第278話 ぷよぷよ

「やだよ~」

「そう言わずに、ハーメルンのお菓子とかはどうですかな。ウードン王国のお菓子もいいですが、ハーメルンにはレーム大陸中からあらゆる人材や物が集まるのをご存知ですかな? それこそ手に入らぬ物はないと言われるほど――。むむっ。では、そちらの子供たちは? ピクシーちゃんたちは? このビクトルに順番を譲っていただければ、望む物をなんでもお渡ししましょう」

「ぼくだってうみのなかをみたいもん!」

「そうだよ。おじさん、じゅんばんなんだよ」

「すっごい、おおきなおさかながいるんだって」

「しつこい人族ね!」

「私の順番はぜーったいに渡さないよーだ!」


 まだ潜水艇へ乗ることを諦めきれないビクトルが、あの手この手でナマリや子供たちを誘惑するのだが、子供たちはビクトルからの提案を頑なに拒むのであった。


「うるせえ奴ら――」


 そこでユウは言葉を切る。背後から感じる視線に振り返れば、命令を待つ犬のように、期待した目でマリファがユウを見ていたからだ。


「あー、怒るほどじゃない」


 いつもの氷のような冷たさはどこへやら、途端にしゅんっと、しょんぼりした雰囲気をマリファは漂わせる。これではまるでユウがマリファにイジワルしているようだ。


「ここでいいだろう」


 港の広場の一角にユウは時空魔法で門を創る。商人たちの中には、初めて見る時空魔法を前に、護衛や魔法を使える従者へ、習得可能なのかと耳打ちする。マゴはそんな者らを一瞥して「自らが破滅せねば、理解することもできない愚か者か」と、内心で呟くのであった。


「誰も出てきませんな」


 しばし待っても門の向こうから誰も姿を現さないと、商人の一人が呟いたそのとき、門から剣と鎧で武装した兵が大挙して飛び出してくる。素早く周囲への警戒を怠らず、さらに無駄なく安全を確保する一糸乱れぬその動きは、厳しい訓練によるものだと皆に思わせた。

 ユウや周囲にいるネームレス王国の住人、それに海千山千の商人たちは、この程度で怯えることはなかったのだが――


「ねーちゃっ、こわいよ~」

「にいちゃん!」

「びええ~ん、おうちゃま~」


 殺気立つ兵たちの姿は、幼い子供たちへ恐怖を与えるには十分すぎるものである。慌てて幼い子供たちは、兄や姉の後ろに隠れて泣き喚くのであった。


「ぐるるっ!」

「なんだよ、おまえら!!」

「いもうとになにかしたら、かむからねっ!!」


 インピカを始めとする子供たちが、兵に向かって吠える。


「あ、あの……」


 子供たちの中から、スタルクが前に出てくる。人族の子供に話しかけられた兵たちからは、予期せぬ出来事に動揺する気配がありありと漂っていた。


「ここにいるのは、みんないいひとたちばかりです。だから、みんなにひどいことをしないでください。お、おねがいします!」


 小さな子供の懇願に、兵たちの視線がスタルクから恐らく隊長と思われる兵に指示を仰ぐように集まる。


「スタルクっ、なにやってんだ! あぶないからうしろにいろ!」


 ヘンデが慌ててスタルクの手を引いて連れ戻す。ここにいる子供たちの多くが、人族の騎士たちに親を殺されているのだ。その恐怖が心に消えぬ大きな傷となって残っていた。


「退きなさい」


 そのとき兵たちの後ろから女性の声が聞こえた。


「し、しかしっ」

「私は退きなさいと命じたのです。なんですかあなたたちは? これがモーベル王国が誇る近衛騎士団のすることですか! こんな可愛らしい子供たちを怯えさせて、それでもモーベル王国の騎士ですかっ! さあ、早く私の前を空けなさい」


 渋々といった感じで、兵たちの陣形が真ん中から分かれていく。そこから銀縁眼鏡にメイド服を着た一人の女性が姿を現した。


「あっ、アドリーヌ姉ちゃんだ」

「ナマリちゃんのしってるひと?」

「うん。オドノ様のともだちなんだぞ」


(友達じゃないぞ)


 ユウは心の中で、ナマリにツッコミを入れる。


「えっ!? 王さまの?」

「どうする?」

「でもおうさまのおともだちなんでしょ?」

「ひとぞくだよー」


 子供たちが輪になってなにやら話し出すのだが、やがて答えが出たのかアドリーヌの前へ一列に並ぶと。


「「「おこってごめんなさい」」」


 一斉に頭を下げて謝る。インピカは前のめりになりすぎてバランスを崩し、そのまま前転してしまう。その子供たちの愛らしい姿に、アドリーヌの口から「ぐふっ、ぐふふっ」と下品な声が漏れ出る。


