第299話 誤算

「聞いてんのか?」


 ジョゼフはそう言うと、右手に握る巨大な獣の足を解放する。巨大な足の持ち主はグリフォンであった。微かに鼓動するグリフォンの胸には一本の矢が刺さっている。なにかを引き摺る音の正体は、間違いなくジョゼフがグリフォンを引き摺っていたことによるものだろう。

 それにしても瀕死のグリフォンと比較して、ぱっと見ではあるがジョゼフの顔や腕などに土が付着してはいるものの、怪我らしい怪我をしていない。あの高度から暗闇の中、グリフォンと共に墜落して無傷とはどういう身体をしているのだと、ジャーダルクの騎士たちは内心で「化け物め」と呟く。


「お前に言ってんだ」


 矢を放った騎士が、ジョゼフの全身から放たれる膨大な闘気に圧倒され、思わず――


「あ、ああ……」


 騎士の男が適当な返事をした瞬間、大きな打撃音が静まり返った暗闇に響いた。


「聞こえてんじゃねえかっ」


 ジョゼフが平手打ちした音である。兜の上からにもかかわらず、その衝撃で騎士の男はよろける。さらにジョゼフが騎士の男へ近づくと、見ていた別の騎士が槍の柄に手をかけるのだが、それを同僚の騎士が止める。


「待てっ。様子を見たほうがいい」

「このまま黙っていろと?」

「ジョゼフはここに魔王がいることを、まだ知らない可能性がある。偶然ここに来たのならば、やり過ごすほうが得策というものだ」


 小声でやり取りする騎士たちをよそに、ジョゼフはなにやらふらつく騎士の懐をまさぐる。「あったあった」と言いながら、ジョゼフが手にしたのはポーションである。ジョゼフははたいたうえに、ポーションを奪ったのだ。


「たくっ。一歩間違えれば怪我するところだぞ」


 間違えなくても常人であれば即死、運がよければ重体である。

 ジョゼフはブツブツ言いながらグリフォンのもとへ向かうと、胸に刺さる矢を引き抜いてポーションを傷口にかける。


「用が済んだのなら、さっさと去ってもらおうかっ」


 いまだふらつきながら、ジョゼフに叩かれた騎士がこの場より去るよう怒気を込めた声で言う。だが、ジョゼフは無視して三人の騎士を一瞥する。この場にいるのは三人だが、少し離れた場所や森の中に大勢の気配をジョゼフは感じ取っていた。


「その鎧はジャーダルクのもんだな」

聖国・・ジャーダルクだっ」

「そんなことどうだっていいじゃねえか。それよりこんな場所でジャーダルクの騎士がなにしてんだ?」

「詳細を述べるわけにはいかない。貴殿も軍に所属していたのだ、ご理解いただきたい」


 興奮する騎士とは別の騎士が、ジョゼフを諭すように話しかける。ジョゼフは「ふ~ん」と耳の穴を小指でほじりながら、よりにもよって祠のある方向へ足を進めていく。


「止まれ!」

「いつからここはお前らジャーダルクの領土になったんだよ」

「この地より去れと言っている。さもなくば――」



 弓をジョゼフに向かって構える騎士に、残る二人の騎士はそれぞれ別の思いを抱いていた。


(冷静になれっ)

(殺せっ! この距離とお前の腕があれば、いかにジョゼフであろうと躱せまい!)


「さもなくば?」


 ジョゼフを前にして動じず弓を構える時点で、この騎士が並みの者ではないことが窺える。だが、ジョゼフは気にした様子を欠片も見せず、歩みを止めることもない。


(馬鹿がっ! 余裕を見せつけたつもりか!!)


 闇夜に一筋の閃光が走る。

 騎士が矢を射ったのだ。矢は正確にジョゼフの眉間を貫いた――かのように見えたのだが。


「か、躱しただとっ! この距離で俺の矢を……っ!?」

「なにをしている!! 次の矢をつがえぬか!!」


 同僚の騎士の言葉に我を取り戻すと、流れるような動作で二の矢を射る。もはやプライドに拘っている場合ではなかった。弓技LV3『風鳴弓ふうめいきゅう』、『光射こうしゃ』、風を斬り裂く矢や魔力で創られた矢がジョゼフを射抜こうとする。これで仕留めようなどとは甘い考えはない。手傷を負わせられれば御の字、最低でも足止めにはなるはずだと、騎士は本命である弓技LV7『流星』を放つべく次の矢へ手を伸ばそうとするのだが、それよりもジョゼフが騎士の兜を鷲掴みにするほうが速かった。


