第275話 だから言ったのに

「な……なんだありゃ」

「黒いスライムが魔人族のガキを覆ったかと思えば、あっという間に化け物になりやがったぞ」

「ありゃまずい……。身体が勝手に震えやがる」


 すでにユウたちから距離を取っていた『龍の牙』のクラン員たちは、瞬く間に異形の身へと姿を変えたナマリを前に、驚きを隠せずにいた。


「見た目に惑わされるな」

「ライナルトっ」

「召喚士やビーストテイマー、それに蟲使いのなかには極稀にだが、自らの身体に魔物を憑依させることで力を発揮する者たちがいる。恐らく、あの魔人族の子供も憑依型なのだろう」


 動揺していたクラン員たちは、ライナルトの言葉で冷静さを取り戻す。


「おいっ『解析』はどうなっている?」

「サトウやあのアンデッドにはレジストされた。ただ……」

「ただ、なんだ」

「ピクシーと魔人族の子供、それにその子供が纏った黒いスライムだけは見ることができた」

「なら早く皆に伝えろ」

「………………」

「急げっ。いつあの化け物が攻撃を仕掛けてくるかわからんのだぞ」


 ライナルトに急かされても、言っていいものか迷っていた男は意を決する。


「今から俺が言うことを落ち着いて聞いてくれよ」

「どう見ても、お前のほうが冷静じゃないな」

「ハッハハ……、そうかもな。いいか? まずあの魔人族の子供自体は大したことない。レベルはたったの1だ」


 その言葉にクラン員たちは内心でほっとする。だが――


「ただ、一日に八回殺さないと死なない固有スキルを持ってやがる。ピクシーのほうは妖精姫って種族でランクは7だ。典型的な魔法タイプで妖精魔法を第8位階、黒魔法と精霊魔法はそれぞれ第7位階まで使うぞ」

「なっ!? ランク7だとっ。それになんだその魔法の位階の高さはっ!?」

「妖精姫っていやあ、Aランク迷宮『妖精魔宮』の深部にいるって魔物じゃねえか」


 男は余計な混乱を避けるために、ナマリが固有スキル『魔王殺し』を持っていることは伏せた。


「お前ら、騒ぐな。ランク7程度の魔物なら問題ない」


 ライナルトが首を動かして、男に続きを促す。


「あ、ああ。問題はあの黒いスライムだ。兇獸の一体、ボラモブランだった」


 ライナルトとマティルデを除くクラン員たちは、男がなにを言っているのか、理解できない顔であった。男は長年に渡ってパーティーを組んできた信頼できる仲間である。しかし、それでも男の言っていることを疑わずにはいられなかった。もし、その言葉が真実であれば『龍の旅団』が総力を上げてやっとの思いで倒すことができた、十八いると言われている兇獸の一体『グリヴェ・ローモ』と同格の魔物の相手をするということになるのだ。しかも、情報が正しければ、八回倒さなければいけない。兇獸を八回――どう考えても無理な話である。さらに黒いスライムは全部で十匹いたのだ。残る黒いスライムが、兇獸と同格の魔物であるとすれば、勝機どころか生き残ることすら絶望的な状況であった。


