第281話 お弁当
パチパチっと油が弾ける音とともにソーセージが踊るように転がると、すぐさま香ばしい匂いが辺りに漂い始める。
「学校で弁当が必要なら早く言えよな。今までどうしてたんだよ」
朝早くから山城内にある厨房で、ソーセージをフライパンで焼きながらユウは愚痴る。ネームレス王国では三人の人族の老人が、先生として子供たちに勉強を教えているのだが、昼になれば当たり前の話で昼食を取る。子供たちは各々がお弁当を持参してきているのだ。だが、ナマリは弁当が必要なことを今までユウに知らせていなかった。つい先日そのことを知ったユウは、こうしてお弁当の用意をしているのである。
「こっちが俺のおべんとうで、そっちがモモのおべんとうなんだぞ」
しかし、そんなユウの言葉など聞こえていないのか。ナマリは頬杖をつきながら、テーブルの上に置かれている自分の弁当と、モモ用の小さなお弁当を見比べながら嬉しそうにニコニコしている。
「オドノ様、なんでアイテムポーチにいれちゃダメなの?」
「お前だけ出来たての弁当なんて、なんかズルいだろうが。あとご飯が冷めるまでフタをするなよ。食中毒が怖いからな。ああ、それにソーセージは焼いたのとボイルしたのを入れてるから、あとでどっちが美味かったか教えろ」
「わかった!」
なんにもわかっていないナマリが元気よく返事をする。そもそもモモはともかく、アンデッドであるナマリが食中毒になるのかどうかは疑わしいものである。
「ユウ~」
猫撫で声のニーナが、ユウにスリスリと身体を擦りつける。
「私もお弁当が欲しいな~。昨日もクロちゃんと一緒に、みんなを指導したんだよ~」
「ニーナさんっ、ご主人様から離れてください」
マリファがいつものごとく小言を飛ばすのだが。
「マリちゃんだって、お弁当が欲しいよね?」
ニーナの言葉に、ピタリとマリファの小言が止まる。厨房の入り口では、入ると叱られるのでコロとランが座り込んで鼻をヒクヒクさせている。おこぼれを貰えないかと期待しているのだ。
「言われなくてもみんなの分も作ってるから、あとで感想を言えよ」
ニーナやマリファだけでなく、山城で働く奴隷メイド見習いたちの分までユウはお弁当を作っていたのだ。ニーナが「やった~」とバンザイをするのと同じく、ユウの手伝いをしていた奴隷メイド見習いたちが心の中でバンザイしていた。
「――であるからして、このように火系統の魔法と言っても――」
老人が魔法理論の説明を板へ書き込んでいく。他の二人の老人は、子供たちが理解できているのか窺いながら、子供たちの間を巡回している。
「せんせーい、そろそろおひるだよ」
魔落族の子供が、お腹をさすりながら老人へ訴える。
「むっ。もうそんな時間か」
老人が空を見上げれば、真上に太陽がある。眩しそうに陽の光を手で遮りながら、老人は燦々と照らす太陽を見つめる。
「では昼食にするか」
「やった!」
「ごはん、ごはん!!」
「やっとおひるだよー」
その言葉を待っていましたとばかりに、子供たちが騒がしくなる。そして各々が仲の良いグループに分かれていく。
「せんせいのとなり~」
「せんせい、きょうのわたしのおべんとうは、おにくがはいってるんだよー」
「うえっ! かーちゃん、やさいはいれないでっていったのに~」
三人の老人は、可愛らしい子供たちに囲まれて目尻を下げる。
「ナマリちゃん、きょうはおべんとうあるの?」
「あるのー?」
インピカとムルルが「むふふっ」と笑うナマリを見て驚く。いつもならインピカたちに弁当をわけてもらっているからだ。他の子供たちもナマリの弁当に興味があるのか、集まってくる。
「ナマリちゃん、それなーに?」
「なーに?」
「おにぎり!」
ナマリとモモの手にある真っ白な三角の塊を、インピカたちが興味深そうに見つめる。
「それってこめだろ? あんまりおいしくなかったぞ」
米を食べたことがある獣人の少年が、そのときの感想を言うのだが、ナマリとモモは気にもしない。ユウがわざわざ別に用意した海苔でおにぎりを挟む。
「あのくろいのなんだ?」
「まっくろだよ、たべれるのかなー」
「あんなくろいのぜーったいおいしくないって」