「馬鹿の一つ覚えみてえに、同じ箇所ばかり狙いやがって」

「な……なぜだっ。なぜ俺の弓が――あがぁっ……」


 騎士の兜は前面も覆うタイプのモノであったが、ジョゼフは力任せに殴りつけた。鬼人族や巨人族と見紛うかのような、ジョゼフの巨大な拳によって兜がひしゃげると、様子を窺っていた二人の騎士は中身もただで済んでいないというのが容易に想像できた。


「そういやさっき矢を射ってきたのも、てめえだよな?」


 二発、三発と次々にジョゼフの剛拳が振るわれる。抵抗らしい抵抗もできず、騎士の身体はジョゼフに殴られるたびに小刻みに震えるのみであった。


「ジャーダルクでは謝りかたも教えてねえのか? おい、聞いて――チッ、ちょっと小突いたくらいで死にやがって」


 武具も含めれば百キロはある騎士の身体を、ジョゼフは無造作に放り投げる。そのまま歩みを再開するジョゼフの前へ、二人の騎士が回り込む。


「この先へは死んでも通すわけにはいかぬ」

「じゃあ、死んどけ」


 ジョゼフの左手には、いつの間にか聖剣聖炎ホーリーフレイムが握られていた。そのままジョゼフは騎士の頭部目掛けて剣を振り下ろす。


「ほう……。噂に違わぬ『豪腕』よ」


 ジョゼフの剣は騎士の盾によって受け止められていた。いくら片手で振るったとはいえ。ジョゼフの膂力で振るわれた剣を受けて、盾を持つ騎士の顔には余裕すら漂わせる笑みを浮かべていた。


「めんどくせえな」

「『漆黒の第七天魔王』に与する異端者めっ! 死ぬがいい!!」


 右手の魔剣氷魔アイスデビルで追撃しようとしていたジョゼフの脇腹へ、もう一人の騎士が槍で突きを放つ。鎧の継ぎ目を狙った刺突である。一人が攻撃を受け、もう一人がその隙を突く。単純であるが攻撃を躱すのは至難である。

 だが――


「殺った!!」

「でかしたぞっ!!」


 ――ジョゼフは躱さなかった。躱す余裕がなかったわけではない。ただ、騎士の男が言った言葉に頭の中が真っ赤になったのだ。


漆黒・・ってのは――」

「どうした? ジョゼフはまだ生きておるぞ! 止めをっ!」


 盾でジョゼフの剣を受け止めていた騎士が異変に気づく。ジョゼフからの剣圧が弱まるどころか強まっていることに。


「ぬう……っ!」


 ついに耐え切れず、片膝を地面につく。


「な、なにをしておる!」

「槍がっ、槍が進まぬのだっ!!」


 鎧の継ぎ目を狙った刺突は狙い通りに鎧を避け、ジョゼフの脇腹の皮膚を突き破り肉にまで到達する。しかし、それ以上は刃と肉との間で固定されたかのように阻まれ、1ミリたりとも進まなかったのだ。


「――まさかユウのことじゃねえだろうな?」


 そこには殺気や殺意をもし具現化すれば、このような姿になると言われても納得できそうな。ジョゼフが憤怒の形相で立っていた。

 二人の騎士は己が意思に反して震える身体を、信仰心をもって無理やりに押さえつける。


「ぬおおおおぉっ!!」


 気合とともに騎士がジョゼフの剣を弾き返そうと全身に力を込めるも、盾はピクリとも動かない。ふと、騎士の男は顔を照らす光と嗅ぎなれぬ臭いに顔を上げる。闇夜に真っ赤な光が見えた。赤い光の正体は己が構える盾が真っ赤に熱を帯びていたのだ。


「があ゛あああ゛あっ!?」


 聖剣聖炎ホーリーフレイムが発する熱によって、盾が融解し始めていた。盾を持つ騎士の腕は真っ赤に爛れ、黒煙を上げている。


「は、早くっ! ぐがぁ……っ!! 早くジョゼ、フにとど――ひっ、待ってく」


 真っ赤な刀身、それが騎士が最期に見た光景であった。盾ごと頭部から下腹部まで真っ二つになった騎士の身体は傷口が炭化し、その傷口からはただの血の一滴すら流れ落ちない。