「ば、馬鹿なことを抜かすなよ。大体、さっきのあれはどう見てもスライムだ。兇獸には見えねえ」

「そうだ! お前の見間違いだろ」

「俺もそう思いたかったさ。『解析』でステータスを見るまではな」

「そんな――」

「いい加減にしろっ」

「ライナルト……」

「あれが兇獸の一体なのは間違いないだろう」

「なにを根拠に――ライナルト、その足っ?」


 兇獸グリヴェ・ローモの素材から作られたライナルトの靴が、まるで自身の身体の一部にでも出会ったかのように、唸り声を上げていた。


「マティルデ、こうなったからには俺の指示に従ってもらうぞ。お前たち、対龍陣形だ」

「相手は子供よ」

「そんな甘いことを言っているから、レオはお前にクランを任せなかったんだ」


 ライナルトの指摘に、マティルデは悔しそうに唇を噛み締めた。


「黙って俺の指示に従え」


 すでにカーサの丘に隠れている仲間たちは、ライナルトのハンドサインでの指示を受け、配置についている。


「いつまで待たせるんだ」


 苛立つユウと、結果的にユウとの約束を破ってしまったラスが、おろおろする姿が目に入る。


「ここで暴れる許可は取っているから安心していいぞ」

「俺たちがその化け物に勝てば、手打ちの件を受け入れてもらえるんだろうな?」

「お前ら屑共が条件を出せる立場か。そもそもナマリたちに勝つつもりなのか?」

「俺とモモは負けないんだぞ!」


 体育座りで今か今かと待っていたナマリが、立ち上がって宣言する。


「マティルデっ!」

「わかっているわ! 集いし焔よ、その力を以て地を焦がし、天を穿ち、我が前に――」


 マティルデが黒魔法第8位階『閃熱砲哮ド・ゴーラ』の詠唱を始める。


「あっ! 魔法だな、そうはさせないんだぞ!」


 地を蹴って信じられない速度で迫るナマリを、マティルデは冷静に観察していた。そして次の瞬間――


「わっ、わわっ!?」


 ナマリを飲み込むように、広範囲に渡って大地が泥沼と化した。マティルデが詠唱を破棄して、黒魔法第4位階『沼搦マーシュ』を発動したのだ。ナマリは泥沼に足を取られて、動けば動くほどより深みへと嵌っていく。


(こんな簡単な手に引っかかるなんて、やっぱり子供じゃない)


「マティルデっ、なにをしている! 早く止めを刺せっ!!」


 ライナルトの指示では『沼搦マーシュ』によってナマリを地中深くへ一気に引きずり込むはずであった。そしてモモが空へ逃げていれば、ライナルトたちが止めを刺す作戦だった。


「クソっ! 俺たちで止めを刺すぞっ!!」

「おうっ!!」


 白魔法第7位階『フライング』によって、飛翔するライナルトが仲間たちへ指示を出す。すでに周囲の仲間たちが、竜や巨人ですら拘束する強固な結界を張り巡らせているのだ。いかにナマリが兇獸の力を使えるとしても、身動きできなければその力を振るうことすらできない。だが、一斉に攻撃を仕掛けようとしたライナルトたちは、その動きを止める。


「嘘でしょ……」


 マティルデによって創られた泥沼が、ナマリを中心に花畑へと変化していく。モモの妖精魔法第4位階『花咲く大地フラーデン』によるものである。


「冗談じゃないわ。これじゃまるで――私のほうが、魔力が低いとでも言うのっ」


 魔法職に就く者にとって、自分が展開した魔法を上書きされるのは屈辱的なことであった。ましてやマティルデは、小さな頃からその魔法の才能を周囲から認められ、負け知らずの人生を歩んできた才女だ。簡単に目の前の敗北を受け入れられるわけがなかった。


「相手が竜や天魔族ならともかく、こんな小さなピクシーを相手に、私が魔力勝負で負けるわけにはいかないのよ!」


 再度、『沼搦マーシュ』を発動するマティルデであったが、負けじとモモも『花咲く大地フラーデン』に魔力を込める。激しい魔力の衝突による渦がそこかしこで巻き起こるのだが、ついにその均衡が破れ始める。徐々にではあるが、泥沼を侵食するように花畑が拡がっていく。


「そ、そんな……っ」

「モモは強いんだぞ!」


 膝をつくマティルデへ、ナマリは勝ち誇る。だが、その隙を見逃すほど、ライナルトたちは甘くない。


「わっ、ズルいぞっ!?」


 四方八方からライナルトたちが武器を振るう。慌てながらも、ナマリはその一つ一つを腕や脚で弾く。


「化け物がっ!」


 ライナルトの振るう蛇龍剣マンバが、唸りを上げてナマリの首元に迫る。しかし、突如その刃が蛇のようにしなり軌道を変えた。ライナルトの狙いはナマリを支援するモモであったのだ。その必殺の刃がモモを貫くと思ったその瞬間――


