第305話 勇者の資格
ブエルコ盆地から北東を駆ける影が一つ。影の正体はパンドラの勇者ことロイ・ブオムである。その両脇には、獣人族の子供たちを抱えているのが見える。ロイは子供たちへ負担がかからないよう細心の注意を払い、かつ急がねばならなかった。
「く……苦しいよぉ……」
「もう少しの辛抱だよ」
「い、家に……かえり、た……いな…………」
「帰れるさ」
意識が混濁していた獣人の子供たちは、もはや会話をすることも困難なほど症状が悪化していた。それでもロイは懸命に、努めて明るく話しかけ続ける。
(症状の進行が速い。このままだと町へ着く前に……。急がないとっ。大丈夫、大丈夫さ。僕は勇者なんだ! 必ずこの子たちを助けてみせるっ!!)
自分に言い聞かせるように、ロイは心の中で何度も言葉を繰り返す。そのロイの背後――ブエルコ盆地の方角では先ほどから太陽かと見間違うかのような大火球に、大規模な爆発音や天を覆う炎の海が地上を駆けるロイの肌にまで熱を感じさせていた。ユウとジャーダルク聖騎士団の戦闘によるものだろうと、ロイはユウの身を案じるのだが、今はそれよりも優先するべきことは獣人の子供たちの命であると、迷いを振り払うかのように速度を上げる。
「あれはっ!」
ロイが目を見開く。その前方に淡い光が見える。それはフォーヘリーの町の外壁に備えつけられている篝火であった。
「ほら、町が見えてきたよ!」
虚ろな目で獣人の子供たちは町へ視線を向ける。
「父ちゃん…………怒って……るだろうなぁ……」
意識が混濁しているために、獣人の子供はフォーヘリーを自分の住む村と勘違いして呟く。
「か……かあちゃん…………ごめんな……さ、ぃ」
もう一人の子供は母を思い、涙を流しながら呟いた。
ブエルコ盆地でユウとジャーダルク聖騎士団との間で激戦を繰り広げた数日後、ロイは獣人族の村にいた。不眠不休で獣人族の村まで移動したのだが、そのロイの足元には小さな
「前を通して!」
「子供が、私の子供が帰ってきたんでしょ?」
「待つんじゃ」
「いいからそこを退きなさいよっ!」
「うそ……うそっ! そんな…………どうしてこんなことに!?」
棺桶を囲む獣人たちの間から、人垣を押し退けて二人の女性が姿を見せる。
この女性たちは子供たちの母親である。行方不明となっていた我が子を捜し続けていたのだろう。心身の疲労から目には濃いクマができており、頬も痩せこけていた。棺桶には腐敗を遅らせる効果のある花が敷き詰められており、そこに獣人の子供たちが眠るように横たわっていた。母親たちは愛する我が子を抱き締めながら泣き叫ぶ。
解毒剤は間に合わなかった。いや、そもそもフォーヘリーの町にあるマンソンジュという宿にリューゲなる者などいなかった。最初からジャーダルク聖騎士団は、獣人の子供たちを生かすつもりなどなかったのだ。あまりにも非道な仕打ちであった。だがロイは込み上げる怒りを無理やり抑えつけ、寝食も取らずに獣人族の村へ向かったのだ。少しでも早く、親元へ子供たちを返すためである。
「申し訳ございません。助けることができませんでした」
ロイは一切の言い訳もせずに、謝罪の言葉を述べ頭を下げた。愛する我が子を理不尽に失った親の胸中を思えば、かける言葉などロイにはなにもなかったのだ。母親たちは泣き叫び続け、父親たちは「どうして俺の息子がっ……」と声を押し殺して泣いた。
村長や一部の有力者たちにロイは事の経緯を説明していた。村人全員に説明しなかったのは自己保身などではなく、村人たちが子供たちの仇を取ろうと、復讐の連鎖を危惧してのことであった。
