第289話 聖女候補

 一台の馬車が都市カマーへと続く王道を走っていた。それも荷馬車ではなく客車がついた立派な造りのものである。だが、貴族や商人たちが乗るような煌びやかな装飾は施されていない。高級感は感じさせるのだが、嫌みではないのだ。

 その客車には十人の少女と、三十代半ばほどの女性が乗っていた。全員に共通しているのは白のローブを身にまとっていることと、首からイリガミット教のシンボルマークを模ったアミュレットを、チェーンでぶら下げていることであった。


「間もなく都市カマーに着きますが、ここはウードン王国内にある都市の中でも、特に目覚ましい発展をし続けている都市です。イリガミット教の布教活動をするうえで、とても重要な場所の一つと言えるでしょう」

「「「はい」」」


 九人の少女が声を揃えて返事する。


「いつも言っていますが、聖神薬には限りがあります。有力者、もしくはその親族以外には、安易に配布しないよう気をつけなさい」

「「「はい」」」

「また都市カマーは大きな町ですが、嘆かわしいことに他の都市同様にスラム街があります。言うまでもなく危険な場所です。間違っても近づかないように」

「「「はい」」」


(馬鹿みたいだわ。スラム街と人から蔑まされる場所にこそ、救いの手を求める弱き人たちがいるはずよ)


「シスターエヴァリーナ、聞いているのですか?」


(それとも貴族や商人にだけ聖神薬を配って、裕福な者だけを救うのがイリガミット教の教えとでもいうのかしら)


「エヴァリーナ・フォッド・・・・、私の話を聞いているのですか!」


 ただ一人返事もせずに、客車から外の流れる景色を眺めていた少女は気怠げに、声を荒げる女性と視線を合わせる。


「はい。シスターアンジェリカ、そのような大きなお声を出さずとも、聞こえていますわ」


 優雅に微笑むエヴァリーナに、アンジェリカは沸き立つ苛立ちを必死に抑える。


「聞こえているのならいいのです。くれぐれも私の言いつけを破ることがないようにっ。そもそもあなたたちは、聖女候補としての自覚が足りません。いつも言っているように私たちは聖国ジャーダルクの――」


 アンジェリカの長い説教が始まるが、エヴァリーナは返事をせずに、ただ微笑むのみであった。


(ほんっとヒステリックな方ね。声に感情が隠しきれていないわよ)




「……勝った」


 昨日の夜遅くネームレス王国から都市カマーの屋敷へ戻ったユウたちは、屋敷の居間で朝食を食べていた。すると、唐突にレナが呟く。


「……私は勝った」


 ユウたちの反応が薄いからか、レナが再び呟いた。若干、旋毛のアホ毛が震えているようにも見えた。

 しかしレナの呟きを無視してユウとマリファは食事を進める。


「誰に勝ったのかな?」


 あまりにもレナが可哀想と思ったのか、ニーナが尋ねる。するとレナ本人は気づいていないようだが、その口元は薄っすらと微笑んでいた。


「……知りたい?」

「う、うん。気になるな~」


 どうしようかなっと、レナはもったいぶる。そして、おもむろに椅子の上に立ち上がると――


「レナ、お行儀が悪いですよ」

「そんなことしちゃダメなんだぞ」


 マリファとナマリに注意される。モモも腕を交差させて×印を作る。しかし、そんなことでめげるレナではなかった。


「……天知る、地知る、私知る」


 どこかで聞いたことがあるような言い回しである。いちいち決めポーズを取るレナであるが、当然これらのポーズには意味などない。だが、ナマリやモモなどの子供には好評のようで「うおおっ! カ、カッコイイぞ!!」とナマリは興奮している。