「こんなのかんたんにつかめるんだぞ!」


 塩でも摘むように、ナマリの二本の指が蛇龍剣マンバの切っ先を捕らえていた。


「はああああーっ!!」


 微塵も動じることなく、ライナルトは魔法剣を発動させる。黒魔法第6位階『獄雷』の力を込められた刃から、地獄の雷がナマリの指から全身へと駆け巡る。


「今だあああああっ!」

「くたばれやあ!!」

「化け物がっ!!」


 一斉にナマリへ無数の剣技、槍技、斧技、槌技が叩き込まれる。


「ハ……ハハハッ……ワハハッ!」


 今まで数多の天魔や、名のある竜を屠ってきた攻撃を受けて、無傷で立っているナマリの姿を前に、ライナルトは笑うしかなかった。


「だおっ!」

「ぐおばぁっ……」


 ナマリの右正拳突きを、とっさに左腕で受けたライナルトであったが、その左腕は蛇龍革の甲冑ごと砕け散り、吹き飛んでいく。


「あっ。し、死んでないよね?」


 ナマリがユウとの約束を思い出して、慌てふためく。


「無傷だとっ……? そんなはずはねえっ!! がはああっ……」

「一旦、態勢を――ぐあああっ!?」


 残る『龍の牙』の者たちも、ライナルトと同じ運命を辿ることとなる。ナマリの拳を耐えられる者など、誰もいないのだ。しかも、そのたびにナマリは――


「わっ、死んでないよね?」


 ――と聞くのだ。

 しかし、ナマリの周囲から人がいなくなった瞬間、高位魔法が次々に撃ち込まれる。あまりにも絶望的な状況に、後衛職の者たちが指示を待たずに暴走したのだ。

 火や氷、雷や爆発系の魔法によって、大地が抉れ、地形が変形する。ナマリがいた場所は、今や土埃や黒煙で視界がきかない状態である。


「殺ったぞ!」

「あれだけの魔法を喰らわせてやったんだ。原型も残ってはいないだろう」

「よし、このままじゃ死体も確認できないな。俺の風魔法で土埃を払ってやる」


 そう言うと、男は風魔法で土埃を吹き飛ばす。


「これでどうだ?」

「ああ、よく見え――そ……そんなっ!?」


 『龍の牙』にとっては絶望としか言えない状況であった。ナマリが五体満足で立っているのだ。ナマリの頭の上に立っているモモは、結界で魔法をそらしていたのだが、ナマリは直撃していたにもかかわらずである。


「もう! こんなにこわしたら、あとでオドノ様におこられるんだぞ!!」

「喰らえっ!!」


 ぷんぷん怒って腕を振り回すナマリの背後から、片腕になったライナルトがナマリの背中を斬りつける。


「一度でダメなら何度でもやってやる!!」


 左腕を失い、大量の出血をしているにもかかわらず、まったく闘志の衰えないその姿は、ユウですら感心するほどであった。


「あいつ、根性あるな」

「多少はあるようです。羽虫にしては、ですが」


 盟主であるライナルトの奮戦に、心の折れていたクラン員たちが立ち上がる。


「ライナルトさんっ!」

「クソがっ!! ライナルトさんから離れろや!!」

「早く回復魔法をっ!」


 崩壊した連携が機能し始める。他の者たちがナマリを相手に時間稼ぎをし、その間に回復魔法を使える者たちが、ライナルトや傷ついた者たちを癒やしていく。


「退きなさいっ」


 マティルデの声に、ナマリを取り囲むクラン員が一斉にその場を離れる。同時に、黒魔法第8位階『閃熱砲哮ド・ゴーラ』による高熱の閃光がナマリを貫いた。


「これでダメなら」


 マティルデはこの魔法で、名を持つ巨人を屠ったこともある。マティルデが使える魔法の中で、もっとも火力のある魔法であった。これでダメージを与えることができなければ、この場にいる者たちではナマリを倒すことはできないだろう。マティルデは全魔力を注ぎながら、普段は祈らぬ神に祈った。


「あ……ああ…………っ」


 いつの世も勝つのは――


「大地が蒸発するほどの……高熱の中を……あ、歩いているだと!?」

「あんな化け物をどうやって倒せってんだ」


 ――強い者である。

 『閃熱砲哮ド・ゴーラ』の閃光から、頭上にいるモモを守りながら、ナマリは悠然と歩いていた。

 その姿に『龍の牙』は勝利を。否、生存を諦めた。


「ごふっ……ご、殺せっ……」


 仰向けに倒れて、指一本すら動かせないライナルトが、自分を見下ろすユウを睨みつけながら、自分を殺せと言い放つ。


「俺が殺したら、ナマリたちに殺すなって言ったのが無駄になるだろうが」


 そのナマリだが『龍の牙』が死んでいないかを確認し回っていた。深い傷を負った者には、モモとラスが回復魔法をかけている。


「いいか? 二百億マドカをカマーの冒険者ギルドまで、お前が持ってくるんだ。そこで『ネームレス』の皆様にご迷惑をおかけした謝罪金ですって、俺の口座へ振り込め」

「ぐっ……ぺっ! だ、誰が、そんな真似を……する、かっ……」

「いいのか。謝罪をしないっていうのなら、『龍の牙』だけじゃなく『龍の旅団』も潰すぞ。手加減したナマリたちだけで、このザマなのに俺やラスまで相手にすれば、『龍の旅団』なんて何日で潰せるだろうな」

