第293話 天敵 後編
「コレット、今の聞いた? あの優男が勇者さまだって」
受付からユウたちのやり取りを見ていたレベッカが、横のコレットへ話しかける。
「レベッカさん、仕事中ですよ」
「まーたそんなお堅いこと言って。あんたって乙女っぽいところあるから、ああいう王子様みたいな優男が好みなんでしょ?」
「わ、私は、その、あの……王子様みたいな人じゃなくてもいいんです」
コレットは両手の人差し指で突き合いながら、ユウたちがいるほうへ視線を向ける。
「子供は二人か三人くらいほしいです。それで、それでですね? 一軒家で、大きくなくてもいんです。私も冒険者ギルドで働いていますから、二人で小さな家庭で普通の暮らしをしながら、子供を連れてお出かけしたり、たまにふっ、ふっ、二人っきりで……やだっ、恥ずかしい」
赤面したコレットが両手で顔を覆ってしまう。その様子を見ていたレベッカは「恥ずかしいのはこっちよ」と呟いて呆れている。
「そもそもあんたって、ユウが冒険者ギルドに預入している金額の報酬で、働かなくてもいいくらいのお金を持ってるんでしょ?」
「うっ」
幸せな妄想に浸っていたコレットは、途端に苦悶の表情を浮かべる。冒険者ギルドから支払われた報酬金のことは、できるだけ考えないようにしていたからである。自宅で保管するにはあまりにも大金すぎるために、安全を考えて冒険者ギルドに預けているのだ。
「コレット? はー、こりゃダメだわ」
石像のように固まってしまったコレットをよそに、レベッカは殺伐とした空気を漂わせるユウたちへ、目を向けるのであった。
「で、ここで殺り合うのか? それとも場所を変えるか?」
「やりあう……?」
ユウの口の悪さにショックを受けていたロイは気を取り直すと、ユウの言葉を確認するように繰り返す。
「君はなにか勘違いしていないか」
「勘違い? じゃあ、お前はなにしに来たんだよ」
訝しげな目で見るユウに対して、ロイは真顔になると。
「ユウ・サトウ、勇者にならないか?」
「ご主人様が――」
「……勇者?」
騒々しい冒険者ギルド内が一瞬静まり返り、そして――
「わははーっ!」
「ぶははっ!! 今の聞いたか?」
「聞いた聞いた。ユウが勇者? そりゃ無理だろ」
「くくっ。勇者といえば、品行方正だろう。そりゃユウとは正反対じゃねえか」
一斉に笑いの渦に包まれた。ユウとロイの会話を盗み聞きしていた冒険者たちが、堪えきれずに笑ったのだ。笑いこそしないものの、レナやマリファに冒険者ギルドの職員たちは驚きの表情を浮かべていた。しかし、この中で無反応の者が二人だけいた。一人はユウ、そしてニーナである。普段の豊かな表情はどこへやら、顔から一切の感情が抜け落ちたかのように、能面のような顔でニーナはロイを見つめていた。
「どうして笑うんだ」
周りの反応にロイは戸惑う。
「お前がよりによって、
「そうか……君はっ」
その言葉で、ロイはユウが自身の置かれている境遇を理解していると判断する。ならば勇者である自分に対して、攻撃的な態度を取るのもわかるというものであった。
そしてロイの中でユウの印象が変わっていく。口や態度こそとても好ましいものとは言えないが、この少年は自身の境遇に腐ることなく生きているのだと。
「いいや、おかしいことなんて一つもない。君は勇者になるべきだ」
「お前、頭は大丈夫か?」
これだけ拒絶しているにもかかわらず、好意的な目を向けてくるロイに、ユウは不快感を露にする。
「僕は至って正気だよ。
君はわずか数年でAランクになったそうだね。Aランク冒険者は資質があるだけでなれるような簡単なものじゃない。君がたゆまぬ努力をしてきたのは想像に難くない。その力を冒険者としてではなく、力なき者たちのために使うべきだ」
「勇者になって、人族のために働けってか?」
「種族に貴賎なし。僕は人族だけど種族の差別はしない。すべての弱き人たちが、少しでも幸せになれればという思いで勇者をやっている」
「俺が自分の力をなにに使おうが勝手だろう」
「力を持つ者の責務を果たすべきだ。天から授けられた力も、使いかたを誤れば大きな災いとなる。力なき人々のために、正義のために、正しく使うべきだ」
感情を抑えようとすればするほど、話せば話すほど、ユウは怒りが心の奥底から湧いてくる。