「……誰が呼んだか超天才魔術師」


 「自分で言ってるよな?」とユウがニーナに話しかけるが、ニーナは苦笑いで誤魔化す。


「……そう。私はムッス侯爵が誇る十の食客、そのうちの二人『前衛要らずのランポゥ』『氷塊のゴンロヤ』を打ち倒せし者なり」


 最後の決めポーズを取ると、チラッ、とユウたちの様子を窺う。


「レナっ。あなたは食客に勝ったのですか?」


 プリリに敗北を喫したマリファが、悔しそうにレナへ確認する。


「……勝った。それも二人同時に」

「すっごーい! その二人ってAランク冒険者だよね? 同時に相手して勝つなんて、どれだけ強くなったの?」

「……そんなに驚くことじゃない。私の力を以てすれば、勝つのは当然」


 ニーナが褒めちぎると、レナは落ち着きなさいよとばかりに、ニーナの頭を押さえる。しかし、その頬はわずかに赤みを帯びており、旋毛のアホ毛は激しく回転していた。


「一人相手ならともかく、二人を相手に勝ったのか。やるじゃ――いや、大賢者を倒すって宣言したんだから、このくらいできて当然だな」


 素直に褒めようとしたユウだが、途中で言葉を切るとレナにはっぱをかける。


「……そう、当然。次はラスに勝つ」

「ラスは強いぞ」

「強いんだぞ! でも俺はもっと強いんだぞ!!」

「……問題ない」

「話はそれで終わりか?」

「……終わり」


 言いたいことを終えたレナが席に着くのだが、それに待ったをかける者がいた――


「終わりじゃねえだろ?」


 ――ジョゼフである。飯を食うのに夢中になって、レナの話を黙って聞いていたのだが、なにやら言いたいことがあるようだ。


「こいつな、ランポゥとゴンロヤを倒したところまではよかったんだけどよ。そのあとプリリに挑んで負けてやんの!」


 慌ててレナがジョゼフの口を塞ごうとするのだが、ジョゼフはそのまま喋り続ける。


「でよ? そのあとはクラウディアに挑んでまた負けて、そのまたあとに今度はララに挑んで、まーた負けたんだぜ? お前らが昨日の夜に帰ってくるまで、ずっと挑み続けてたみたいだが、結局は一回も勝てなかったんだってな?」

「……う、うるさいっ」


 なんで余計なことを言うのかと、レナがジョゼフの背中をポカポカと叩く。


「まあ、ユウがいない間は俺がこいつらを鍛えてやってたから、いつかは勝てるかもな」

「おかげでティンは全身が筋肉痛で、やんなっちゃう」

「あとなんとかの牙ってクランの盟主が『ネームレス』への謝罪金だって、冒険者ギルドに大金を持ってきたのどうので、騒いでたみたいだぞ」

「興味ないな」

「俺だって興味ねえよ。モーフィスが伝えておいてくれってうるせえんだよ。ちゃんと俺は伝えたからな。

 おう、ティン。パンとスープ、それに肉とポテトサラダをおかわりだ。ああ、あと酒も忘れずにな」

「全部おかわりでやんなっちゃう」


 言いたいことは言い切ったとばかりに、ジョゼフはステーキにかぶりつくのであった。




 都市カマーの一角にある、いわゆるスラム街に白いローブ姿の場違いな格好をした少女――エヴァリーナが一人で歩いていた。あれほどシスターアンジェリカからスラム街に近づくなと注意を受けていたにもかかわらず、まったく言うことを聞く気がなかったのである。


(妙だわ)


 スラム街といえば、場所が違えどどこも陰鬱で重苦しい空気が漂い、そこに生きる者たちはボロを纏って、髪はボサボサで、肌は荒れ、濁った眼をしているものだ。そのくせギラギラとした眼光で、間抜けな獲物の隙を窺っている。それがエヴァリーナが知る。どの国、町にでもあるスラム街の特徴であった。


(ここには間違いなく秩序がある)


 不躾な目で周囲を窺えば、余計な揉め事を引き起こしかねないので、さり気なく周囲を観察するエヴァリーナであったが、建物はスラム街らしい廃墟が立ち並ぶのだが、そこで生きる者たちの目は活力に満ち溢れていた。


「そこのお嬢ちゃん」


 声をかけられ身構えるエヴァリーナであったが、声をかけてきた男の姿に警戒を一段階ほど緩める。


(制服……この町の衛兵のようね)


 スラム街に似つかわしくない小綺麗な制服に身を包んだ男の姿に、エヴァリーナは男を衛兵と判断する。その証拠にスラム街でありながら、男は制服のみならず髭なども手入れされていた。


