第276話 穴掘りと絵本

「ふわ~。まだ朝早いから眠いよね~」


 ネームレス王国の山城内の通路を歩くニーナが、大きなあくびをする。


「眠いなら無理について来なくていいんだぞ」

「もう~、すぐそうやってイジワル言うんだから~」


 ニーナが頬を子供みたいに膨らませる。

 クラン『龍の牙』と決着がついてから、すでに数日が経過していた。

「マリちゃん、どう思う?」

「ご主人様の仰るとおり、眠いのなら無理をされないほうがいいのでは」

「もう! マリちゃんまでっ。知ってる? ユウったら私たちに内緒で、龍のなんとかってクランとケンカしたんだよ~」

「ナマリ、そうなのですか?」

「し、しらない」


 問い詰めるようなマリファの視線から、ナマリは逃げるようにニーナの後ろへ移動し「ニーナ姉ちゃん、ないしょなんだぞ」「ごめ~ん」と騒ぐ。


「モモがまだ寝てるから静かにしろ」


 ユウが自分の被る帽子を指差して、ニーナたちを注意する。


「は~い。でもいつものユウなら魔法の門でびゅ~んって行くのに、なんでかな?」

「今日は港に商人たちが来るってのは知ってるよな?」

「うん」

「シロに乗っていかないと、やかましいガキ共が俺に断りもなくシロに乗って港まで来るんだよ。ん? どうしたナマリ」

「えっ!? な、なんでもないんだぞ」


 ユウたちが挙動不審なナマリを見つめる。


「どういうことだ?」


 山城からシロのいる森まで移動したユウは、目の前の光景に思わず呟いた。


「うみってどんなの?」

「すーっごく、こーっんなに、おーっきいのよ!」

「レテルねえちゃ、きょうはうみにいくの?」

「そうよ。シロがのせてくれるんだからね」

「アオって大きなかいりゅうがいるんだぞ」

「わたちたちたべられりゅ?」

「アオは良い子だからたべないぞ」


 まだよちよち歩きの子供たちに、インピカたちが海について力説していた。肝心のシロは、子供たちに囲まれてご機嫌である。


「ナマリっ!」

「うわ~ん、ごめんなさ~い」


 ユウの怒りを恐れてナマリが逃げていく。そして、その声に子供たちがユウに気づく。


「あーっ! 王さまだ~」

「おうちゃま、きょうはね。うみにいくんだよ」

「ニーナねえちゃん。ぼくね、はじめてうみをみるんだ」

「うわ~ん」

「よしよし、もうすぐうみにいくからね」


 グズる子供や騒ぐ子供たちの姿に、ユウは怒る気も失せる。


「泣いちゃダメだよ~」


 子供たちのなかには、わけもわからず兄や姉に連れてこられた幼い子供もおり、不安になって泣き喚いていた。そんなグズる子供たちをニーナがあやしていた。


「あやすのが上手いんだな」


 さっきまで泣いていた子供たちが、ニーナがあやすとあっという間に笑顔になり。今は泣き止んだ子供たちが、楽しそうにニーナの手や足にまとわりついていた。その意外な姿に、ユウは感心する。


「ふっふっふ~。こう見えても子供をあやすのは得意なんだよ~」

「人は見かけによらないな」

「あ~、またそういうこと言うんだから~」

「ご主人様、いかがいたしましょうか?」


 子供を抱えるマリファが、ユウに指示を仰ぐ。


「いかがもなにも連れていかないと、こいつらうるさいだろ」

「オドノ様にかんしゃするんだぞ!」

「お前は反省しろっ」


 なぜか偉そうにするナマリをユウが小突く。その姿に子供たちが大笑いする。


「しゅっ……しゅっごい! これがうみ!?」

「ねえちゃ、あれどこまでつづいてるの?」

「わーっ! あれぜ~んぶ、おみじゅなの」


 初めて見る海に、舌足らずな子供たちは大興奮である。大変なのは港の管理をしている大人たちである。こんなにも大勢の子供が来るとは聞いていなかったので、海に入ろうとする子供の制止や、あっちこっち走り回る子供を追いかけて大忙しだ。


「王様、これは?」

「俺に聞くな。それよりガキ共が勝手に海に入らないように注意しろ」

「それはもちろん」


 海竜のアオがいるので、この近辺で海の魔物が姿を現すのは珍しいのだが、それでも完全ではない。ろくに抵抗もできない子供たちでは、魔物に襲われれば一溜まりもないのだ。それに今アオは商人たちを迎えにいっているために不在である。


「ここのつちってさらさらしてりゅね?」

「ここはすなはまっていうのよ」


 砂浜ではユウや大人たちの心配や苦労など知る由もない子供たちが、砂遊びやシロによじ登って遊んでいる。


「インピカ、あなほりしないの?」

「しない」

「えー、なんで?」

「わたし、あなほりきらいだもん」

「たのしいのに。へんなの」


 穴掘りをしていた獣人の子供たちがインピカを誘うのだが、インピカは嫌そうに断る。そんなインピカの姿は珍しいのか、子供たちは不思議そうに去っていくインピカを目で追った。