「赤の他人のために自分を犠牲にするなんて馬鹿がすることだ。誰が勇者になんてなるかよ。勇者なんてクソ以下の存在だ」
あまりにも辛辣なユウの言葉に、周囲の者たちが思わず息を飲み込む。
「今日のユウちゃんは、いつにも増して過激ね。そこが魅力的なところでもあるんだけどね。まあ、相手が勇者じゃ、しょうがないわよね」
休憩から戻ってきたフィーフィが、コレットとレベッカの間に立つ。
「フィーフィさん、どういう意味ですか?」
「ん? なにがよ」
「しょうがないって」
コレットの疑問にフィーフィは困ったような表情を浮かべて、少し考え込むのだが「ま、言ってもいいか」と軽い調子で話し始める。
「コレット、あのユウちゃんたちを遠巻きに見ている連中の顔を見てみなさいよ。何人かは熱の篭った瞳で勇者を見てるでしょ?」
コレットが冒険者ギルド内を見渡すと、フィーフィの言う通り冒険者たちのなかに、熱心に視線を送る者たちがいた。その視線の先にいるのはロイである。
「最初は勇者のことを馬鹿にしていた連中が、わずかな間に心酔し始めてるのよ。それって怖いことだと思わない? 勇者は自覚のあるなしにかかわらず、人を惹きつけるのよ。そのせいで今までどれだけ多くの冒険者が命を落としたか。冒険者ギルドからすれば、たまったものじゃないわ。だから私としては、勇者ロイ・ブオムにはカマーから早く出ていってほしいのよ。でもユウちゃんはさすがよね。あの様子なら大丈夫だわ」
カウンター業務をこなしながら、嬉しそうにフィーフィは話す。
「もし、ユウさんが勇者に惹かれていたら、フィーフィさんはどうするつもりだったんですか?」
ふと気になって、コレットがフィーフィに尋ねる。
「知りたい?」
普段の怠け者な姿からは想像もできないほど怖い顔で、フィーフィがコレットに尋ね返す。
「い、いえ……忘れてください」
「コレット、覚えておきなさい。勇者なんてろくなもんじゃないわよ」
黙って話を聞いていたレベッカは肩を竦めて、ユウたちへ視線を向けるのであった。
「取り消すんだ」
ロイの言葉には明らかな怒気が含まれていた。
「取り消す? なにをだよ」
「君の境遇を考えれば、僕を嫌うのは仕方がないことだと、これでも理解しているつもりだ。だけど勇者を不当に貶めるようなことを言うのは許せない」
「許せなかったらどうする?」
濃密な殺気を放つユウに対して、ロイは一歩も引かずに殺気を受け止める。遠巻きに見ていた冒険者たちは、危険から身を遠ざけるように距離を取った。
「歴代の勇者たちは、勇者という重圧に耐えながら最期まで己の信念を貫き、力なき民のために命を顧みず戦い抜いた方たちだ。なにも知らず侮辱するのはやめるんだ」
「『双迅の勇者』イーサン、二十三歳。『山津波の勇者』ファーガス、二十九歳。『風天』アーニー、十八歳。『花葬剣』ゾーィ、十六歳。『火砲拳』ギャレット、三十一歳。『聖斧の勇者』ガストン――」
次々にユウは勇者の名前と亡くなった際の年齢を述べていく。
「俺がなにも知らないだと? 俺のほうが、お前よりよっぽど勇者のことを知っているつもりだ。どいつもこいつも国に使い潰されて早死にしてるじゃないか。勇者なんて戦奴隷と変わらない。いや、戦奴隷はやむをえない理由がある分、まだまともだな。自分から好き好んで戦奴隷になる勇者と呼ばれる連中なんて、俺から言わせれば頭がおかしい大馬鹿だ」
「違うっ。勇者は確かにその過酷な生き様から早世することが多いのは事実だ。だけど、国に使われてなどいない。皆、自分の信念をもとに生きている」
「まるで自分に言い聞かせているみたいだな」
「なっ」
ロイはすぐに言い返せなかった。
「とにかくこのような場ではなく、別の場所で改めて話し合いたい」
「失礼なことを言うなよ。ここは自分の仕事に誇りと命を懸けている冒険者が集う場所だ」
「僕が冒険者たちを侮辱する意味で言っていないことくらい、君ならわかっているはずだ」
「どうだろうな。誠実な振りをして、俺を騙そうとしているのかもしれないしな」
「僕がそんな卑劣な真似をするとでもっ」
「じゃあ第三次聖魔大戦で、お前の言葉を信じてどれだけの冒険者が騙されて死んだのかを教えてくれよ。大勢の冒険者が、お前の言葉に耳を貸し、冒険そっちのけで魔王の軍勢に挑んだそうじゃないか」