「うわあああっ!?」


 恐れを知らぬ聖国ジャーダルクの騎士が槍を放り投げ、恥も外聞もない姿で逃げ出す。


「ジョゼフだっ!! ジョゼフが出たぞーっ!! 全軍でこ――かふっ」

「うるせえ」


 背後より魔剣氷魔アイスデビルで首を横一文字に斬られた騎士の男の首が落ちることはなかった。傷口は一瞬にして凍りついていたのだ。


「あそこだっ!」

「すでに殺られているぞ」

「相手は何人だ?」

「一人だっ」

「一人だと!? 信じられん。間違いないのだな?」

「陽動かもしれん。警戒を怠るな!!」


 三人一組で巡回していた者たちが、次々に集まってくる。主要な道を封鎖している本隊からは、慌ただしく動く気配を感じる。すでに千を超える騎士が闇夜に紛れてジョゼフを包囲し始めていた。


「ぶっ殺してやる」


 ジョゼフはそんな軍隊に向かって、引くどころかたった一人で前へ進んでいくのであった。




 ブエルコ盆地外周は姿を現したジョゼフに騒然となるが、中心部でユウと激戦を繰り広げているバラッシュたちはそれどころではなかった。


「しゃらあああーっ!!」


 ドロスが獣のような姿勢で、地面すれすれを高速移動してユウに接近する。ユウとドロス、両者の距離が密着するかと思うほどまで距離を詰めると、武技LV6『咆虎・剛蹴脚ほうこ・ごうしゅうきゃく』を放つ。天を撃ち抜くかのような剛脚が、ユウの顎を襲う。だが、ユウはのけ反りながら、ドロスの両足へ武技LV3『無双腕むそうかいな』を放つ。両腕に込めた気を掌打で叩きつける技なのだが、それをドロスの攻撃を回避するために使用したのだ。ドロスの太腿が弾けんばかりに膨張し、ユウの攻撃を防御する。それでもダメージを受けきれないと判断すると、ドロスは身体を縦回転させながら後方へ飛びのく。


「こおおおぉぉぉ……っ」


 武技LV4『息吹』、特殊な呼吸法でダメージや体力をドロスは回復させる。見事、ユウの反撃を受けきったにもかかわらず、ドロスの顔に浮かぶのは怒りの形相であった。徒手空拳で自分と殺り合って、ここまで持った敵は過去の記憶を探っても思い浮かばない。未熟な頃ならともかく『聖拳』の二つ名で呼ばれるようになってからは、文字どおり敵なしである。ユウの存在はドロスのプライドに大きな傷を刻みつけたのだ。

 それにドロスはこの絶望的な状況で、ユウが徐々に強くなっているような疑念を抱いていた。それがドロスを苛立たせるのだ。


「休ませるな!」

「おおおおうーっ!!」


 周囲の騎士がユウへ襲いかかる。それに対してユウが反撃の態勢を整えようとした瞬間、左後方よりまた強力な負の付与魔法が放たれる。


「なっ」


 騎士の一人が驚きの声を上げた。

 それはユウが身に纏う結界を解除したからである。「ついに魔王が諦めたか!」と喜色を浮かべる者もいたのだが、ユウの思惑に気づいた何名かは顔が青ざめていた。

 ユウが攻撃を受ける起点となっているこの負の付与魔法に対して、いまだ居場所も姿すら捉えられぬ正体不明の相手に対して、躱せぬ攻撃に対して、ユウはすべての抵抗を止めたのだ。

 どうせ喰らうのなら無駄な抵抗をして、MPを消耗するのを避けたのである。

 今回の負の付与魔法は『麻暴マン・ボー』であった。対象の防御力や耐性を著しく低下させる付与魔法である。

 次に数百の負の付与魔法が全方位から迫るのだが、ユウは結界を球状に張り巡らせる。いつもと違うのは、結界は球状ではあるが網目があり、凝視すればそれが編み込まれたモノであることがわかる。結界の強度を高めつつ、MP消費を抑える苦肉の策であった。ユウの狙いどおりに結界が負の付与魔法を防いでいく。


