第290話 人の罪

 都市カマーにある宿の一室、そこにアンジェリカをはじめとする聖女候補の少女たちが食事をしていた。テーブルにはパンや豆のスープなど、肉類は一切ない。アンジェリカたちが泊まっている宿の格式から考えると、あまりにも質素な食事である。しかもアンジェリカは、わざわざ食堂ではなく部屋に食事を運ばせていた。


「それでは皆さんの報告を聞きましょうか」


 食事を終えたアンジェリカは口元をナプキンで拭う。


「貴族の反応は芳しくありません。事前に教えていただいていた情報と相違があります」

「こちらも同じです。先達てあったウードン王国の政変以降、以前ほど貴族たちへつけいる隙がないように見受けられます」

「言葉に気をつけなさい。ここは聖国ジャーダルクではないのですよ。どこで誰が聞いているのかわからない場所で、誤解を受けるような発言は慎みなさい」

「はい。シスターアンジェリカ、申し訳ございません」


 アンジェリカに叱責された少女が、無表情で謝罪の言葉を述べる。


「貴族以外の有力者たちの反応はどうなっています?」

「順調とは言えません。マゴ商会の会長と会うことができましたが、聖神薬に興味を示すも、受け取ることはありませんでした」

「他の商人も同様で、譲ってほしいと懇願してきた者たちは、私たちが求めているほどの有力者とはとても言えません」


 カツンっと、フォークと食器が当たる音がする。基本的にアンジェリカと報告する者だけしか話さないので、その音は想像以上に響いた。


「では、この都市を治めるムッス侯爵への謁見はどうでしたか?」

「私が謁見しました」


 一人の少女が挙手する。なぜか頬は薄っすらと赤みを帯びている。


「よくやりました。貴族の間では無能と言われているムッス侯爵ですが、それは仮の姿です。魍魎跋扈する王侯貴族の間を狡猾に立ち回って、気づけば侯爵になるほどの人物です」

「いいえ。シスターアンジェリカ、あの御方は周りが仰るような悪い人ではございません。とても親切な……ほぅ……まるで物語に登場するような王子様のような御方でした」


 ムッスとの謁見を思い出したのか。少女は夢想しながら身体をくねらせる。


「なにを言っているのですかっ。まさに今のあなたのその状態が、ムッス侯爵が恐れられる所以なのですよ! こんなことなら私が出向くべきでした。本日の謁見は私が担当します。いいですね!」

「そ、そんな。今日も政務でお忙しい中、私のためにお時間を取ってくださると、お約束していただいたのです。それをシスターアンジェリカ、酷いです」


 珍しく感情的になって意見を述べる少女の姿に、アンジェリカは人誑しと呼ばれるムッスの恐ろしさの片鱗を感じ取っていた。

 そして――カツンッ、とまたフォークと食器が当たる音が部屋に響く。


「先ほどからなんなのですっ。シスターエヴァリーナ、お行儀が悪いですわよっ」


 アンジェリカたちはすでに食事を終えていたのだが、エヴァリーナだけはスープに入っている豆に、フォークを突き刺そうとしては上手くいかず、何度もフォークと皿が当たっていた。音の原因を作っていたのは、エヴァリーナであった。


(あの純真無垢な子供たちを騙した者がいるんだわ。でなければ、私に対して嘘つきなんて言葉をはくはずがない)


「シスターエヴァリーナ、聞いているのですか? 言いたいことは他にもありますのよ。あれほど私が注意していたにもかかわらず、あなたはスラム街へ行きましたね? その説明をしなさいっ」


(恐らくは、子供たちが言っていたユウとかいう者の仕業ね。なにも知らない穢れなき子供たちを騙すなんて紛れもない悪、それも極悪。許せない、許すわけにはいかない。光の女神イリガミットを信仰する者として、決して見過ごすわけにはいかないっ)


「シスターエヴァリーナっ!」


 バリンッという音とともに、スープの入った皿が割れる。ゆっくりと、テーブルの上を侵食するように、スープが拡がっていく。


「ひっ。シ、シスターエヴァリーナ?」


(子供たちを正しき道へ戻さないと。それが今できるのは私だけだわ)


「シスターアンジェリカ」

「は、はいっ」


 エヴァリーナに名前を呼ばれたアンジェリカは思わず声が上擦る。


「今日も私は別行動を取らせていただきます」

「そ……そう? あ、でもね。ひっ」


 エヴァリーナはただアンジェリカと視線を合わせただけなのだが、それだけでアンジェリカは怯える。


「なにか問題でも?」

「い、いいえ。なにもないわ。ただ、当初は十日滞在の予定だったのが、本国から明日にもカマーを立つようにと連絡があったの。急な変更になったのは、連絡の行き違いがあったそうで、ほ……本当よ?」