思わずロイは拳を握り締める。
「騙してなんかいない。皆、世界の平和のために命を懸けて戦ったんだ。その尊い犠牲があったからこそ今の世がある。サトウ、僕を信じてほしい」
「世界の平和のためにか……嘘くさいな」
「僕は――」
そのとき、ロイの腰にある剣から稲光と雷鳴のような咆哮が冒険者ギルド内に響く。冒険者ギルドの職員が、慌てて耳を押さえるほどの大音量であった。ロイは怒りを抑えつけるように、そっと剣に手を添える。
「お前は『パンドラの勇者』『悲劇の勇者』以外に『雷鳴の勇者』って呼ばれているらしいな」
「それが?」
「トネール山脈の雷竜を倒したことからついた二つ名が『雷鳴の勇者』。名ありの竜だったそうじゃないか。なんで殺したんだ? 名を持つ竜だ。言葉を話せたんじゃないのか?」
「それは…………。魔王の侵攻から民を守るためには、どうしても……トネール山脈を越える必要があったんだ。だけど、
ロイは言い淀む。
「彼女? 雷竜は雌で卵でも護っていたのか? それとも幼竜が孵っていたのか?」
完全にロイは黙り込んでしまう。その表情はどこか苦痛で歪んでいるようにも見えた。
「言えないなら俺が言ってやる。お前はトネール山脈を越えるために、卵を護っていた雷竜ルオ・ゴレニカを殺したんだ」
「き、君は……知っていてっ」
「ああ、知っていたさ。勇者のことはお前より知っているって言っただろ。それにしても卵を護っていた雷竜をよく殺せるよな。親がいなくなった雷竜の卵はどうするんだって話だ」
「卵は……信頼できる国に預けている」
「親を殺しておいて、卵は預けているか。大した勇者さまもいたもんだ。その剣は雷竜ルオ・ゴレニカの素材で作ったもんだろ? 恥ずかしくないのか? 俺にはその剣の咆哮が、お前への怨嗟に聞こえるぞ。ああ、さっき誰だったか忘れたんだけど、種族に貴賎なしなんて綺麗ごとを抜かしている奴がいたんだった」
ロイはなにも言い返さずに、黙ってユウの罵りを受け入れる。
「お前が雷竜にしたことはなんなんだろうな。差別じゃなく区別か? なにが信じてくれだ。嘘つき野郎がっ」
ただ黙って、ロイは拳を強く握り締めた。
「俺の目の前から消えろ」
「それでもユウ・サトウ、君と話がしたい」
「今度は雷竜じゃなく、俺を殺す話でもしたいのか?」
「君はっ」
「なんだよその目は? やっと殺る気になったのか。
握り締めていたロイの拳から力が抜け、目を見開いてユウを見つめる。
「
これ以上は関係を悪化させるだけだと、ロイはアイテムポーチから一枚の封筒を取り出す。
「あとで中身を確認してほしい」
「いらない」
封筒を受け取ろうとしないユウの耳元でロイが囁く。
「待っている」
ロイはユウに封筒を握らせると、そのまま冒険者ギルドをあとにする。
「なんだよ。これで終わりかよ」
「やり合うのかと思ったのになー」
「あー、でも結構おもし――うおっ」
「な、なんだっ。ちょっ、これまずっ!?」
駆け出しの冒険者たちが、その場で腰を抜かして座り込む。中堅の冒険者たちは机や柱の陰に飛び退き、一部の上級冒険者は驚いた顔でユウを凝視する。
ユウから殺気が放たれたわけではない。ただ、一秒でも早くこの場から遠ざかりたい衝動に駆られたのだ。
「ユウ?」
ニーナが声をかけても、ユウは反応を示さない。見ればロイから渡された封筒を握り潰していた。
「ユウってば」
「…………あ? なんだよ」
再度、呼びかけたニーナの声で、やっとユウは返事する。
「そろそろ迷宮に行かないの?」
「行かない」
「え~、『妖樹園の迷宮』にアガフォンくんたちの様子を見に行くって言ってたのに~」
「中止だ」
ぶーぶー言うニーナをよそに、ユウはなにやら考え込む。その表情からわかるのは、怒っているわけではないということであった。
「ご主人様、私のほうで処分しておきます」
そう言うと、マリファは封筒を握るユウの手に向かって両手を差し出すのだが。
「いや、いい。それより今日は解散だ」
ユウは封筒をアイテムポーチへ突っ込むと、そのまま冒険者ギルドの出口へ向かう。
「お待ちください。私もお供します」
慌ててマリファが、あとを追いかけようとするのだが。