「いったん距離を取れっ!!」


 その号令を聞くや、ユウに接近戦を仕掛けようとしていた騎士たちが一斉に距離を取ると同時に、数千の矢がユウに向かって放たれた。

 結界と付与魔法の衝突が、煙幕のようにユウから視界を奪っていたために、矢に対するユウの反応が遅れる。ほとんどの矢はユウの纏う結界にぶつかり地面に落ちていく。しかし編み目状の結界を、指一本通るかどうかという隙間に矢を通す者たちがいた。第四大隊の隊長を始めとする一部の凄腕の弓兵によるものである。


「馬鹿めっ! 自らの結界が檻となっておるわ!」

「しかし、これでは我らも魔王の姿が確認できん」


 数千の矢がユウを結界ごと覆い尽くし、ユウの姿を確認できないのだ。


「今に耐え切れず結界を解くはずだ」

「よし。それと同時に攻撃を再開するぞ」


 ジャーダルクの騎士が思っていた通り、ユウが結界を解除する。だが、一斉にユウへの攻撃を再開しようとしていたジャーダルクの騎士たちは、その場を一歩も動けずにいた。


「む…………無傷……だと?」

「どのようにして、あの矢を防いだのだっ!?」


 なんのことはない。どれだけ矢を打ち込まれようと来る場所が絞れていれば、ユウならば受けきることができるというだけである。

 絶句するジャーダルクの騎士団に、一瞬だが隙ができた。そこへ己が身体を弾丸のようにしてユウが突っ込んでいく。ユウの全身はすでに『闘技』で強化されている。

 この戦いが始まってからユウがまともに『闘技』を纏ったのは、初めてではないだろうか。


「魔王が来――ごぽっ……!?」


 数十人の騎士が、ユウのタックルを受けてなぎ倒されていく。さらにユウは勢いを緩めず、奥へ奥へと進んでいく。


「ごふっ。ま、魔王の狙いは包囲網の突破だ!!」

「重装騎兵を護れっ!」


 重装騎兵が盾を前に構えて、ユウのタックルに備える。その眼前でユウは急停止すると、黒魔法第5位階『空破城槌エア・バッテリング・ラム』を発動する。見えざる破城槌が百におよぶ重装騎兵を吹き飛ばし、宙へ舞い上がらせた。

 すると包囲網の一角にぽっかりと穴ができる。


「てめえの相手は俺だろうがっ!!」

「我らのことを忘れてもらっては困る」

「さようっ!!」


 ドロス、セサル、シュテファンの三名がユウに猛攻撃を仕掛ける。そのあとをジャーダルクの騎士たちが続く。


「さすがだ!」

「我らもお三方に続くぞ!!」

「おうっ!!」


 包囲網にできた綻びは、第二陣、第三陣の重装騎兵によって瞬く間に修復されていく。

 だが、ユウの目的は包囲網を抜けることではなかった。そもそも、そんな簡単に抜けられるとは思ってなどいない。


(並列か……)


 一瞬だが、重装騎兵の後方で回復魔法を供給している後衛たちの姿をユウは見た。横一列に並ぶ横陣で、各自が魔力の糸で繋がっておりMPを共有、一つの塊として使用していた。


(あれが大勢の兵に回復魔法や付与魔法を送り続けている仕組みか。なら、異常に強力な付与魔法を放つ仕組みも予想がつく)




 数人の兵が、バラッシュのもとへ駆け寄る。


「包囲網はすでに修復済みです」

「傷ついた重装騎兵も回復し、戦線に復帰しています」

「後衛に被害は出ていません」


 報告を聞いてもバラッシュの顔色は優れない。


「見られたようじゃな」

「おそらく」

「早くも魔王がこの状況に適応し始めよった。テオドーラ殿に助攻の回数を増やすよう伝えよ」

「それが――」


 包囲網を敷くジャーダルク軍は内側を重装騎兵が第一陣から第三陣まで、その後ろに重装騎兵に護られながら弓兵や後衛がいる。しかし、それらとは別で行動している部隊があった。

 その部隊はユウを中心に十二の方角に、それぞれ一部隊三百人の精鋭の後衛術者で構成されており、縦陣で布陣している。この十二の部隊が、先ほどからユウへ負の付与魔法をかけ続けているのであった。


「早くしなさいよ」

「はぁはぁ……っ。お、お待ちください」


 『三聖女』テオドーラの言葉に、息も絶え絶えの後衛術師の男が休ませてほしいと懇願する。見ればその男だけでなく、残りの者たちも立っていることすら困難なようで地面に座り込む者や、なかには意識を失って地面に横たわっている者までいる。


