第306話 立ち上がる者

(ここは?)


 ロイは眼前に広がる光景に驚きを隠せない。なにしろ先ほどまでロイは森の中にいたのだ。それがユウのあとに続いて不可思議な空間を潜ると、一瞬にして荒野に様変わりである。ロイが驚くのも無理はないと言えるだろう。


(これをあのときに使ってくれていればっ)


 亡くなった獣人の子供たちの姿が脳裏に浮かぶロイであったが、すぐさまにその考えを否定する。出会って間もないが、ユウがなんの罪もない子供たちをみすみす見捨てるとは思えなかったからだ。


(いや、そうじゃない。なんらかの理由で使えなかったんだ)


 疑念を振り払うかのようにロイは顔を上げる。その視線の先にはユウが、そしてその背後にローブを纏った骸骨のアンデッド――ラスが控えていた。だがロイはラスの存在よりも、周囲に張り巡らされている結界が気になっていた。結界を使用する理由など限られているからである。護るためか、逃がさない・・・・・ためかだ。


「勝手な言い分なのはわかっている。それでも……それでも今は気持ちを落ち着かせる時間がほしいんだ」

「この状況でまだそんな寝ぼけたことを言ってんのか」


 ロイが願うように頼み込むのだが、ユウはまともに取り合わない。背後に控えるラスがなにやらユウの耳元で囁き、一礼して離れていく。


「僕はこう見えても海洋国家に伝手がある。必ず君をもとの大陸へ帰すことを約束する」


 わずかにユウは目を見開き、続いて失望した顔でロイを見つめた。


「まさかお前……。俺がの大陸から召喚されたとでも思っているんじゃないだろうな?」


 今度はロイが目を見開き、驚いた顔でユウを凝視する。


「…………違うのか? それじゃユウ、君は――がはっ」


 顔面に拳を叩き込まれたロイが、地面の上を転がっていく。わざとユウの拳を受けたわけではない。勇者に備わるパッシブスキル『勇体』――身体能力、動体視力、反射神経などが上昇するスキルを以てしても、躱すどころか反応することすら困難な、迅く、また重い一撃であったのだ。


「俺はこことは別の世界から、お前らの都合で無理やり召喚されたんだ。帰りたくても、もとの世界には二度と帰ることはできない」


 もとの世界へ帰るつもりなどないことを、あえてユウはロイへ伝えなかった。


「剣を抜けよ」


 ユウがロイに向かって黒い大剣――黒竜・燭を構える。


「ぐ……はっ……。ま、待って…………そんな、それじゃあ君は……君は……なんてことを…………なんて酷いことをするんだ。話を……こんなことをしても、なんの意味もないじゃないかっ」


 口と鼻から血を垂れ流しながら、それでもなおロイは話し合いで解決したいと考えていた。だが、ユウは問答無用でロイへ剣を振り下ろす。信じられない速さで距離を詰めてきたユウに、ロイは攻撃を躱せないと判断し、咄嗟に左手で雷竜の鱗から作られた盾を持ち、ユウの剣を受け止める。黒い刃と翡翠色の盾との間で火花が飛び散る。


(凄まじい剛剣だ。ジョゼフさんをも上回るほどにっ)


 自分よりも一回り以上も下の少年が繰り出したとは思えぬ剛剣に、ロイは全身に力を込めて受け止めるのだが、そのロイの足が地面から浮き上がる。そのまま再度、ロイは地面の上を土煙を巻き上げながら転がっていく。それでもなお転がり続けるロイの勢いが衰えない。ロイは大地へ張り手するように掌を放ち、立ち上がる。ようやく体勢を立て直したロイの視界に、大地を駆け迫りくるユウの姿が映る。