好き放題に騒ぐ子供たちをよそに、ナマリとモモは大きく口を開けると、そのまま勢いよくおにぎりにかぶりつく。二人とも足をパタパタさせて、すぐに二口目をパクリとかぶりつく。ゴクリッと、誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。
「へ、へんっ。そんなものより、おれのおべんとうのほうがおいしいもんね! ほら、パンにおにくがはいってるんだぞ!」
「うちのほうがうまいぞ!」
「わたしのおべんとうはねー」
対抗意識を燃やす子供たちであったが、ナマリとモモはそれどころではなかった。おにぎりの中からボンクール鮭の身が姿を覗かせる。ほどよい塩味のボンクール鮭の身をほぐして、おにぎりの具にしているのだ。弁当箱の中には、まだ二つもおにぎりがある。ユウのことだから、それぞれ違う具が入っているのだろう。次はなにが入っているのかと想像するだけで、ナマリは楽しくなってくる。
「ナマリちゃんのおべんとう、おいしそうー」
インピカが思わず呟く。
おにぎりを食べては、ソーセージや玉子焼きを頬張るナマリとモモは、食べるのに無我夢中である。そして水筒に入っているお茶で一気に流し込むと。
「ぷはー」
ナマリの隣でモモも同じように、可愛らしく「ぷはー」をする。
そして翌日の正午。
「ふむ、昼食とするか」
昨日と同じように、子供たちが一斉に弁当を抱えてグループに分かれていくのだが――
「ナマリちゃん、きょうもおべんとうあるの?」
「あるのー?」
「あるよ!」
皆がナマリの弁当に視線を向ける。
「良い匂~い」
「ちゃいろだねー」
「やった! やきおにぎりだっ!」
香ばしい香りの正体は焼きおにぎりであった。皆の視線が注がれるなか、ナマリとモモはパクリと焼きおにぎりにかじりつく。
「っ!!」
声にならないのか。ナマリは足をパタパタさせるのみであった。
その次の日も――
「きょうは炊き込みご飯だっ!!」
学校での子供たちの興味は、ナマリの弁当の中身がなにかでもちきりであった。
「あ、あんなのぜーんぜん、うらやましくないもんね!」
獣人の少年はそう言いつつも、ナマリの弁当が気になるのか。チラチラと盗み見するのであった。
そのまた次の日は――
「わっ。きいろだー」
「きいろだねー」
インピカとムルルが、ナマリの弁当を見るなり感想を呟く。その声に獣人の少年はなぜか安堵する。
(やった。あのきいろいのはタマゴだ。こめじゃないぞ)
玉子にかかっている赤いソースはともかく、玉子の料理ならほかの子供たちの弁当にも入っている。そう珍しくない食材である。だが、問題は大きさであった。
「おっきいね」
「かいじゅうのたまご?」
「これはオムライスなんだぞ!」
「「おむらいす?」」
ナマリがスプーンでオムライスを掬うと、中からチキンライスが姿を現す。
「うまっ、うまっ!」
口の周りをケチャップまみれにしながら、ナマリはオムライスをかき込む。
「ねーねー。ナマリちゃん、インピカにひとくちちょーだい」
「ムルルもたべたい」
その一言に、ご飯を食べていた子供たちの手が止まる。
「いいよ」
いつもインピカたちに弁当をわけてもらっていたナマリは、嫌がる素振りも見せずにスプーンでオムライスを掬って、インピカたちへ食べさせる。
「おいしいーっ!!」
「おいちーね」
「ふふんっ! そうだぞ!! オドノ様のお弁当は――みんな、どうしたの?」
ユウの弁当を褒められて喜ぶナマリを、子供たちが囲んでいた。
「おれもナマリにおべんとうをわけたことがあるぞ」
「わたちもー」
「それならぼくだって」
「わっ、わわっ!? まって、そんなにあげれないよ~」
追いかけてくる子供たちから、ナマリは弁当を抱えて逃げ回るのであった。そんななか、モモはいち早く危機を察して、インピカたちの後ろに隠れていた。
「あはは。ナマリちゃん、がんばれー!」
「がんばえー」
応援するインピカたちの横で、モモは食事を再開する。
「そうだ。モモちゃん、レナおねえちゃんはなんでいないの?」
インピカに尋ねられたモモは、しばし考え込む。そしてケチャップまみれの口を拭って立ち上がり、シュッシュッとパンチの動作をする。
「なにそれー、へんなの」
「へんなの」
「レナちゃん、やめたほうがいいって!」
「そうそう。ポトの言うとおりだよ」
「……大丈夫」