「シスターアンジェリカ、わかりましたわ」

「わ、わかってもらえて嬉しいわ」


 エヴァリーナは微笑みながら返事をし、そのまま部屋を出ていく。部屋に残るアンジェリカの額には玉のような汗が浮かんでいた。




 都市カマースラム街。

 道行くならず者たちが目が合うと慌てて視線を逸らし、または路地や廃墟へ逃げていくように姿を消していく。

 その原因である少年――ユウはそんなことは気にも留めずに道を歩いていく。普段は身なりの良い者がスラム街に迷い込めば、獲物を逃さないとばかりに近づいてくるような連中が、一端の悪を気取っている者たちがなんとも情けない姿である。だが、向こうからすればユウを見て進んで絡むような者は、馬鹿以外の何者でもないと力説するだろう。


「ユウ兄ちゃんじゃん」

「ナマリ、モモ、おっす!」

「マリ姉ちゃん、おはよー」


 しかし、スラム街に生きる子供たちには、そんな大人たちの微妙な関係など知ったことではないようで、ユウを見るなり群がってくる。


「あれ? マリ姉ちゃん、コロとランは?」

「ああ見えてもコロとランはランク5の魔物です。町中を連れて歩くことに不安を覚えた方から、冒険者ギルドにクレームが入ったようです」

「えーっ!? コロちゃんもランちゃんも、悪いことなんてしないよ!」

「大人って変なことばっかり気にするんだよなー」

「ある男が狼を飼っていて、うちの狼は人を噛まないんだって言ってたそうだ。でもある日を境に男の姿が見えなくなり、心配した村の住人が男の家へ行くと、床には乾いた血がこびりついていて、引き千切られた衣服や男のモノと思われる白骨化した遺体があったそうだぞ。俺がなにを言いたいのかはわかるよな?」


 生意気なことを言う子供たちに、ユウが安易に魔物や動物を信用するなと説教じみた話をするのだが。


「コロとランは大丈夫だもーん」

「ねー」

「あー、そうかよ」


 無駄であった。


「ユウ兄ちゃん、孤児院に行くんだろ? 俺たちもついて行っていい?」

「やだよ」

「なんでー?」

「いいでしょ?」


 ナマリと手をつないでいる女の子たちが、手をぶんぶん振りながら駄々をこねる。


「そうだ。ユウ兄ちゃんがこないだくれたお菓子、すっごく美味しかったぜ!」

「だろ? あれは王都でも有名なスイーツ店のお菓子で、作り方を知っていてもあの味を出すには――ダメだぞ」

「ちぇっ」


 上手く話を逸らせなかった少年が悔しそうに舌打ちする。


「あのねー。エイナルってば娼館のハーフエルフの女にごしゅうしんなんだよ」

「ボブ爺さんのところは、隣に住んでるおばちゃんと仲が悪いんだぜ」

「あそこの肉屋は古い肉をまぜて売ってるから、ねぎって買わないとダメなんだ」


 子供たちは自分が知っている情報をユウに伝える。どれも取るに足らない情報ばかりなのだが――


「この前さ、見たことない貴族が貴族街を歩いてた」

「それなら昨日、白いローブの女の人がムッス侯爵の屋敷に入っていくのを見たんだ」

「私も見たよ。白いローブの女の人が商人と話してたよ」


 ――中には馬鹿にできない情報も紛れ込んでいる。


「おいっ」

「わかってる。たまたま見たり聞いたことだけだよ」

「わたしたち、むやみに追いかけたりはしてないもん。そうだよね?」

「うん。あぶないことはしてないよ」


 ユウに睨まれた子供たちが、慌てて深追いはしていないと説明する。


「わかった。ついて来ていいけど、大したことはなにもないぞ」

「やった!」

「みんなに知らせにいかなきゃっ」

「なんで他の奴に知らせる必要があるんだよ」

「だまってたら、あとでケンカになるもん」

「そーそー、自分たちだけズルいぞってさ」


 スラム街で生きる子供たちのルールはよくわからないなと、そういうものなのかと、ユウは無理やり納得する。

 ユウたちは増えた子供たちを引き連れて孤児院を尋ねると。


「ユウにいちゃーんっ」

「きいて、きいてっ!」

「あのね? うそつきのおねえちゃんがきたの」


 年少組の子供たちがユウの足に群がる。


「なんだよ」


 ユウが説明を求めるように、年長組の少年に視線を送る。


「昨日なんか俺たちが仕事に行ってる間に、イリガミット教の女の人が来てたみたいで、それで昔話をしたみたい」

「うそつきなんだよ!」

「じゅうじんがわるいって、うそついたの!!」

「こいつら昨日から、ずっとぐずってるんだ。よかったらユウ兄ちゃんの昔話をしてやってよ」


 涙と鼻水まみれの子供たちに抱き着かれて、ユウはげんなりする。


「俺は孤児院の様子を見に来ただけなんだけど」

「ユウにいちゃ、ほんとのおはなしして」

「ひっく、して」


 孤児院の庭に年少組から年長組の子供たちから、スラム街の子供たちまで勢ぞろいで座っている。


「はあ……」


 露骨にため息をつきながら、ユウは子供たちを見渡す。その子供たちの中に混じって、ナマリやモモまでユウが話すのを待っている。マリファは背後でただ静かに控えるのみである。