「テオドーラ様のお力で、我らを癒していただくわけにはいかないでしょうか?」

「それじゃあ、あなたたちがいる意味がないでしょうが」


 ユウが包囲網の奥に見た後衛術師たちの陣形は、聖繋横陣せいけいおうじんと呼ばれるモノで、互いを聖糸と呼ばれる魔力で創られた糸で繋ぐことによって、MP、魔力を共有するものであった。

 そして、この十二の部隊が使用している陣形は、聖繋縦陣せいけいじゅうじんと呼ばれる。聖繋横陣とは逆で、各々を縦のラインで聖糸を繋ぎ、魔力を合算することで強力な魔法を放つことができるのだ。ただし、一点だけ欠点がある。魔法を発動する者に近いほど負荷が強くなるのだ。事実、テオドーラの腕や杖からは、魔力の高負荷によって今も煙が上がっている。テオドーラの近くにいた後衛術師たちは、その負荷に耐え切れず、意識を失って倒れているのだ。運が悪ければ再起不能だろう。


「泣き言を言っている余裕があるなら立ち上がりなさいよ」


 テオドーラも見た目ほど余裕があるわけではない。五万もの兵をユウとロイから隠蔽し、今もユウが逃げぬように広域の結界を張り続けている。そのうえユウに居場所を悟られぬように、十二箇所の部隊の間を走り回りながら、自身と三百人分の魔力を合わせた負の付与魔法を放っているのだ。


「ふむ。テオドーラ殿ではなく、魔力、MPを供給する側が耐え切れぬか……」

「ポーションやマナポーションは十分に支給しているのですが、それでも二割がMP枯渇による体調異状で使い物になりません」

「あいわかった。予定より早いが『三剣』を投入せねばなるまい」

「かしこまりました。バラッシュ様、それとは別で気になることが」

「申してみよ」

「『漆黒の第七天魔王』のレベルが上がっています」


 従者の青年の言葉に周囲がざわつく。


「静まれ。この程度のことで動揺してどうする。戦闘中にレベルが上昇することなど、珍しいことではない。まして、このような大規模な戦闘では上がって当然ではないか。

 して、魔王のレベルはいくつになった?」

「はっ。57から58になっています」

「そうか……ままならぬものよ。それにしても魔王の姿が『邪眼の魔女』と重なりおるわ。心折れぬ鉄の心は、まさにステラそっくりじゃわい」


 そう呟くと、険しい顔のままバラッシュは口を真一文字に結んだ。


「放てっ!!」


 号令とともに弓技LV2『強弓』によって放たれた無数の矢が、ユウの背を目掛けて向かっていく。その矢をユウはドロスたちと戦いながら振り返りもせず、黒魔法第5位階『アイアンウォール』を発動する。ユウの背後に現れた分厚い鉄の壁が、すべての矢を弾いていく。


「くそっ!」

「我々の攻撃が通用しなくなってきているぞ」

「弱音をはくなっ! 魔王とて無限の体力、MPがあるわけではない。我らが先に心折れてどうする!!」


 第四大隊の隊長が部下を叱咤する。だが、この男も内心では気づき始めていた。ユウが戦いながら、いや時間が経つほど強くなっていることに。


「しっ!」

「おらあっ!!」


 ユウはシュテファンが繰り出す刺突を剣で捌き、ドロスの蹴りを同じく蹴りで相殺する。


「どうした? 遅くなってるぞ」

「てっ……てめえ!」


 ユウの言葉にキレたドロスが、独特の足運びによって残像を発生させる武技『残影歩ざんえいふ』で、ユウの剣撃を躱しながら懐まで距離を詰め、武技LV7『九蓮砲当チュウレンホウトウ』を放つ。無数にある人体の急所のうち九つへ、ランダムで同時に撃ち抜く武技である。


「ハッ、ハハーッ! くたばりやがれ!!」


 一撃で死に至らせる打撃が同時に九つ。躱せるものなら躱してみろと、ドロスは笑みを浮かべる。だが、その笑みはすぐに凍りつくこととなる。


「なに……をした?」


 ユウのパッシブスキル『魔龍眼』によって、枝分かれする未来からドロスの攻撃箇所を予知し、固有スキル『虚空拳』で九つの打撃すべてを打ち落としたのだ。

 これにはドロスの攻撃に続こうとしていたシュテファンも、驚きを隠せずにいた。


「どりゃあぁっ!!」


 これは拙いと、闘気で盾を覆う盾技LV5『オーラシェル』を発動させたセサルが、大楯でユウに体当たりをする。セサルはこの技で巨大な魔物で知られる蛇龍の牙を砕いたこともある。


