほう! それはいいな!」


 『バラキオムの大魔女』と『炎雷の賢者』、二人の老人が両の手を合わせると、正方形の石壁が立方体へと変化していく。


「やれ」


 それを見て、『カノムネートの英雄』の二つ名で呼ばれる男が、指示を出す。


「広域結界を発動せよ!!」


 指揮官の号令に、魔導部隊が石壁を覆うように結界を張り巡らしていく。すでに石壁の上にいた魔導師部隊は、離脱して距離を取っているので、石壁内にいるのはメリットたちだけである。


「申し訳ない」


 英雄の男が呟く。自分が立てた作戦とはいえ、老人たちの命を犠牲にすることに対してである。


「もう少し待ったほうがいいのか?」


 石の立方体内は真っ暗かと思えば、そのようなことはなかった。なぜなら『炎雷の賢者』の身体から迸る魔力によって周囲は照らされていたからである。


「それがお主の弱点よ」

「うむ。強者ゆえの驕りか。わざわざ相手に合わせる」


 『バラキオムの大魔女』と天魔ヴァード・ズズゥの身体の間は、何本もの魔力で創られたパイプで繋がっていた。これは完全に制御できない天魔ヴァード・ズズゥを使役するためであると同時に、魔力やMPを強制的に共有するためのものでもあった。


「そうでもしないと私が楽し――――」

「もうそのような心配をする必要はない」


 メリットの眼前に、焔で創られた巨大な八首の龍が姿を現す。『炎雷の賢者』の黒魔法第9位階『八龍閃熱砲哮ギガ・ゴーラ』によるものである。


「初めて見る魔法だな」

「それはよかったのう。そしてこれがお主の最期に見る魔法じゃ!!」


 焔の龍の一つ一つの首から黒魔法第8位階『閃熱砲哮ド・ゴーラ』が放たれる。

 高位術者でもその難易度の高さから使用できる者が少ない『閃熱砲哮ド・ゴーラ』を、同時に八つも放つこの魔法がいかに常識外れか。そして『炎雷の賢者』が常人離れしているかが窺えた。


「ほれ、これも遠慮せずに喰らうがええっ!!」


 次は『バラキオムの大魔女』の番であった。天魔ヴァード・ズズゥの魔力とMPを使用し、自分一人では使用することのできない魔法――――古代魔法第9位階『ノヴァ』を発動。逃げ場のない石壁の立方体内で大爆発が起こる。


「い、石が蒸発……している」

「どのような魔法を使えば……このようなことになるのだっ」


 縦横三百メートル、約九万平方メートルもの大地が消失していた。


「これだけの犠牲を出さねば、死徒は倒せぬのかっ!!」


 バハラグット王国の兵は、命を賭してメリットを道連れにした『バラキオムの大魔女』と『炎雷の賢者』の、偉大な二人の大魔導師を思い涙する。


「待て…………。なんだ、あれ…………は?」


 爆心地に、すべてが塵と化していなければおかしくないはずの、その場所に立っている者がいた。


「退却だ」

「英雄殿?」


 その言葉が信じられないとばかりに、将官の一人が尋ねるも。


「全軍退却だっ!!」


 この日、七万もの連合軍は、わずか千の軍団である不死の傭兵団を相手に敗走することとなる。その退却戦は悲惨としか言いようのないもので、背後から襲いかかる不死の傭兵団によって、約半数の三万もの兵が無残にも命を落とすこととなる。




「迅雷の、ちと速い。もう少しゆっくりと降りてくれんか?」

「えー。もしかして、おじいちゃんって高いところが苦手なの~?」

「こ、これっ。やめぬか!」


 風の精霊の力によって空を浮遊するドルムが、アーゼロッテに注文をつける。いつも強面であるドルムの意外な一面に、アーゼロッテはわざと速く、揺らしながら地上へ降り立つ。

 地上では不死の傭兵団の者たちが急かしく動き回っていた。死体から武具を回収しているのだ。戦死した仲間を弔う真似などしない。傭兵にとっては、戦いの中で死ぬことこそ最高の弔いであるのだ。


「メーリちゃん、生きてる~?」

「あ? なんだアーゼロッテかよ」

「ぶー! なによその言い方~。なんだか傷だらけだね。私が治してあげよっか?」


 『バラキオムの大魔女』と『炎雷の賢者』の命を懸けた攻撃に、さしものメリットも軽傷とはいかず、全身に深い傷が刻まれ、服は血まみれであった。そのメリットにアーゼロッテが杖を向けるも。


「余計なことをすんな」

「なによー。せ~っかく治してあげようと思ったのにー」

「迅雷の、戦とはそういうもんじゃ。好敵手との戦いによって負った傷ほど愛しいものはない」

「おじいちゃんがなにを言っているのか。アーゼにはぜーんぜん、わかんないよーだ。それにー、メリちゃん機嫌が悪そうだよ~」

「赤手の、満足できる相手ではなかったのか? それにその死体は?」


 座っているメリットの傍には生首が一つと、原形を留めていない死体が二つ並んでいた。


「そっちの生首はさっさと逃げ出そうとした臆病者で、なんとかの英雄だ。んで、こっちは勝手に自爆したババアとジジイだ。なんとかの勇者とか、なんとかの死神ってのには逃げられた」

