第298話 心を折る戦い
「ナマリ、マスターから返事は?」
「かえってこない」
ナマリの言葉を聞くなり、ラスの纏う魔力が苛立つように揺らぐ。
ユウの屋敷の居間には、ラスやナマリだけでなく、レナやマリファ、モモ、それにクロの姿があった。この場にいないティンたち奴隷メイド見習いは、カマーでニーナを捜しているために不在である。
「貴様はどうなのだっ!」
「ない」
「それでよくマスターの下僕を名乗れるものだな。この無能がっ」
「黙れ。お主こそ、なんのために普段から主の傍に仕えているのだ? 某が無能なら、お主は役立たずだ」
「ほう……。我が役立たずだと?」
「自覚がないようなら、某が教えてやろうか?」
「面白い」
ラスとクロ、双方から濃密な殺気が放たれる。殺気は二人の間でぶつかり合うと飛び散り、それが合図かのように二人は得物に手をかけるのだが――
「やめなさい」
それまで黙って瞑想するかのように、目を閉じていたマリファが言葉を発する。
「今は争っている場合ではありません」
自分に言い聞かせるようにマリファは呟く。その言葉にラスはマリファになにか言おうとするが、思いとどまって口を噤む。
重苦しい空気が室内を支配するのだが、そのとき玄関から能天気な声が居間にまで聞こえてくる。
「たっだいま~」
それはマリファたちが待ち望んでいたニーナの帰宅であった。
「ぬっふっふ~。ユウはどこかな? 完全に日は落ちてるし、勝負は私の勝ちだよ~」
笑うのを堪えきれぬ様子でニーナが居間に現れると、すぐさまユウの姿を捜す。しかし、マリファたちから漂うただならぬ雰囲気に、ニーナの顔から笑みが消え、無表情になる。
「ユウはどこ?」
ニーナの問いかけにマリファが口を開こうとするが、それよりも速くラスとクロはニーナの前に歩み寄り、そのまま跪く。
「ニーナ殿、どうか我らをマスターのもとへ」
自分に向かって跪き、頭を下げるラスとクロを見下ろしながら、ニーナはなにも聞かず、ただ――
「聞いてない」
――とだけ呟き、すぐさま『影転移』を発動する。自らの影に吸い込まれるように、ニーナの身体が沈んでいくのだが、膝の辺りで弾かれるように影から飛び出す。
「そんな……」
『影転移』で登録した対象のもとへ移動するには、いくつかの条件がある。その一つに転移登録をした対象の影が一定以上の濃さが必要というものであった。つまり現在ユウが室内にいるとすれば、光源の弱い場所にいるということになる。そして――
レナとマリファが不安そうにニーナへ呼びかけるが、そんな二人の声を無視してニーナは窓辺へ駆け寄り、そのまま窓を開けて夜空を見上げると。
「月が――月が隠れている」
そして――ニーナにとって最悪な状況は、ユウが外にいることであった。よりにもよって、今宵は分厚い雲が空を覆い尽くし、わずかな月明かりすらない闇夜であった。
「らあ゛あ゛あああーいぃっ!!」
頭上より獣がごとき唸り声の気合とともに、剣を振りかぶる騎士の姿がユウの視界に入るが、それに気を取られているわけにはいかなかった。前後左右――否、四方八方より槍騎兵が刺突を放っていたからだ。
迫りくる槍をユウは腕を使って弾き、または身体を捻って躱していく。だが、完全には対処しきれずに、肩や太腿の一部が削られていく。肉と血が飛び散るその最中、宙より剣が振り下ろされるが、ユウは剣の腹へ横蹴りを放つ。普通なら衝撃で剣を手放しそうなものであるが、剣を握る騎士の握力が並みはずれているのか、剣が飛ばされることはなかった。代わりに衝撃を受けた手首から異音が発生した。騎士の手首から先がだらしなく垂れさがるも、それでも剣を放すことはない。
「チッ」
ユウは短く舌打ちをすると、騎士の手首を両手で掴んで剣を騎士へ向けて振り下ろす。
「ぬうっ……!」
騎士から短い苦鳴の声が漏れ出る。本来であれば、騎士の兜ごと頭部を叩き斬っていたはずの一撃は、右肩から先を斬り落としていた。ユウは気にもせずに、騎士の右腕がぶら下がったままの剣で背後へ突きを放つ。今度は間違いなく背後から隙を窺っていた槍騎兵の胸を貫いたはずの剣が、逸れて横っ腹を貫く。