「ぬぅっ!?」


 しかし、十分な手応えがあったにもかかわらず、セサルの動きがピタリと止まる。


「さっきから、うろちょろうろちょろ鬱陶しいぞ」


 盾技LV6『鉄壁』を発動させ、ユウはセサルの体当たりを受け止めたのだ。自分よりはるかに小さなユウに、動きを完全に止められたセサルの額を汗が流れ落ちる。


「セサルっ、距離を取らんかっ!」


 シュテファンの声と同時であった。ユウの武技LV5『鉄壊靠てっかいこう』が炸裂する。練り上げた気を背中に集め、敵にぶちかます技である。巨体を誇るセサルの身体が小石を蹴飛ばしたかのように、地面を転がっていく。


「ごはぁ……っ」

「セサル大隊長っ!!」

「お前たちも手を貸せ!」


 部下たちがセサルに駆け寄り、引き摺っていく。セサルの鎧は三大名工が一人、ゴンブグル・ケヒトが鍛え上げた逸品である。ユウの攻撃を受けて、大した損傷をしていないのは恐るべき鎧と言えるだろう。だが、中身はそうはいかなかった。ユウの『鉄壊靠』をモロに受けたセサルの体内は、肋骨や臓腑がグシャグシャにかき混ぜたような状態であった。それは魔力の糸から継続的に回復魔法が送られ続けていても、一瞬で回復することができないほどの損傷である。


「次はお前だ」


 ユウは狙いをシュテファンに定める。


「望むところだ!」


 いくつかの誤算があった。

 ユウが想定よりも早く、バラッシュたちの戦術に対応し始めたこと。ユウが想像より強く、また折れぬ心を持っていたこと。そのため前衛や後衛の消耗が、回復速度を上回ったこと。

 だが――誤算はユウのほうにもあった。

 ユウが上書き、解除した負の付与魔法はすでに万を超えていた。膨大な数の魔法を固有スキル『並列思考』で処理していたのだが、ユウも気づかぬうちに、自ら嵌めた枷である『時空魔法』まで解除していたのだ。塞き止めていた莫大な経験値がユウの身体に流れていく。


「ぐおっ。は、迅い……っ」


 敵から奪った剣を両手に持つユウの二刀を前に、シュテファンは防戦一方である。仲間からの支援がある状態にもかかわらず、相手になっていないのだ。

 この時点でユウのレベルは61にまで上昇し、なおもとどまる所を知らないでいた。

 ユウにとっての誤算はもう一つあった。誤って解除したのは『時空魔法』だけではなかったのだ。

 ――ステラが施した枷、ユウの安全のために施されていた『邪眼』までも解除していた。


「あっ……あがぁ…………こほっ」

「早く起き上がれ! 傷は回復しているだろうっ」


 ユウの掌打を腹部に喰らった騎士が、うつ伏せになったまま起き上がらない。他の騎士が無理やり起こすと、腹部に三十センチほどの深緑色の棘が刺さっていた。


「くそっ、毒だ。魔王め!!」

「すぐ引き抜かねば。少し我慢し――ぐあ゛ああぁぁ……っ!?」


 騎士の一人が棘を引き抜くのがきっかけであった。起爆装置を押したかのように、騎士の腹部が破裂して棘が飛び散ったのだ。周囲にいた騎士たちが爆発に巻き込まれ、また砕けた毒の棘が目や鎧に覆われていない箇所に突き刺さる。


「ま……まさか。これ全部が……そうなのか?」


 爆発に巻き込まれなかった騎士の眼前には、同じような棘が刺さった者たちの姿が数え切れぬほど転がっている。放置すれば毒によって死に、治療するには毒の棘を抜かなければならない。だが抜けば爆発し、周囲へ毒を撒き散らすのだ。

 この魔法はユウのオリジナルで暗黒魔法第2位階『毒根爆雷バリズン』。対象のMPを糧に体内に根を張り、引き抜くと爆発する非人道的な魔法であった。また対象のMPを使用することから、魔法を発動するユウ自身はわずかなMPで連続使用することができる。


「こんな…………こんなのどうしろってんだよ」


 どうすることもできずに、苦しむ仲間を前に騎士は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


「己っ! 恥を知れ!!」


 ユウの非道な行いに激高したシュテファンが、自身の怪我も顧みずに槍技を連発する。


「お前らに言われたくねえよ」

「ぬうっ。この程――なにっ!?」


 ユウの剣で肩を斬り裂かれたシュテファンであったが、その傷も魔力の糸を通じて送られてくる回復魔法で瞬く間に治っていく。だが、シュテファンが驚いたのは、ユウの傷も同じように回復したからである。


(再生? 自身で回復魔法を――いや、違うっ!)