「王様、ナルモたちが戻ってきたようです」

「見りゃわかる。準備はできているな?」

「お任せを」


 遠く水平線に船の姿が見える。徐々に船はその姿をハッキリとさせる。そして船を引いているアオの姿が見えるに連れ、子供たちは興奮を隠さず騒ぎ始める。


「おーい! ここだよ~!」

「アオ、おかえり~!」

「あれがアオ?」

「そうだぞ! 大っきくて、カッコイイだろ?」

「おっきいねぇ」


 ユウや子供たちの姿が、アオにも見えたのか。船を引くアオの速度が上がる。


「げっ!? アオ、落ち着け! 船のことを忘れるなっ」


 虎人のナルモが、アオに落ち着くよう声をかけるのだが、アオには聞こえていないようであった。


「あー、船がバラバラになるかと思った」


 ユウや子供たちにじゃれるアオを横目に、無事に船の錨を下ろしたナルモが、ほっと胸を撫で下ろす。そんな危ない目に遭っていながら、船に乗っていた商人たちが我先にと島へ上陸していく。


「ムルルちゃん、どれにする?」

「これとこれがよみたい」


 商人が拡げた絨毯の上には、子供が好きそうな絵本や玩具が並べられている。それらを前に子供たちは目をキラキラさせながら、どれを買おうか悩んでいるのだ。


「なんだありゃ?」

「ホッホ。おや、ユウ様はご存知なかったのですかな? たまにこうして、子供たちの好きそうな商品を持ってきては売っているのです」


 子供たちへ優しい眼差しを向けるマゴが、ユウへ説明をする。

 ネームレス王国の子供たちが、親の手伝いなどをしてお小遣いを貰っていることは知っていたユウであったが、そのお金で商人たちから物を買っているなど知らなかったのだ。今までどのように交渉してきたのか、商人と子供たちのやり取りは慣れたものである。