聖国ジャーダルク聖騎士団は、ユウが負の付与魔法に慣れ始めたと見るや、三半規管や遠近感などを狂わす負の付与魔法を混ぜ始めたのだ。そのためユウは狙った箇所への攻撃を外し、または浅くなるのであった。
「捕らえたぞ!」
「こっちもだ!!」
ユウの左手首と右足首に、光り輝く鎖が繋がれる。聖騎士たちの放った神聖魔法第3位階『
「はああああああーっ!!」
右腕を失った騎士が傷口から血を撒き散らしながらユウに突っ込んでくると、そのまま残る左腕でユウの腰を抱えて動きを封じようとする。聖国ジャーダルクの騎士たちは、腕の一本くらい失ったところで戦意が落ちることはなかった。
「た、倒れないだとっ!?」
『聖光縛鎖』で腕や足を引っ張られ続けている状態で、騎士のタックルをまともに喰らったにもかかわらず、ユウは微動だにしない。
決死の覚悟でしがみつく騎士の首へ、右肘を叩きこもうとするユウの右前腕に矢が突き刺さる。直後に横から大楯を構えたセサルが、盾技『鉄壁』で全身を固めた状態で盾技LV4『シールドバースト』でユウを宙へ吹き飛ばす。
これである。
ユウが仕留めそこなった者たちへとどめを刺そうとすると、その度に『穿孔』シュテファン、『大楯のセサル』や弓兵隊の指揮を執る第四大隊の隊長が中心となって邪魔をするのだ。そのせいでユウは思うように数を減らすことができずにいた。
「鬱陶しいな」
セサルの大楯が当たる瞬間、後方に飛び退いたとはいえ、それでもユウの左橈骨、上腕骨、並びに肋骨にはヒビが入っていた。さらに宙を舞うユウ目掛けて、聖国ジャーダルク弓兵隊の放った矢が無数に追撃する。闇雲に放たれた矢ではない。一矢一矢がユウの急所へ吸い込まれるように迫る。動かぬモノならいざ知らず、戦闘を繰り広げるユウの動きを予測して放たれるのだからたまったものではない。
ユウは手にした剣で高速で飛来する矢を弾いていく。固有スキル『疾空無尽』で宙を駆けるユウがわずかに空を見上げれば、強力な結界が張り巡らされており、空に逃げることは能わないとわかった。
「引き摺り落とせ!」
「引けええっ!」
「はああ!!」
『聖光縛鎖』を操る聖騎士たちが、ユウを地へ戻そうと全身に力を込める。だが、それよりも速くユウは自分を縛る『聖光縛鎖』を剣で斬り離した。
「なんて奴だっ。『聖光縛鎖』を苦もなく斬りおった」
あるべきはずの抵抗がなく、全力で『聖光縛鎖』を引いた聖騎士たちの身体は一瞬だが死に体となる。
その隙を見逃すユウではない。空を蹴り、弾丸のように聖騎士たちへ突っ込んでいくのだが、その半ばで地面で叩き落とされる。最初にユウの結界や各種耐性をぶち抜いた者の仕業である。このいまだにユウが姿を見るどころか、居場所すら掴めない何者かは、要所要所でユウが一番嫌なタイミングで邪魔をしてくるのだ。
「ぐっ……」
身体を捻って足から着地したものの、自重を数十倍にされたユウの反応がわずかに遅れる。その刹那に数百の負の付与魔法がユウへ叩き込まれていく。
「ふむ。戦死者はどうなっておる?」
重装騎兵たちに護られたバラッシュが、従者の青年に報告を求める。
「はっ。現在で約二百四十名になります」
「処理は?」
そのバラッシュの言葉に、従者の青年の顔からは隠し切れない苦渋の感情が垣間見える。
「当初の取り決めに従い『浄炎』で処理しています」
これはユウが高位の死霊魔法を使うことから、死んだ者たちをアンデッド化させないために決められていたことであった。神聖魔法第2位階『浄炎』によって肉体および霊体を浄化するのだ。とはいえ『浄炎』を使用すると亡骸どころか遺髪すら残すことができない。聖戦の殉教者たちを、長年にわたって共に悪と戦ってきた者たちを、その英雄と称されてもおかしくない者たちを、家族のもとへ返すことができないのだ。バラッシュの従者を務める青年が苦渋の表情を浮かべるのも仕方がないと言えるだろう。
「すべての責は儂にある」
自分の心中を読んだかのようなバラッシュの言葉に、従者の青年が慌てて顔を上げる。