「お前らだけズルいだろ? 俺にもわけろよ」


 ユウの身体と魔力の糸が繋がっていた。


「ぬおおおおおっ!? なにをしておる!! 魔王に掠め取られておるぞ!!」

「後衛へ伝えよ!」

「これでは魔王に援護しているようなものだぞ!」


 シュテファンの声に部下たちが反応するが、一方の後衛たちにはどうすることもできなかった。ユウと戦う一万もの兵に絶えず回復魔法や付与魔法を送り続けているのだ。ユウ一人だけを避けて供給することなど、至難どころの話ではない。


「この盗人がっ!!」


 ドロスが蹴りでユウの身体から出ている魔力の糸を切断する。


「ああ。誰かと思えば、逃げたんじゃなかったのか?」

「誰が逃げたって!!」

「いかん! ドロス、乗せられるな!!」


 シュテファンの忠告を無視して、ドロスはユウに近づいていく。


「だりゃっ!」


 ドロスが右の中段突き、崩拳を放つ。空気を巻き込みながら、躱すユウの左脇腹に熱のような痛みが走る。

 ユウとドロスがすれ違う際に、ユウは地面を右足で踏む。その足元を中心に地面が凍りついていく。黒魔法第2位階『アイスバーン』である。地面を覆っていく氷がドロスの足まで延びていく。


「うぜえっ!」


 ドロスが大地を踏み鳴らす。武技LV1『震脚しんきゃく』である。氷が砕け散り、美しき氷の結晶が宙へ舞い上がる。振動は大地からユウへ伝わり動きを封じる――はずであった。


「クソガキがっ! 素直に喰らっとけやっ!!」


 寸前で宙へ飛び跳ねて躱したユウへ、ドロスが追撃の拳を繰り出すが、それよりも速くユウは剣技『閃光』と『闘刃』を放つ。


(この野郎っ。同時に二つの剣技を!)


 横薙ぎの『閃光』を、ドロスは身体を引いて躱す。遅れて『闘刃』がドロスの首を狙う。ドロスはさらに身体を引いて躱そうとするも、剣の刃が――闘気によって創られた刃が伸びて首にまで届く。


「くそったれがああああっ!!」


 たまらずドロスは大きく後方へ飛び退く――だが、ユウもドロスを追うように跳躍していた。


「『聖拳・・』が逃げんなよ」

「ひっ」


 悲鳴は自らの死を悟ったゆえか。ドロスの口から強者にあるまじき声が漏れ出る。ドロスの顔目掛けて死の刃が振り下ろされる。誰もがドロスが死んだと思ったそのとき――赤き剣閃が、ユウとドロスを分断する。今一歩のところで邪魔されたユウが横目で確認すると、赤き剣閃が走った大地が割れ、炎が迸っていた。


「いつもの威力が出ぬな」


 あの状況でドロスの危機を救ったにもかかわらず、赤き剣を握る騎士は不満そうに呟く。


「やはり情報どおり、貴君の精霊剣は魔王と相性が悪いようだ」


 声に反応したユウが見上げると、頭上より青紫色の剣を振り下ろす騎士の姿が見えた。声がするまでユウが接近に気づけないうえに、その剣撃は躱せないほど鋭く、迅い一撃であった。


「ちっ」


 躱せないと判断したユウは、二本の剣を交差させて受ける。しかし、二本の剣はナイフで紙でも切るかのように、半ばから切断される。咄嗟に飛び退くも、ユウの左腕が肩の付け根から斬り落とされていた。


「気をつけたほうがいい。我が魔剣アロンダイトは万物を絶つからな」


 魔剣アロンダイトの一撃は剣だけでなく、ユウの纏う『闘技』すら抵抗なく斬り裂いたのだ。ユウの斬り落とされた左腕はパッシブスキル『高速再生』によって、元通りの姿を取り戻していく。