だが、村人たちもどこか察しているのだろう。ロイに向ける村人たちの目は驚くほど冷たかった。そしてそれは母親たちも同様である。
「どうして、どうして! 私の子供が死なねばならないのですかっ!」
目を真っ赤に腫らし、母親の一人がロイを睨みつけながら問いかける。
「それは……」
ロイはまともに母親の目を見ることができなかった。
「勇者様は知っているんでしょ? じゃないとおかしいじゃないかっ! 村を去ったはずの勇者様が、どうして私の……わた、私のっ…………子供を、うぅっ……私の子供の遺体を持って現れるのさっ!! 各地を放浪している勇者様が、たまたま死んだ私の子供を見つけたとでも? そんな都合のいい話を私は信じられないね!!」
もう一人の母親から強い口調で問い質されるも、ロイはなにも言えずに、ただただ頭を下げ続けた。
「返してください! 私の子供を返してよっ!!」
「勇者様が、あんたのせいだっ!! お前が村に来たから私の子供は死んだんだ!!」
以前、森の王と呼ばれる魔獣の被害に悩まされていた獣人の村を救った際は、背に称賛の言葉を浴びながら村を去ったロイであったが、今回は違う。母親たちから恨みの篭った罵声を浴びながら、誰からも惜しまれることなく村を去ることとなった。
「いつもこうだ……。どうして僕は救うことができないんだっ」
森の中を彷徨いながらロイが呟く。
冒険者になる? やめときなさい。ロイってば優しいけどケンカは弱いし、冒険者みたいな荒事は向いてないわよ。
農夫ではなく冒険者になる。ロイがそう告げると、幼馴染の少女に向いていないと言われる。同い年なのにどこか上から諭すような言葉に、ロイはムキになって絶対に冒険者になってみせると言い張った。すると少女は呆れた顔で大きなため息をつく。しかし、どこか寂しそうな眼差しでロイを見つめていた。
ある日、少女に呼び出されると、布に包まれた物を渡される。急かす少女に言われるままに中身を確認すると、鋼鉄のガントレットであった。
冒険者を目指すんなら、これくらいの物は持っていないとね。
少女が密かにコツコツと貯めていたお金で購入したのだ。本当は鋼鉄の鎧をプレゼントしたかったのだが、農村で生きる少女にはこれが精一杯であった。
勝手に冒険者でもなんにでもなって、好きなところへ行けばいいさ。彼女は俺が幸せにする。
もう一人の幼馴染はロイを止めるでもなく、そう言い放った。
なんでお前なんだよ! 俺のほうが彼女を幸せにできるのに!
いきなり殴りかかってきた幼馴染の少年に困惑するロイであったが、あとでもう一人の幼馴染の少女に告白して振られたことを知った。
そしてロイが村を出る前日にそれは起こった。突如、のどかな農村パンドラに魔王が顕現したのだ。魔王はロイを嘲笑うかのように暴れ回り、パンドラを喰い尽くした。無力なロイでは魔王に敵うはずもなく、目の前で次々と殺されていく村人の姿を見せつけられた。そう、ただ一人――ロイだけが生き残ったのだ。
故郷を、家族を、友人を、幼馴染の少女を失ったロイの心を絶望が塗り潰した。それでもロイは立ち上がった。すべてを失ったこの日、皮肉にもロイは勇者の力に目覚める。勇者となる――それは冒険者の夢を諦め、勇者として魔王を討つべく生きることを義務づけられたのだ。
魔王やその配下が暴れていると聞けば、そこがどこであれ向かった。ときには危険な場所であろうとも、弱き人たちを救うためならばあえて進んだ。
勇者様、このトネール山脈を越えればすぐ私たちの住む町です。ここは雷竜が支配する危険な山脈ですが、無理をしてでもここを越えねば間に合いません。急ぎましょう! 魔王軍はすでに町を護る騎士団と交戦しています!
