第274話 オイラの名は
「その書簡がどうかしたの?」
マティルデがライナルトの持つ手紙へ、訝しげな眼差しを向ける。手紙には封蝋が施されていた。この時点で差出人が平民の可能性が限りなく低くなり、貴族か商人に絞られる。なぜなら一般的に平民が手紙に封蝋をするなど、まずないからである。
「差出人はユウ・サトウだ」
「いつ届いたの?」
わずかに目を見開き、マティルデが尋ねる。『龍の牙』の計画を阻んだユウは、ライナルトたちにとって怨敵と言ってもいい存在である。その相手から手紙が届いているにもかかわらず、なぜ今まで黙っていたのかと問い質しているのだ。
「さあ?」
「私を馬鹿にしているのかしら?」
マティルデの纏う魔力が攻撃的なモノへと変質していく。アジト内の気温が急激に上昇していくのを、周囲の者たちは急激に水分を失い乾いていく肌から感じとっていた。
「落ち着け。俺も今の今まで気づかなかったんだ」
「そんな馬鹿な話がっ……」
ライナルトが嘘を言っていないとするならば、常に数十人の冒険者がいる『龍の牙』のアジトへ、誰にも気づかれることなく、ユウはライナルトの机へ手紙を置いたということになる。驚くマティルデたちをよそに、ライナルトは手紙の封蝋を取り除き、中身を確認する。
「なんて書いているの?」
「丁寧な文章だが、簡潔に言えばいつまで白を切るつもりだと。明朝、カーサの丘まで来るよう書いてある。
おい、今からどれだけ人数を集められる?」
「迷宮に潜っている連中や、依頼で出ていっているのもいるんで――そうですね、八十人ほどならすぐにでも集められます」
ライナルトの問いかけに、クラン員の一人が動員できる人数を伝える。
「サトウはネームレス王国の王、それもウードン王国と対等の同盟を結んでいるのよ。レオに相談するべきだわ」
「そんな時間はない」
「冷静になりなさい。数ヶ月でバリューやローレンスを潰すような相手なのよ。ここは話し合いで時間を稼ぎなさい。武力で対抗するなんて愚策にもほどがあるわよ」
「お前は獣が自分の首筋に牙を突き立てようとしているそのときに、悠長に話し合いをしませんかとでもほざくのか?」
「相手は言葉の通じない獣じゃないわ」
「マティルデ、お前の言うとおりだ。サトウは獣よりタチが悪い。バリュー一派が、ローレンスがどんな最期を迎えたのか知っていて言っているのか?」
「それでもよ」
「話し合いならするさ。だが、その前にこちらの力を見せなければ、交渉の場に着いてもらうことすらできないだろ?
お前ら、聞いていたな? 時間との勝負になる! すでに『ネームレス』の連中は王都に来ているはずだ! 奴らが潜んでいそうなところを片っ端から調べ上げろ!!」
「おうっ!」
「カーサの丘にも人員を送るのを忘れるなよ」
「言われなくても、わかっているさ」
「場合によっては街中で戦闘になる可能性もある。行動は各パーティーごとに分かれて行うように!」
「了解っ! お前ら、行くぞ!!」
「待ちなさいっ。ああ、もう!」
制止するマティルデの努力もむなしく。クラン員たちは次々にアジトを飛び出していく。
「お前はどうするんだ?」
頭を抱えるマティルデに、ライナルトが問いかける。
「こうなった以上、明日のサトウとの立ち会いに私も同行するわ」
しかし日が暮れ、さらに日が変わっても、『龍の牙』はユウどころか『ネームレス』の者を、一人も見つけることができなかった。
翌朝、カーサの丘には一睡もしていないライナルトの姿があった。
「サトウは俺を馬鹿にしているのかっ」
思わずライナルトが悪態をつく。ライナルトの周りには、昔からパーティーを組んでいるメンバーとマティルデの姿があった。残る『龍の牙』の者たちは、すでに周囲の物陰などに潜ませている。
「ライナルトっ」
名前を呼ばれるまでもなく、なにもない空間から漂う魔力の反応にライナルトは剣の柄に手をかける。
「早いじゃないか」
時空魔法によって創られた門から姿を現したユウが、身構えるライナルトたちを見て呟く。ユウの後ろにつき従うのはラスである。
目の前に現れたユウに、ライナルトは内心で舌打ちをする。王都からカーサの丘に仕込んでいた罠の大半が無駄となったからである。
「二人だけなのか?」
「俺は一人で大丈夫だって言ったんだけどな。どうしてもついて来るって聞かないんだ」
(舐められたものだな)
外見からではわからないが、細目のライナルトの眼光が鋭くなる。
「そこの羽虫。先ほどからマスターに対して、なんだその言葉遣いは」
赤い眼光で、ラスがライナルトを睨みつける。
「なにか気に障ったか?」
「蛆虫にも劣る貴様らが、王であるマスターに対して許される言葉遣いではない。まずは跪き、頭を垂れるがよい。そもそも誰の許可を得て、マスターの尊顔を拝しているのだ」
「それは悪かったな。だが、レーム連合国に加盟しているわけでもなく、ネームレス王国を国として認めているのはウードン王国のみだ。そんな国の王を敬えと言われても困るんだがな」
「おのれっ……」
「そう怒るなよ。事実を言ったまでだ」
いつものラスであれば、その場でライナルトを八つ裂きにしていそうなものなのだが、ユウの手前だからか、手を出すことはなかった。
歯軋りするラスを内心で「サトウの犬がっ」と見下しながら、ライナルトはユウの足元へアイテムポーチを放り投げる。
「サトウ、お前の用件はわかっている。そのアイテムポーチには、バリューから受け取った報酬百億マドカが入っている」
「それで?」