「ぐうっ……」


 横薙ぎに振るわれたユウの大剣を、ロイは雷鳴剣ルオ・ゴレニカで受け止める。黒と白の刀身が混じり合い、黒の炎と白い雷光が迸る。


「やっと剣を抜いたな」


 心の中でロイは「違う」と呟いた。剣を抜いたのではない。抜かざるえなかったのだ。


「僕の話を聞いてくれっ!」


 ユウの剣を押し返そうとするロイであったが、剣を押し返すどころか刃は徐々にロイの喉元へ迫っていく。ユウとの鍔迫り合いに押し負けたロイの首に、死の刃が空気を斬り裂きながら迫るも、寸前のところでロイは身体を逸らして躱す。だが、無防備となったロイの脇腹へユウの蹴りが叩き込まれる。当たる瞬間に飛び退いて威力を殺そうとしたロイであったが、ユウの放った蹴りは相手の体内にダメージを響かせる類のモノで、その場に崩れ落ちるようにロイは跪く。


(な……なんて威力の蹴りなんだ。僕の鎧は水竜の鱗から作り出されている。並みの者なら蹴った足がへし折れてもおかしくな――)

「がふっ……」


 蹲ったロイが吐血する。大地に真っ赤な血が飛び散り、赤い染みがポツポツとできていく。ユウの蹴りで内臓が損傷したのだ。


「いつまで甘いことを言ってるんだ。もったいぶらずに勇者・・の力を見せろ」


 自分を見下ろすユウを、ロイは見上げた。いつでもロイを殺せるはずのユウは、それをせず先ほどからロイを観察するかのように戦う。どのような思惑がユウにあるのか、ロイにはわからなかった。


「話を……僕たちは争わずとも、話し合いで解決できるはずだっ」

「俺を罠に嵌めた奴が偉そうに」

「君だって本当は気づいているはずだ。僕もジャーダルクに騙されていたことにっ」

「どうだろうな。ああ、そうだ。ジャーダルク聖騎士団とかいう糞みたいな連中だけどな、皆殺しにしたから」


 呆然とした表情でロイはユウを見つめる。


「…………なぜ?」

「その問いかけはどういう意味だよ。数万人で俺を囲んだ連中を殺してなにが悪い」

「君なら殺さずとも切り抜けることができたはずだ! 人の……人の命をなんだと思っているんだっ!!」


 今にも掴みかからんばかりに詰め寄るロイの頬を、ユウは殴りつける。だが、ロイは顔をのけ反らせはしたものの、先ほどみたいに吹き飛ばず、その場に踏み止まった。


「争いではなにも解決しない」


 強い力の篭った眼であった。しかしユウは悪びれもせず、ロイを睨む。


「それでお前の村は救えたのか?」


 途端にロイの全身から目に見えて力が抜けていく。


「答えろよ。目の前で村人が魔王に殺されているのに、お前は呑気に争いではなにも解決しません。話し合いをしましょうよって言ってたのか?」


 なにも言い返せずにロイは黙ってしまう。そのあまりにも情けないロイの姿に、ユウは苛立つ。


「そういえば、真実が知りたいとか抜かしてたな」


 ロイの頭部目掛けて、ユウの剣が振り下ろされる。すぐさま盾で受け止めるロイの腹部へ、ユウの蹴りが叩き込まれた。今度は当たる瞬間に後ろへ飛び退くのが間に合うが、それでも威力を殺しきれずにロイは急いで回復魔法を使用する。


「広大な領土を誇るデリム帝国は、その大きさが原因で長年まとめきれずにいた。皇帝の声を無視して好き勝手する貴族や、賄賂や不正が当たり前のように横行する国政に、それを知っていて見て見ぬふりをする文官、中央からの指示を無視する地方豪族、その隙を突いて領土を拡げようとする中小国家。だけどそんな法も秩序もない、無法地帯のようなデリム帝国を一つにまとめ上げる奴が現れる」


