第273話 強い子

 ネームレス王国の山城は、その名の通り山に造られた城である。とは言っても一つの山ではなく、複数の山が連なる山脈である。そして、その頂上はすり鉢状に窪んでおり、空気中に漂う魔力から水を生み出す水生樹が数百も植えられていた。そしてその中心には鎮座するように世界樹が深く根を張っているのだ。

 水生樹が生み出す水は、山頂の窪みから溢れ出て自然といくつもの川を形成していく。その豊富な水量がネームレス王国の民たちの生活にかかせないものとなっているのだ。


「わたしがおかあさんで、スタルクがこどもで、ムルルちゃんが赤ちゃんね」


 村の近くにある川辺で、ままごとをして遊んでいるのは、獣人のレテルに堕苦族の幼女ムルル、そして人族の奴隷イザヤとローリエの一人息子であるスタルクである。


「わたしもおかあさんがやりたい」

「じゃあ、つぎはムルルちゃんがおかあさんね」

「ぼくもおとうさんとかやりたいんだけどな」


 三人が楽しそうに遊んでいると、そこに獣人の少年たちが姿を現す。


「レテル、なんでそんな奴と遊んでるんだよ」


 そう言って、リーダー格の少年がスタルクを指差す。周りの少年たちも、そうだそうだと声を揃える。

 ネームレス王国を構成するのは、獣人、堕苦族、魔落族、魔人族、さらにバリューの負の遺産であった奴隷たちである。人族のように同種族で構成されていないために、種族同士で意見が対立することも珍しくなく、また同じ種族同士でグループを作る大人たちも多い。この獣人の少年たちも似たようなものである。獣人のレテルが、よりにもよって人族の子供と遊んでいるのが気に食わないのだ。


「わたしがだれとあそぼうとかってでしょ」


 不安そうにするムルルやスタルクをよそに、レテルは負けじと言い返す。


「お前、人族なんかと遊んではずかしくないのか」

「獣人のほこりはどこにいったんだよ」

「そんな奴らより俺たち獣人と遊ぼうぜ」


 なにを言われようが、レテルは少年たちの相手をしない。その態度に苛立ったリーダー格の少年が、言ってはいけない言葉を言ってしまう。


「お前の親は人族に殺されたのに、よく人族の子供と遊べるよな」


 なにを言われても気丈に耐えていたレテルの身体が小刻みに震える。目の前で人族に殺された両親のことを思い出してしまったのだ。


「人族となんか仲良くしてる今のお前の姿を見たら、死んだ親はなんて思うだろうな?」


 今にもあふれそうなほど、目に涙をためたレテルが少年を睨みつける。


「な、なんだよ……。俺はまちがってなんかいないからな!」

「いーけないんだ、いけないんだー」


 その声に驚いた少年たちが後ろを振り返ると、そこには――


「インピカちゃんっ」


 ムルルが嬉しそうにその名を呼ぶ。


「げっ、インピカ」

「まずいぞ」

「お前にはかんけいないだろ」

「男の子が、よってたかって女の子をイジメるなんていいのかなー」


 自分たちより小さなインピカを前に、少年たちは後退る。


「わたしはかんけいなくても、ヘンデはどうかなー」

「レテル、こいつにイジメられたのか?」

「おにいちゃん」


 レテルの兄であるヘンデが姿を見せると、形勢は完全に逆転する。ただでさえ、この場にいる獣人の少年たちではインピカにすら勝てないのだ。そこに獣人の子供の中で一番強いヘンデが加われば、完全に少年たちに勝ち目はなくなる。