「なんとかばっかりじゃ。わかんないよーだ」


 アーゼロッテがメリットを小馬鹿にするように舌をちょっとだけ出す。


「うっせえなあ。それよりなんの用だ?」

「もーう! 心配して様子を見に来てあげたのに~」

「うむ。赤手も震天が殺されたのは知っておろう? どうも死徒が狙われているようでな。赤手にも注意するよう警告に来たわけじゃ」

「蛙野郎が死んだのは弱いからだ」


 メリットはおもむろに立ち上がると、アーゼロッテたちに近づいていく。


「やだー。メリちゃん、怒ったの?」


 怖がる振りをするアーゼロッテの顔目掛けてメリットは貫手を放つ。貫手はアーゼロッテの顔ではなく、髪の毛の間を素通りしていく。その際に美しい金色の髪の毛が、何本か宙へ舞い散る。


「なんの真似?」


 手を後ろに腰を曲げてメリットを見るアーゼロッテの姿は、見た目とは裏腹に全身から凶悪な圧力と魔力を放っていた。


「はんっ」


 そのアーゼロッテを鼻で笑うメリットであったが、その貫手の先、人差し指と中指の間に小さな蟲が挟まれていた。続いてメリットは、アーゼロッテとドルムの間に震脚を放つ。大地に亀裂が走り、その音に作業中の不死の傭兵団の者たちが、何事かと視線を向ける。


「赤手の?」


 メリットの震脚を放った右足――その足元から煙のようなものが浮き上がってくる。煙の正体は二匹のレイスであった。浮き上がってきたレイスは、そのまま苦しみながら大気に溶け込むように消えていく。


「お前ら、蛙野郎に会いに行ったか?」

「うむ。死ぬ前に会ったが」

「あははっ。もしかして蛙野郎の居場所がバレたのは、お前らのせいじゃないのか? なにが心配して様子を見に来ただ。お前らのせいで蛙野郎が死んでんじゃねえか」


 レイスはユウが、蟲は『十二魔屠』のヤーコプが『腐界のエンリオ』でつけたものであった。


「だから私は前に言っただろ? 弱い奴が死徒になるなって」


 暗にそれは殺された第十死徒のピッチだけでなく、アーゼロッテとドルムのことも指していた。


「なにそれー。私とおじいちゃんがまんまと利用されたって、言ってるのかなー?」

「弱いうえに間抜けとはな。死徒なんて私だけで十分だろ」

「メリちゃんだって、逃げられたくせに~」

「これ、迅雷の! やめぬか」

「だってー、本当のことだよ?」


 メリットの全身から殺気が漏れ出るが、アーゼロッテは意に介さず喋り続ける。


「メリちゃんは知ってるのかなー?」

「なにがだよ」

「ジャーダルクが五万もの兵でユウ・サトウを倒そうとして、返り討ちに遭ったんだってー」

「五万がどうした。私は七万だぞ」

「寄せ集めの七万の兵とー、大国のジャーダルクが集めた精鋭五万の兵だとー、どっちが強いのかなー? それにー、ジャーダルクは一人も生き残りがいないんだって~。あれ? おかしいねー。さっき死神や勇者に逃げられたおまぬけさんがいたような……。おじいちゃん、覚えてる?」

「てめえっ……」

「二人ともやめぬかっ!」


 第三死徒と第四死徒の殺し合いなど冗談ではないと、ドルムが止めに入る。


「姐さん、準備できましたよ。いつでも出発できます」


 武具などの回収作業を終えたことを、獣人の男とエルフの女性が報告しにくる。


「よし、行くぞ」

「次はどこに行くんすか?」

「ウードン王国のカマーって都市だ」

「わかりました」

「まあ。それなら途中でリューベッフォって都市に寄りましょうよ。美味しいご飯とお買い物もしたいんです」

「わかったわかった。寄ればいいんだろ」


 話は終わったと、メリットはアーゼロッテたちを置いて去っていく。


「赤手の、待たんか。話は終わっておらん。それにサトウと会ってどうするつもりじゃ? あの者には手を出すなと――――」


 メリットを追いかけようとするドルムの行く手を獣人の男が遮る。


「退かんか」

「死徒だかなんだか知らねえけどよ。あんま姐さんを怒らせるなよ」


 若造がと、ドルムが裏拳を放つ。空気を巻き込みながら、異音を放つ拳が当たればどうなるかは想像に難くない。しかし、その裏拳を獣人の男は軽々と躱す。


「お~怖っ。当たったらいてえじゃ済まねえぞ」


 面白いと。ドルムは左手に力を込める。握り締められた緋龍の槌が、呼応するかのように唸り声を上げる。だが、その左手が微動だにしない。ドルムの左手首を大きな手が握り締めていた。


「喧嘩はよくないどぉー」


 巨人族の男であった。どこか媚びるような笑みで、ドルムの左手首をしっかりと掴んで離さない。


「放さぬか」


 ドルムの圧力を真正面から受けても、巨人族の男はニコニコするだけで、一向に力を緩めない。驚くことにドルムの膂力を以てしても、振りほどくことができないのだ。


「なにしているの? 行くわよ」


 エルフの女性が声をかけると、やっと巨人族の男はドルムの手首を解放する。


「待っで~」

「もう、情けないわね。その様でよく巨人族の傭兵団で隊長を務められたわね」

「しー! どこで誰が聞いでいるのか、わかんないだどぉ。もし鬼人族にでも聞かれだら、オデは怖いどぉ」

「はいはい。行くわよ」


 ドスドスッ、と地響きを立てながら巨人族の男はエルフの女性のあとを追いかける。


「迅雷の、どういうつもりじゃ?」

「だって~、メリちゃんが悪いんだよー」

「ユウ・サトウには手出し無用と厳命されておる。儂らだけでは赤手を止めることは難しい。迅雷の、すぐに教主殿に報告するんじゃ」

「やーだよ」

「拗ねておる場合か。これは近隣にいる死徒に助勢を頼まねばならん」

 頬を膨らませて反省の色がないアーゼロッテを見ながら、ドルムは頭を悩ませるのであった。

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