 暫し考え込むライナルトであったが、それ以外の選択肢はないと理解したのか。


「わがっ……た。ただ……今回、の件は……お、俺が勝手に、やっだことだ。り、りゅ……『龍の旅団』は、関係……ないっ」

「そんなことどうでもいいんだよ。俺はお前らみたいな連中に周りをうろちょろされたくないだけなんだ。他の連中には、お前から言っておけよ。『ネームレス』には手を出すなってな」

「あ……ああっ、約束……する。二度と、手は……がふっ……出さない」


 そこまで言ってから、ライナルトは意識を失う。ユウは最低限の生命にかかわらない程度までライナルトを回復させると、ナマリたちを連れてネームレスへ戻るのであった。




 サムワナ王国。

 そのサムワナ王国の王都にある『龍の旅団』のアジトで、金貨でコインタワーを作っている者がいた。美少年のようにも美少女にも見える、中性的で不思議な容姿を持つ少年であった。


「なにをガキみたいな遊びをしてんだ! レオ・・、聞いているのか? ライナルトたちが『ネームレス』に負けちまったんだぞ!」


 強面の男が、少年へ詰め寄る。机に手を勢いよく置いた衝撃で、コインタワーが崩れ、無数の金貨が机の上に散っていく。

 驚くことに、この一見荒事とは無縁そうな少年が、最強のクランの一角に上げられる『龍の旅団』の盟主、レオバニールム・ バルツァーであった。


「あー、新記録を狙えそうだったのに」

「それどころじゃねえって言ってんだろうがっ!」

「だからレオは言った。『ネームレス』には手を出さないほうがいいよって」

「今さらそんなこと言ってもしょうがねえだろうがっ!」


 レオバニールムは散らばった金貨を集めて、再度コインタワーを作り出す。


「レオっ!!」

「『ネームレス』の件は放っておいて大丈夫だよ」

「なんでそんなことが言えるんだよ?」

「ライナルトたちは、誰一人として死んでない」

「ああ、どうしてそのことを?」


 男はライナルトたちが『ネームレス』に負けたとしか報告していない。


「それで他にもなにか言ってたよね」

「そうだ! ドラホミールの『龍の尾』は『剣聖会』と、小競り合いから今にも全面戦争になりそうになっている。アイデンの『龍の息吹』は最悪だ。すでに『悪食のゼロムット』と殺し合いを繰り広げている真っ最中だ!!」

「ふーん」

「なにを呑気な返事をしてんだ! お前のクランなんだぞ!! えっ! おい! 聞いてんのかっ!!」


 コインタワーを積み上げることに集中しているレオバニールムは、真面目に話を聞いているようには、とても見えない。


「そんな耳元でガミガミ怒鳴らないでよ」

「あのなー! 俺が――」

「レオが行くよ」

「――どんな思い……行くのか? レオが自ら?」


 その言葉に周囲で黙って成り行きを見守っていたクラン員たちが、露骨に安堵の表情を浮かべる。


「うん」

「そう、そうだっ! お前が行ってくれるんなら『剣聖会』だろうが『悪食のゼロムット』だろうが敵じゃねえ!!」

「簡単だよ。レオが行くんだから」


 興奮する男をよそに、レオバニールムは一枚の金貨を摘むと、近くにいる男へ放り投げる。


「そこのキミ」

「はいっ!」


 慌てて金貨を受け止めた男は、レオバニールムに声をかけられ緊張と興奮が入り混じった表情である。


「今後はサムワナ金貨での支払いは断ってね」

「どうかしたのか?」

「金の含有量が酷い」

「金貨に含まれる金の含有量は、レーム連合国で決められているんだぞ?」

「そのせいでレオのコインタワーの新記録はお預けになった」


 レオバニールムは金の含有量よりも、そのせいでコインタワーが上手くいかなかったことに腹を立てているようであった。


「よっしゃ。早速、龍の旅団うちの連中を集めるか」

「必要ない」


 そう言うと、レオは一人でアジトの出口へ向かう。


「待て、待て待てっ!! レオが最強なのは俺だってわかっているが、いくらなんでも一人なんてダメだぞ!! お前ら、俺はこのままレオについて行くから、あとから追いかけてこい!! いいな?」

「は、はい」


 男は慌ててレオのあとを追いかける。この男は普段からレオに振り回されているのだろう。


「『ネームレス』のユウ・サトウかぁ。面倒が片付いたら、レオは会ってみたい」


 そんな男の苦労も知らずに、レオバニールムは呑気に空を見上げるのであった。

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