「ち……ちがう。俺たちはべつにイジメてなんかいない」

「ほこりたかき獣人が、イジメなんてしない!」

「そうだ! 獣人が人族と遊ぶなって言っただけだ」

「ヘンデ、お前ならわかるよな?」


 完全に腰が引けて、今にも尻尾を股の間に挟みそうになっている少年たちが、自分たちは間違っていないと主張する。


「なんだよ……。俺はあやまらないからな!」


 リーダー格の少年の前にヘンデが移動する。


「お前の親父が人族に殺されたのは知ってるよ」

「う、うるさいっ!!」

「殺したのはスタルクの両親なのか?」

「…………」


 ヘンデの問いかけに黙ったままの少年であったが、じっと見つめるヘンデの視線に負けたのか、ついに口を開く。


「ち……ちがうよ」

「じゃあ、スタルクに殺されたのか?」

「そんなわけないだろ……」


 最後は消え入りそうな声であった。少年にもヘンデがなにを言いたいのかはわかっていた。


「お前のは八つ当たりって言うんだぞ」

「ちが……う」

「スタルクが親のかたきならわかるけど、そうじゃないならくだらないまねはやめろ」


 ヘンデだけでなく、他の子供たちの視線が少年に集まる。


「悪かったよ……」


 ポツリと少年が呟いた。


「あやまるから、そんな目で俺を見ないでくれよ」


 今にも泣きそうな顔で、少年がレテルたちに謝る。それに他の少年たちも続いた。


「うん、きにしてないよ」

「ぼくもだいじょうぶだよ」


 レテルとスタルクが少年たちの謝罪を受け入れる。


「終わったのかよ?」

「おわっちゃの?」


 声をかけてきたのは、立派な執事服とメイド服を着た獣人の兄妹である。兄は大きなバスケットを両手に抱え、妹は兄のズボンを掴んでいる。この二人は、以前ユウが王都のスラム街で助けた獣人の兄妹である。


「うん! みんな、なかよしだよー!」


 バスケットから漂ってくる甘い匂いに、可愛い鼻をヒクヒクさせながらインピカが答える。


「ちぇっ」

「にいちゃ、ざんねんだったね?」

「これ、お前らが仲直りしてたら食べていいって、ご主人様からだ」

「ごちゅじんちゃまからだよ」

「わー! ドーナツだー!!」


 先ほどまでの暗い空気はどこへやら、バスケットに詰められたドーナツを前に、子供たちが笑顔になる。


「あれ? もし、なかなおりしてなかったら、このドーナツはどうしてたの?」


 素朴な疑問をインピカが尋ねると、獣人の兄妹は互いに顔を見合わせる。


「そんなの俺たちでぜ~んぶ、食べてたに決まってるじゃん」

「きまっちぇるじゃん」

「え~っ! そんなのズルいよー」

「ズルくねえよ。それにお前ら、あんまりご主人様にめいわくをかけるなよな」

「なよな~」

「もーう! さっきからまねっこしてばっかりじゃない」

「まねっこって、なーに?」

「まねっこってのはね」


 兄の言葉を真似る妹の姿がおかしくて、インピカたちは自然と笑みを浮かべた。




「王さまー! やっぱりいた!!」


 先ほどのドーナツの差し入れから、ユウが近くにいると踏んだインピカは、さほど離れていない川辺の草むらに寝転がっているユウを見つけると、自分の予想は外れていなかったと頬が緩む。


「なんだよ、うるせえな」

「ドーナツ、おいしかったよ!」

「あっそ」


 ユウのお腹の上に跨って、インピカがドーナツのお礼を言う。


「ナマリちゃんたち、なにしてるの?」

「ししょくだぞ!」


 ナマリとモモの手には、抹茶を使ったシュークリームやシューアイスが握られていた。

 これらはユウの新作スイーツで、ナマリやモモに試食させるところであった。


「わたしもししょくはとくいだよ!」


 先ほどドーナツを食べたばかりなのに、インピカはナマリたちのシュークリームを羨ましそうに見る。


「ダメっ、これは俺とモモのだいじなしごとなんだぞ」


 シュークリームを掴んだまま、ナマリがその場で立ち上がると、なぜか誇らしげに胸を張る。


「えー。いいなー」

「インピカ」

「なーに?」


  ユウに名を呼ばれると、インピカがクリクリお目々でユウの顔を覗き込む。


「お前の母親の様子はどんな感じだ?」

「おかーさん? えっとね。わたしのことをおとーさんとかおねーちゃんのなまえでよぶよ」

「なんだ、壊れたまんまか」

「こわれてないもーん。いまはね、おかーさんはちょっとだけげんきがないだけだもんね。だからわたしがいーっぱいげんきをあげれば、いつかもとどおりのげんきなおかーさんになるもん」


 自信満々に言い放つインピカの姿は、どこか眩しかった。


「インピカ、お前は強いな」

「そうだよー。わたしはつよいこだもんね」


 ナマリとモモは、自分の手にあるシュークリームを半分に割ると。


「ん!」

「え? もらっていいの?」

「俺は強いやつが好きだからな」


 そっけない態度であるが、ナマリやモモなりの優しさであった。


「いい加減に退けよ」

「王さま、これおいひいねー」

「そりゃ良かったな」


 自分の腹の上から、ユウはインピカを退かす。


「ナマリ、俺は先に城へ戻るから、あとでちゃんとした感想を言えよ。この前みたいにおいしかっただの、甘かっただの、適当な感想だったら、次から試食は違う奴にやらせるからな」

「わかった!」

「インピカにまかせてよ!」


 なぜか自信だけは一人前のナマリたちを置いて、ユウは一足先に山城へ戻るのであった。




「マスター、いつまで放置しておくのですか?」


 机に高く積まれた本に囲まれたユウに、ラスが問いかける。


「なにがだよ。言いたいことはハッキリ言えよな。

 ラス、お前が見てのとおり、俺は今この悪意をもって作ったのかと疑うような難解な本を読んでるまっただ中だ。いくら俺に『並列思考』の固有スキルがあるからって、甘えるなよ」


