第292話 天敵 前編

「『パンドラの勇者』がカマーへ到着したと、先ほど連絡がありました」


 暗闇の中に男の声が響く。どこにいるのかは、声からは特定できなかった。


「おお……そうか。もう少し時間がかかるものかと思っておったが、それは重畳だ」


 男の報告を受け、枢機卿バタイユは書類作業の手を止める。机の上に置かれた明かりを発する魔道具が、バタイユの顔を照らす。


「このままで、よろしいので?」

「このままとは?」

「バタイユ様の命により、我々は勇者とサトウを見張っているだけです」

「不満か?」

「いえ、決してそのようなことはございません」


 言葉とは裏腹に、男の声には「なぜ?」という疑問の感情が込められていた。


「心配せずとも古来より勇者と魔王は相容れぬ存在。お主らが周りにいるだけで、こちらがなにもせずともサトウのほうで勝手に邪推してくれおるわ」

「『パンドラの勇者』は、こちらの思惑どおりにサトウと戦うでしょうか?」

「くははっ。戦わないのであれば、それはそれで構わない」


 暗闇の中から声は返ってこなかった。ただ、見えなくとも動揺しているのを、バタイユは感じ取っていた。


「知らなかったのか? 私は巷では『裏の教王』『血に飢えた狂信者』『イリガミット教団の猟犬』などと酷い言われようだが、元来あまり手の込んだ策謀は好かん。聖国ジャーダルクの枢機卿として、国のため、教団のために手を汚してきたことは否定せんがね」


 暗闇からわずかだが、空気が緩む雰囲気が漂ってくる。


「それに民草もわかりやすい勧善懲悪を求めておる。『パンドラの勇者』とサトウが戦わぬのであれば、オリヴィエが進めておる捕獲計画でも構わんのだよ」

「仰るとおり」

「だが、仮にオリヴィエめが上手くサトウをおびき出すことができようとも、バラッシュ率いる聖騎士団も無傷では済むまい。ならば私は魔王が無事に封印できたことを、聖国ジャーダルクの手柄として大々的に民草へ伝え、また大きな犠牲を出したオリヴィエめに責任を取らせるまでだ。オリヴィエめは私が長い年月をかけて進めていた『魔王降臨計画』を、横から掻っ攫ったのだ。これくらいのことをしても、イリガミット様は罰を与えまい。とはいえ、備えをするのに越したことはない。ベシエールからの返事はどうなっておる?」

「タモス殿より、お会いになられると返事がありました」


 闇の中から別の男の声で返事が返ってきた。


「ふむ。わざわざタモスに返答させずとも、自ら答えればいいものを。相も変わらず回りくどい男よの。それで頼んでおいた人材はどうなっておる?」

「現在で三名確保できています。何れも『誘惑』『魅了』を解除できる強力な固有スキルを保有しています」

「うむ、よろしい。だが、最低でも五人はほしいところだ」

「かしこまりました」


 配下からの報告に気をよくしたのか、バタイユが書類作業を再開する。小気味よい羽根ペンの走る音が、部屋に響く。


「悪い知らせが一点」

「申せ」

「行方を追っていたアンスガー・フォッドですが、どうやらカマーへ逃げ込んだもよう。ですが手傷を負わせているので、捕縛するのも時間の問題かと」

「生かしたまま捕縛し、ステラ・フォッドの亡骸を奪い返せ」

「お任せを」


 滑らかに走っていた羽根ペンに余計な力が込められたからか、わずかに乱雑な音が混じる。


「そもそもステラが私を裏切らなければ『魔王降臨計画』をオリヴィエに掻っ攫われることもなかったのだ。聖者から見限られ、持って生まれた忌まわしき『邪眼』ゆえに、どの派閥からも疎まれておったところを、この私が拾ってやったにもかかわらず、その恩を仇で返すなどっ」