「ほほう、さすがは魔王よ。パーシヴァルの一撃を受けて、その程度の手傷で済ますか」


 突如、現れた背後の気配に、ユウは折れた剣を投げつける。その者はユウが放った投擲を苦もなく白金色の剣で弾く。だが、ユウは投擲したときにはすでに動き始めていた。騎士の目の前まで接近すると、剣の腹へ蹴りを放つ。しかし、ユウの蹴りを受けても剣は折れるどころか、わずかに曲がることすらしなかった。


「その程度では、私の聖剣デュランダルに傷一つつけることはできんよ」


 騎士はそう言うと、聖なる気を纏わせた剣で斬撃を放つ。聖剣技『聖流斬』である。咄嗟にユウは『闘技』から結界に切り替え防ぐが、それでも十ある結界のうち半分以上が斬り裂かれていた。


「随分と暴れ回っていたようだが、我らも相手していただこうか」


 聖剣デュランダルを構える『三剣』ガラハットの言葉を合図に、残る二人もユウへ襲いかかる。

 たった三名が参戦しただけで、ユウは再び劣勢に立たされることになる。


 精霊剣リアマ・コアを自在に操るラモラックが剣を振るうたびに、ユウの周囲から空気が奪われ、身体からは水分が蒸発していく。

 パーシヴァルが振るう魔剣アロンダイトは、一切の受けを許さない。一撃ごとにユウの身体のどこかしらが斬り取られていく。

 ガラハットは正統派の剣の使い手である。不壊の聖剣デュランダルと相まって、弱点らしい弱点がない。

 三人の剣士が一糸乱れぬ連携を取りながら『聖剣技』『剣技』『暗黒剣』の必殺の一撃を繰り出してくるのだ。


(こいつら三人とも、俺より剣の腕が上だっ)


「逃がさんっ!!」


 大楯を構えたセサルがユウの行く手に立ちはだかる。


「しつけえよ」


 セサルだけではない。シュテファンや他の騎士たちまでもが、戦意を漲らせてユウへ襲いかかる。『三剣』だけでも対処しきれていない今のユウにとっては、わずかな兵ですら負担となる。


「ぐっ……」


 そこへテオドーラからの負の付与魔法がユウに直撃する。


「正義の剣を受けよ!!」


 パーシヴァルが暗黒剣LV7『鬼哭魔刃斬り』を放つ。鬼も哭いて逃げ出す斬撃が、ユウの張り巡らす結界ごと両断する。身体が右鎖骨から腹部にかけて皮膚が裂け、肉が斬れ、臓腑が飛び出す。ユウは左手で臓腑を押し戻す。傷は再生されていくが、その傷が塞がる前にラモラックが精霊剣で腹を貫いた。


「魔王殿、体内から燃やされる気分はいかがかな?」


 精霊剣リアマ・コアには炎の精霊が宿っている。体内の血液が沸騰する音を聞きながら、ユウは左手に力を込める。その手をシュテファンの槍が貫く。ならば鎖骨を断たれて満足に動かぬ右手と思った矢先に、第四大隊の隊長の放った矢がそれを許さないとばかりに射抜いた。


「四肢を斬り離せば心もやがて折れよう!!」


 聖剣デュランダルを大きく振りかぶり跳躍するガラハットの姿が、ユウの視界に映る。


「魔王、討ち取っ――」


 ガラハットが聖剣デュランダルを今まさに振り下ろそうとしたその瞬間――あらぬ方向へ吹き飛ばされる。ジャーダルクの騎士たちの視線がガラハットではなく、斬撃・・が飛んできた方向へ集中する。

 包囲網が吹き飛んでいた。いや、正確には包囲網の一角である。包囲網を敷く重装騎兵の身体がバラバラに千切れて、そこかしこに散らばっている。

 だが、その惨状で一人だけ立っている者がいた。全身に矢を生やし、腕や足には折れた剣や槍が刺さったままである。

 ジャーダルクの騎士ではない。鎧が正式採用のモノではないから一目でそれはわかる。なにより騎士と呼ぶにはあまりにも品のないつらである。しかも、この男は聖戦と呼んでも過言ではないこの戦いで、鼻をほじりながら傲岸不遜な態度で周囲を見渡しているのだ。


「おう、おうおうおうーっ! 楽しそうなことをやってんじゃねえか。俺も混ぜろや!」


 偉そうに一方的に言い放つと、ジョゼフはにやりと笑った。

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