 ユウの振るう剣を受けるたび、ロイは弾き飛ばされ地面に転がされる。『パンドラの勇者』『雷鳴の勇者』と名高いロイが、まるで相手になっていないのだ。


「お前もよく知るジョゼフだ。でかいだけのクソみたいな国をジョゼフは正していった。御伽噺なら、ここでめでたしめでたしで終わるところなんだけどな。だけど現実はそう甘くはない。デリム帝国や反抗的な周辺国家を掌握したデリム皇帝は、さらなる領土拡大を目論む。それを可能とする力が、ジョゼフの率いる帝国軍にはあったからだ」


 顎をユウに蹴り上げられたロイが回転しながら宙を舞う。


「当然それを見逃すほど他国も馬鹿じゃない。特にジャーダルク、ハーメルン、セット共和国は強い危機感を持っていた。最初に犠牲となる大国はデリム帝国の北にあるウードン王国だ。だけどウードン王国の王は自国を護ることよりも、遊戯を楽しむクソみたいな奴だ。むしろデリム帝国の勢力拡大は遊戯の相手が増えたくらいにしか思っていない。ウードン王国には欠片も期待できないうえに、デリム帝国がウードン王国を平らげることにでもなれば、もうその勢いを止めることはどの国にも無理だ。なにより強大なデリム帝国と真正面からぶつかれば、その損害は甚大なモノになる」


 立ち上がるのもやっとなのか。ロイは震える身体を、剣を杖にして支える。


「デリム帝国の勢力拡大は阻止したい。でも率先してデリム帝国と戦うなんてごめんだ。そんな貧乏クジを引くなんて、どの国も避けたい。デリム帝国の軍事力を削ぎつつ、自分たちに被害が及ばない、そんな都合のいい策なんてあるわけない。普通ならな? 常人なら思いつかない。仮に思いついても実行なんてしようとも思わない。だけど国家になると話は別だ。あったんだよ、そんな都合のいい策が」

「ごふっ…………。その……策……とは…………」

「魔王降誕計画――人の手で魔王を創り出し、デリム帝国にぶつける。ハーメルンは場所を、セット共和国は資金を、そしてジャーダルクは技術を提供した。選ばれた場所はのどかな農村――お前の生まれ故郷パンドラだ」

「う……嘘だっ!! サトウ、君は嘘をついている!! そんな非人道的な行為を国が許すはずがないっ!!」


 傷ついた身体を引きずりながらロイが叫ぶ。


「計画は驚くほど上手くいったんだろうな。ハーメルンに多少の被害は出たものの、デリム帝国の軍事力を、なによりジョゼフをデリム帝国から引き剥がすことに成功したんだからな。デリム皇帝もジョゼフがいなければ、覇業を成し遂げようとは二度と思わないだろう」

「さっきから君が言っていることは嘘ばかりだ!!」

「俺が嘘つきだと? ならなんでお前は魔王を倒したあとも、真実を求めて放浪してたんだよ? ただ、この魔王降誕計画には誤算もあった。お前の存在だよ、ロイ・ブオム。魔王だけでなく勇者までも現れた」


 ロイは「嘘だ」と、うわ言のように繰り返す。


「馬鹿なお前は薄々気づいていたくせに、真実から目を逸らして勇者としていいように利用されてきた。おかしいとは思わなかったのか? 魔王が現れたのに各国の対応が遅いことに、デリム帝国に大きな被害が出てから待ってましたとばかりに各国がお前に協力しだしたことに。

 ジャーダルク、ハーメルン、セット共和国は笑いが止まらなかっただろうな。たかだが百人足らずの村一つで、デリム帝国の野望を阻止できたんだからな。ハーメルンからすれば、パンドラなんて貧乏農村はゴミみたいなもんだ。この世から消えても痛くも痒くもない」