 不愉快そうにバタイユが羽根ペンを机に置く。そして机の端に置かれている水差しを持つと、そのままクリスタルグラスに水を注ぐ。


「よりにもよって人柱サトウなどに情を持つなど。聖者の血を引くとは言っても、所詮は子を孕むこともできぬ量産品ということか」


 忌々しいと呟いて、バタイユは水を飲み干す。


「いかん、いかんな。年を取ると、どうも怒りっぽくなってしまう。だが、ステラにどのような事情があったにせよ、枢機卿である私を裏切ったのは事実だ。私を裏切るということは、聖国ジャーダルクへ刃を向けるも同義だと、ステラもよく知ってのことであろう。罪は罪、贖罪はしてもらわんとな」

「必ずや、大司教ステラの亡骸を手に入れ、バタイユ様のもとへお持ちします」

「うむ、頼んだぞ」


 複数の気配が次々に消えていく。部屋に残るバタイユはしばらく闇を見つめ、やがて書類作業を再開するのであった。




「ユウ~、なんか怒ってる?」

「怒ってない」


 恐る恐る尋ねるニーナに、ユウは素っ気なく返す。朝からユウは、いや正しくは昨日スラム街にある孤児院から戻ってきてから、ずっと機嫌が悪いのだ。それは今いる冒険者ギルドに来てからも変わらない。その証拠に、いつもならニーナたちの周りに群がってくる冒険者たちも、ユウの機嫌を察してか近寄ってこない。


「え~、絶対になにか怒ってるよ~」


 そう言って、事情を知っていそうなマリファを見るニーナであったが、先ほどからマリファはオロオロするばかりで役に立たない。その姿からは、普段『氷の瞳』『冷血女王』『冷酷姫』などの、冒険者たちから畏怖を込められて、また一部の者たちからは恍惚の表情で呼ばれる姿は、欠片も感じ取ることはできない。


「チッ、なんだよユウの野郎。あんなピリピリしてたら近づけやしねえだろうがっ」

「ハハハッ。まあ、そんな怒るなって。ラリットがいれば、どうにかなるんだろうけどな。ラリットは斥候職の腕よりも、パーティーやクランの和を上手くコントロールするのに長けてるよな。よそのクランが勧誘したがるわけだ」

「そのラリットも『妖樹園の迷宮』に潜ってていねえしよ」


 遠巻きにユウたちを見ていた冒険者たちが談笑する。都市カマー冒険者ギルドは相変わらず盛況で、入れ替わり立ち替わり多くの冒険者が出入りしている。


「ん? 見ねえつらだな」

「新入りなんざ珍しくもなんともねえだろ。ここは都市カマーだぜ?」

「そりゃそうなんだが……」


 男は冒険者ギルドに入ってきた人族の青年に目を惹かれる。金髪に細身だが鍛えられた肉体、額当てや軽鎧に腰にぶら下げた剣は一目で業物とわかる逸品である。靴や装飾も同様で、背中からわずかに見える盾も恐らくは他の装備品に引けを取らないモノであろう。にもかかわらず腕に身に着けているのは鋼鉄のガントレットとちぐはぐであった。

 早速、青年に対して駆け出しの冒険者たちが、好戦的な目や挑発するような仕草をする。中堅の冒険者たちは歩き方や重心、穏やかな表情とは裏腹に、隙のない佇まいに青年が只者でないと見抜き、何者なのかを賭けて、予想を始める。

 青年は入口から少し進んだところで周囲を一瞥すると、真っ直ぐにユウのもとへ足を進める。それだけで冒険者ギルドにいる者たちは、なにか面白いことが確実に起きると予想する。


「その黒い髪、君がユウ・サトウであっているかな。冒険者ギルドに行けば会えると聞いて、こうして足を運んできたかいがあったよ」


 青年――ロイ・ブオムは、朗らかに話しかける。だが、ユウが取った態度は無視である。一点を見つめたまま、ずっと考え込んでいるのだ。しかし、そんな態度を取られたにもかかわらず、ロイは不快な表情を浮かべるどころか――