 もう何度もしている昔話で、ユウ自身は飽き飽きしている内容だ。それでも話さねば納得しない子供たちのために、ユウは話を始める。


 むか~しむかし、聖暦よりもずっとむかし。その頃は獣人やエルフ、ドワーフなど、ほとんどの種族が人族を脆弱な種族として蔑んでいました。それくらい人族は弱く、地を這う虫のように日々を怯えながら暮らしていました。しかし、人族にはどうすることもできません。多くの人を育てる時間も人材もいなかったのです。

 あるとき、人族の国々で集まって会議を開きました。会議の内容はどうすれば人族の地位向上をできるか、また優秀な人を育てるためになにか良い案はないかといったものでした。

 長い時間をかけて話し合いましたが、どの国の代表者からも名案は出てきません。


「カンムリダ王国っ」

「さきにいっちゃダメ!」


 もう話し合っても時間の無駄だと、会議を終わらせようとしたそのとき、一人の男が挙手をします。その男はカンムリダ王国の代表者につき従う護衛の一人でした。

 代表者でもないその男は、おもむろに話し始めます。「人材がいないのであれば、他から・・・連れてくればよいのです」と。カンムリダ王国の一団を除いて、男の言っている意味を理解できる者たちはいませんでした。

 困惑する会議の場で男は話を続けます。「異なる世界から、我々に都合のいい人材を呼び出す術を私は知っています」と、男は召喚だけでなく、錬金術にも長けた使い手でした。


「そんなことしちゃシスターにおこられるんだよ」


 いくつかの国から、そのような人道に反する真似は許されないと声が上がりましたが、ほとんどの国がカンムリダ王国の案に賛成します。


「なんで?」


 人族はそれほど弱く、また他種族に日々、虐げられてきたのです。どの国の王族も、どんな手を使ってでも自分たちの国の民を護りたかったのです。

 少数の反対する国の声を押し切って、様々な国が召喚をし始めます。聖国ジャーダルクも負けてはいられないと、異なる世界より一人の少女を召喚しました。黒い髪に黒い瞳――そう、のちに『黒の聖女』と呼ばれる少女です。


(な、なんていう虚言を子供たちにっ)


 しかし、聖王の期待とは裏腹に、黒の聖女はなんの力も持たない無力な少女でした。聖王は嘆き悲しみました。なぜなら召喚には莫大な生贄・・が必要で、おいそれと行使することができなかったのです。勝手に呼び出しておいて、落胆する聖国ジャーダルクの王侯貴族たちの姿に、黒の聖女は泣き叫んで抗議しました。

 しかし、黒の聖女にはたった一つだけ誰にもない力がありました。どんな種族とも心を通わすことができたのです。ですが、周りからはなんの役にも立たないと心ない言葉を浴びせられます。


「そんなのひどいよっ!」


 ただの中学生の少女が生きるには、あまりにも厳しい世界でした。


「ユウにいちゃん、ちゅうがくせいってなーに?」

「あー、年長組みたいなもんだ」

「そっか」


 しかし、それでも黒の聖女は生きることを諦めませんでした。自分ができることをする。ただそれだけが黒の聖女にできることでした。唯一、自分だけが持っている他者と心を通じ合わせる力を使って、獣人族に接触します。初めから上手くいったわけではありません。何度も言い争い、ときには戦い、それでも根気強く交渉し続けることで、黒の聖女はついに獣人族の王である獣王と会うことに成功したのです。

 各国の人族の国は驚きました。それほど獣人とは獰猛で恐ろしい存在だったのです。


「わたしそんなにこわくないよ?」

「もう、そんなことみんな知ってるから」


 順調に様々な種族と交流を深める黒の聖女でしたが、ある日とんでもない化け物が姿を現します。名前を呼ぶことすら憚れることから存在する者モノと呼ばれました。


(異端者だわ。間違いなく、この少年は異端者よ!)


「モノはだれかがよんだの?」

「いいや、誰も呼んでないと俺は思ってる。ただ、どこの世界でも似たようなことを考えるクズはいるんだろう」


 モノは雲に達するほどの大きな身体に、動くだけで大地が怯えるかのように地響きを起こします。その恐ろしい力は八大龍王が一柱、鬭龍とうりゅうすらものともしませんでした。

 どの種族もどう対応すればわからず混乱に陥る中、黒の聖女の判断は迅速でした。個々で戦いを挑んでも敗北するのは必至、力を束ねる必要があると判断したのです。即ち、全種族の力を結集してモノと戦うでした。

 どれほど偉大な王が、力ある者が呼びかけようが、異なる種族が力を合わせることなどありえないのです。ですが、黒の聖女にはそれができたのです。いえ、黒の聖女にしかできなかったのです。

 人族、獣人族、龍族、古の巨人族、天魔族から、それぞれの勇者が皆を率いるために選ばれました。この者たちこそのちに『始まりの勇者』と呼ばれる者たちです。『始まりの勇者』は各種族から集められた数千万にもおよぶ軍勢を率いて、モノとの最後の決戦を挑みます。すでに多くの命が無残にも散っていました。

 黒の聖女は『始まりの勇者』が一人、光の勇者オ――


「そこまでよっ!!」


 その大声に驚いた子供たちが後ろを振り返ると、そこには草むらから飛び出してきたエヴァリーナが仁王立ちしていた。

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