 ユウが読んでいるのは、マゴやビクトルに集めさせた主要国の法典である。


「失礼いたしました。私が言っているのは『龍の牙』についてです」

「『龍の牙』? あれはもう終わっただろうが、アイテムポーチだって取り返したぞ」

「猫人を痛めつけられたではないですか。その報いを受けさせるべきです」

「猫人か……」

「マスター、なにかおかしなことでも?」

「出会ったばかりの頃なら、お前は猫人なんて呼ばなかっただろうな。獣人か亜人って言ってたはずだ」


 ユウに言われて気づいたのか。ラスの纏う魔力が動揺するかのように波打つ。


「言葉の綾です。他意はありません」

「それにしたってフラビアの仕返しを――」

「違います。私はあんな猫――獣人の仕返しなどで、マスターに進言しているわけではありません。あの『龍の牙』とかいう塵芥のごとき下等生物が、獣人とはいえ恐れ多くもマスターの所有物に手を出したことを、放置するのはいかがなものかと言っているのです。許可さえいただければ、今すぐにでもこの私が――」

「なにをそんなムキになってんだよ」

「ちっ、違います。決してこれは、それに私はアンデッドです。感情を乱すことなど、あるわけがありません」

「感情的になってるじゃないか」


 ユウは読んでいた法典を閉じると、跪いて頭を下げるラスを見下ろす。


「わかった、わかったよ。やればいいんだろ」


 ユウはため息をついて、仕方のない奴だなと呟く。


「それではっ」

「ニーナたちには言うなよ。絶対について来るって言うからな」

「それは重々承知しております」




 ウードン王国の王都テンカッシ、富裕層エリアにあるクラン『龍の牙』のアジト内は、重苦しい空気に包まれていた。


「クソッタレが!」


 クラン員の一人が、テーブルの上に置かれた食器を叩き落とす。


「なんでバリューが死んでんだよ」

「紹介された連中も、ほとんどが逃げるようにウチから手を引きやがって」

「これじゃドミニクたちは無駄死・・・じゃねえか」

「おいっ! いくらなんでも言葉が過ぎるぞ!」

「本当のことだろうがっ!!」

「やめなって!」

「鬱陶しいから外でやれや」

「なんだとっ! もういっぺん言ってみろや!!」

「何度でも言ってやるよ。鬱陶しいんだよ」

「俺にケンカ売ってんのか!!」


 バリュー財務大臣を後ろ盾に、クランを一気にウードン王国中に拡大させようと目論んでいた『龍の牙』は、ユウによってバリュー一派が崩壊したことによって、計画は失敗に終わっていたのだ。


「放って置いていいの?」


 クラン『龍の旅団』Aランク冒険者の一人マティルデが、書類作業に追われるライナルトへ話しかけるのだが。


「少し暴れれば息抜きになるだろう」

「あなたのクラン員同士が争っているのよ」

「だからそう判断して言っている」

「ねえ、そんなに焦る必要はないでしょ? バリュー財務大臣の件は残念な結果になったけど、それでも『龍の牙』は日々クラン員を増やしているじゃない」


 マティルデの言うとおり、バリュー財務大臣の後ろ盾はなくなったとはいえ『龍の旅団』の下部クランである『龍の牙』のネームバリューは王都テンカッシでも十分に通用するものであった。現に他の大手クランとも対等の条件で同盟をいくつも取りつけている。


「王都だけでは意味がない」

「ここだけの話『龍の逆鱗』『龍の爪』は順調に勢力を拡大してたんだけど、『龍の尾』『龍の息吹』は大変なことになっているみたいよ」


 もったいつけた言い方であった。ケンカをしていたクラン員たちも、続きが知りたくて争いをやめ、マティルデの言葉に耳を傾ける。


「大変なこと? もったいつけるな」

「ついにぶつかったみたいよ。ほら『剣聖会』や『悪食のゼロムット』のSランク冒険者が盟主をしているクランと」

「そうか、ついに殺り合うことになったか。俺も負けていられないな」

「なに対抗意識を燃やしているのよ。相手はレオと同格のSランク冒険者なのよ」

「避けては通れない相手だ。キザな言い方をすれば、こうなるのは運命だ」

「馬鹿らしい。大勢の仲間が傷ついて、死んでいるのよ」

「夢のために身体を張れるんだ。死んだ者たちも後悔はすまい」

「あなたと話していると、頭が痛くなってくるわ」

「もっと頭が痛くなる話をしてやろうか?」

「え?」


 ライナルトの手に一通の手紙が握られていた。

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