「『魔法幼女レレルちゃん』と『魔法少女サリル』か。その二冊を買うには、お金がちょっと足りないな」


 レテルとムルルが出したお金を数えながら、商人の男が申し訳なさそうに伝える。


「たりないんだって」

「たりないねぇ」

「どちらか一冊なら買うことができるよ。どうする?」

「俺がお金をだすよ。おじさん、それなら買えるだろ?」


 レテルの兄であるヘンデはそう言うと、数枚の銀貨を商人の男へ渡す。


「ああ、だけどいいのかい? それだと君の欲しがっていた『金の騎士と金のゴブリン』『銀の魔導師と銀のゴブリン』、どちらかの絵本は諦めないといけないよ?」

「いいから」

「でもずっと欲しがっていた絵本だったはず」


 本当にいいのかと尋ねる商人の男へ、ヘンデは大丈夫と強がりを言う。この日のため一生懸命に大人たちの手伝いをしてためてきたお金なのだ。


「全部一緒に買ってくれるなら、その金額で構わない」


 すると、一人の老人――ボリバルが口を挟む。以前、ユウに自分をネームレス王国の財務を任せてくれないかと、直訴したことがある商人だ。


「ボリバル様、よろしいので?」


 ネームレス王国との取引の重要度から、多少の値引きはする商人が多いなか、ボリバルは一切の値引きをしないことで有名であった。


「私がいいと言っているのです」

「か、かしこまりました!」


 慌てて商人の男は、絵本をヘンデたちへ渡す。


「おじいさん、ありがとう!」

「ありがとう」

「ありがとっ」


 ヘンデたちが口々にボリバルへ礼を述べると、ヘンデとムルルは嬉しそうに駆けていく。


「お前にこんな優しい面があったなんてな」

「おお、これはこれはサトウ様。知らなかったのですかな? 私はこう見えても子供たちには優しいのですよ」

「へー、そいつは知らなかったな。ヘンデっ」

「は、はい」


 ユウに名前を呼ばれたヘンデが、ユウの前へ駆け寄ってくる。


「そんなにその本が好きなら、おっちゃんのところにいる本人から直接、話を聞けばいいだろ」

「えっ、本人からって……? それって……まさかウッズおじさんのところにいるガイコツのことっ!?」

「あっ、でもあいつら喋れないから無理か……」


 絵本の主人公たちが、まさか現実に、しかもすぐ近くにいたとは思いもよらなかったヘンデは、ユウに何度も礼を言いながら絵本を抱えて子供たちの輪の中へ消えていく。


「おばあちゃん、これみて」

「みて」


 レテルとムルルが、先ほど買ったばかりの絵本を、猫人の老婆へ自慢していた。


「まあ、二人とも絵本を買うなんて、お金持ちなのね」

「えっとね、おまけしてくれたの」

「してくれたの」

「ちゃんとお礼は言ったのかしら?」

「いったよ」

「いったもん」


 レテルたちがボリバルを指差すと、猫人の老婆がボリバルに向かって軽く頭を下げる。


「お前、なに顔を真っ赤にしてるんだ?」

「サ、サトウ様っ、なんのことですかな」

「いや、顔が……」

「いやはや、なにを言っているのか。私にはわかりませんな」

「フラビアのばあさんの周りに商人たちが集まっているぞ」

「なっ! なんとも浅ましい者たちめっ。フラビスさんが困っているではないですか! サトウ様、私は皆へ挨拶をしたいので、これにて失礼いたします」


 そう言うやいなや。ボリバルはフラビスを囲む商人たちのもとへ駆けていく。


「フラビスさん、私の第三夫人になるという話は考えてくれましたかな?」


 フラビスを囲む老人の一人が、フラビスの手を握りながら迫る。この老人はいくつもの国に店を構える大商人である。その大商人が第三夫人とはいえ、獣人を妾ではなく妻として迎えるというのだから、惚れようが知れるだろう。


「まあ、私などに過分な評価をありがとうございます」


 優雅に手を握り返すフラビスに老人の頬がだらしなく緩む。


「ええいっ! フラビスさんが困っておるだろうがっ。その手を離さんかっ!!」

「ふふっ。ダメですよ? 殿方がそのような大きなお声を出しては」

「い、いや……その、儂は、ぬふふっ」


 フラビスが声を上げた老人の唇を人差し指で塞ぐと、周りの老人たちから「あ~っ……」と情けない声が漏れ出る。


「フラビスさん、お困りのようですね」

「ボリバル様、おはようございます」


 獣人とは思えぬほど優雅な挨拶に、ボリバルは「ほうっ」と熱を帯びたため息が出る。

 このようにフラビスは、人族の老人たちから絶大な人気を誇っていた。言葉遣いや礼儀作法はもとより、常に男を立てる仕草や気遣いに、老人たちは骨抜きである。


「わたしもおばあちゃんみたいにもてたいなぁ。それでね、いーっぱいおかしをかってもらうの!」


 フラビスの足にしがみつきながら、インピカがクリクリお目々で見上げる。


「インピカ、そのような考えを持ってはいけません。常に殿方を立てるように心がけ、自分を磨く努力を怠らないことです。そうすれば、殿方のほうがあなたを放っておかないでしょう」

「えー、そんなのめんどくさいなー」

「フラビスおばあちゃん、モテるもんねー」


 子供の一人の呟きを老人たちは聞き逃さなかった。


「そこのお嬢ちゃん、モテるとは誰にかな? ん? んん?」

「えっとね。せんせいたちにだよ」

「先生たちとは? そこを詳しく!」

「せんせいはせんせいだよ。ひとぞくのおじいちゃんでね。すっごくやさしいんだよ」

「フラビスおばあちゃんのことがすきなんだよねー。でも、ぬけがけはしちゃダメなんだって」

「ひ、人族の老人だとっ!?」

「どういうことだ! ええい!! 王はどこだ!? ネームレス王にそこを詳しく聞かねば!!」

「フラビスさん、今の話は本当のことですかなっ?」


 騒ぎ立てる老人たちを前にしても、フラビスは動揺することもなくニコニコと笑顔のままである。


「お前ら、うるさいぞ」

「おおっ。サトウ様、フラビスさんにつきまとう人族がいるそうではないですか!」

「つきまとっているのは、お前らだろうが」

「王様、おはようございます」


 フラビスがユウに向かって挨拶をする。その基本に忠実で、隙もなく、かつ相手に不快な印象を一切与えない挨拶は、マリファですら唸るほどである。


「フラビアのばあさん、あんたも年なんだからいい加減に仕事なんかしなくていいんだぞ」

「サトウ様っ、フラビスさんに対してなんて口の利き方をするのですか!」

「そうですぞ!! フラビスさんがいなくなるなら、儂はもうネームレスへ来ませんぞ!!」

「まあっ。皆様、そのようにお声を荒らげてはいけませんわ」


 マリファに睨まれても騒いでいた老人たちが、フラビスの一言で黙り込む。


「私やフラビアが、王様から受けた恩は計り知れません。老い先短い身ですが、その恩をお返しするまでは休むわけにはいきませんわ」

「あー、わかった。わかったから、その爺さんたちをしっかり躾しとけよ」

「ここにいるのは、それぞれが名のある商人の皆様方です。私などが躾けるなどと滅相もございませんわ」


 なぜか老人たちが、勝ち誇ったかのように頷いていた。


「あの子は王様へ、ご迷惑をおかけしていないでしょうか?」

「どうだったかな」


 表面上は何食わぬ顔をしているマリファだが、内心ではフラビアがどれだけユウに迷惑をかけているか、フラビスへ言いたくてしかたがなかった。


「おうさま、これ」

「かったの」


 レテルとムルルが戦利品の絵本を、ユウに見せる。


「そりゃ良かったな」

「うん! でもね。ニーナおねえちゃんにみせたらね」

「かなしそうなかおしてた」

「えほん、きらいなのかな?」

「おもしろいのに」

「なんでだろうな」


 レテルたちが抱える『魔法幼女レレルちゃん』と『魔法少女サリル』の本を見ながら、ユウはそう呟くのであった。

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