「これは失礼。僕の名前はロイ・ブオム、これでも勇者と呼ばれている」


 ロイは笑顔で名乗る。

 ニーナは目を見開き、レナは読んでいた本からわずかに視線をロイへ移す。マリファは相変わらずユウの傍でオロオロしている。


「よっしゃ! 当たったぜ!!」

「クソッ」

「あ~あ、あんな早く名乗るとはな」

「あれが『雷鳴の勇者』か」

「噂じゃ雷より速く剣を振るうそうだぜ」


 そこかしこのテーブルで、喜ぶ冒険者や悔しがる冒険者の大きな声が聞こえてくる。なにをそんなに騒ぐことがあるのかと、ロイが不思議そうにしていると。


「あそこのテーブルの連中は、お前が何者かを。向こうの連中は、お前が最初から勇者と気づいていて、いつ勇者と名乗るかを賭けていた」


 ユウから説明されても、ロイは暫し思考が追いつかない。


「僕で……賭けをしていたのか?」


 信じられないといった表情で、ロイは騒ぐ冒険者たちを見る。


「なんて失礼な人たちなんだ」

「そう怒るなよ。俺も驚いた。まさか会って早々に、自分は勇者ですって自慢されるとはな」


 ユウはロイと目も合わせずに淡々と話す。


「僕は勇者を自慢したつもりはない。それより君と話がしたい」

「俺はお前と話すことなんてない」

「なぜ?」


 どうしてユウが自分との話を断るのかと、心の底からロイは驚いた。ロイは断られた経験がないのだ。特に勇者と呼ばれるようになってからは。


「ユウ、ダメだよ~。そんな冷たくしちゃ。勇者さま、私の名前はニーナ・レバです」


 ニーナがユウに「ほら、ユウも自己紹介しなきゃ」と促すのだが、ユウは頑なに態度を変えない。すると、レナが読んでいた本を閉じて、椅子から立ち上がる。


「……私こそ魔法を愛し、魔法に愛されし、すべての魔法を極めし者、誰が呼んだか超天才魔術師レナ・フォーマ」


 誰が呼んだもなにも、レナが勝手に名乗っているだけである。杖を掲げて決めポーズを取ると、一部の冒険者が「うおおっ!」と興奮して騒ぎ、冒険者ギルドの職員に注意される。


「申し訳ない。寡聞にして知らないが、さぞ高名な魔術師殿とお見受けします」


 散々にかっこつけて名乗ったにもかかわらず、ロイに知らないと言われたレナは赤っ恥である。そこかしこから聞こえてくる笑い声に、レナの掲げた杖が小刻みに震えているようにも見える。レナは椅子に座り直すと、いつもより深く帽子を被り、何事もなかったかのように読書を再開する。


「そちらのお嬢さんは?」


 レナへ穏やかな目を向けていたロイが、次にマリファへ視線を向けるのだが。


「あ、あの……君の名をお聞きしても?」


 マリファはロイにまったく興味がないようで、氷のような冷たい目でロイを一瞥すると、すぐにユウの傍でまたオロオロしだす。これに一部の冒険者が「ざまあみろっ」「さすがお姉さまです」といった声が聞こえてくる。

 ロイは気を取り直して、ユウの言葉を待つのだが。


「お前、いつまでいるんだ?」

「僕は名乗った。君も名乗るのが礼儀だろう」

「勝手に名乗った奴に、なんで俺が名乗らなきゃいけないんだよ」


 ずっと機嫌の悪かったユウは、ロイが現れてからは露骨に感情を隠さなくなっていた。まるでロイの存在自体が不愉快であるように。


「君はなぜそんなに攻撃的なんだ。僕がなにか気に障るようなことをしたのなら謝罪しよう」

「僕? さっきから僕、僕、僕って、そのつらでまさか俺より年下ってことはないよな? お前が間抜け面を晒しながら入ってきたときに、俺はどこかのお坊ちゃんが迷子にでもなったのかと思ったくらいだ」


 人々から一国の王より慕われることも珍しくないロイは、自分への嫌悪感を露にするユウにショックを受ける。そして――


(な、なんて口の悪い少年なんだっ)


 ユウとロイの初めての出会い。互いの印象は最悪であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る