「来なくていい」
ユウの命令にマリファが逆らえるはずもなく、マリファはその場で立ち尽くす。
「ニーナさんっ」
「あっ。私、大事な用を思い出した~」
マリファの頼み事を聞かずに、ニーナは軽い足取りで冒険者ギルドから出ていく。
「レナっ。今からでも遅くありません。ご主人様を追いかけてください!」
「……ユウも一人になりたいときがある」
「くっ……」
こんなときに限って、いつもついてくるナマリとモモがなぜいないのかと、マリファは唇を噛み締める。
あのとき、確かにマリファは聞いたのだ。ロイがユウの耳元で――
――と囁いたのを。
「いらっしゃい! さあさあ~、今日は新鮮なビッグボーの肉が入ってるよ~!」
「この魔道具をご覧ください。東のセット共和国より取り寄せた――」
「お兄さん、アプリの実から作ったジュースはいかがかしら? 今なら一杯八十マドカですよ」
今日も多くの人々が行き交う都市カマーの大通りを、ユウは歩いていた。どこかを目指しているわけでも、なにか目的があるわけでもない。自分の感情と考えを纏めるために、雑踏の中を歩いているのだ。
「ようっ」
一人のローブを纏った男がユウに声をかける。見慣れぬ男だと、無視しようとしたユウであったが。
「付与士のおっさんか」
『ゴルゴの迷宮』の入り口で、冒険者を相手に付与魔法で小銭を稼いでいた男だと思い出す。
「悪いけど、今は忙しいんだ」
男の横を素通りしようとするユウであったが――
「
――ユウの足がピタリと止まる。そのまま男を――アンスガー・フォッドを睨みつける。
「おー、怖えな」
「今日は本当にイラつく日だな」
「まーそう言うなよ。どこか静かな場所で、飯でも食いながら話そうぜ」
敵意の篭ったユウの視線を受けながら、アンスガーはニッ、と笑みを浮かべるのであった。
「想像していたより遥かに恐ろしい少年だったな」
鋼鉄のガントレットに右手で触れながらロイは呟く。
冒険者ギルドを出たロイは、そのまま都市カマーの北門より外に出ていた。北門から続く道を歩くロイの目的地は、当初の予定どおりジンバ王国にあるブエルコ盆地である。
しばらく進むと、途中で道が分岐している。行商人や旅人のほとんどが王道へ続く右の道を選ぶのだが、ロイは王道へと続く道ではなく、人通りの少ない左の道を選ぶ。人の姿がぽつりぽつりと減っていき、やがて道を歩いているのはロイ一人だけとなる。
ふとロイは嗅ぎなれた匂いに足を止める。血の匂いだ。それに腐臭や汚物の臭いが混じっていた。道から外れて血の臭いがする森の方向へ向かって進むと、そこには二メートルを超える大男が立っていた。大男の周囲には、少なくとも十人以上の手や足に胴体が散乱していた。
「――ジョゼフさんっ」
「おっ。やっと来やがったか」
「これはどういうことですか?」
「どうもこうも、こいつらはジャーダルクの諜報機関ブロッコリだ」
「
「あ? そんな名前だったか。俺は興味ねえことは覚えれないんだよなぁ」
頭を掻きながら近づいてくるジョゼフに、ロイは思わず鋼鉄のガントレットを握り締める。
「どうした? そんな警戒しなくてもいいだろうが、一時はパーティーを組んでいた仲じゃねえか」
どう見てもジョゼフだ。しかし、ロイは目の前の人物が本当に自分が知るジョゼフ・ヨルムとは思えなかった。それほど、あまりにも印象が違うのだ。パーティーを組んでいた際に、ジョゼフが自分に対してこんな笑顔を浮かべた姿など一度たりともない。それどころかジョゼフに半殺しにされたことは数知れず、両の指でも足りないほどだ。
「どうして殺したんですか?」
「どうしてもなにも。俺は今ムッスって貴族のところで世話になってるんだが、その領内でジャーダルクの諜報員がうろついていれば、そりゃ調べるだろう? まあ、見てのとおり。こいつらが素直に話すわけがないから処分しただけだ」
「本当に殺す必要があったんですかっ」
ロイの非難するような問いかけに、ジョゼフは小指で耳をほじり興味なさそうである。いつものロイなら、ここからさらに強い言葉で諭すのだが、その言葉が続かない。
「まだそんな甘っちょろいことを言ってんのか。年を食って変わったのは外見だけか? それよりお前に聞きたいことがあったんだよ。こいつらはどうやら別々の目的があったみたいだ。その目的ってのに、お前がかかわってるんじゃないかと、俺は睨んでいるんだがどう思うよ?」