「なんて可愛らしいのかしら!」

「おねえちゃ、おうちゃまのおともだち?」

「ええ、ええっ! お友達ですとも!!」

「おねえちゃん、いいにおいがするね」

「あなたたちもすべすべで、ふわふわで、良い匂いがするわよ。ああ……無理を言って来てよかったわ」


 子供たちを両手で抱きかかえて、アドリーヌはご満悦である。モーベル王国のメイド長として、騎士たちからすら恐れられる姿はどこへやら、なんともだらしない顔を晒していた。


「あたしたち、まいにちおふろにはいってるもんねー」

「まあまあ、そうなの?」

「おふろにはいらないと、王さまにきらわれるっておかーさんがいうんだよ」

「それは怖いわね、ぐふふっ」


 口からよだれを垂らさんばかりのその姿からは、淑女を感じることはできない。


「ええいっ!! 前を空けるのだ!!」

「このような粗末な場に陛下がっ――」

「陛下、お待ちください! 安全を確保するまでは――」

「城内どころか。ここはどう見ても港、王族を迎えるような場所では――」

「黙らしゃーっ!! 見よ! どこに危険があるというのだ!!」


 制止する近衛隊を吹き飛ばしながら、モーベル王国の王ダッダーンがその姿を現す。


「まさしくモーベル王国のダッダーン陛下ですな」


 ユウから来ると聞いてはいたが、まさか商人との取り引きで、一国の王が姿を現すとは半信半疑であった商人たちは口々に囁く。


「わー! おーくだ」

「無礼者っ! 陛下をよりによってオークなどと!! 許さ――ふがっ!?」


 子供を怒鳴りつけようとした近衛の口を、ダッダーンが無理やり手で塞ぐ。


「うむ。君が余をオークと呼ぶのなら、余は喜んでオークを演じようではないか」


 子供たちがオークと見間違えるのもおかしくないほど、ダッダーンは肥満体であった。


「なにをいっているのか、ぜんぜんわかんないよー」

「わからなくていいのよ? あれ・・には近づいてはいけません」


 仮にも一族揃って長年に渡って仕えるダッダーンを、あれ呼ばわりするアドリーヌもどうかしていると言えるだろう。


「おーくのおじちゃん、おなかさわってもいい?」

「ぼくもさわりたい」

「インピカはなでるのとくいなんだよ!」

「ふっ……。そうか、それほど余の腹を愛でたいのであれば、好きなだけ愛でるがよい。余の愛は無限だーっ!!」

「ぷよぷよしてるー」

「ベイブよりぽよよんだね」

「ほんとだ」

「あふっ、うむうむ! いいぞ! そう、そこをもっと!! 余は、余は、もう我慢なら――いだっ!?」


 我慢できなかったユウがダッダーンの頭を叩く。


「むう!? なにをするのだ!」

「それは俺のセリフだろうがっ。お前はここへなにしに来たんだよ」

「ふははっ! 愚問だな!! この愛らしい子供たちを見てわからんのか? サトウ、王になってもまだまだ子供だな。よかろう! 余の無限の愛をサトウにも注いで――いだい、いだいっ!? 頬を抓るでない」

 ユウが万力のような力で頬を抓っても、痛いで済むのだからダッダーンの肉体は異常と言えるだろう。本来であれば王を護るべき近衛隊ですら、あまりの恥ずかしさにダッダーンから目を逸らしていた。そんなダッダーンたちをよそに、アドリーヌはさり気なくダッダーンのお腹を揉んでいた子供たちの手をハンカチで拭っていた。


「俺がわざわざ面倒を引き受けてまで、モーベル王国のために交渉の場を設けてやったんだろうがっ。いい加減にしろよ、このブ――デブ王がっ」

「待てっ! 言い直しても酷い呼称ではないかっ!!」

「お前なんかデブで十分だ」

「サトウ様――いいえ、ネームレス王。私の主であるブタ野郎が――ダッダーン陛下の非礼をお許しください」

「おおーいっ! 今、余のことをブタ野郎って完全に言ってたよね?」


 抗議するダッダーンの声を近衛隊は無視した。ダッダーンより、メイド長にして女傑であるアドリーヌのほうが百倍は怖いのだ。


「これは失礼いたしました。私としたことがネームレス王に挨拶もせず」


 「余に対する謝罪がないではないかっ!?」と喚くダッダーンを無視して、子供を両脇に抱えたままアドリーヌがユウに挨拶の礼をする。


「アドリーヌさん……」

「はい」

「そろそろうちのガキ共を解放してくれませんか」


 そんな殺生なとも言いたげに、アドリーヌの美しい顔が悲観に歪む。


「いや、あなたもなにをしに来たんですか」


 その後、やっとモーベル王国と商人たちの交渉が始まる。子供たちに囲まれご満悦のダッダーンとアドリーヌは、見た目はともかくその交渉力は本物である。現に先ほどから商人たちが、ダッダーンとアドリーヌにやり込められているのだ。