「バ、バラッシュ様っ」
「さて。お主から見て、魔王はどうじゃ?」
「恐ろしい存在の一言です。いえ、そんな生易しい言葉で表現していいものか。こちらをご覧ください」
そう言ってバラッシュへ従者の青年は手を差し出す。拳を広げると手のひらには一見、花の蕾のようにも見える黒い物体が載っていた。
「これは?」
「『漆黒の第七天魔王』が最初に放った『スチールブレット』です。ほとんどが『ウォーターウォール』にぶつかり砕け散りましたが、原形を保っている物があったので持ってきました。これも時間の経過とともに消えるでしょうが、魔王の恐ろしさの片鱗を知っていただくためにご用意しました」
「うーむ。儂が知る『スチールブレット』とは色も形も違うようじゃな」
「そのとおりです。この花の蕾にも似た弾丸は見た目ほど可愛い物ではありません。対象に接触、または体内で蕾が花開くように広がり、破裂することによって、通常の『スチールブレット』とは比較にならないほどの損傷を与える。より効率的に人体を壊すように構成された代物です。しかもわざわざ黒色にしているのです」
「この闇夜に合わせて魔王が黒色にしたと?」
「そう考えるべきでしょう」
従者の青年はそこまで言い切って、一度だけゆっくりと深呼吸をする。
「もし『漆黒の第七天魔王』の初手を予想できなければ、もし対策を練っていなければ、最初の攻撃で間違いなく数千にもおよぶ犠牲者がでていたでしょう。そうなっていれば、果たして包囲網が成功してい――」
バラッシュと従者の青年の耳に激しい衝突音が飛び込んでくる。二人が音の発生した方向へ視線を向けると、バラッシュを護る重装騎兵の一人が宙に舞っているのが目に映る。
「投擲だ!」
「油断するな。相手は魔王だぞっ!!」
慌ただしく動き回る重装騎兵たちの足元には、ひしゃげた盾と砕け散った剣の柄が転がっていた。
「バラッシュ様……」
「偶然ではない。儂を狙ったものであろうな」
「この状況でバラッシュ様のお命を狙うとはっ」
今も絶え間なく攻撃を受け続けているユウの姿に、恐怖と緊張から大量の冷や汗が、従者の青年の背中を滝のように伝っていく。
「兵の動きが悪いように見えるのう」
「魔王のパッシブスキル『威圧』によるものです。魔王よりレベルの低い者は強制的に能力が低下します」
「むう……。抵抗できるのは儂を含めて『三剣』くらいのものか」
「むしろ『威圧』で良かったと思うべきかと。これが上位スキルの『強圧』や『暴圧』であれば、想像するだけでゾッとします」
「まったくだ。この段階で魔王と戦えたことを、イリガミットに感謝せねば」
「それにしても魔王は『時空魔法』どころか『強奪』すら使ってきませんね」
「使わぬのではない。使えぬのよ」
「使えない……ですか?」
「うむ。『時空魔法』は使い手が少ないことから、いまだよくわかっておらぬ系統じゃが『詠唱破棄』のスキルを持っていてもすぐさまには発動しないことが判明しておる。学者連中は時間を操作することが関係しているのではないかと言っておったがの。『強奪』に関してはもっと単純じゃ。使うと成否にかかわらず、隙を生じる。一対一の戦いならいざ知らず。儂らを相手にその隙は致命傷となる。魔王もそれを理解しておるからこそ使えぬのよ」
激戦を繰り広げるユウを観察しながら、バラッシュは顎髭を撫でる。
「それも内通者からの情報によるものでしょうか?」
「うむ。焦る必要はない。存分に時間をかけよ。この戦は魔王の心を折ることこそが勝利と心得よ。
さて、そろそろ参戦させねば暴れかねんの。ドロスを送り込め」
「はっ! 第一拳剛遊撃隊を投入せよ!! 繰り返す!! 第一拳剛遊撃隊を投入せよ!!」
従者の青年の号令を待ちに待っていた者たちが、兵をかき分けながら前に出てくる。
「どけっ!」
「前を空けろ!!」
「第一拳剛遊撃隊が前に出る! 直ちに前を空けよ!」
第一拳剛遊撃隊は他の兵たちのように剣や槍、盾などを身に着けていなかった。革や特殊な加工を施された糸で編み込まれた布などで身を包み、一切の刃を身に着けず、己の肉体を武器に戦うのが拳剛遊撃隊の特徴である。