魔王軍に襲われている町を救うため、町への案内人たちと共にトネール山脈を進むロイたちの前に、雷竜が立ちはだかった。だが、この雷竜は名を持つほどの竜である。名を持つほど強大な竜の多くは、同時に高い知能も有し、人語を操る。ロイは戦いではなく、話し合いで解決しようとしたのだが――雷竜ルオ・ゴレニカは問答無用でロイに襲いかかった。
勇者様、なにをしているんです! 早く剣を抜いてください! 町が、私の家族が勇者様の助けを待っているんですっ!!
雷竜と戦わないロイを非難するように、案内人の男たちが口々に戦うよう説得する。それでも剣を抜かないロイであったのだが、雷竜が大きな顎を開けて案内人の一人を飲み込もうとしたそのとき――ついに剣を抜いてしまったのだ。勇者の力に目覚めて間もないロイにとって、名ありの雷竜はあまりにも強敵であり、手加減をする余裕などなかった。結果的にロイは雷竜を倒してしまう。
さすが勇者様だ! そうだ! この雷竜の角で剣を創りましょう。きっと素晴らしい名剣となり、勇者様の名とともにレーム大陸中に知れ渡りますよ!
興奮する男たちとは裏腹に、ロイにはとてもそんな気持ちにはなれなかった。なぜ人語を解する雷竜が、自分の言葉に耳を傾けてくれなかったのか。そればかりが頭の中で繰り返されていた。
ああっ! ゆ、勇者様、これをご覧ください。卵ですよ、雷竜の卵っ! あ~こいつ雌だったんだ。だからこんなに気性が荒かったんですかね? でもツイてるな。なにしろ雷竜の卵だ。きっと高く売れますよ! 町を救った暁にはこの卵を売ったお金で、お祝いをしましょう!!
男が雷竜の卵を指差しながら、嬉しそうにロイへ報告する。雷竜は卵を護っていた。だからロイの言葉に耳を貸さなかったのだ。その事実に吐き気とともにロイの視界が歪む。よろけた際に、腹を斬り裂かれた雷竜とロイの目が合う。
わた…………しの、夫だけ……でな……く。子ま…………で奪……うの……か?
卵があるにもかかわらず、戦闘が始まっても雷竜の
薄ぎた…………ひ……と族……め。呪わ…………れ、るが…………。
最期まで呪詛を呟きながら、雷竜は息を引き取った。ロイは崩れ落ちるように地面へ座り込む。だが、いつまでもそのままでいるわけにはいかなかった。多くの人たちが、ロイの助けを待っているのだ。自らの心がどんどん擦り減っていくのを自覚しながらも、ロイはそのたびに立ち上がり戦い続けた。ジョゼフや大賢者、聖女の助力を得ても、それは変わらない。きっとこの先に自らが求める答えがあると、それだけを希望に戦い続けたのだ。そしてついに故郷を滅ぼした魔王を倒したのだが――
ふ、ふははっ。これで……満足か? なんにも知らない馬鹿な連中におだてられて、俺を殺して、満足なんだろうな。ぐうっ……あ、あわ……憐れな奴だ。
――そこに待っていたのは希望ではなく絶望であった。
「どうしてなんだっ! 僕はただ――」
ロイが地面に膝をついて大地に拳を振り下ろす。大地に無数の亀裂が走り、森の木々が衝撃で震える。何度も拳を振り下ろしていると、拳の皮膚が裂け、ロイの手が血で真っ赤に染まる。
「シケた
ロイの目の前にユウが立っていた。ユウは唖然とした表情のロイを馬鹿にするような目で見下ろしていた。
「なぜ……君がここに?」
「このまま逃げ切れるとでも思ったのか?」
「逃げるつもりなんかない。だけど、今は一人にしてくれないか? 必ず改めて謝罪はする」
「調子のいいことを言うなよ。俺をハメておいて偽勇者が」
ユウの言葉を否定したいところであったが、ロイ自身が誰よりも理解していた。自分に勇者を名乗る資格がないことに。
「ついて来い」
ユウの時空魔法によって創られた門は、ロイには死刑台のように見えた。だが、ロイは逃げもせずユウのあとに続いて門を潜るのであった。
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