第277話 東西南北
「おやおや? サトウ様にそのような趣味があったとは、このビクトル知りませんでしたぞ」
嫌らしい笑みを浮かべながらビクトルが近づいてくる。見ればマゴや他の商人たちの姿もある。
「有名な本なのか?」
「著者は不明ですが、私が生まれるよりも前からある絵本ですな」
「もしかしたら――」
「オドノ様~」
ユウがなにか言いかけたそのとき、叫びながらこちらに駆けてくるナマリが見える。さらにナマリに手を引かれながら、堕苦族のカンタンの姿もあった。
「どうした?」
「えっとね。カンタンがオドノ様にたのまれたのできたって」
カンタンは生まれつき口がきけないのだが、何度でも記入することができる魔道具の板に紐を通して首からぶらさげていた。その板にカンタンは「できたよ」と書いて、ユウに向かって掲げる。
「ほう、なにができたのですかな」
ユウが年端も行かぬ子供に頼み事とは、ビクトルのみならずマゴや他の商人たちも興味津々である。
「誰が言うか」
つれないユウの態度に、ビクトルはなぜか嬉しそうである。
「カンタン、ほらっ」
ナマリに促されて、カンタンは紙の束をユウに差し出す。ユウは紙の束を、覗き見しようとするビクトルたちから隠しながら確認する。
「カンタン、良くやった。褒美はなにがいいか、考えておけ」
表情の乏しいカンタンの頬に朱が差す。ナマリが「オドノ様がほめてるぞ!」と、嬉しそうにバンザイする。
「サトウ様、このビクトルめにも見せていただけないでしょうか?」
「百万マドカ」
「払いましょう」
即答であった。
言ったあとでユウは後悔する。商人たちの金に関する嗅覚の鋭さを忘れていたのだ。見ればビクトルだけでなく、マゴたちまで金貨をすでに取り出している。
「ホッホ。まさかユウ様が、今さらなかったとは言いますまい」
「マゴ殿、このビクトルも同じ思いですぞ」
「我らもまさしく同じ考えですな」
胡散臭い商人たちのやり取りに、ユウはうんざりする。
「ほらっ」
「むほほっ。あのサトウ様が喜ぶ秘密が、この紙に――なんとっ……」
普段はおどけた態度のビクトルが目を細め、鋭い眼光となる。
「これは……ウードン王国の地図ですな」
「し、しかし、これほど精密な地図など、私は見たことがない……っ」
「これほどの地図を、あんな子供がっ!?」
カンタンは固有スキル『測量』を持っている。ネームレス王国の住人は見向きもしないスキルであったが、ユウはそのスキルの希少価値を見出していた。
なにしろ国によっては地図は国家機密で、他国の者が地図を所持しているだけで、罪に問われることも珍しくない。平民などに売られる地図などは簡略化されていたり、重要な軍事拠点などは意図的に記されていない。軍の上層部や一部の商人は精密な地図がどれほど貴重で重要かを理解していた。
「サトウ様、こちらを――」
「売らないぞ」
ビクトルが言葉を言い終える前に、ユウは拒否する。
「ヌハハッ。先に言われてしまいましたな。もしや他国の地図もお持ちで?」
「どうだろうな。
カンタン、この金貨はお前が作った地図の対価だけど、子供のお前に渡すにはあまりに金額が大きい。あとで俺からお前の親に渡しておく。それとも自分に渡してほしいか?」
ユウの右手のひらには、ビクトルたちから受け取った金貨が、こんもりと乗っている。その金貨を前に、カンタンが勢いよく首を横に振る。
「残念ですな。もし気がお変わりになった際には、是非このビクトルめにお声を――」
「ホッホ、抜け駆けはいけませんな」
「そうですよ。私に売っていただけるなら、他の方より金額を上乗せするのをお約束しましょう」
「ワハハッ。サトウ様の人気に嫉妬してしまいますな」
談笑しながら互いを牽制するマゴたちの顔は、笑っているのに目は笑っていなかった。
「お前ら、うるさいぞ」
「皆様方が強欲だから、サトウ様が気を悪くされたではないですか」
「お前が言うなっ」と、商人たちは心の中でビクトルへ悪態をつく。
「ところで、この港で働く者たちもずいぶんと増えましたな。ネームレス王国の人口は現在どれほどなのでしょうな?」
髭を指先で弄びながら、ビクトルが尋ねる。
「数えてないからわからないな」
「フハハッ。サトウ様に限ってそんなはずはないでしょうに。そろそろ――」
「土木技術や上下水道の技術なら買わないぞ」
今まさにビクトルが売り込もうとしていたモノを、ユウは買わないと言ったのだ。
「ほう……。それはどうしてですかな? 上下水道などは、まだ普及していない国のほうが多いのですぞ。完備されている国も、他国への技術流出を恐れて機密扱いとしている国がほとんどです。しかし、このビクトルならそれら生活基盤となる技術を、ネームレス王国へお売りすることができるとお約束しましょう!」
「持ってる」
両手を拡げた大仰な姿勢のまま、ビクトルは固まる。
「これは驚きましたな。まさかネームレス王国にそれほどの技術者がいたとは」
おどけてユウから情報を引き出そうとするビクトルであったが、ユウは口を横一文字に閉じたまま開かない。