「取り消すんだ」


 ロイがはっきりとした声で言う。


「なにを? お前を馬鹿って言ったことか」

「僕のことはなんと言われようといい。実際に君の言うように、僕は馬鹿で愚かなんだろう。だけど村の――パンドラを馬鹿にする発言は許さない!」

「嫌だと言ったら?」

「先ほどの発言を謝罪し、取り消すんだ」


 再度ロイが告げる。それは警告のような強い口調であった。


「事実を言っただけだ」

「取り消すんだ!」

「しつこい」

「取り消せと言っている!!」

「言うことを聞かせたければ力尽くでこいよ。お前にできるんならな」


 三度目の言葉、そして四度目もユウは拒否する。


「残念だ」


 そうロイが一言だけ呟くと同時に、大地に紫電が走った。


「やればできるじゃないか」


 ロイの剣を黒竜鱗の盾で受け止めたユウが呟く。黒竜鱗の盾の表面をいかづちが走り、くうへ散っていく。

 ユウが右手の剣を横薙ぎに振るうが、そこにロイの姿はすでになく、一瞬にしてユウから数十メートルも離れた場所にロイが立っていた。驚くべき迅さである。


「君には失望した」


 ロイは槍投げのような姿勢で雷鳴剣ルオ・ゴレニカを構える。勇者であるロイが所持するアクティブスキル『勇剣』を使用する気なのだ。


「俺は最初からお前に失望してたけどな」


 ユウが黒魔法第8位階『焔壁津波フレ・ウォル』を発動させる。巨大な炎の壁が津波のようにロイへ押し寄せる。その炎の壁をぶち破ってロイがユウに刺突を放つ。稲光のような一撃が、ユウの展開する結界を貫通しながら躱しづらい胴体へ迫る。


「ちっ」


 ユウは舌打ちを鳴らし、剣技LV7『昇竜剣』でロイの剣を弾――けなかった。逆にユウの剣が弾き返されたのだ。


(こいつ……)


 身体を捻り躱すも、脇腹をロイの剣が掠めていく。両者の間で剣戟が繰り広げられるも、先ほどとは違いロイの剣は弾かれるどころか、ユウの剣速についていっていた。とてもさっきと同じ人物とは思えないほど、ロイの戦闘力が上昇しているのだ。

 その後も互いに高位魔法、剣技の応酬をやり取りする。魔法に関してはユウに遠く及ばないものの、剣の腕と身体能力に関しては肉薄していた。

 レベルも、ステータスも、所持スキル数も、圧倒的にユウのほうが上にもかかわらずである。


「はぁはぁ……」


 肩で息をするロイを観察しながら、ユウはここまでの戦いに納得する。


「少しだけ見直したぞ。

 もっとお前の力が出るような話をしてやる。俺はこの世界の人族を皆殺しにするつもりだ」

「そんなことを僕が許すとでも思っているのかっ」


 勇者としての真の力を見たいと、ユウはロイを挑発する。その効果は覿面で、ロイの力が数段さらに上昇する。ユウもそれに合わせて、黒竜鱗の盾から黒竜剣・濡れ烏に武器を持ち換え、二刀流で相手をする。ラスの張り巡らす結界が、二人の戦いの余波や衝撃でヒビが入るたびにラスは急いで結界を修復する。

 何度、ロイは地面に転がっただろうか。だが、そのたびにロイは立ち上がりユウへ向かっていく。

 ロイの――勇者のジョブに備わる力や特性を身を以て知ったユウは、次の確認へ移る。


「ま……負けない。僕は、君に負けるわけにはいかないっ!」


 ユウとの激しい戦闘で雷竜の盾が砕け、水竜の軽鎧にもところどころ微細なヒビが入り、満身創痍で剣を構えるロイとは対照的に、ユウはロイから受けた傷はすでにパッシブスキル『高速再生』で消え去り無傷である。