都市カマーの貴族街を歩くレナを、傭兵クラン『銀狼団』の盟主であるポトと副盟主のアポロが必死に説得していた。
「大丈夫じゃないって! この間だって、ボロボロだったじゃないか」
ここ数日、都市カマーではレナがボロボロになっている姿が幾度となく目撃されていた。『レナちゃんファン倶楽部』を自称する者たちにとって、見過ごすわけにはいかない出来事である。
「ムッスの食客と言えば、どいつもAランク冒険者か、それ以上の実力の持ち主だって言われているんだ。そんな連中に挑むなんて、いくらレナちゃんでも無理があるってなもんだよ」
不安で仕方がないといった表情で、アポロがレナを説得する。
レナがボロボロになっていた理由は、ポトたち『レナちゃんファン倶楽部』が総動員で調べると、真相はすぐにわかった。レナがムッスの抱える食客のランポゥやゴンロヤに勝負を挑んでいたのだ。それを知ったとき、皆が恐怖した。ランポゥやゴンロヤと言えば、その二つ名も有名であるが、それ以上に戦闘力の高さから、冒険者や傭兵たちから恐れられている相手だからであった。
「……私は超天才魔術師」
「いやいや、そりゃレナちゃんが天才だってのわかってんだけどさ」
「……
「うっ、超天才だってわかってんだよ」
何度目の説得になるだろうか。ボロボロの姿になって、ムッス侯爵の敷地からユウの屋敷へ帰っていくレナを見るたびに、ポトたちは胸が締めつけられるのだ。だからこうして『レナちゃんファン倶楽部』の者たちが日替わりでつきそい、説得にあたっていた。
「……私は誰が相手でも勝つ。それに一対一なら――」
「参ったなぁ……。アポロ、お前からも――あっ」
そうこうしているうちに、レナたちは大きな門の前にいた。ムッス侯爵の敷地に入るための門である。敷地を覆う結界が、並の術者では到底展開できないモノだと、ポトたちは一目で見抜く。
「……頼もう」
「ちょっ!? レナちゃんっ」
レナが
「おい、また来たぞ。俺はもうやだぞ」
館の二階にある部屋の一つで、うんざりした様子のゴンロヤが呟く。
「知らねえよ」
「たくっ。
「あ゛あ゛? 誰が負けたって!!」
そっぽを向いていたランポゥが、歯をむき出しにしてゴンロヤに突っかかる。
「負けたじゃねえか。最近の後衛じゃあんまり使わねえ杖技とかも使われてよ」
「ありゃ装備の差だ。あの杖さえなけりゃ俺が勝ってた」
「やっぱり負けてるじゃねえかよ」
「うるせえっ! ぶっとばすぞ!!」
負けず嫌いの相棒に、熊人のゴンロヤは再びうんざりした表情を浮かべる。
「げっ、入ってきたぞ」
「なんだと!? あの小娘がっ、俺の結界を壊しやがったのか!!」
「違う……。驚いたな、お前の結界に干渉してすり抜けてきやがった」
「ふざけんなっ! あんな小娘が、俺の結界に干――てめえ……」
ランポゥとゴンロヤがいる部屋の窓の外に、ミスリルの箒に跨って浮かぶレナがいた。
「……勝負しよ」
「勝負、勝負ってしつけえんだよ!!」
「ランポゥのセリフじゃねえが、もう十分にやり合っただろう」
「……二人がかりでいい」
ランポゥたちは言葉を失う。今まで複数から挑まれたことや襲われたことなら幾度となくある。だが、たった一人に、それも自分より一回りも二回りも下の小娘から、二人がかりでいいなどと舐めたことを言われたのだ。
「俺もランポゥもAランク冒険者だぞ。自分がなにを言っているかわかっているんだろうな?」
「……
「まぐれで俺に一回勝ったからって、調子に乗るなよっ!!」
「……勝負しよ」
殺気立つランポゥを前に、レナは同じ言葉を呟いた。
「上等だっ。ぶっ殺してやる!!」
「おいおい、待てよ。俺はまだやるなんて一言も言ってないぞ」
「……大丈夫。殺さないようにするから」
ゴンロヤの眼光が鋭くなり、纏う魔力が攻撃的なモノへと変化していく。
「……早く」
それでもレナの纏う魔力からは、動揺や興奮した様子は微塵も感じられなかった。
「仕方がねえな」
「また地べたに縫いつけてやる!!」
この日、一人の少女が二人のAランク冒険者に挑み、傷だらけになりながらも勝利したことが、傭兵クラン『銀狼団』のポトとアポロの口からカマー中に知れ渡るのに、それほど時間がかかることはなかった。
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