「おっと、これは失礼いたしやした。シスター様でしたか」

「イリガミット教の布教活動で訪れている者です」

「ここは見てのとおりスラム街、よその国から来たシスター様がいるような場所じゃありませんぜ。さ、ささ。僭越ながら俺が大通りまでご案内させていただきやす」

「ではお言葉に甘えましょうか」


 そう言ってエヴァリーナは男に案内させるのだが――


「えー、ここがスラム街・・・にある孤児院になります」

「おじちゃーん」

「なにしてるの?」

「こらこら、俺は仕事中なんだからやめろって」


 孤児院の子供たちが男の腕にぶら下がる。


「あのー。シスター様、本当にここでよかったので?」

「ええ、ここが目的の場所になります。衛兵様、案内ご苦労様です」

「あっしは衛兵じゃありませんぜ」

「えっ」


 わずかに驚くエヴァリーナを置いて、男はのしのしと去っていく。


「おねえちゃん、なにしにきたの?」

「ここの責任者はいるかしら?」


 スラム街の孤児院にいるとは思えないほど、肌艶の良い子供たちの頬をエヴァリーナは撫でながら尋ねる。


「せきにんしゃってなに?」

「シスターのことじゃない」

「ええ、そのシスターのところへ案内して」

「う~ん」


 子供たちがエヴァリーナを値踏みするように見つめる。


「見て、このとおり私はなにも危険な物は持っていないわよ? それとも私が怖いのかしら?」

「こわくないよ!」

「ぜーんぜん、こわくないもんね」

「ふふ、そうね。あなたたちは、私よりよっぽど強そうだわ」


 強がる子供たちに案内されて、エヴァリーナは孤児院の中へ入っていく。


「まあ、聖国ジャーダルクから来られたので」

「はい。申し遅れました。私は光の女神イリガミットを信仰するエヴァリーナ・フォッドと申します」

「これはご丁寧に。私は水の女神サラアナを信仰するノウルチェ・ボンネフェルトです。とは言っても、見てのとおりスラム街の孤児院も満足に運営することができない無力なシスターです」

「ご謙遜を。失礼ながら、子供たちの様子を拝見させていただきましたが、どの子も健康そのもので、とても――その、気を悪くしないでください」

「スラム街の孤児院にいる子供とは思えない――でしょうか?」


 言い辛そうにしているエヴァリーナの心の中を代弁するかのように、シスターノウルチェが言葉を紡ぐ。そのあとに笑みを浮かべて肩を竦めると、エヴァリーナもつられて笑みになる。


「よろしければ、子供たちに小難しい説教ではなく、昔話でもしていいでしょうか?」

「ええ、そのほうが子供たちも喜ぶでしょう」

「おはなししてくれるの?」

「やった! ぼく、おはなしだいすき!」


 盗み聞きしていた子供たちが、部屋になだれ込んでくる。


「あなたたち、盗み聞きは悪いことですよ」

「ごめんなさい。でもちゃんとおそうじもおかたづけもしたよ」

「ユウにいちゃんに、シスターのおてつだいしろっていわれてるもんね」

「きょうのぶんのべんきょうもしたんだから。ユウにいちゃんとのやくそくだもん」


(ユウ兄ちゃん?)


「さあ、それでは外でお話をしましょうか」


 エヴァリーナのあとを子供たちが追いかけていく。


「あなたたちは親に見放された可哀想な子たちですが、光の女神であるイリガミットは決して見捨てません。その無限の光で、常にあなたたちを照らし見守っていることを忘れてはいけません」


 庭でエヴァリーナの周りに座る子供たちへ、定番の言葉を述べるのだが。


(妙ね。子供たちからの反応が……)


 反応が薄いのではない。子供たちからあまり良くない感情が出ているのを、エヴァリーナは感じ取っていた。


(ここは水の女神を信仰するシスターの孤児院。光の女神イリガミットに対してあまり好意的な印象を持っていないのかしら。いいわ、私の話で子供たちの心を鷲掴みにしてみせるわ)


 気を取り直して、エヴァリーナは昔話を始める。


「その五人の勇者の一人は、光の女神イリガミットの加護を受け――」


 だが、初めは目を輝かせて耳を傾けていた子供たちの様子がどこかおかしい。それでもエヴァリーナは話を続けていく。


「そこで人族の力によって再び世界に平和が訪れました。でもその二年後、同盟を結んでいた獣人族が裏切り、ある人族の国を襲ったの。王や騎士に兵だけでなく、なんの罪もない老人や女性に子供たちまでもが――」

「うそつきっ!!」

「えっ」


 突如、獣人の女の子が立ち上がって、エヴァリーナを嘘つき呼ばわりしたのだ。


「このおねえちゃんはうそつきよ!!」

「ち、違う。私は嘘なんて言ってないわ」

「わたしはユウにいちゃんから、ほんとうのはなしをきいてるんだからね!!」

「そうだ! おねえちゃんはうそつきだ!」


 次は人族の男の子が立ち上がって、エヴァリーナを責める。黙っている子供たちの目も、怒りに満ち溢れていた。


「そんな……私は、私は嘘なんて…………」


 エヴァリーナは幾度となく大勢の前で昔話をしてきた。しかし、このような態度を取られたことなど今まで一度たりともない。それどころか、憎悪が篭ったかのような目で睨まれたことすらなかったのだ、それも相手は無垢な子供たちである。ショックを受けたエヴァリーナは、子供たちの目から逃げるように孤児院をあとにするのであった。

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