「俺が人族を滅ぼすのが、そんなに気に食わないのか?」

「君の境遇には同情するが、だからといって無辜の人たちを殺させるわけにはいかない!」


 酷使している身体を信念で動かし、ロイがユウへ猛攻をし続ける。


「俺のように召喚された奴が今までに何人いると思う?」


 ユウの言葉に耳を貸してはいけないとわかってはいても、ロイは聞かずにはいられなかった。


「少し調べただけで三桁以上だ」


 ロイの剣速がわずかに鈍くなる。その隙を見逃さずにユウが剣を打ち込む。致命傷を避けるも、ロイの右肩から血が流れ落ちる。


「俺を召喚するのに、お前の言う無辜の者たちがどれほど犠牲になったか知ってるか? わかっているだけでも二十万人以上だとさ」


 二十万人というあまりに現実離れした数字に、ロイの思考が、心が理解できずに視界が歪んでいく。


「こんな世界を護る価値があると思うか?」

「ぜ、全員が全員悪人なわけじゃない!」


 心を――勇者の力の源である心を無理やりにでも奮い立たせて、ロイは剣を振るう。


「あの獣人のガキ共はどうした?」


 揺さぶりの言葉とわかっていても、ロイは動揺を隠せず身体が反応してしまう。


「死んだか? なにが勇者だ。たった二人の子供すら救えないとはな。それとも獣人のガキだから見捨てたのか?」


 全身をユウの剣に削られていく。ロイはそれでも諦めるわけにはいかなかった。


(心を、心を燃やすんだっ!)


 理不尽な国の思惑で滅んだ故郷、家族、幼馴染、友人、知人、救えなかった人々、勇者として利用され続けてきたこれまでの人生、認めるわけにはいかなかった。認めてしまうと、ロイのこれまでをすべて否定することになるからだ。


「知ってるか? ある小国で新たな部隊が作られたそうだ」


 ろくな反撃もできずに攻撃を受け続けるロイへ、ユウは止めの言葉を放つ。


「なんでも雷竜・・と他の魔獣を掛け合わせて作られた雷獣を主体とした部隊だそうだ。無理な掛け合わせの結果、子孫を残すこともできないそうだが、そんなこと人族の知ったこっちゃないよな?

 なにが信頼できる国に預けただ、偽勇者がっ」


 そこでロイの負けは決まった。心が完全に折れてしまったのだ。雷鳴剣ルオ・ゴレニカをへし折られ、指一本も動かせないほどボロボロになったロイを、ユウは時空魔法で創った門から放り投げる。


「事前に勇者とやれてよかった。ラス、お前の言ったとおりだ。信念の折れた勇者は弱い」


「マスター、なぜ勇者を殺さないのですか」


 ロイを殺さなかったことに納得がいかないのか。ラスがユウに問いかける。


「あんまりにもあいつが情けないから、殺す気も失せた」

「今からでも遅くありません。許可をいただければ私が――マスターっ、その目はっ!?」


 ユウの両目から血が流れていた。


「勇者のジョブを奪おうとして失敗した。今の俺ならいけると思ったんだけどな」

「なぜそのような無茶な真似を」

「最初は――」


 慌てふためくラスをよそに、ユウは話し始める。


「最初は『強奪』を使用するたびに頭痛が起こった。ハッキリと自覚したのは、チー・ドゥとかいう野郎からスキルを奪ったときだったかな。『強奪』を使わなくても痛みが、激しい頭痛が消えなくなったのは。そこからできるだけスキルを奪わずに、レベルだけを上げたり色々と試してはみたけど、なんの効果もなかったな」


 固有スキル『真理追究』で、ユウが固有スキル『強奪』を所持していることを知っていたラスであったが、ユウが自らの身体の異変について話すなど初めてのことで驚く。


「ガジンは相手に与えたダメージ量によって、スキルやジョブを奪うことができる固有スキルの持ち主だったんだよな?」

「はい」

「全身の肌が真っ赤になるほどスキルやジョブを奪っていたんだ。その痛みは想像を絶するだろうな。今の俺でも痛みに堪えかねて、自分で自分の目を抉るときがあるくらいだ。なんでだと思う?」