「フハッ。話は変わりますが、アルメタス王国を知っていますかな? その国には、他国にまでその名を轟かすほど土木技術に秀でた男がいるのですが、その男の一人息子が幼いときに魔物に襲われて足を怪我したそうです。魔物に襲われるのも、それで怪我をするのも、それほど珍しい話ではないのですが、問題はそのあとでした。怪我をした際に、親はよっぽど慌てていたのでしょうな。大事な息子を治すのを急ぐあまり、千切れかけた足をポーションで無理やり繋げたようで、それが原因で足の骨は曲がったまま、歩くのに支障がでるほどの後遺症が残ったようで。いやはや、なんとも可哀想な話ですな。しかしなんとも不思議な話で、風の噂によると、最近になってその子供が急に歩けるようになったとか」
ニヤリと笑うビクトルを、ユウはジロリと睨みつける。
「お前って嫌な奴だよな」
「むむっ。サトウ様、どうかされましたかな? このビクトルに至らぬ点があれば、遠慮なく言ってくだされ」
「うるせえよ」
「フハハッ。サトウ様、モーベル王国との取り引きまで、まだ時間がある様子ですな。それで以前、仰っていた面白い物を見せてくれるとは」
「ほう、それは聞き捨てなりませんな」
「もちろん、我らも見せていただけるのでしょうな」
珍しくビクトルが不愉快そうな顔で商人たちを見る。
「マリファ」
「すぐに」
ユウの傍に控えるマリファが、みなまで言わずとも心得ていますと、すぐに周りの者たちへ指示を出すと、すぐさまテーブルや椅子が用意される。
「これがなにかわかるか?」
ユウがテーブルの上にいくつもの鉱石を並べる。青や碧、紫などの拳大の鉱石を前に、商人たちの顔が険しくなっていく。この場にいる商人は当然『鑑定』スキルを持っているのだが、目の前にある鉱石はどれも初めて見るモノであったからだ。
「初めて見る鉱石だろ?」
驚きを隠せない商人たちへ、ユウがイジワルな笑みを浮かべる。
「こっちから深蒼石、深海石、鉄海石、海魔石だ。どれも海の底まで潜らないと取ることができない鉱石だ。知ってるか? 深海は誰も手を出していないお宝の山だぞ。きっと誰も入ったことのない迷宮だってあるはずだ」
「サ……サトウ様は、海の底へ潜る術をお持ちだと?」
「潜水艇ってわかるか? 海に潜れる船だ」
海に潜れる船と言われても想像がつかないのか。商人たちは一様に口を開いたままである。
「サトウ様、これらの鉱石を売っていただくことはっ!!」
商人の一人が抜け駆けするのだが。
「無理に決まってるだろう。俺だってそんなに数が手に入らないモノなんだぞ」
「こ、このビクトルをっ。サトウ様っ! このビクトルを、そのせんすいていとやらに乗せていただくことは可能でしょうかっ!!」
普段の姿からは考えられぬほど取り乱したビクトルであった。だが――
「ダメなんだぞ!」
「そうだそうだ!!」
「わたしたちがさきなの」
「じゅんばんなんだよ」
「人族のくせに油断したらこれなんだから」
「私たちピクシーの順番を抜かすなんて、あー怖いわ」
いつの間にか。ユウの周りには子供たちと、いつ来たのかピクシーたちが集まっていた。
「ビクトル、潜水艇はまだ一隻しかないし、そんなに広くないから乗れる人数も限られている。それに――あっち行けよ」
ユウは自分の周りを飛び回る、無数の精霊を手で追い払う。
「それに潜水艇はまだ未完成で、風や水の精霊の協力なしじゃ満足に動かせない。しかも協力もしてないくせに、火や土の精霊も深海を見たいって言うしな。そこのナマリたちも、ぎゃーぎゃーうるさくてうんざりだ」
「ナ、ナマリちゃん、よければこのビクトルに――」
「ダメっ!!」
「そこの子供たち、なんでも買って――」
「「「ダメだよ!!」」」
周りの者が目を見開いて驚くほど、ビクトルは取り乱していた。
(見たい……見たい、見たい見たい、見たい見たい見たいっ! 誰も見たことのない光景をっ! どれだけ金を積んででもっ!!)
どれだけビクトルが心の中で叫ぼうが、どれほど望もうが、それは金ではどうにもならないことであった。
「もう一つ、面白い話をしてやろうか? いつか飛空艇も作ろうと思ってるんだ」
「ホッホ、名前から察するに空を飛ぶ船ですか?」
「ああ、それで東方にある『天空城』へ行きたいんだ」
「フハハッ……。空に城が浮かんでいるとでもいうのですかな?」
髪が乱れたままのビクトルが、まだ自分の金ではどうにもならぬことがあるのかと、自嘲気味に尋ねる。
「あるさ。お前らだって空に浮かぶ島に、天人や鳥系の獣人が住んでいるのは知っているだろ? そこには迷宮だってあるそうじゃないか」
「浮島のことなら存じていますが、迷宮はともかく城となると……」
訝しげに話す商人に、周りの商人たちも同意するように苦笑する。
「絶対にある」
「サトウ様は、その天空城をご覧になったことがあるのですかな?」
「いいや。鳥系の従魔を送ったが、たどり着く前に死んだ」
「ホッホ、ではなぜあると言い切れるのですかな?」
「北の天死山脈に『無のサデム』、西のグリム城に『覇王ドリム』、南の大獄炎界に『焔のムース』、なら東には『天空城』がないとおかしいからな」
なぜユウがいきなり三大魔王の名を挙げたのか。商人たちは考えに頭が追いつかないでいた。
「そろそろ時間だな。モーベル王国を出迎えに行こうぜ」
席を立つユウを、マリファや子供たちが追いかけていくのであった。
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