「や~っと、俺様の出番かよ」
両拳をぶつけて打ち鳴らし、『聖拳』ドロスは好戦的な笑みを浮かべる。
「ふぅっ、ふぅ~っ!」
両腕を失い、それでもユウの喉笛に喰らいつこうとする聖騎士の男の喉にユウの貫手が突き刺さる。いかに回復魔法を注がれ続けようと、死んでしまっては効果がない。喉から血を撒き散らしながら、聖騎士の男が地面に倒れる。
ユウの周辺を見れば、十を超える死体が転がっている。
「おいおいおい~。情けねえ連中だな」
ドロスが部下を引き連れてユウの前に姿を現す。
「なんだよ。お前みたいなクソガキが魔王だと? クッ……クハハッ! これじゃ魔王ってよりハリネズミじゃねえかっ!!」
ユウの全身には撃ち込まれた矢が無数に刺さったままである。見ようによってはドロスの言うようにハリネズミに見えなくもない。
「おう、魔王。俺様が『聖拳』ドロスだ」
ドロスが名乗るもユウは反応を示さない。というよりも無視している。
「おいっ。なんとか言えよ」
「『聖拳』なんて二つ名は初めて聞いたな。それよりもお前って馬鹿だろ?」
ドロスがペラペラ話している間は誰も攻撃を仕掛けてこないのだ。その間にユウは、自身にかけられた負の付与魔法を次々に上書きや解除していた。あまりの馬鹿さに、ユウはこれがなにかの罠じゃないかと疑うほどである。
一方、馬鹿にされたドロスのこめかみに青筋が浮かび上がる。
「相手してやれっ」
ドロスの号令に、第一拳剛遊撃隊の者たちが音もなく地を蹴る。ユウまでとの距離は十メートルほどであろうか。その距離を一足で詰める。
「せいやっ!」
研ぎ澄まされた拳打が、ユウの顔があった場所を通り過ぎていく。
「はあぁっ!」
別の男から蹴りが放たれる。右足を上げて防ぐユウに対して、残る左足を前後から刈り取る蹴りが迫る。狙いどおりに地を蹴って宙へ逃げるユウへ、全方向から蹴りが撃ち込まれる。
「手応えあり!!」
前面は腕で防いだユウであったが、脇腹や背中に撃ち込まれた蹴りがユウの身体へめり込んでいく。
第一拳剛遊撃隊は三十人ほどで構成される部隊である。入隊資格は『体術』レベルが最低6以上と非常に厳しい。その拳や蹴りは、一撃でオーガ程度であれば絶命させるほどの威力を誇る。
「もらった!!」
もはや崩れ落ちていくユウに反撃する力は残っていないと、第一拳剛遊撃隊の一人が右正拳突きを放つ。
「がは……っ!?」
その正拳突きにユウは自分の拳打を合わせた。互いの拳が真正面からまともにぶつかり合った結果、相手の拳は潰れ、砕けた骨が皮膚を突き破って飛び出る。すでに他の第一拳剛遊撃隊の者たちは、攻撃の体勢に移行している。拳を砕かれた男も痛みに怯まず、かかと落としを繰りだす。八名の達人による八方向からの同時攻撃である。
「なっ……ば、かなぁ」
「ごへぇっ」
八名の男が地へ崩れ落ちる。
ユウの手によるものである。格闘技LV5『八連突き』、一呼吸で八つの拳打を放つ技である。
「お、おのれっ!!」
残る第一拳剛遊撃隊がユウへ襲い掛かる。
「ごはっ」
蹴りを放った男に対して、ユウは躱しながら蹴りを顔へ叩き込む。鋼の棒で全身を殴って鍛え上げた鋼鉄の肉体が、たった一発の蹴りで意識を失い、糸が切れた操り人形のように地面へ倒れる。
「はあっ!!」
次の男は左肘打ちであった。ユウは下から上に拳を放つ。いわゆるアッパーカットで肘を叩き上げたのだ。そのまま勢いを殺さずに、アッパーカットから武技LV2『
次々にユウへ攻撃を仕掛けるも、どの者も相手にならない。組み手にすら持ち込めないのだ。
「し、信じられません。我ら第一拳剛遊撃隊の猛者が体術で後れをとるなどっ!?」
ドロスの横に控える副隊長が、目の前の光景を信じたくないように首を横に振る。
「ちっ。よその隊が見てる前で恥をかかせやがって」
ドロスは肩を鳴らしながら悠然と歩を進めていく。
「もったいつけて出てきた割には大したことないんだな」
二十名以上の第一拳剛遊撃隊が地に転がっていた。ほとんどの者がピクリとも動かない。確認するまでもなく絶命しているのだ。