 なにについてユウが問いかけているのかわかりかねて、ラスは返答に困る。


「奪わずにはいられないんだよ。その欲求に抗うのは難しい。しかも厭らしいことにスキルを奪うことに成功すると、少しの間だけ痛みが治まるんだ。肉体と霊体を完全に癒すと言われている世界樹の力を使っても、この痛みは治まらない。なぜなら肉体でも霊体でもなく、魂に傷がついているからだ」

「そ、それではマスターは……」

「早いうちに死ぬだろうな」


 あまりにもあっけらかんと自分が死ぬと言ったユウに、ラスは握り締めていた杖を放してしまう。


「最初は呪いと思ってたんだけどな」

「呪いですか……」


 いまだショックから立ち直れていないラスが、震える手で杖を拾う。


「二十万以上を生贄に召喚されたんだぞ。そりゃ呪いの一つや二つはあるさ。第二次聖魔大戦で暴れた魔王は短命の呪いにかかっていた。これは俺の予想だけど、たぶん外れてないと思うぞ」


 ユウとは別の意味で強大な力を誇った魔王をラスは知っている。だが、その強大な力を持つ魔王がわずか数年で滅びたのだ。誰かの手によって滅ぼされたのではない。死因は寿命であった。それ以外にも数多くの召喚された者たちをラスは見てきた。皆一様になにかしらの呪いを抱えていたのであれば、死因に納得のいくことがラスには数多くあった。


「でも俺のは別だ。これは『強奪』による副作用だからな。まあ、どういう呪いなのかはおおよそ見当がついている」


 そう言いながら、ユウはラスを見つめるのであった。




 大地に仰向けに倒れたままピクリとも動かないロイは、青空を流れていく雲を無感情な瞳で眺めていた。誰も信じられず、涙も枯れ果てたロイの心中は絶望で埋め尽くされていた。もはやこのまま死んでも構わない。魔物に襲われても抵抗をする気も、いやそもそも抵抗する余力などロイには残っていなかった。


「やあ、元気――にはとてもじゃないが見えないね」


 そうロイの顔を覗き込みながら話しかけてきたのは、紫色の刺繍が施されたローブを身に纏う聖国ジャーダルクの教国大司教――オリヴィエ・ドゥラランドであった。その背後には、この場には似つかわしくないメイド服姿の女性、チンツィアの姿もあった。


「なんの――」


 オリヴィエはロイの言葉を手で遮って、地面に剣を突き立てる。すると、大地からレイスが滲み出て絶叫するような表情で散っていく。


「うん、これでゆっくり話せる。あまりサトウにこちらの動向を知られたくないんだ」


 ロイにレイスをつけていたのはユウであった。


「どうで……も…………いい」


 ロイにはオリヴィエと話すことなど、なにもなかった。ただ、このまま邪魔をされずに死ぬことが望みである。


「だいぶ落ち込んでいるようだ」

「もう……僕は用済み……のはず。今さら…………なにを話すことが、あるん……ですか」

「そうなんだけどね。どうにも私とよく似た君を放っておけないんだ。ところでサトウから真実を聞くことはできたのかい?」


 なにも話す気などなかったロイであったが、なんの気まぐれか。ユウから聞いた話をオリヴィエへ伝える。


「勇者が現れたのが誤算、サトウがそう言ったのかい? ハハッ。聡いといってもまだまだ子供だ。人の持つ業の深さを知らない。勇者が誕生したのは誤算なんかじゃない。もとからそういう計画だったのさ。勇者にジャーダルクから派遣した聖女とパーティーを組ませて魔王を討ち滅ぼす。その結果、減少しつつあったイリガミット教の信者は数を盛り返すことに成功した。最初から予定どおりだったのさ」