「サトウ、これは今日だけでは交渉は終わらぬな」


 ダッダーンは頬を突っつく子供たちに微笑みかけながら、暗にネームレス王国に宿泊させよと言っているのだ。


「じゃあ、お前はもう帰っていいぞ。あとはアドリーヌさんがいれば十分だろ」

「なーうっ!? なんて恐ろしいことを申すのだ!! あのような者に子供たちを任せてみよ! ああ……考えるだけで恐ろしいわっ!!」

「そもそもガキ共は関係ないだろうが。それに今日は顔見せでお前に来てもらっただけで、次からは来なくていいぞ」

「うぎぎっ……。そのような真似が許されるとでもっ」

「なんで俺がお前に許されないといけないんだよ。冗談はその顔だけにしとけよ」


 「ぷぷっ」と噴き出したアドリーヌを、ダッダーンが睨みつける。


「ネームレス王国を案内してもらっておらん!」

「誰がお前なんか案内するかよ。それよりガキ共を放せよな」


 子供たちが楽しそうに「はなせよなー」とダッダーンのお腹を突くと、ダッダーンは泣きそうな顔で首を横に振る。


「サトウは余のことが信じられぬのかっ!」

「お前……よくその体型で自分のことを信じろとか言えるよな」


 「ふっ」とマリファが思わず笑ってしまう。周りの近衛隊も笑いを堪えているのか、身体が小刻みに震えている。


「王様、ちょっといいですか?」

「ナルモ、どうした」

「いえ、ここではちょっと……」


 ナルモが周囲を一瞥して、ユウの耳元で囁く。


「わかった。マリファ、ここは任せたぞ」

「マリ姉ちゃん、まかしたんだぞ!」


 当たり前のように、ユウのあとをついて行こうとしていたマリファの身体が固まる。そしてユウについて行くナマリの後ろ姿を、恨めしげに見つめるのであった。


「あんたは」

「この爺さんが、どうしても王様に会わせてほしいって。話を聞けば、王様と約束しているそうで」


 ナルモの案内で船の甲板に向かったユウの前に、一人のドワーフが待っていた。ローブで顔を隠しているが、その体型は典型的なドワーフの樽体型、それにユウの『異界の魔眼』を以てすれば、正体など隠しようがない。


「ネームレス王、こんな怪しい風体で済まんのう。こうでもしなければ、商人たちに気づかれてまた騒がれてしまうでな」

「ゴンブグル・ケヒト、なんであんたがここにいる」


 ローブを脱いだゴンブグルは、前回と同じように髭を掴んでユウに向かって引っ張る。


「挨拶はいい」

「んー。なんでもなにも、ネームレス王が言ったのではないか。全部捨ててみるかと」

「まさか、あんた……」

「んー、捨ててきた。三大名工の名声も、鍛冶屋ギルドの地位も、家族も、友人も、ついでに長年愛用してきた鍛冶道具や、買い集めてきた素材や鉱物もじゃな。さすがに裸のままネームレス王に会うわけにもいかんので、最低限の路銀と服は持ってきたがのう」


 ユウは本気で言ったわけではない。誰が本当にすべてを捨てて、ネームレスまで来ると思うのか。


「俺はそんな約束は――」


 そう、ユウはそんな約束などしていない。捨ててみるかと問うただけなのだ。だが――


「オドノ様はウソなんかつかないんだぞ!」


 ナマリとユウの飛行帽から飛び出したモモが、一切疑わぬ目でユウの顔を見上げていた。




「そりゃいい」


 ウッズと魔落族の鍛冶屋工房へ、ユウはゴンブグルを連れてきたのだが。


「おっちゃん、なにがいいんだよ」


 非難するような目を向けられても、ウッズは笑みを崩さない。肝心のゴンブグルといえば――


「ぬおっ!? 焼入れに贅沢にも霊水を使っておるのか!! うおっ!! これは儂の工房でも最近導入したばかりの炉ではないかっ!! おお、こっちはアダマンタイトに、オリハルコンの鎚か。こっちはミスリルの鎚、ぬはっ! これは儂も欲しいと思っていた――」

「なんじゃこの爺はっ! 勝手に道具を触るなっ!! 王よ、なんとかしてくれんか!!」


 魔落族の長マウノが、工房を歩き回るゴンブグルを追いかけ回していた。


「おっちゃん、もしかして」

「俺は諦めてなんかいねえぞ?」

「じゃあ、なんで?」

「ゴンブグルといえば、鍛冶に携わるもので知らぬ者はいないほどの腕の持ち主だ。三大名工の話は知ってるか?」


 少し拗ねた様子のユウに、ウッズは苦笑する。


「ドワーフ族に伝わる秘伝や太古から伝わる鍛冶の技術や、失伝しかけている技術まで、あのゴンブグルはなんでも知っている。だったら、俺のやることは決まっている」


 ウッズはユウに向かって、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。


「ゴンブグルの技術を片っ端から盗みまくってやる! それでユウ、お前に最高で最強の古龍の武具を作ってやる!!」


 そう言うと、ウッズは豪快に「ガハハッ!」と笑う。


「さいきょう?」

「ああ、最強だっ!!」


 最強という言葉に目をキラキラさせるナマリの頭を、ウッズは撫でるのであった。

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