「初めからバリューと『ネームレス』との争いに『龍の牙』は関与していない、そういうことにしてもらいたい。その金は手打ちの代金とでも思ってくれ」
自分に非があろうと交渉事で強気に出て有利に進めるのは、争いごとに長けている冒険者たちだけでなく、国や商人たちもよく使う手であるのだが。
「足らないな」
そう言うと、ユウは足元のアイテムポーチをライナルトに向かって蹴り返す。
「なんだとっ!? 時知らずのアイテムポーチを奪う際に、お前ら『ネームレス』に犠牲者は出ていないはずだ。『
「さあ? 何人死んだんだ?」
さして興味もない軽い聞き方であった。
「貴様……」
ライナルトのみならず、周りのクラン員たちからも殺気が溢れ出す。
「どうして俺がお前らみたいな塵共と、手打にしないといけないんだ。
お前らは冒険者じゃない。コソコソと所属を隠して、女一人を囲んで、痛めつけ、物を奪い取るような屑だ。こそ泥でも人目を盗んで物を奪うぞ? こそ泥以下の糞に集る蝿みたいな連中が何人死のうが、俺の知ったことじゃない」
「サトウ、たった二人で俺らと殺り合うつもりか?」
「最初は俺だけで相手してやろうと思ってたんだけどな。ラス、やれ」
「はっ!」
ユウの合図を受け、ラスが神聖魔法第8位階『神域結界』を展開する。
「強力な結界魔法だ!」
「しかし、これはどういうことだ?」
『龍の牙』のクラン員たちは、『神域結界』で自分たちの戦力を分断すると思っていたのだが、ラスの展開した『神域結界』はカーサの丘を覆い尽くしたのだ。これでは、周囲に配置したほぼすべての伏兵までもが結界内にいることになる。
「貴様ら羽虫など我一人で十分だと――」
「ラス、ローブを捲くれ」
「――わから……マスター? 今、なんと仰ったのですか?」
「ローブを捲くれって言ったんだ。見えてんだよ、足が」
ラスは普段から浮遊している。しかし、そのラスの足元を見れば、ローブから可愛らしい足が見えていた。
「マスター……これは……実は…………」
「ナマリっ、出てこい。俺を怒らせたいのか?」
少し待つと、観念したかのようにラスのローブから、ナマリとモモが姿を現す。ユウに内緒で、ラスに半ば無理やり頼み込んで、ついてきたのだ。
「ごめんなさい」
ナマリとモモが泣きそうな顔でユウに謝る。
「罰だ。お前らだけで、あいつらの相手をしろ」
ライナルトたちは、ユウの言っていることが理解できなかった。いや、理解はしているのだが、頭が追いつかずにいた。『龍の旅団』の下部クランとはいえ、Aランク冒険者のライナルトをはじめ、歴戦の冒険者たちだけでも数十名がこの場にはいるのだ。しかも、今はライナルトと同じAランク冒険者であるマティルデまでもが。小国の軍隊を相手にしても勝てるほどの戦力を前に、一見ただの魔人族の子供とピクシーにしか見えないナマリとモモだけで、自分たちと戦うよう命じるユウに、ライナルトたちが混乱するのも無理はなかった。
「なにを言っているの? まさか本当に、あんな子供を戦わせる気なの」
マティルデが敵であるナマリとモモを、不憫なモノでも見るかのような目を向ける。だが――
「そんなことでいいの? 簡単だよ!」
罰の内容にナマリとモモが笑顔になる。
「ただし、殺すのはなしだ」
「えっ……」
殺してはいけないという条件に、ナマリの身体が固まる。今までは敵を殺すだけでよかったのだ。それだけをしていれば、ユウから褒めてもらえた。しかし、今回は殺してはいけない。ナマリには難しいことであった。
「どうした、やめるか?」
「や、やる」
「ナナ、お前は手を貸すなよ」
「マスター、カシコマリマシタ」
ナマリの角の中で様子を窺っていたナナが、ユウの言葉に従う。
「なんだあの気持ちの悪いスライムはっ!?」
「知るか。気になるならサトウに聞いてみろよ」
「そりゃいい。あとで嫌ってほど聞いてやる」
「おい、今のうちに『解析』を忘れんな」
軽口を叩きながらも『龍の牙』のクラン員たちは油断なく、付与魔法で身体能力や各種耐性を強化を、そして『解析』スキルでユウたちのステータスを把握しようとする。
「ナナはダメだから、どれにしようかな~」
ナナを除く九匹の黒いスライムを前に、ナマリは呑気にどれにしようかと指差しながら悩む。
「きめた! 今日はハチにするぞっ!!」
ハチと呼ばれた黒いスライムが、拒絶するように全身を震わせる。
「やだね!」
ハチはナナとは違って、流暢な言葉遣いであった。スライムでありながら、口内には獣のような牙も見える。
「なんでだよ~!」
「なんでオイラがそんなことをしなくちゃいけないんだ。それにオイラの名前はハチなんて変な名前じゃない。オイラの名前は――オイラの名前はなんだっけ? へっへ~」
なにがおかしいのか。ハチは笑いながら、その場で飛び跳ねる。
「もういいよ! ハチのばかっ。それじゃお前にしよっと」
ハチにそっぽを向かれたナマリは、一番使い慣れている黒いスライム――兇獸ボラモブランを選ぶ。すると、まるで選ばれるのを待っていたかのように、ナマリの全身を兇獸ボラモブランが覆う。そして、選ばれなかった黒いスライムたちは、抵抗するも強制的にナマリの角へと吸収されていく。
「よし! モモ、じゅんびはできた?」
黒い外骨格を纏ったナマリの頭の上で、とっくに準備はできているというように、モモはナマリの頭をペシペシと叩くのであった。
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