「心当たりがありませんね」
自然に答えたつもりだが、ロイは自分の心臓の鼓動がジョゼフに聞こえていないかと不安になる。
「ほーん。で、お前はなにしにカマーまで来たんだ?」
気さくに話しかけてくるジョゼフであったが、反比例するかのように圧力が増していく。それは思わずロイが後退るほどである。
「ユウ・サトウ――」
その名前を出した瞬間に、ジョゼフがロイの首に右腕を回す。それだけでロイは身動きできなくなる。
「おう、詳しく教えろや」
「詳しくもなにも、有能な人材がいると聞いてカマーに寄っただけですよ。ジョゼフさんも知ってのとおり、僕は放浪の旅を続けていますからね」
「それで?」
「勇者にならないかと誘ってみました」
ほんのわずかだが、自分の首に回したジョゼフの腕から力が抜けるのをロイは感じた。
「ほー、ユウを勇者にねえ」
「その様子だと、ジョゼフさんもサトウと面識があるようですね」
「おう。俺が可愛がっている奴なんだよ。まーたこれが素直じゃない奴でな? どうにも放っておけないんだよ」
ガハハッ、と笑いながら、ジョゼフはロイの首に回した右腕で胸を叩く。
「ジョゼフさんの言うとおり、素直じゃない少年でした。勇者にも興味がないようで、手厳しく断られましたよ」
「ワハハッ! そうだろ? ユウが勇者なんて向いてねえからな。それにあいつは国を創って、王様をやってるらしいんだ。忙しくて勇者どころじゃねえだろ」
「国を創った?」
「なんだ知らなかったのか。獣人や堕苦族にドワーフ……じゃねえな。そう、魔落族と魔人族なんかを集めて、ネームレスって国を創ったんだとよ。ムッスに聞くまで俺も知らなかったんだぜ。どう思うよ、俺に一言くらいあってもいいと思わねえか?」
「堕苦族に魔落族、それは小人族やドワーフからも虐げられている」
「なんかそうらしいな。そんな連中を集めたのか拾ったのか。わざわざ面倒を引き受けなくても――」
ジョゼフの言葉がロイの耳を通り抜けていく。それよりもユウが、あれほど勇者を、他者のために犠牲になることを馬鹿にしていた少年が、弱き者たちのために国を創っていたことに、ロイは強く感情を揺さぶられる。感動のあまり目頭が熱くなるほどであった。
「やはり僕がユウ・サトウを勇者に誘ったことは、間違っていなかったということですね」
「あん? あいつは勇者なんてやらねえぞ」
「それはどうでしょうか。人の心は変わるものですよ。では、僕は急ぐので――」
ジョゼフの腕を払い除けると、ロイは足早に去ろうとするのだが。
「待てよ」
その背にジョゼフが声をかける。
「なんでしょうか」
振り返りもせずにロイが返事をする。
「最初からユウが目的で、ウードン王国に来たわけじゃねえんだよな?」
「ええ、それがなにか?」
「俺に嘘をついた連中がどうなったか、お前は知っているよな?」
「誰よりも知っていますよ」
ロイは無意識のうちに鋼鉄のガントレットを右手で強く握り締める。ジョゼフから放たれる圧力が爆発的に強まっていた。
ロイがジョゼフから感じているモノ、それは本来であれば目を逸らしてはいけない、勇者が立ち向かわなくてはいけないモノであった。すなわち『恐怖』である。
「こっち向いて答えろよ」
ゆっくりとロイは振り返る。細心の注意を払い、わずかな疑心も持たれぬように。
「これでいいですか?」
平静を装ってロイはジョゼフと目を合わせる。わずかな隙を見せることも、目を逸らすことも許されない。ジョゼフが論理ではなく、勘で判断することを知っていたからだ。
「用が済んだのなら僕は行きますよ」
「ああ、呼び止めて悪かったな」
言葉とは裏腹に悪びれもせずジョゼフはそう言うと、カマーに向かって歩いていく。ジョゼフの姿が見えなくなっても、ロイは気を抜かずに道を進む。息をついたのは数時間も経ってからである。それも隠れるように道から外れた森の中に入って、全身から滴り落ちる汗に塗れながらだ。
「ハァハァッ……。あの人、昔と少しも変わっていないじゃないか」
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