 オリヴィエからさらなる真実を聞かされても、ロイの心はわずかたりとも揺れ動かない。もうどこの誰がなにを企もうが興味がないのだ。


「君の気持は痛いほど理解できる。前に言っただろう? 私は君の理解者だと」

「あなたに…………あなたに僕のなにがわかるっ!」


 生きる気力も希望もないロイであったが、あまりにも無神経なオリヴィエの発言に怒りが生じる。


「わかるとも、なにしろ同じ・・勇者なんだからね」

「あなたが……僕と同じ……勇者っ?」


 聖国ジャーダルクに現在勇者がいないことを知っているロイは、オリヴィエを疑うように言葉を繰り返した。


「君の抱えている苦悩を、絶望を、すでに私は経験している」

「そんな嘘を僕が信じるとでもっ。もううんざりだ! 僕のことは放っておいてください!」

「嘘じゃないさ。オリヴィエというのは偽名でね。私の真名はオズウェルという。あー、あまり偽名の意味がないと突っ込まないでほしい。こういったのは、少し似ているほうが逆にバレないそうなんだ」


 冗談っぽく話して和ませようとするオリヴィエであったが、ロイはそれどころではない。なにしろオズウェルという名は――


「名を偽ることなど不可能なはず。それにその名は――『始まりの勇者』が一人、光の勇者オズウェル!?」


 ジョゼフのように貴族を辞めて、貴族姓を消すことならば可能なのだが、名の改名は不可能である。


「君が『勇体』の効果を何倍にでもできる固有スキル『勇力増幅ビリーヴ』を持つように、私も自分だけの固有スキルを持っている。もともとは相手の攻撃を消すくらいしか使い道のないスキルだったんだけどね。ある少女・・・・が私の固定観念を壊してくれた」


 そう言うと、オリヴィエはロイの身体をなぞるように撫でる。すると、あれほどあった満身創痍の傷があっという間に消えていく。


「傷が……消えた。これは回復魔法じゃない」

「この力があればなんでもできた。比喩じゃない、本当にどんなことでも実現可能だったんだ。

 今、私と君が話しているのはジャーダルク語だが、昔は様々な言語があった。ウードン語、デリム語、ドワーフにエルフ、獣人語なんて十じゃきかないほどだ。だが、その言語を消し去り、私はジャーダルク語を公用語とした。ただ竜や妖精の言葉までは完全には力が及ばなかったようだがね」

「あなたは……その力を使って千三百年以上も生きていると?」

「そのとおり。約束したからね。世界を平和にすると」


 黙ってオリヴィエの話を聞いていたチンツィアの表情が、悲痛なモノへと変わる。


「ただ、長年の力の行使が原因か、今は思うように力が使えなくなった。だが、そんなことで諦めるわけにはいかない。私に力を使用する糧が尽きかけているのなら、代用を用意すればいいだけの話だ」

「僕にどうしろと言うんですか……」

「力を貸してほしい。世界の平和のため、真の正義を行使するために」

「僕には無理です」

「そんなことはない。なぜなら君は勇者だからだ。勇者とは強い者のことを指す言葉じゃない。何度でも立ち上がる者のことを、人は勇者と呼ぶのだよ。ああ、これは私の言葉じゃないけどね」

「無理だ……僕にそんな気力は残っていない」

「幼馴染はなんていうだろうね、今の君の姿を見て。君が殺した幼馴染じゃないよ、それ・・をプレゼントしたほうだ」


 オリヴィエが指差したのは、半ば砕け散った鋼鉄のガントレットである。ロイは黙ったまま、幼馴染の少女がくれた鋼鉄のガントレットを握り締める。どれくらい時間が経ったのだろうか。やがてロイは立ち上がる。


「私の思ったとおりだ。君は立ち上がると思っていた。だが、君の力はまだまだ未熟だ。君のために良い師を用意している。なかなかに厳しい御仁だが、必ず君の力になってくれるだろう」

「少し時間をください。あなたに協力する前に、にはやらねばならないことがあるんです」

「ああ、いいとも。やっぱり君は私によく似ている」


 数週間後、ある小国の王と新しく作られたばかりの部隊が、雷獣ごと殺される事件が起きる。

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