「ほざけっ!」
ドロスが動いたと思った瞬間、すでにユウの懐にドロスの姿があった。
「どうした? そんな驚いた顔をして」
「適当なことを言うなよ」
「ハッハ~!」
ユウとドロスの間で、目にも止まらぬ組み手が始まる。いや、目にも止まらぬどころではない。目に映らないのだ。
「おっ、おっ、やるじゃねえかっ!」
さらにドロスの攻撃が迅くなる。徐々にではあるが、ユウがドロスの攻撃を躱しきれずに被弾していく。
「魔王さま~。どうしたどうした? 顔色が悪いぜっ! 調子でも悪いのかよ! ハッハ~!!」
いまだユウの身には、数十におよぶ負の付与魔法が残ったままである。しかも隙あらば矢や負の付与魔法が飛んでくるのだ。すべての力をドロス一人だけに注ぐわけにはいかなかった。
「死ねっ!」
右拳をドロスが放つ。狙いはユウの心臓である。先ほどと同じように、ユウはドロスの右拳に自身の拳打を合わせようとする。互いの拳が当たる瞬間、ドロスは拳を開いて掌へ変える。ドロスの掌がユウの左拳を包み込むと、乾いた音が鳴り響く。破壊の気が拳から骨を伝っていく音である。ドロスが放ったのは、武技LV6『浸透勁』。ユウの左拳は、一見するとなんともないように見えたが、実際は違う。左拳の骨は粉々に砕け――るだけにとどまらず、左肩までの骨が同じように砕け散っていた。
ニヤニヤと笑みを浮かべるドロスへ、ユウは反撃もせずに時が止まったかのように固まったままである。なにが起こったのか周囲にいる聖国ジャーダルクの騎士団ですら理解できずにいた。だが――
「見事っ! さすがは『聖拳』だ!!」
『穿孔』シュテファンをはじめとする一部の者は気づいていた。ドロスの左掌打がユウの腹部へ打ち込まれていることに。ただし、通常の掌打ではなく、ドロスの左掌打は親指が立てられていた。その親指はユウの
「あれれ~? 魔王ってこんなものなのかよ。
意趣返しとばかりに、ドロスがユウを煽る。
残る右腕でユウは裏拳を放つ。
「はっはあ~!!」
ドロスは躱しざまに、ユウの傷ついた臍を右拳で抉るように殴る。ユウの口から鮮血が宙へ霧のように舞い散る。
ユウが大きく後方へ飛び退く。それを許さぬとばかりに無数の矢が放たれる。
「魔王が逃げてんじゃねえよ!!」
獰猛な笑みを浮かべながら、ドロスがユウを追撃する。
ブエルコ盆地の外周を担当する三万の聖国ジャーダルクの騎士は、作戦開始より微塵の油断も見せずに任務を行っていた。これまで不運にも通りかかった旅人から魔物まで、すべて滞りなく処理されている。
「どうした?」
騎士の一人が突如、上空へ向かって矢を放ったことに、同僚の騎士が問いかける。
「仕留めたか?」
別の騎士は違う問いかけをする。
「ああ」
「さすがは第四大隊の隊長『射影殺』の高弟だけあるな」
「まさかこの闇夜の中、飛来するモノを?」
「そういうことだ。で、なんだった?」
「そこまではわからんよ。たぶん大型の怪鳥か魔鳥だろう。どちらにせよ、あの高さから墜落すれば命はないだろうな」
「違いない」と他の騎士たちが頷く。
これだけの芸当をしたにもかかわらず、大した騒ぎにならないのは日頃の訓練のたまものなのか、他の者たちも同様に常人をはるかに超える強者ゆえなのだろうか。どちらにせよ、ブエルコ盆地の外周を護るこの者たちには、一分の隙もないことだけは確かであった。
「何者かっ!!」
なにかを引き摺る音に騎士たちが反応する。音から察するにかなり大きなモノを引き摺る音である。
「答えぬかっ!!」
「もういい」
先ほど見事な弓の腕を見せた騎士が、闇に向かって矢を放つ。続けて二射、三射と。
「珍しいな。お前が続けて矢を放つなんて」
「当たってない」
「なに? そんなはず――」
そこまで言いかけて、騎士たちの視線は闇から姿を現した男に集中する。
「こら。お前か? 俺に矢を射かけてきたのは」
「ジョ……ジョゼフ・ヨルムだとっ!?」
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